あとがき
世の中の主流となる自己啓発という概念からすると、ダラダラ生きるなど言語道断、真逆の思想ではある。
しかし、自己啓発というものの根底にあるのは、結局は自己満足(自己の欲求の実現)である。
地上だけに目をやり、人間中心の社会だけを見れば、それも正しいのかもしれないが、自然観、更には宇宙まで視野を広げてみれば、そこにあるのは多くの無駄を含む多様性である。
簡単に言うと、正規分布のグラフの横軸が多様性であり、そこを広げていけば、役に立たない無駄も多くなる代わりに、究極の躍進も現れてくるのである。横軸の左端を究極の馬鹿、究極の無駄とするなら、右端は究極の天才、究極の躍進となる。
この横軸を広くすればするほどに、無駄や馬鹿も多くなるが、天才も多くなり、革新的な躍進が期待できるという理屈である。
全ての人間を即時的に有効な歯車とし、それを効率的に運用すれば、生産効率やサービスの向上に直結する。即ち、国家や社会が豊かになるのだが、それだけを目指しているなら、多様性は狭くなり大いなる躍進は望めない。
現状の延長線上に、社会や文明が発展していくだけである。しかも、現段階の社会システムは飽和しかけている。即ち、もう、これ以上向上できないという臨界点に近づきつつあるのだ。
人類の歴史を顧みると、このような状況を打破するには、革新的な発明や革新的な転換が不可欠となる。そのようなものが出現しないと、飽和状態の社会は破壊を選択するようになる。
人為的な破壊としては、戦争である。
要するに、飽和しだした社会を打開できないと、戦争が生じるというシナリオである。
だからこそ、ゆっくりと、まったりと、進みながら、多様性を求めていかなければいけないと思う次第である。




