白い茨と黒い茨
白黒ようやく合流しました…!
見上げた天井を遮るように、大柄な黒人男性がこちらを見下ろしていた。
一瞬で覚醒する。体中の痛みに耐えかねて。
言葉を失ったまま、相手を見つめていると、「ボス」と男は背後を振り返った。
軽い足音がして、視界にふわりと白い光。
それは錯覚で、白い服を纏った少年が、ベッドサイドに佇んでこちらを見下ろしていた。
「全身、痛いんだろ。みんな、そう言う。あれだけ派手にやりゃな」
「みん、な…?」
なんとかそれだけをつぶやいた。
ああ、みんなだ。
そう答えて少年は、レンの頬に手を伸ばす。その手が触れたところだけ、痛みが引いてゆくような錯覚。
「蘇生は成功だ。そしてお前は能力を手に入れた。全身の痛みはそのせいだ。あの、南の奴らには能力を与えなかった。だから痛みもなく生き返ったんだ。お前が手にした能力は、物質透過だよ。あとで追々説明する」
一旦言葉を切って、ゆっくりと、慎重に言葉を選びながら、少年は言い聞かせるようにレンに語りかける。
「お前が、してくれたことを、俺はいつでもお前にしてやれるから」
だから。
「だから、お前の命を、俺のために使うよ」
声は優しかった。頷こうとしたが、痛みに負けて、できなかった。
肉体に心が負ける事に屈辱を感じる。せめて言葉を返したいのに。
「無理はしなくていい。わかってるから」
それだけ言うと、伸ばした手がまぶたに触れて、目を閉じさせる。
「寝てろ」
その言葉を聞くと安心したように、レンはそのまま眠りに落ちていった。
「それで」
振り向いて、少年は言う。
部屋はタワーの中にある医務室のひとつで、ベッドの上のレンの他には少年と、彼を庇うように直立不動のJD、そして、腰までの波打つ金髪を流した少女がいた。知的な目をしている。
彼女の纏う黒いファーコートには、雪がまだ絡みついていた。
「空港で騒ぎを起こしていたのがお前のグループだったとはな、ルナマリア」
ルナマリア、と呼ばれた少女は立ち上がり、軽く会釈する。
お久しぶり、といった言葉は英語ではなかった。
「相変わらず凶悪で、美しい。また、貴方に会いに来るとは思わなかったけれど」
北西の果ての島国で使われている、公用語だった。治安の悪い、国に統合されることを拒み続けて紛争の絶えない国。
一年を通して氷に閉ざされた国に生きる、美しい人々の言葉だった。
そして、若干イントネーションを外れた言葉で、少年も、ゆっくりとその言語で話しだす。
「お前、今度こそシンディを救ってやれたか?」
「シンディを?」
「覚えてないだろ。半年前から、これで三度めだ。お前が、シンディを救いたいから、一ヶ月前に生まれなおさせてくれと頼みに来たのはな」
「そう…そう、だったの…。シンディは、元気よ」
「そうか。なら成功したのか。良かったな」
「今日話したかったのは、オリジナルの事よ。…もうすぐ還ってくるわ。ヴァレリーと同じ細胞を持った女が」
「悪いが"獣"に興味は無い」
「知ってるわ。でも貴方、もう一度ヴァレリーに会いたいのではなくて?」
ヴァレリー。苗字の無い女。
いつも小さな少女を連れ、狂気に見えるほど強い瞳で全てを睨み続けていた。
15年前、少年の為だけに、人生の全てを捨てた女。
彼女はMLWが保管していた特殊な細胞を持ち出し、自らの体に打ち込んだ。そして、言った。
あなたのために、この国を壊してあげる、と。
「あいつは失敗した。なにもかわりはしなかったろう」
「たぶん、今この国でそんなことを思っているのは貴方だけよ」
呆れたように大げさにルナマリアは溜息をついてみせる。
なにせ、この国はここ15年でがらりと変わってしまった。
ヴァレリーの持ちだした細胞から感染し、意思の弱い人々は凶暴な"獣"のウィルスに負けて獣化し人を襲う。
街。
建物。
家の中。
どこにも安全な場所などない。
人への感染が確認されて以来、今日明日にも自分の家族が凶悪な"獣"と化すかもしれないのだから。
