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白い茨の少年たち――――― 病

「数カ月前から、様子がおかしかった。…ううん、もしかしたら、もっと前から。いきなりうずくまったり、ふらついたり」

狭いタクシーの車内で、前を向いたままナイトレイは話す。

男と、ナイトレイと、少年と、松葉杖。それだけで車内は隙間なく埋まった。

「けどあんた、言っとくけど、もし医学生っての嘘だったらどうなっても知らないからな。僕、足もまだこんなんで一人で歩くことでギリギリだけど、彼は本当に怖いんだからな。怒らせたら、死んだほうがマシだと思うんだから」

「嘘なんかついていませんよ。僕はれっきとした医学部生です」

言って、男は穏やかに微笑む。真顔だと冷たい印象を与える横顔は、微笑を浮かべると途端に柔らかい空気に包まれる。

――――それを見て昔、少年が言った言葉が蘇った。



『擬態、っていうんだ』


初めて銃を撃たせてもらった時だった。

車椅子の上から撃ったのはプラスティックの的で、動きも逃げもしない相手だったけれど、マガジンをふたつ使い切る頃には、正確に頭の部分を射抜けるようになっていた。

センスがある、と言って背後から眺めていた少年は笑った。

そして。

『ある意味、擬態、っていうんだ。お前の、それは』

『ギタイ?』

聞きなれない言葉に首を傾げる。小一時間鳴り響いた銃声で、聞き違えたのかもしれないと思ったのだ。

しかし少年は頷いた。

『俺も、ある意味そうかな。………ちいさな子供、それを人々は無邪気な生き物と思いこむ。たとえ俺やお前がホワイトハウスに忍び込んだところで、保護者呼び出しの厳重注意で終わるだろう』

保護者がいれば、だけどな。

『保護者?JDは?』

『あいつか?保護者にしてはちょっと、ガラが悪すぎるな』

言って、二人で笑った。それから少年は、カラになったマガジンを放り投げて、言う。

『まさかお前ほど幼い子供が、人を殺しに来たとは思わないだろう。誰もな。相手の油断を誘うには、一番適しているんだよ、お前は。たとえ銃が見つかっても、誰かに脅されたとその場で泣き叫べば、相手は困惑するだろうし、なにより、子供に人が撃てるとは思われない』

『撃てるよ。僕、あなたのためなら人だって殺せる』

『知ってるよ』

そう言って笑った横顔は、少し、寂しそうに見えた。

相手の油断を誘うためのギタイ、だとすれば、彼の本当の顔はいつも寂しげに遠くをみつめる、いつも一瞬で消えてしまうあの表情なのかもしれない。



擬態。相手の油断を誘うための罠。

タクシーに同乗する、男の穏やかな微笑を眺めながら、そんなことを思い出した。

「何故、これまで医者に連れていかなかったんですか?」

至極当然の問いに、ナイトレイは顔を曇らせる。

「イヤがったから。死んでも医者になんか行かない、俺の体はなんともないってさ…」

「まあ、さっきの様子なら、想像つきますね」

それにしても、と男は膝に頭を載せて眠る少年に視線を落とし、深い溜息をついた。

「………男の方、だったんですね」

がっくり、という表現が滲んだその口調に、ナイトレイは少し吹き出す。

「気付きなよ、最初に」

少年の長い 白髪はくはつを手で梳きながら、少し呆れながらナイトレイは声をあげる。

なんともがっくりとした表情をして、男はうーんとうなってみせた。

「遠目にも綺麗な方で、声変わりもまだでいらっしゃるようなので、何の疑問もなく女性かと」

「それ、言わないほうがいいよ。間違いなくあんた、殴られる」

いや、殴られるだけならいいかな。この人が銃とかナイフとか出したら終わりだよ。

「言っとくけど、絶対に、病院には連れてかないからね。彼が自分から行くって言い出さない以上、勝手に病院なんかに連れ込んだら、目を覚ましたあとにあんた殺されちゃうよ、ほんとに。あんたにみせるのも、ただの成り行きだからね」

