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第八話

 輝石の洞窟から一歩外へ踏み出すと、俺とチカはむわりと濃密な森の空気に迎えられた。滝の轟音と湿気を含んだ風が、数日ぶりに浴びる外界の刺激を全身で感じさせてくれる。洞窟の中のどこまでも清浄で張り詰めたような空気とは全く違う、生命力に満ち溢れた匂い。ああ、帰ってきたんだなと実感する。


「にゃーん……(ふぅ……。シャバの空気は美味いぜ)」


 俺は大きく伸びをしながら深呼吸した。体内の魔力が、洞窟での試練を経て驚くほどに澄み渡っているのが分かる。今まで水道の蛇口をひねって濁った水が勢いよく飛び出してくるような感覚だったのが、今は静かな泉から清らかな水がこんこんと湧き出てくるような、穏やかでそれでいて力強い流れに変わっていた。これが純化された魔力か。


「ちきゅ!(うん、なんだか空気が美味しい!)」


 俺の肩の上で、チカが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。お前はさっきも洞窟の中で空気が美味しいって言ってなかったか? まあいいか。こいつがご機嫌なら、それでいい。


 俺は風魔法で軽々と崖を降り、滝壺の近くの開けた岩場に着地した。さて、これからどうするか。シルバーフェンリルに会って試練を突破したことを報告しに行くか? いや、あの誇り高い狼の王のことだ、俺がこうして無事に出てきたことくらい、とっくに察しているだろう。


 俺の視線は自然と空へと向けられた。

 巨大な木々の葉が天蓋のように空を覆い、その隙間から青い空が覗いている。あの葉の天井の向こう側には、どこまでも広がる自由な空間がある。

 輝石の洞窟での試練は俺の魔法技術を飛躍的に向上させてくれた。風魔法の精密なコントロール、そして炎魔法の狙撃能力。この二つを組み合わせれば、もっとやれることがあるはずだ。


「にゃあ……(なあ、チカ。俺、飛んでみたい)」


 ぽつりと、そんな言葉が口をついて出た。


「ちきゅ?(飛ぶ? 前にも飛んでたじゃない)」


 チカが、きょとんとした顔で小首をかしげる。確かに風魔法を習得した時、俺は森の天井を突き抜けて一時的に空を滑空した。だが、あれはただ高くジャンプして落ちてくるまでの短い間の、まがい物の飛行だ。

 俺が言っているのは、そうじゃない。

 もっと自由に、鳥のように、この大空を駆け巡ってみたいのだ。


「にゃーん(あれは飛行じゃなくて滑空だ。俺がやりたいのは、本当の意味で空を飛ぶことなんだよ)」


 そう、三次元的な機動。

 上昇、下降、旋回、ホバリング。それらを意のままに、完璧にコントロールする。それができて初めて『空を飛ぶ』と言えるはずだ。

 輝石の洞窟で得たこの精密な魔力コントロール能力があれば、あるいはそれが可能になるかもしれない。


 俺がそんな途方もない野望に思いを馳せていた、その時だった。


 キィィィィィィィエエエエエエエッ!


 空気を引き裂くような甲高い鳴き声が、森の上空に響き渡った。

 それは今まで聞いたどんな魔物の声とも違う、威厳と力強さに満ちた王者の咆哮。

 俺とチカは、はっとして空を見上げた。

 木々の隙間から見えたのは、巨大な翼を広げ悠然と大空を旋回する、一羽の鳥の姿だった。


 いや、鳥というにはあまりにも巨大すぎる。

 翼を広げれば十メートルは優にあるだろうか。陽光を浴びて白銀に輝く羽毛は、まるで鋼鉄でできているかのような鋭い光沢を放っている。鋭く湾曲した嘴と、獲物を易々と引き裂くであろう鉤爪は、見る者に原始的な恐怖を抱かせる。

 だが、何よりも圧倒的なのはその存在感。

 ただそこにいるだけで、この森の上空の全てがこの一羽の鳥によって支配されているのだと、誰もが理解するだろう。空の絶対的な王者。


 俺の脳内に、ご丁寧な解説がポップアップする。


【ウィンドイーグル】。森の上空を縄張りとする、巨大な鳥類魔物。鋼鉄の如き翼と、風を操る能力を持つ、空の生態系の頂点。極めて誇り高く、自らの縄張りに侵入する者には、容赦ない攻撃を加える。


 ……ウィンドイーグル。

 空の王者か。


 俺は、その雄大な姿から目が離せなくなった。

 美しい。そして、何よりも強い。

 あの翼はどれほどの風を掴み、どれほどの高みへとその身体を運ぶのだろうか。

 あの瞳にはこの森の、どんな景色が映っているのだろうか。


 その時、俺の心の中に一つの燃えるような感情が芽生えた。

 それは憧れ。

 そして、それ以上に強い競争心。


 試してみたい。

 俺がこれから手に入れようとしているこの『翼』が、あの空の王者にどこまで通用するのかを。

 この森の地上最強が俺ならば、空の最強はあいつだ。

 戦わずにはいられないだろう。


「にゃはは……にゃははははは!」


 俺は思わず笑い声を上げた。

 退屈だなんて、誰が言った?