ただ、その可能性や危険性を国民に対し、大統領は伏せている。
「街は獣の脅威におびえているわ。いつ獣が出るか、今この瞬間にも自分が襲われるかもしれない。それを思わない日はなく、子どもたちを安心して外で遊ばせる事ができない。情報は錯綜している。いつになったら"獣"が地球上から完全に駆除できるのか。全く先の見えない未来、誰もが怯えている世界に変わってしまったわ。貴方はそれでも、何も変わっていないというの?」
咎める響きはなかった。
ただ、少年が何を思っているのか知りたいがためだけに、ルナマリアは問いかける。
まるで、仲の良い姉が、難しい歳の弟の言葉を理解しようとつとめているように。
「変わってないさ」
しかし、事も無げに少年は言った。何も変わっていない。
「そんな小さい事なんか、どうだっていいんだよ。何も変わらず、奴ら人間は生き続けてる」
「けれど最早"狩られる側"よ。日々、押しつぶされそうな恐怖と共に生きている。……あなた達と同じ思いを、ようやく味あわせてやれたのではなくて?」
「こんなもんじゃない」
吐き捨てるように少年は言った。
あの強いひかりを帯びた目で、まっすぐにルナマリアを睨みつける。
「お前、この程度で気は済んだのか?この程度がお前の復讐か?だったらとんだお笑い草だな。俺たちが受けた痛みはこんなものじゃない。それなのに奴ら、のうのうと生きている。それで何が変わった?ふざけるな。お前もヴァレリーも、甘いんだよ!」
「ボス」
それまで黙っていたJDが、両手で支えるように腕を伸ばす。荒い息の奥から少年は、それを振り払った。
「触るな」
「落ち着いて下さい。お身体に障ります」
片手で椅子を引き寄せ、無理に少年を座らせる。
相変わらずJDの手は大きく、暖かく、その手が触れた場所から情が流れこむようで少年は叫びだしたくなる。
「何の罪も無いのに焼き殺された親子を知っているか?サーカス小屋で、見世物にするために一生箱に詰められた少年を知っているか?俺は助けてやろうとした。でも、奴はそれを望まなかった。ただ、殺してくれと俺に懇願したよ」
少年がハァ、と息を吐いてなんとか呼吸を整える。
「…気が済んだわけではないわ。私も、ジェシカを失ったまま。何度生まれ直してもジェシカは私を庇って死んでしまうの。愛しているのに」
静かに、ルナマリアが言った。あやすように白い髪に触れて、俯いた目線に合わせるように、彼女は膝をついて静かに語る。
「ここが最終地点なんかじゃない、もっとずっと先、私達はこの恐怖の延長を手繰り寄せてゆくつもり。ただ、貴方に分かって欲しかった」
「……なにを」
「ばかな人間たちの苦しみ。ほんの僅かであっても、貪欲に吸い上げて自らの癒やしとする術を。…私のように」
少年は答えなかった。
彼には1か2では足りない。100か、そうでなければ0でなければ満たされない。
そんな飢えた精神を抱えた子供。それをルナマリアは哀れむように、不毛だ、と思う。
「貴方は自分を追い詰め過ぎる」
――――――貴方が望んでいるのが破滅だとわかっているけれど、破滅のその向こうにあるものまで辿り着くことができないのではないかといつも心配になる。
そう言おうとしたが、暫く逡巡した末、やはり彼女には言うことができなかった。
言葉にできないほどルナマリアは少年を愛していたが、それを言葉にしたところで何も変わりはしない。壊れることさえない。
それほど二人の距離は、絶望的なまでに遠かった。
「お前、オリジナルを捕獲しに…きたんだろ…」
俯いたまま少年が言う。話に応じるつもりはあっても、心に応じることが無意味であることを少年もまた、知っていた。
矛先を変えた問いかけに、根負けしたようにルナマリアは頷いた。
「この国で立ちまわる許可を頂けるかしら?」
少年が拒まないのを知っていた。
小さく頷いたのを見届けて、彼女は立ち上がる。
昔したように抱きしめようかとも思ったが、きっと、それは何の意味をも、もう為さず、そしてそれを改めて実感することに耐えきれそうも無かったので、名残だけを残して彼女は背を向ける。
