7
静けさが戻った自室。
扉を閉めた瞬間、レティシアは小さく息を吐いた。
誰の視線もない空間。
それなのに、胸のざわめきだけが消えない。
「……あり得ない……」
ぽつりと零れる独り言。
普段なら決して口にしない類の言葉だった。
机の上に置いた本へ視線を落とす。
だが、文字を追う気にはなれない。
脳裏に浮かぶのは、別のもの。
あの男の声。
あの男の視線。
あの、理解不能な断定。
君だからだ。
「……意味が分からないでしょう……普通……」
理屈がない。
説明がない。
それなのに、妙に揺さぶられる。
それが何より納得できなかった。
「私は別に……」
言い聞かせるように呟く。
「好意を向けられて嬉しいなど……」
そこで言葉が止まる。
本当に?
胸の奥がわずかにざわつく。
違和感。
否定しきれない感覚。
「……違う……」
小さく首を振る。
違う。
そう、違うはずなのだ。
ただ調子を乱されているだけ。
相手が常識外れだから。
それだけの話。
「……なのに」
指先が無意識に握られる。
「なぜ、あんな言葉一つで……」
思い出すだけで心拍が変わる。
あり得ない。
これまで数え切れぬほどの賛辞を受けてきた。
称賛も、好意も、求婚めいた言葉も。
だが。
こんな感覚になったことは一度もない。
「……例外、だなんて……」
低く繰り返す。
胸の奥が妙に熱い。
不快ではない。
だが落ち着かない。
「私は……何を……」
自分の感情を分析しようとする。
得意なはずの作業。
論理的に整理するだけのはず。
だが。
うまく切り分けられない。
あれは何なのか。
不快ではない。
嫌悪でもない。
だが好意とも言い切れない。
曖昧で、定義不能で。
ひどく厄介だった。
「……ただの興味……?」
口にしてみる。
だが、しっくりこない。
それよりももっと厄介な何か。
もっと説明し難い揺れ。
沈黙が部屋を満たす。
その静寂の中で、はっきりと自覚してしまう。
今日一日。
自分の思考は、ほとんどあの男に支配されていた。
「……最悪だわ……」
額に指先を当て、小さく目を伏せる。
完璧令嬢らしからぬ、かすかな動揺。
認めたくない。
だが否定できない事実。
アークレイン・ヴァルハルト。
その存在が。
確実に、自分の内側へ入り込み始めていた。
まだ名前のない感情として。
静かに、だが抗い難く。