 目の前に最高の目標が現れたじゃないか。


「ちきゅ?(ど、どうしたの? 急に笑い出して……)」


 チカが俺の肩の上で、少し引いているのが分かる。


「にゃーん!(決めたぞ、チカ! 俺たちの次の目標だ!)」


 俺は空を指差した。いや、前足を上げた。


「にゃあ!(あいつと戦う! そしてこの森の空を、俺たちのものにするんだ!)」


 俺のあまりにも壮大な宣言に、チカはしばらくぽかんとしていた。

 だが、やがて俺の瞳の中に本気の光を見出したのか、その小さな顔をきりりと引き締めた。


「ちきゅ!(面白そう! やる!)」


 最高の相棒は、いつだって俺の無茶な提案に二つ返事で乗ってくれる。

 こうして俺たちの新たな、そして無謀とも思える挑戦が幕を開けた。

 目指すは打倒、ウィンドイーグル。

 最強の猫が、空の王者に今、宣戦布告する。



 「空を飛ぶ」と一言で言うのは簡単だ。

 だが、それを実現するのは想像を絶するほどに困難な道のりだった。

 輝石の洞窟で得た精密な魔力コントロール能力をもってすれば、すぐにでも鳥のように飛べると正直、高をくくっていた。

 その甘っちょろい考えは、挑戦開始からわずか数秒で木っ端微塵に粉砕されることになる。


「いくぞ、チカ! 俺たちの記念すべき初フライトだ! 風よ、俺の翼となれ!」


 俺は開けた岩場の中央に立ち、高らかに宣言した。

 イメージは完璧だ。

 背中の両脇から風の魔力でできた透明な翼を生やす。そして、その翼で力強く空気を打ち上昇する。鳥の動きを魔法で完全に再現するのだ。


 俺は魔力を練り上げ、背中に集中させる。

 びゅおっ!

 確かな手応え。俺の背中から目には見えない、しかし確かな力を持つ風の翼が形成された。


「にゃはは! いける! いけるぞ! 飛べぇぇぇぇぇっ!」


 俺は歓喜の声を上げ、その風の翼を力いっぱい羽ばたかせた。

 次の瞬間。


 どごんっ!


「にぎゃっ!?」


 俺の身体は空に舞い上がるどころか、地面に顔面から叩きつけられていた。

 何が起こったのか全く理解できない。

 ただ、鼻がめちゃくちゃ痛い。


「ち、ちきゅー!(だ、大丈夫ー!?)」


 チカが慌てて俺の元へ駆け寄ってくる。


「にゃ、にゃあ……(な、何が起こったんだ……?)」


 俺はじんじんする鼻を押さえながら、よろよろと身を起こす。

 そして、すぐに失敗の原因に思い至った。


 翼の角度だ。

 鳥が飛ぶのはただ翼を上下に動かしているからではない。翼の角度を絶妙にコントロールし、空気の流れ、すなわち『揚力』を発生させているからだ。

 俺がやったのは、ただ風の板で真下の空気を叩きつけただけ。

 その結果、作用反作用の法則に従って俺の身体は真下の地面に同じ力で叩きつけられた、というわけだ。

 物理法則は異世界でもちゃんと機能しているらしい。当たり前か。


「にゃろー……(くそっ、難しいじゃないか……)」


 俺は悪態をつきながら、再び挑戦する。

 今度は翼の角度を意識する。

 少し斜め後ろに、空気を押し出すイメージ。


「いけっ!」


 ふわり、と。

 今度はうまくいった。

 俺の身体が地面から数センチだけ、浮き上がったのだ。


「おおっ! 浮いた! 浮いたぞ、チカ!」


「チカチカッ!(すごいすごい!)」


 俺とチカは抱き合って喜びを分かち合った。いや、俺が一方的にチカを抱きしめただけだが。

 だが、喜びも束の間。

 俺の身体は空中でふらふらと、不安定に揺れ始めた。

 バランスが全く取れない。

 まるで初めて自転車に乗った時の、あの感覚。


「にゃ、にゃわわわわ!?」


 俺は必死に翼を動かして、体勢を立て直そうとする。

 だが、動かせば動かすほどバランスは崩れていく。

 そして俺の身体はきりきり舞いを始め、そのまま近くの茂みの中へと不時着、いや、墜落した。


 がさがさがさっ!

