第6章 思考の中の宇宙
欲望の蠢く社会。
時に厳しく生命を脅かす自然界。
それを否定するのか?
それを拒絶するのか?
夢の世界は美しく、想像世界は優しく温かい。
今が嵐の時であるならば、いつしか嵐が止む時も来よう。
多くのコメンテータや著名人が、どこかの政治家の失言を批判している。
ああ、そんなことは、どうでもいいのに・・・。
マザー・テレサの言葉でも聞かせてやりたい。
「If you judge people you have no time to love them.」
別に、今の常識に反することを言ったくらいで、世界が変わるわけでもない。みんな言いたいことを好きに言えば良いではないか。
(先の英文は、人を裁くこと、人の考えを受け入れないこと、それは、人を愛せなくなるとだ、と説いている言葉だと思う。)
余談ではあるが、全ての人がマザーのような慈愛を手にいれることができれば、きっと、今よりも数段良い世界になるだろう。
でも、たぶん、そんな方向にはいかないとも思う。
「みんな、何を気にしているのだろう?」
「みんな、何に囚われているのだろう?」
批判する側もされる側も、とても真実を射抜いているとは思えない。
宇宙は、こんなにも広いのに・・・。
「心が狭すぎないかい?」
未来は無限に広がり、そこは未知の(見えない)世界のはずだ。だから、人の多様性こそ重要であり、出っ張るものを打ちつける愚か者など見たくもない。
幾千億の自由な思考のみが、真の未来を生み出せるのだ。
自分達が正しきものだと決めつけて、それに反するものを徹底的に排除しようとするなんて、馬鹿の極みだ。
小賢しい人類の頭脳では、遠い未来なんて見えやしない。何が起こるかもわからないし、どんな試練が待ち受けているかもわからないのだ。
そんな未来を切り開き、乗り越えるためには、多様性は不可欠である。
「そんなに、支配者になりたいのか!」
「おまえの言っていることは、本当に正しいのか?」
リアル世界は虚飾された正論に支配され、そんなものに自由を奪われては堪らない。
もっと、自由に夢を見よう。
未来には無限の可能性が秘められている。
想像を抑圧する洗脳なんていらない。
人類の知り得ない宇宙は、ある意味で想像の世界と重なっている。
街を歩いている時や、車を運転している時、目には殺伐とした都市風景が映っているけど、人が見ているものは、そんなものだけではないはずだ。
思考は常に自由に精神世界をさまよい、七色に染まった世界を見つめている。リアル世界など、その作画に使用する素材のようなものだ。
思考の中に広がる世界は自由で、無数の数奇な物語が折り重なっている。街を越え、現実という空間を突き破り、思考はどこまでも広がることができる。
隠れ蓑の中で、ひっそりと暮らしながら、そんな世界に酔いしれているのは実に心地よい。
もう、誰にも邪魔されたくない。
「もう、何もいらないかも。」
「ああ、段々とリアルから離れて行ってしまう。」
でもね。
リアル世界への関与も忘れてはいけない。
今のところ、マテリアル世界を完全に切り捨てることはできない。
リアル世界も、未来に繋げて行かなくては、人間の居住環境自体も崩壊してしまう。そうなれば元も子もない。
だから、今までにない何かを創り出し、現実世界に置いていこう、なんて思ったりもする。
未来に繋がる何かを・・・。
大したものではないけどね。
そのくらいの社会貢献は、やっておこうとも思う。
まあ、そんなリアルへの貢献などは、ボチボチとやっていけば問題ない。できなければ、それでも構わない。そんな意識を持っている人間が一億人もいれば、誰かが成し遂げてくれるくらいに思っておけば十分だ。
「うむ、うむ、それで、万事問題なし。」
「全て、それでよし。」




