第15章 慧眼(けいがん)を磨け
見えないところで何かを企む。
だいたい、悪い奴らはそういうことをする。
そこに、薙刀を振るうのが正義の味方っていうのが相場だ。
「控え、控え、頭が高い。おまえ達の悪事は、全てお見通しだ!」
でも、全てを見通せる人なんていやしない。
だから、それではいけないということで、世の中は可視化を求めているのではないかと思う。
馬鹿でも見通せるように・・・。
いろいろなことを可視化することで、隠れて悪巧みもできなくなり、目出度し、目出度しってわけだ。
でもね。
可視化することが、すべからく良いとは思えない。
どんどんとオープンにして、無差別多数の人間が口を挟むということは、それだけ、物事を進めることが困難になる。要するに、「あーだ、こーだ」という奴が増えれば増える程、意見をまとめるのが大変になる。それが国家レベルになれば、もう収集困難である。
独裁者ひとりが、何でもポンポン決めて、否応なしにやるのもどうかと思うが、逆に何でもかんでもオープンにして、山のような人間を説得しなければ進まないというのもまずいのではないかと思う。
山のような人間の中には、無知な奴や勝手な思い込みをしている輩も含まれるのだから、始末が悪い。無能な奴らが勝手気ままに解釈した情報を拡散するのも問題だ。
可視化された情報を的確に分析できないのであれば、厳選された専門家(知識のある方)に任せておいた方がましだろう。
今の日本を見ていると、何をやっても、ほとんど非難される。挙句の果て、陰謀だとまで言われてしまう。
だから、どうしても慎重になり、何をやるにも遅いし、思い切りが悪くなるわけだ。
プロ野球のバターなら、3割成功すれば上々と言われるけど、政治家などは100%を求められるのだから、そりゃあ、慎重になるはずである。
平和で、大きな問題がない場合は、それでも良いのかもしれないが・・・。
総理大臣になって、誰にも非難されないなんてことは至難の技であり、非難されないことが良いということも全くない。
非難されないというのは、イコール、今だけ良ければ、みたいな、事なかれ主義に繋がりかねない。国民の多くなんて、政治や経済の専門家ではないので、国家全体の未来なんて考察できるわけがない。低能なテレビや週刊誌のコメンテータだって似たようなものだ。
ある一つの大きな問題があったとして、ほとんどの国民と、多くのメディア関係者は、それを解決するという点でしか見ることはない。だから、その問題さえ解決できれば、その策が最も良いと評価されてしまう。
しかし、実際には多くの次元で、多くの物事が絡み合い、今は良くても、後々に大きく悪影響を与えてしまうことも多々ある。
だから、その辺りを考慮できない単なる人気取りに仕切られては困るのだ。
元来、日本人の説得力は非常に弱く、多くの政治家を見渡しても、実に説明や説得が下手くそである。もう、絶望的なほどに、ダメダメだ。
その中で、比較的口がうまい人が人気を取ったりもしているが、実もなく、ただ口先だけの政治家がもてはやされるのも、また、困ったものである。
それは、実力ある政治家の答弁能力が弱いということに起因した全体の低レベル化である。
将棋に例えれば、実力ある政治家とは、盤面全てを見渡して最善手を打てる人間であり、ただの人気取りというのは、今、駒がぶつかり合っている場所だけを見て手を打ち、二三手先の優位だけを追求するような人間である。どちらが強いかは、言うまでもないだろう。
多くの国民は、盤面を広く見るような才能は持ち合わせていない。十手以上先を読める人間など極稀である。今の政治家は、何手も先に生きてくるような良い手を打ったとしても、その手のすばらしさを説明できないのだから、もう、嘆かわしい限りである。(そのような妙手を打てる政治家も少ないが・・・)
どうも、日本人の性格というのは、一手打って、「結果が出るまで黙って見ていろ!」みたいなところがある。
しかし、可視化すればするほどに、そういう考えでは上手くいかなくなるだろう。
みんな、結果が出るまで待ってはくれない。だから、答弁能力の向上は、現代社会では急務であり必須事項だと思う。
逆に、一般人側に求められるのは、盤面をくまなく見て、先を正確に予測することだ。それができないのなら、下手に口出ししない方がいい。口を出すという責任の重大さをもっと感じてほしいと思う次第である。
一般人の能力が向上すれば、例え、政治家の説明が不十分でも、本当に良い手を見極められ、可視化したメリットが生きてくるはずなのだが・・・。
社会が可視化していき、情報量が増えれば増える程に、見る側も深く正確な目を持つ必要性が高まっていく。それをやらずに可視化だけを求めるのが正論とは思えない。
要するに、可視化するならば、多くの人間が、真の慧眼を持つ必要があるということだ。表面しか見えない馬鹿ばかりの国民であるなら、下手に可視化などしない方がいいと断言したい。多少の不正には目を瞑ってでも、専門家に任せておいた方が余程ましということだ。
慧眼。
それは真実を見定める眼。
情報を分析する能力。
情報の確かさを見極めるだけの考察力。
安易に人の言葉に流されない揺るぎなき精神。
ダラダラと生きながらも、慧眼を磨くことは重要だと思う。
たぶん、きっと。