「お前が、思っているほど」
少年が、その背に語りかける。
お前が思っているほど俺は優しくない、そう言おうとして、あまりの陳腐さに口を噤んだ。
そして数秒の躊躇の後、心のずっと奥からみつけた言葉を少年はできるだけ優しく、彼女に告げた。
「心配しなくても、たぶん、あの頃よりずっと、麻痺しているから。俺はもう何も感じてない。」
だから大丈夫だ。
最後はほとんど呟きだった。
背を向けたままだった彼女は、その瞬間、振り返る。長い金髪が弧を描いた。
「どうして、そんなことを言うの」
母国語ではなかった。少年が好んで使う言葉、発音の明瞭なクィーンズ・イングリッシュ。
聞き慣れた国の言葉で投げられた問いかけは、冬の太陽のような温かみと柔らかさのあるあの西の国とは違い、金属を振るうような鋭さをもって部屋に響く。
「そうすればまた、会いに来られたのに。ウソでもいいから、何も言わないでくれたらよかったのに。そうすればいつか、貴方をいつか殺すことにも、ためらわずにすんだのに!」
傷口をこじ開けるように、苦しげに彼女は言う。それが悪あがきなのだということを、彼女自身充分理解したうえで。
「だけど、俺はお前に嘘をついた事は一度もない。知ってるだろ?」
だからお前は俺を好きでいてくれた。だから最後までお前に嘘はつきたくない。
諭すように紡がれた言葉に、ルナマリアは黙って少年をみつめていたが、再び、根負けしたような溜息をついて、泣き笑いのような顔で微笑む。
「……わかったわ」
必ずいつか、二度と会えなくなる日がくることは最初から知っていた。出会う前からだ。恋人のジェシカが死んだ時、それは確信に変わった。
だから、最初から受け入れていたのに、あともう少し、あともう一度と回数を重ねるごとに、再び出会いたい気持ちだけが強くなる。
それを振り払うために少年も、わざと自分を突き放したのかもしれなかった。知っている、最初から自分に向けられる少年の言葉には嘘は無かった。
「最初から、MLWに入っていれば良かった。今更言ったって、もう遅いけど」
「そうだな。お前が仲間だったら、俺も嬉しかった」
存外に素直な言葉に、思わず彼女は少年を凝視する。本当?と聞こうと思ったが、恐らく無意味だろうから、自分の気持ちだけを告げた。
「もし、神のご意思で生まれ変わる事があるとしたら、次は間違えずに、貴方の側に行こうと思うわ」
その言葉に、少年はすこし寂しげに微笑んだ、ように見えた。
そしてとても優しく、やわらかい声で、言った。
「俺は、もうこんな世界になんか生まれたくない。この次なんか欲しくない。だから世界は俺が壊す。…だから…ここでお別れだ、ルナマリア。愛している」
無味な言葉を渡した、と、思った。
ルナマリアは静かに少年を見下ろしていたが、やがて静かに、
「そうね。」
と一言だけ、答えた。
そして少年の言葉よりも優しい響きで、
「それじゃあ、さようなら。……愛していたわ、リラ=イヴ」
そう言って、今度こそ彼女は温かい部屋から、出て行った。
「良かったんですか?」
少女が身に纏う、花のような優しい香りだけを部屋に残してルナマリアが去った後、控えめにJDは主人の顔を伺った。
「仕方がないだろ。これ以上あいつに会う必要もないし、あいつに会うって事は、それだけ、俺達の目的までの距離がまだずっと遠いってことだ」
「けれど、ボス」
JDはルナマリアとは面識はなく、彼女の立場自体もよく知らなかったが、ふたりが互いを大切に思っていることだけは推して知れた。
「うるさいな。沈黙はお前の美徳だと思ってたのに」
口を尖らせた少年を見て、アランなら苦笑して追求を諦めてくれるだろうが、JDのように単純な男には逆に、通じるものも少ないようだった。
「ボスの悲しい顔は、見たくありません」
そのまっすぐな言葉に、少年は苦笑する。
「まったく………お前とナイトレイは扱いづらい」
