白い茨の少年たち―――Smart Phone
二人の子供の子守なんて、柄にもなくおかしなことになったなと思いながら、ドアの前に所在なさげに置き去っていた荷物を取り上げるためにレンは立ち上がる。
荷が重いのだ。今回の話は断ろう。
「出て行くのか」
振り返ると、ベッドの上に白髪の少年が身を起こそうとしているところだった。
ごく自然な成り行きで手を貸そうと腕を伸ばしたが、それはあっさりと振り払われた。
「出て行くのなら、触るな」
見上げてくる瞳の色を初めて見た。肌や髪と同じく色素の薄いシルバー・アイ。虹彩さえも薄く、目の中に白色を持つ人間をレンは初めて見た。
「まだ、出て行くとは。……迷い中です」
「ロニー=ジェファーソンか。……そんなに嫌いか?父親が」
思わず小さく息を呑む。眠っていたはずだ。聞いていたはずがない。
「あなた、起きていたんですか……?」
「いや、寝てた。寝てたけど、覚えてる。お前たちの会話なら、全部」
「おっしゃる意味がわかりません」
「分からなくていい。出て行くつもりの人間に、なにか分かってもらおうとは思わない。」
興味が沸いた。
「出て行くとは、まだ決めていません」
なんて頑固な人だろうというのが最初の空港での印象。それから、自分を見返してくる瞳の強さに驚いた。
つい先程まで眠りの中にいたとは思えない、意思の強い目。
「俺は好きだったぞ。ロニーは、いい奴だった」
「知り合い…ですか」
「あいつが出て行くまではな。俺は、あいつが本当に好きだったから、俺たちの本当の目的をあいつにも話した。それを聞いて出て行くのも自由だと言ったら、本当に出ていきやがったよ。最後の言葉、忘れられないな」
「父は…なんと?」
「"あんたの事は好きだが、趣旨には賛同できない。他にあんたを救う道があるなら俺はそれを探しに行く"―――もう十年は経ったかな」
十年前、と少年は言う。
ならば彼はその時、ナイトレイよりも小さな子供だったはずなのだが。
頭をかすめた疑問と、遠い昔一度だけ父親から聞いた御伽のような話と、そして、与えられた"役割"が。
レンの中で一つの結論を辿る。
「貴方、……MLWですね」
目の前で少年が穏やかに、微笑んだ。
『レンのとこって、親父いないんだぜ』
小さい頃、一度だけそんな言葉を言われた。
そうはいっても、父親のいない子はとても多かったから、子どもたちも取り立てて騒ぎ仲間はずれにする対象ではなかった――――はずだ。
けれど問題なのは。
並んでも、歳の離れた兄弟にしか見えない歳の男が、父親を名乗っている、ということだった。
同じ、父親がいない子供たちには、それが許せなかったのだ。兄に父親のふりをしてもらっている、そんなレンが卑怯に思えたのだろう。
だが、彼は父だった。兄としか思えないほどの歳でも、彼は紛れもなく父だったのだ。
歳をとっていないのだ。
少なくとも外見上は、そう見えた。
「貴方がた、一体、何故。どうやって」
成長を止めているのか、あるいは、老化を。
答えるまでにはだいぶ間があった。
ふうっと溜息を吐き出すと、少年は一言、
答えたくない
と、言った。
「何故?」
「話せばお前はもっと父親を嫌う」
「………そんなのは、僕の勝手だと」
「俺が嫌なんだよ。俺はあいつが好きだったからな」
それしきり、会話は続かない。
ひとしきり沈黙が流れた後、突然、少年は胸のあたりを抑えて身を縮めた。…息が、荒い。
「大丈夫ですか!?」
「さわぐな」
条件反射で差し伸べた手を再び、振り解かれる。荒い息は治まらない。
そしてもう一度、
出て行くつもりなら触るな
と彼は、言い放った。
「…出て行かないと言ったら?」
暫く少年は、胸を抑えたまま、呼吸を整えていた。問いを理解できたのかもわからなかった。
しかし数分後、ぐったりと力を抜いて、レンに身を預けてくる。
抱きとめて額に触れると、少し熱があった。
「医者に見てもらったことは?MLWのメンバーなら、いくらでもいい医者を連れてこれるでしょう?」
「医者は、嫌いだ……」
「僕もそのうち、医者になるんですが」
「出て行かないなら、俺に一生仕えろ。それが出来ないなら、今すぐに消えろ」
「……息も絶え絶えな人に、そんな凄まれても」
小さく笑うと、拳が飛んできた。慌ててそれを避けて、もう一度少年をベッドに横たえる。
「なら今まで、一度も医者には診て貰わなかったんですか?」
「……薬なら、ある。あの中に入ってるから、出せ」
最初から最後まで終始、命令口調だった。
言われた通りにバッグを探ると、注射器と液体薬品が数種類。
取り出して、その成分に目を走らせたレンは眉を顰める。ペニシリンの他は、見たこともない、聞いたこともないラベルが張ってあった。
「あの、これ…なんですか?」
「つべこべ言わずによこせ」
ひったくるように奪って、目の前で少年は、まったくの無造作にそれを自分の首筋に打つ。はじきもせずに。
止める暇すらなかった。
「…そんな顔するなよ。お化けでも見たような顔だな」
荒い呼吸の間から、あざ笑うように少年は言う。そして咳込み、倒れこむようにベッドに身を、横たえた。
「携帯、取れ」
呆然としたように彼をみつめていたレンは、言われるままに、床に転がっていたスマートフォンを手渡した。
「出て行くなら今のうちだぞ」
横たわったまま、少年はやがて携帯で誰かと通話を始める。どうやら、誰かをここに呼び寄せるつもりらしかった。
英語ではないのであまり聞き取れないが、軍事的な内容であること程度は分かった。
そして通話を切ったあとは、レンの存在など忘れたかのように、そのまま携帯を握ったまま、少年は眠りに落ちていった。