私の幸せ
私の名前は、ヘンリエッタ。
覚えていることは、それだけ。
私は、廃墟と化した 土地で 血に染まっていた。
誰の血なのかわからない。
耳に届く その悲鳴が、一体 誰の声なのか 私は、覚えていないの。
けれど 大切な人達だったはず私は、ただ 呆然としていたところを、今いる この国の人達に保護された。
私の生まれ故郷らしい国の滅亡を知る 生き証人として。
―――ねぇ 私は、一体 何を忘れてしまっているの?―――
思い出したいという 気持ちはある。
でも それと同時に 怖かった。なぜかは、わからない。
何だか 思い出してしまえば 私が、私でなくなってしまう気がするから。
だけど 偉い人達は、私の気持ちなんて どうでも良かったみたい。
だって 私の心が、少しずつ 黒く染まりかけていても 気にも留めていなかったから。
ただ 自分達は、|魔女の発生原因(私の失われた記憶)を知りたいだけ―――【狂気の生き残り】である 私から。
知れる限りの情報を聞き出す為には、手段を選ばないんだから。
長い月日をかけて 私に眠る 記憶を引き出す為の儀式は、行われた。
その儀式が行われるのは、いつも 月が満ちる時。狂気によって 失われた 記憶は、同じ条件をそろえることで 戻せるから。
儀式の際中 私は、我を失っている。
誰かに謝ってばかりで 泣き叫ぶばかり。
そして 月が欠け始めると同時に 私は、儀式で思い出したことをまた 忘れてしまうの。
何度も 何度も、同じことが繰り返されて 私は、少しずつ 自分でもわかるくらい おかしくなっていった。
儀式じゃない時も 私は、狂気に満ちた目を人々に向けるようになる。
「触らないでッ!私は、汚いの。なのに どうして 優しくするのよ!ただ 私の中にある 記憶が目的なだけなんでしょう?!」
泣き叫ぶ 私に 世話を命じられている人達は、困り果てている。
でも そんなこと 考えてもいなかった。
今 置かれている自分の境遇に、誰かに当たることしかできないのだから。
最初は、王宮の一室を与えられていた。
自分の身分に釣り合わない 待遇を受けることに恐縮するばかり。
でも いくら儀式が進んでも みんなが、知りたい情報が、引き出せない。
その憂さを晴らすかのように 私に対する人々の接し方が、変化していく。
悪意は、人を陥れるモノ。
私が、食事を摂らず 何日 経っていなくても 誰も、気にも留めない。
―――こんなにまでなって 一体 私は、何を忘れているの?―――
どうでもよくなっていった。
「フフフ………どうして そんなにシりたいのぉ?ジゴクなのに………オナじことが、オきてしまえば もう ヒドいことになるのに」
私の声に 周りにいた 偉い人達は、顔を蒼ざめている。
もう 限界だった。
心の花が、もう 闇の花として 開花しようとしているのだから。
「ヘンリエッタ………泣きたければ 泣くんだ」
その声に 振り返ってみると 私を最初に保護してくれた 若い貴族のお兄さんが、立っていた。
今にも 泣き出しそうな顔をしている。
―――もしかして 私の為に 泣いてくれているの?―――
気が付けば 私は、泣いていた。
私から 溢れだしてきた 滴は、闇に完全に染まろうとしていた 心の花を洗い流してくれているようだ。
あたりを見回してみると 私のいる場所は、まるで 大きな力で叩きつけられたかのように 崩れ落ちている。
何があったおか 何も覚えていない。
―――私は、また 大切なことを忘れてしまっているの?―――
大粒の涙を流そうとしている 私を彼は、抱きしめてくれた。
「君は、悪くない。悪いのは、我々だ。君の心を考えようとせず 記憶を無理やり 引き出そうとしていた」
私は、目の前で繰り広げられている話を耳にしながら 目の前が、真っ暗になっていった。
遠くから 私の名前を呼ぶ声が聞こえ それと同時に 誰かに抱きしめられる感触を感じる。
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「フレドリックッ!お前は、わかっておるのか?この娘は、【狂気の生き残り】なんだぞ?!」
青年―――フレドリックが、見上げると 王座に座る 王は、訝しげな顔をしている。
その声に 不敬とはいえ 青年―――フレドリックは、意識を失ってしまった 少女を抱きとめながら 王を睨む。
他の貴族達が、それを咎めように フレドリックに視線を注ぐ。
「陛下………いくら 魔女の原因を突き止めるとはいえ このやり方は、残酷すぎます。彼女の心を壊してしまえば 同じ 悲劇を繰り返すことになるんですよ?!」フレドリックは、訴えるように叫んだ。
「そんなものは、戯言に過ぎないッ!魔女の誕生が、自身に降りかかる 悲劇だと?!」
「本来の姿は、より 世界を愛する無垢な存在など………信じられるわけがあるまい!どれだけの人間が、魔女に殺されてきたと思っているのだ。同じ悲劇を繰り返さない為には、魔女の誕生の原因を解明すること。それには、この娘の記憶が必要なのだ」
「この娘は、先ほど 【魔】に堕ちようとしていた。危険人物だ。それを、みすみす 自由にできるはずがないだろう?」
貴族達は、口々に言い放つ。
けれど フレドリックは、怯まない。
「そうさせているのは、我々の所業です。かの国も、おそらく 自分達の欲の為に 魔女となった 女性の心を踏みにじり 闇の花を開花させてしまったのでしょう」
貴族達は、その言葉に 言葉を詰まらせている。
「フレドリック………お前の言い分は、わかった。ならば その娘は、お前が監視しろ」ずっと 黙り込んでいた王は、静かに言った。