釘を刺すまでもなくすでにタクシーはホテルに向かっている。このまま進路を変えて病院へ向かう気は、男にもなかった。


やがて、通りに面した豪華なホテルの前でタクシーは停まる。ナイトレイが支払いをしている間に、男は少年を抱えて車を降りた。

陽の光に透けると、肌の異常なほどの白さが浮き彫りになる。プラチナブロンドだと思った髪は、混じり気の無いまったくの純粋な、真っ白だった。

「彼、いくつですか?」

「歳?知らない」

「あなたより年上でしょう?」

「そりゃね」

「なら少なくとも十歳以上ですよね。外見から言えば15~6歳だと思うんですが、異常ですよ、この軽さは」

抱き上げて初めて、心底驚いたのだろう。支払いを済ませたナイトレイが車を降りるのを待って、松葉杖の彼に合わせてゆっくりと男は歩き始めた。

「僕、チェックインしてくる」

器用に片手で松葉杖を操りながら、彼はフロントに向かう。

ロビーのソファに少年をおろし、男は眉を顰めてその顔を見下ろした。

やはり、軽すぎる。肌も異常に白すぎる。白色人種だとしても、だ。明らかな発育不良。

「お待たせ」

ボーイに荷物を持たせて、ナイトレイはエレベーターへと向かう。チップをかなり多く渡したのか、一人多い人数にも何も言われなかった。


「スィートですか、ここ?」

「見ればわかるだろ?」

バカにしたようにナイトレイは奥へと入ってゆく。

ドアを閉めると、室内に漂うラベンダーの香りに気付いた。

毛足の長い白い絨毯。天井には天使の壁画。エンタシスの柱に巻き付く金色の蔓。

キングサイズのベッドがふたつ。

「あのですねぇ」

ベッドに少年を横たえて、男は頭痛を感じる。

「こんなことにかけるお金があるなら、それを彼の医療費にまわしてくださいよ!それか、ちゃんと食べさせて下さい。一日三食食べてるんですか?彼は」

呆れてものも言えない、といった調子の男を前に、ベッドに腰をおろしたナイトレイはきょとんとして彼を見上げる。

「え、これって普通じゃないの?部屋」

「普通なわけがないでしょう!」

「文句はこの人に言ってよ。全部、この人の希望なんだからさ」

益々呆れたように男は少年を見下ろす。そして大きな溜息をついて、ベッドに腰をおろした。

「ねえ、名前は?僕はナイトレイ。彼はリラ=イヴだよ」

「レン。レン=ジェファーソン」

「ジェファーソン?」

「ええ。よくある名前ですが、…なにか?」

少年の襟元と袖口をゆるめ、呼吸をラクにさせて覚醒を待つ。医療器具が何もない以上、本人の口から病状を聞くしか無いのだ。

その間じゅう、なにか思案していたナイトレイは、やがて意を決したように口を開く。

「ロニー=ジェファーソンって名前、心当たり、ある?」

レンが手を止める。時間がまるで止まったように。

その一拍あって振り返り、最初に受けた印象通り、冷たく硬い表情のまま言った。

「……父親の名ですよ」

「うっわー………」

凄い偶然、とつぶやいてナイトレイはベッドに仰向けに寝転ぶ。

「どうして父の名を?」

あまり聞きたくない気もしますが…と付け足してレンは帰り支度を始める。

「ちょっとあんた、どこ行くのさ!」

「父が絡むとろくなことにならないんですよ。…医学会の帰りだって、説明しましたよね。それは事実です。半分は。本当は、父から逃げてこの国に来たんです」

「……家出中?」

「まあ、そうなりますね。もう白状しますけど、実は空港で財布とパスポート盗られちゃって。だから、具合の悪そうな人を見つけて、介抱してあげる代わりに、パスポート再発行までの間、家においてもらおうかと思ったんですよ。だから貴方がたに声をかけたんですけど。人選、間違ったみたいですね」

それだけ言うと、レンはまとめた荷物を抱えてさっさと背を向ける。

「ちょっと!それじゃ話違うじゃん!彼の体、なんとかしてやってよ!頼むからさあ!」

ドアに手をかけ、開きかけたところでレンは、振り返る。

「父の元にはもう帰りたくないんですよ」

「帰らなくていいって!この人、目覚ましたらなんとかしてくれるから。ねえ、頼むよ。この人診てやってよ。心配なんだって……ほんとに…」


泣き真似をするつもりだった。

しかし、心配だと、口に出した途端、抑えきれない涙が次から次へと溢れてシーツを濡らした。自分自身、予期し得ないことだった。

しかし、一度溢れるともう涙は止まらず、気づくとナイトレイは、戸口から少し体を離したレンの腕に縋って泣きじゃくっていた。

「心配なんだっ…すごく…、だって…思ってたより、ずっとひどかったんだ。こないだ、ともだちが…話してたのを聞いちゃったんだっ…もう、何度も呼吸が止まった事があるって…だから、彼が眠ると怖いんだ、もう二度と目を覚まさないんじゃないかって。ねえ、助けてよ。お願いだから、助けてやってよ」


どれくらいそうしていたのか分からなかった。

部屋に夕暮れの光が差し込み、自動証明がやわらかく点灯しはじめた頃、ようやく泣き疲れて彼は眠った。

ベッドに小さな体を横たえて、上からシーツをかけてやる。

そして、荷物を手にして。


「荷が重い、ってこういう事を言うんでしょうかね。どうして引き受けたんだろう」

ぽつりと、彼はそうこぼした。

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