俺は直球勝負は苦手なんだ。
そうつぶやいて、上着を取り上げ少年は立ち上がる。
「レンが目を覚ましたら連絡しろ。ちゃんと見てろよ」
ついてくるなと釘を押され、JDが少し困ったような表情をしている間に、少年はさっさと医務室を出て行ってしまった。
12月の空気は思ったよりも冷たかった。
頬に叩きつける風の冷たさ。水滴はそのまま凍りついてしまいそう。
それでもルナマリアは涙をぬぐう事なく、まっすぐ前だけを見て歩き続けた。
自分の故郷は、一年のうち半分以上が雪に埋もれているような場所だったから、こんなものは寒さのうちには入らない。
本当に寒いのは、体ではなく。
「……ばかな子……」
呟きは風に飲まれて、言葉にならない。黒い毛足のケープに舞い散る粉雪、地下鉄の入り口で待つ仲間たちのところに辿り着いたころ、風はいっそう冷たくなっていた。
* * *
カウントダウンを見に行きたいと、少年が言った。
新しい年が始まる。
午後8時、まだそれには間があったが彼は待ちきれない様子で、復活したレンの手を引いてタワーを出て行く。
「来年のカウントダウンは、誰も見られない」
勝ち誇ったように微笑んで、彼はそう言った。恐らく今日から365日以内の間に、全てのケリをつけるつもりでいるのだ。
待ち続けた時間はあまりに長く、すでに25年以上の歳月が過ぎたように思う。
25年前。
あの頃は大量破壊兵器の類もそれほど進化していなかった。
人を憎み、星を愛した彼のことだったから、環境を壊すことは望んでいない。
ただ、人間というイキモノすべて、この生態系から消し去ることを望んでいた。
来年の今日、この星はどうなっているのだろう。
漠然とした未来図を描いては、小さな溜息をつく。
この手をすり抜けていった、白い体。
「落ち込みすぎだよ、アラン兄さん」
車椅子の音と共に、ナイトレイが姿を現す。窓辺から、はるか下のパレードを見下ろしていたアランに、ためらいがちに声をかける。
「落ち込んでなど」
「じゃあ、なに?」
答えに詰まったように、彼は暫く黙ったままだった。
空調の効いた室内は少し暑いほどだったが、霜の張らない特殊ガラスの温度はとても冷たくて、ちゃんと厚着をしてあの人は出かけただろうかと心配になる。
「あのひとがまだ小さかった頃、次々と家庭教師を首にし続けていたんですよ。…気に入らないといっては癇癪を起こして、ご主人様に頼み込んで」
「そういえばアラン、あのひとの子供時代知ってるんだっけね。…なんか想像つかないけど、でも、我儘加減、いまとあんまり変わってないじゃん」
「私だけが、追い出されなかったから」
言葉を慎重に選んで、心の中のパズルと当てはめてゆく。
私だけが追い出されなかったから、私はなにをもってしても、あの人を護ってゆかなければならないと思った。
「多分、あのひとは、忘れているのではないかと思うのです、決定的に、致命的なことを」
「忘れ…?なにを?」
不思議そうに聞き返してくる子供の声に、答えは返さなかった。
そう、多分彼は忘れている。……本当に、忘れてしまっているのだ。
思い出させてはいけない。おそらくは、思い出さないことで彼は自分の心の平安を保っている。
ヴァンリッヒ。あの男のことを。
…けれど。
「レンは、危険です…」
似すぎている。見た目ではない。身に纏う空気と言霊の中に垣間見せる二面性の激しさ。
それは限りなくあの男、ヴァンリッヒを彷彿とさせた。
「本当に、忘れてしまっているのですね。――――――――私を殺したのは、貴方だということを」
前を歩く少年の髪が、先程から舞い落ちるぼたん雪に同化して、少年はそのまま空気に溶けてしまいそうに儚く見えた。
それが少し不安をかきたて、レンは伸ばした腕で、毛糸の手袋に包まれた少年の手を捕まえる。
「なんだよ」
「はぐれたら困るでしょう?こんな人混みで」
「携帯あるし、会えるだろ」
「体も本調子じゃないんですから。本当は、外出禁止のところですよ」