王の決定に 誰も、反論しない。
フレドリックは、それを了承し 頭を下げる。
「よろしいのですか………陛下。ただの小娘とはいえ………【狂気の生き残り】です。万が一のことがあれば………キャロライン様の身を危険に晒すことにもなりますぞ?」宰相を務める グレイン伯爵はは、真剣な顔をして言う。
その言葉に 王は、大丈夫だろと 息をつく。
「キャロラインは、お前達が思っているほど 弱くはない。自分の身ぐらいは、守れるだろう。それに この娘を見ている限り 【魔】を目覚めさせない限り 害はない。記憶を呼び起こす儀式に 抵抗もできずにいたのだから」
王の言葉に 宰相は、納得したように 黙り込む。
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目を覚ますと 私は、侯爵家に身を置かれていた。
私を唯一 擁護してくれたあの人は、侯爵家の若き当主で お名前をフレドリック様。
王の妹君である キャロライン様を娶っておられるらしい。
お子様は、まだだそうだけど とても仲が良かった。
「ヘンリエッタ………気を楽にして頂戴?あなたは、【狂気の生き残り】の記憶を忘れてしまうほど ショックを受けてしまったのに 更に それを引き出そうとするだなんて」
キャロライン様は、憤慨したように 私の待遇について 代わりに怒ってくれていた。
「いっそのこと お兄様に謝罪させましょう。最近 お兄様ってば 調子に乗りすぎているのよ」
「そ……そこまでしていただくわけには」私は、顔を蒼ざめながら言う。
「キャロライン………そこまで 困らせるんじゃない。彼女が、困っているじゃないか.それに 陛下は、ヘンリエッタのことを、もう どうこうしようとなど思っていない。先のことを考えられ 聡明な方なのだから」
フレドリック様は、苦笑しながら 奥様を咎められる。
「あら………その聡明な方が、自分の愛する女性を信じることができないのかしら?明らかに 罠に嵌められたとわかる事だったのに パティのことを信じなかった。その上 城から追い出してしまうなんて。後で聞いた話では、彼女 妊娠していたのでしょう?身分は低かったけれど とっても 品の良い人が傍にいてくれたのに………彼女のことを信じずに あの後宮の毒妃や馬鹿な貴族達の言葉を信じた 大馬鹿者だというのに」キャロライン様は、吐き捨てるように言い放つ。
その様子に フレドリック様は、困り顔。
「キャロラインが、あの方を好んでいたことは知っている。けれど だからといって 今の言葉を公にするものではない。正妃様は、同盟国の王女。戦争にでもなれば この国は、崩壊する。同盟国と陛下の政略結婚があってこそ………今の平和が保たれているのだから。パトリシア嬢には、悪いことをしてしまったと心が痛むけれど」
その話を聞いて 私は、聞いていいものかと 肩をすくめてしまう。
「奥様に旦那様?お嬢様が、困り果ててしまっていますわ?それに お食事の準備が整いました」
その声に振り返ってみると ふっくらとした 優しげな女性が、トレイにスープを載せていた。
私は、『お嬢様』という言葉に目をぱちくりさせてしまう。
「あの………私は、そんな風に名称される身分にありません」
「けれど 陛下の命で 侯爵家の預かりになっておられると伺っております。ですから お嬢様とお呼びいたしますわ。お嬢様………あたくしは、ミフィーリアと申しまして 侯爵家のメイド頭をしております」
丁寧に頭を下げられて 私は、戸惑いを隠せない。
「ミフィー?ヘンリエッタが、混乱しているわ?」
「確かにそうだな。まぁ 慣れないのなら ミフィーの手伝いをするか?」
フレドリック様の言葉に 私は、反射的に 頷く。
「あら………よろしいんですか?あたくしは、厳しいですよ?この前 行儀見習いで訪れていた御嬢さん方は、泣きながら ご実家に帰ってゆきましたわ?今いるのは、少しドジですが 向上心の強い子爵家の御嬢さんと打たれ強い 商家の御嬢さんだけ。お蔭で あたくしは、弟共々 休む間がありませんもの」
脅すような ミフィーリアさんの言葉に 私は、息をのんだ。
その顔は、絶対 青くなっているはず。
「おいおい………ヘンリエッタを脅すな。まぁ 下手に大それて保護するより ミフィーリアの下で仕事を持つ方が身の安全も保障される。ミフィーリアの一族は、この国では希少な 【破魔】の力を持っているのだから」フレドリック様は、思案するようにおっしゃられる。
その言葉に ミフィーアさんは、真剣な顔をされた。
「旦那様に言われなくても あたくしは、そのつもりでしたわ?本当に 酷いことをなされるんですものね?もし 旦那様が、行動を起こされなければ 弟と共に お役御免を覚悟で 直訴をするつもりでしたの」
「まぁ 良かったですね……フレドリック。優秀な執事とメイド頭を失うことにならなくて」キャロライン様が、楽しそうにおっしゃる。
その後 私は、ミフィーリアさんのご指導の元 ティナンド侯爵家でメイドとして 働きました。
色々な人達と出逢い 様々なことを学んでゆきます。
そんな中 私は、ミフィーリアさんの弟さんであり 侯爵家の執事をされていた カイウスさんと結婚いたしました。
無口な方で 色々な誤解もありましたが 本当は、心優しい人です。
私は、彼の傍にいることで 心が休まることを感じていました。
そして 何より 私が幸せだったことは、恩人となってくれたフレドリック様とキャロライン様のお子の乳母になれたことでしょう。
私は、3人の子供に恵まれ 幸せです。