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第2章 人類は知恵により自滅する

 地球が創生されてから、四十憶年。

 人生が百年あるとしても、その四千万倍。

 遥かとも思える時間だ。


 雨が大地を冷やし、海なるものが創生され、そこに、単純な生命が誕生したのは遥か昔。

 無数の単細胞動物は分裂を繰り返すことにより、より高度な生命体へと変化する。その分裂した回数など、もはや数値になおせるようなものではない。

 そして、その分裂を何十億年も積み重ねてきたわけである。


 ある部分を見れば、今日も明日も同じ。ほとんど、変化などないように見えても、膨大な数と時を乗算すれば、劇的な変化が生まれ得るのだ。

 ゆっくりと、確実に、奇跡とも思える進化は実現されてきた。

 生命の多様化は、更なる多様性を産み。環境に適さないものは絶滅し、適合するものだけが生き残ってきたのである。

 人類とて、壮大な地球生命体の営みの一部でしかない。その陰に隠されているのは、無数の犠牲でもある。それは、きれいごとでは片付くものではなく、宇宙の原理というものは冷酷無情の化物の如く存在するのである。

 人の英知も、力も、自然の摂理には、到底、敵わない。人間にとって、どんなに不条理なことであっても、そこから逃れる術などない。

 であるなら・・・。


 話は変わるが、瞬間的に感じるということは、論理的な支えがある訳でもなく、信じるに値するものでもない。しかし、この直感というものが意外と自分を支配していたりするものである。

 

 人間という生命体は、その知恵によって自滅するかもしれない。


 これは、知恵なるものを駆使して急速に発展することは、種としての存続を著しく短縮するのではないか、という疑問である。

 端的に言えば、人類は小賢しいだけの愚か者なのではないかと思う次第である。


 過去を悔いても仕方ないので、ここまでの経過はよしとして、これから先、もう、あまり無理して急がない方が良いのではないだろうか。急げば急ぐほどに、人類という種の終末は早く訪れるような気がしてならないのだ。

 人の知恵程度では、自然の摂理は動かない。巨大な竜に水鉄砲で挑むようなものである。

 自然というのは、時に無慈悲に暴れまくり、時に優しく花を咲かせてくれるものだ。それに抗うことは愚の骨頂。

 であるなら、あるがまま、受け入れるしかないと言いたいのだ。


 溢れる程の情報に押し流されながら、段々と想像力を奪われていく。研ぎ澄まされていた直感も影を潜め、いつしか虚構の闇に沈んでいく。

 知りすぎることの弊害、もしくは豊かになりすぎた弊害と言った方が良いだろうか?

 人は、便利なもの(楽できるもの)を手に入れる度に、段々と無能になっているような気がしてならない。一見、高度な知識のお陰で、頭も良くなったように思うかもしれないが、実際のところ、知恵や感覚は低下しているのではないだろうか? 

 また、大切なものを見失っているような気もする。まるで、どこかに置き忘れてしまったように、何かを失くしている。

 

 そして、幾千の野望とエゴの中で歪んだ世界は、時に大きな摩擦を生じ、弱者を弾き出す。


 この複雑怪奇な世界で、生まれながらに持っていたはずの人間としても能力を維持し続けることは不可能に近く、教育という名の洗脳と情報と論理に攪乱された輩には、宇宙の示す真理など見えやしない。

 もはや、無限の荒野におかれた羊のように、行き先すら見失い迷走するのみ。

 遥か先、見えない世界。

 研ぎ澄まされた感覚だけが頼りのはずなのに・・・。


 こんな世の中でも生きなければならないのであれば、多くの事に目を瞑っていた方が利口かもしれない。

 こんな薄汚れた世界をまじめに見つめるよりも、もっと、美しき世界を見つめた方がずっといい。要するに、現実という世界に、囚われ続ける馬鹿らしさを感じる。

 いや、そうではなく、現実という世界に、洗脳されてはいけないということかもしれない。


 今、必要なのは、加速ではなく減速。

 要するに、ブレーキの方ではないだろうか。


 リアル世界。

 そこにおいては、必要最小限の社会的立場を確保する必要がある。でなければ、生きられなくなる。どんなに劣悪な社会であったとしても、どんなに馬鹿馬鹿しくても、それだけはやらないと生きていけなくなってしまう。


 生きているだけで、偉いのだ。

 全てを諦めてしまうには、まだ、早い。

 人類として、できることは、まだまだたくさんあるはずだ。


 生きるということが確保できたなら、後は、無理する必要はない。ただ、まったりと、ダラダラ生きればいい。

 下手に高い理想など抱けば、死ぬまで馬車馬のように走り続けなければならない。教育という名の洗脳により植え付けられた偽りの競争心に支配されるなど、まっぴら、ごめんである。

 人類としての至高の境地など、自分で切り開く必要などないのだ。多様性を持った多くの人々が末永く生き続けることにより、自然と到達できるものである。


 「やめた。やめた。競争なんて、もうしない。」

 「他人にどう思われようと、知ったことか。」

 そう決めたのであれば、

 「さて、さて、生きているということを使って、何をしようか?」となるのが必然的な流れだ。

 現実も常識も無視して、そこだけに焦点を向けると、わくわくしてこないかい?

 そう、好きなようにすればいいのだ。

 やろうと思えば何でもできるし、やりたくないなら、無理してやることもない。

 未来はトンネルのように閉ざされた世界ではない。四方八方に広がっている。

 例え、今がどうであっても、未来の可能性が閉ざされているなんてことは、絶対にない。


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