「なんだ、だからお前がついてきたのか。仕事熱心な奴だな」
少年の主治医、という名目でレンはここにおいている。
まだ学生でしかなかったが、父親の教育のおかげか元々の才能か、正規の医者などよりよほどレンのほうが優秀だった。
本人もそれをよくわかっているようで、MLWの中で、少年の病状を一番理解しているのは自分だと豪語して憚らない。
「寒くないですか」
風は冷たく、雪はやむ気配を見せなかった。
1メートル20センチの積雪。途中で通りがかった公園では、池の上でアイススケートを楽しむ子どもたちの姿が大勢見られた。
それを一瞥し、おぞましいと少年はつぶやく。
世界でなにが起きているかも知らないで、嬉しそうにはしゃぐ姿は蛇にも劣る、とつぶやいた。
「残念ですね、僕、蛇は好きですけど」
「言葉のあやだ。いちいち揚げ足を取るなよ、嫌な男だな」
あはは、と軽くレンは笑う。どうやらこの男、主人の機嫌を損ねるのも仕事のうちだと思っているらしい。
「あまり離れないで下さい。この人混みじゃ、いつ過呼吸が起きてもおかしくないんですから、貴方」
「うるさいな。心配性すぎんだよ、お前もアランも」
言って、ふと、微かな違和感に足をとめた。
「どうしました?」
前にも。
前にも、こんなことがあった気がする。あまり離れるな、馬の側には近づくな、そう口煩く言っては自分を離そうとしなかったアランと、それから、もうひとり。
ずっと、ずっと、昔。
とうに麻痺した時間間隔などではなくて、ルナマリアと向き合ったときにあふれた無秩序な愛しさと同じように、理屈ではない、時間ではない、記憶ではないここではないどこかで。
「―――――――――。」
自分が呼んだはずの誰かの名を、どうしても思い出せなかった。
夜。11時45分。
カウントダウンまで15分を切った。
新年までの短い時間を、アルコールと煙草、場合によってはクスリをキメて大騒ぎで過ごす大勢の人々に混じって、少年とレンも生涯最後の新年を迎えるはずだったが、予想は大きく外れた。
まさか、こんな事態になるとは思っていなかった。それでも用心深い几帳面な性格が幸いして、ちゃんと換えのマガジンを数個携帯している。
撃ち方はわかっている。自分は問題ない。
問題は、少年のほうだった。
数十分前、人酔いで気分が悪くなったのだろう、目眩を起こしてうずくまったため、近くのファーストフード店に連れ込んで座らせた。
不運が重なったのは誰のせいでもない。あまりの人混みで電波が切れていた。念の為にMLW本部に連絡を入れようと、外の公衆電話にレンが走った、直後。
カウントダウンの人混みを狙った、爆発物テロ。
炎上する数台の車と、逃げ惑う人々と、悲鳴に押し流されて、少年の居る店内に戻ることが出来なかった。
横転したトラックと、パニックを起こした群衆に遮られて、とても、戻るのは無理だったのだ。
それでも、それだけだったのなら、どうにかしてレンは彼の元までもどっただろう。
けれど厄介なのは、数分と立たないうちにヘリで到着した軍と、そのヘリを狙撃したテロリスト、更に、無謀にも軍に奇襲をかけたルナマリアのグループとの三つ巴。
カウントダウン15分前、阿鼻叫喚の図がそこにはあった。
「最悪ですよ、本当。MLWに入ってすぐ、なんでこんな目に遭うんですか」
「その覚悟があったから、MLWに居るんでしょう?」
壁を背に、隣で弾をリロードするルナマリアは事も無げに、そう言ってのけた。
癖のない、きれいな英語。言葉を交わすのはこれが初めてだったが、彼女はレンのことを知っているようだった。
あの日、部屋で昏睡していた自分を彼女が覚えていたなど、無論、レンには知る術はなかった。
遠くで銃声と、なにかの爆発する音と、ぱぁっと辺りを染める一瞬の光。
けたたましいサイレンが幾重にも重なって聞こえ、耳をふさぎたい気持ちすらも、最早起きないほど、音の洪水が押し寄せている。
まるでパレードだ。死を運びながら、行進する。……どこへ?
