第19章 フェイクの乱立
かなり古い漫画であるが、デビルマンという漫画がある。
その中で、主人公が愛する少女は、悪魔(人間の敵)にではなく、疑心に駆られた民衆(人間)によって惨殺される。これは、かなり衝撃的で、心に深く残っている。
主人公が悪魔の手から、何とか守ろうとした人間達により、何の罪もない普通の少女が殺されてしまうのである。
そこで、主人公の胸に生じる思いは、憎しみではなく絶望。
人間は憎しみすら向けてもらえないほどに見放されるのである。
情報社会。
それは、実に便利な社会だ。
居ながらにして、世界中からの情報を目にすることができる。
でもね。
そこは、フェイクの乱立する世界でもある。
情報をどう受け取り、どう解釈し、どう広げるかは、安易にやって良いことではなく、深く考え、慎重にするべきことだ。なぜなら、情報の発信というのは、重い責任を背負う行為だからである。
情報の解釈を誤認し拡散してしまえば、フェイク情報の乱立となるのは必然である。
そして、多くの人が、誤った方向性に流されてしまえば、世界が破綻しかねない。
溢れる情報をよく見れば、矛盾だらけ・・・。
真剣な顔で、デマを巻き散らす輩。
論拠もない推論を語るペテン師達。
どこの馬の骨かわからないような奴らが撒き散らした虚実を信じるほど馬鹿らしいことはない。
釈迦やキリストならまだしも、偽りの教祖にしがみつく、哀れな信者にはなりたくない。
メディアを見れば、肩書のある学者達ですら、真偽が定かでないことを息巻いて喋っている始末である。
金が欲しいのか、それとも、単に馬鹿なのか?
しかし、この程度であれば、まだ良い方だ。
人々を陥れ、社会を破滅に導くような奴らは最低だ。疑心を煽り、秩序を掻き乱そうとする奴らに踊らされては堪らない。
フェイクに乗せられ、疑心暗鬼を目覚めさせた人間ほど、滑稽で、哀れなものはない。見るも無残、憎しみを向けるにも値しない愚物である。
現状の情報社会は量の勝負みたいなことになっており、質は重要視されていないのが実情だ。
そんな粗悪な情報でも、利用しないという選択肢はないのだが、真偽を見極める困難さが、情報社会の便利さを阻害しているのは確かだろう。
実際、世界に氾濫するデジタル情報こそ、実にアナログチックなのだ。真実と虚実に分類できるような代物ではなく、明度の色調は無限階調の多様性を持っている。
全ては、見る側の自己責任、虚実が混入した解読困難なパズルに潜む真実を射抜くことなど、もはや至難の業だ。
情報リテラシーの教育は急務である。
おそらく、血眼で走っているような奴らには見極められやしない。きっと、いつか、誰かが地雷を踏む。フェイクに騙され、疑心に囚われた民衆が暴徒と化したときに、世界は破滅に向かう。
青い空。
温かな風。
輝く水と緑。
もし、人が真実を見極める慧眼を持ちえないのであれば、
何も知らない方が良かったかもしれない。
だから、急いではいけない。
ゆっくりと、美しき風景でも楽しみながら、ダラダラと生きればいいんじゃない。




