第1章 生きているだけで偉い
世は泡沫夢幻。
時は露往霜来。
盛者必衰の定めであるなら、ダラダラ生きるのもよろしかろう。
愚かしきは人であり、そう言う自分も、
また、同類である。
第1章 生きているだけで偉い
「ああ、こんな薄汚れた世界はおもしろくない。」
「人と会話するのも苦痛だ。」
「生きている意味なんてあるのだろうか?」
「誰もかれも、自分のことなど気にしていない。」
おそらく、そういう疑問というか、絶望感を抱く方もいるのではないだろうか?
他人の考えていることなど知る由もなく、見えない人の心は恐ろしい。他者が何をたくらんでいるのかも知れず、そこに恐怖を感じるのは当然である。
効率を優先する社会は、歯車に適さない人間を洗脳しながら回っている。
そこに疑問を感じるものは、異端者なのか?
そこからはみ出すものは、切り捨てるべきものなのか?
そう、すべからく、この世は個人の思惑通りには存在しない。
そんな世界の中で、生きているだけでも十分に偉いことなのだ。
何をしていようが、どんな人間であろうとも、どのような思想を持っていようとも、生きているということは、尊いことなのである。
そこに例外は存在しない。
無数の細胞が、奇跡の如く働いた結果として、人間は生かされている。更には、数多くの人々の努力と労働のお陰で生かされている。実は、生きているということは、奇跡とも思えるプロセスの結果であり、自らの意思とは無関係に、そこには長い歴史と壮大なメカニズムが秘められている。
人類という高度な生命体が生まれるまでには、億の時と億の変化が積み重なり、奇跡のような確率を射抜いて来た結果なのである。そこには、宇宙を延々と旅したが如く、無数のドラマが隠されているはずだ。
そんな命を無駄にせずに、生きているということ。
この劣悪な世界の中で、何とかして生きることに遂行しようとする心。
終焉させずに、未来にタスキを渡そうとすること。
それが、偉いのである。
その結果、もしかしたら、とてつもない未来を切り開くかもしれない。
その時が訪れる確信もないし、見ることも叶わぬ遥か未来ではであるが、果てなき夢を追うのも一興かと思う次第である。