「僕もあの人も、明らかに巻き込まれ組なんですけど。貴女がたに」
「そう。それは気の毒だったわね」
彼女の手には、少し大きすぎるハンドガン。
老舗メーカーのマグナム銃。こんな場所にいはあまり向いていないと思う。リロードに時間がかかるし、彼女の手では、両手で構えなければ撃つことはできない。せめてセミオートに変えたほうが、と要らぬお節介を思い、自分の握っていた銃を差し出した。
「……?」
「そもそも僕はこの騒動には無関係なんですよ。早くあの人を保護して帰りたいだけ。今銃が必要なのは、僕じゃなく、貴女だ」
ほんの一瞬だけ、呆れた顔をした。ルナマリアは首を横に振ってそれを押し戻すと、あなたが使うためにそれはある、とつぶやいた。
「もう無関係なんて言い通せない。ほんとはわかっているでしょう?この場にMLWである貴方が居合わせた。それだけで、軍にとっては貴方の身柄を拘束する理由になるの」
「国との不可侵条約に甘えられる時期は、もう終わりということですか」
「そうね、たぶん。大統領はまだ約束を守ろうとするでしょうけど、もう無理だわ」
――――――ねえ、知ってる?
遠くで鳴り響く爆音の相間に、大通りに面した路地と路地の隙間、火の粉を払いながら彼女は言った。
「なにか決定的なことがあって、物事が動くことのほうが少ないの。この世はすべて、なりゆきでできているのよ。悔しいけどね」
―――オリジナルに近い細胞を持った者が現れて、一昨日、私がその人物と接触を試みた。けれど、その人物はとっくに逃げていたわ。その時点で軍が彼女に目をつけていた。だから衝突したのよ。小競り合いで何人か死んだわ。あちら側も、こちら側も。それから、今。この瞬間に、たまたま私のグループ以外のテロリストが居合わせて、先制攻撃を仕掛けてた。それに乗じてこの混乱。
「こうやって、状況は動いていくの。一昨日までは何もなかった。けれど今はもう、事が起きてしまったの。賽は投げられたのよ」
銃を手に、駆け出していった背中は、閃光と爆発の中でとても小さく見えた。
追いかけようとは思わなかった。自分が守るべきは、あの日間で大人びた横顔を持つ寂しげな少女ではなく、彼女と少し似通った空気を持った、しかし圧倒的に強い存在感を持つ、白い髪の少年だ。
探さなければならない。あの少女が言ったように、今こうしている間にも、刻一刻と状況は変わってゆく。恐らくもう、水面下だけで動ける時期は終わった。
MLWという組織もまた、投げられた賽のなかの一つだったのならば、早く彼を見つけなければ。
名を、叫ぼうと思った。
けれど、本当の名を知らないことに気づく。
組織を束ねる立場にあり、その才覚も疑う余地はない。
死人を蘇らせる術を持った、不思議な存在。
自らは戦う力をなにひとつ兼ね備えていない、あの儚げな肉体を持った少年を。
この、地獄絵図のようなパレードの中で、必ずみつけてみせると心に誓った。
ルナマリアの故郷…アイルランド、IRAがモデル。
ジェシカ……本国にいた頃のルナマリアの恋人。つまり…百合ですよハイ百合ですよ!ハイ!