 ……しーん。


「ちきゅー……?」


 チカが心配そうに、茂みを覗き込んでくる。

 俺は口から葉っぱをぺっと吐き出しながら、茂みの中からぐったりとした顔を出した。


「にゃふぅ……(……前途多難だ……)」


 それからというもの、俺の血と汗と涙(と、土と葉っぱ)にまみれた飛行訓練が始まった。

 浮き上がることはできても、前に進めない。

 前に進めたかと思えば、曲がれない。

 曲がれたかと思えば、止まれない。

 ホバリングなんて夢のまた夢だ。


 俺は何度も地面に叩きつけられ、木に激突し、茂みに突っ込んだ。

 そのたびにチカが健気に駆け寄ってきて、心配そうに鳴いてくれる。その優しさが、ボロボロになった俺の心と身体に深く染み渡った。


 だが、俺は諦めなかった。

 輝石の洞窟での試練が俺に教えてくれた。

 失敗はデータだ。

 失敗を恐れていては、その先に進むことはできない。


 俺は試行錯誤を繰り返した。

 翼の形を変えてみたり、大きさを変えてみたり。

 羽ばたきの速さやリズムを変えてみたり。

 翼だけでなく、尻尾や四肢の動きも連動させてみたり。

 まるで新しい乗り物の操縦方法を、ゼロから身体に叩き込んでいるかのようだ。


 そして、数日が過ぎた頃。

 俺はついに、そのコツを掴みかけていた。


 問題はイメージの仕方だった。

 翼を『生やす』というイメージでは、どうしても身体と翼の動きがちぐはぐになってしまう。

 そうじゃない。

 風を身体の一部に、完全に『同化』させるのだ。

 俺のこの黒猫の身体そのものに、翼の機能を付与するイメージ。


 俺がそう強く念じた、その瞬間。

 俺の身体の周りを渦を巻いていた風の魔力が、すっと俺の身体の中に吸い込まれていくような感覚があった。

 そして、俺は理解した。

 翼なんていらない。

 俺のこの身体そのものが、翼なのだと。


 俺は翼を生やすのをやめ、ただ全身に風の魔力を循環させる。

 そして、地面を軽く蹴った。


 すぅーっと、俺の身体は何の抵抗もなく、滑るように宙に浮いた。

 そこには今までの不安定な挙動は微塵もなかった。

 まるで水の中を魚が泳ぐように、自然に滑らかに、俺は空中に静止していた。


「……できた」


 ホバリングだ。

 あれだけ苦労したホバリングが、いとも簡単にできてしまった。


「チカッ! チカァァァァッ!」


 チカが地面で、狂喜乱舞している。

 俺はその場でゆっくりと旋回してみる。

 右に行こうと念じれば身体は自然に右を向く。

 上昇しようと思えば、すっと高度が上がる。

 もはや翼を羽ばたかせる必要はない。

 俺の意思そのものが推進力になっているかのようだ。


 これだ。

 これこそが俺が求めていた、三次元機動。


「にゃはは! 見てろよ、チカ! ここからが本番だ!」


 俺は空中で、きゅっと身を翻すと、弾丸のように空へと撃ち出された。

 目指すはあの空の王者、ウィンドイーグル。

 戦いの準備は整った。



 俺は森の天井を突き抜け、どこまでも広がる青い空へと躍り出た。

 眼下に広がるのは雄大な緑の海。風が黒い毛皮を心地よく撫でていく。

 この圧倒的な解放感。

 地上を這い回っていた頃とは、見える景色が全く違う。


「にゃーん(最高だぜ、チカ!)」


「ちきゅー!(最高ー!)」


 俺とチカは空の上で歓声を上げた。

 しばらくの間、俺たちは空中散歩を楽しんだ。

 雲を前足で触ってみたり。

 急降下してスリルを味わってみたり。

 俺の新しい翼は、もはや俺の身体の一部として完璧に機能していた。


 そして、俺はついにその姿を捉えた。

 俺たちのはるか上空。

 一点のシミのように小さく見えていたその姿は、近づくにつれてその雄大な威容を現していく。

 ウィンドイーグルだ。


 やつはまだ俺たちの存在に気づいていないようだった。

 悠然と大きな円を描きながら、自らの縄張りをパトロールしている。

 その姿には王者の風格が満ち溢れていた。


 さて、どうやって戦いの口火を切るか。

 いきなり最大出力のフレイムアローをぶちかますのは、流儀に反する。

 こいつは誇り高い空の王者だ。

 ならばこちらも礼儀を尽くして、正面から挑戦を申し込むべきだろう。


 俺はウィンドイーグルの進行方向、その先へと回り込んだ。

 そして、やつが俺の存在に気づける距離まで近づく。


 やがてウィンドイーグルは、その鋭い瞳で俺の姿を捉えた。

 その瞳が驚きに、わずかに見開かれる。

 空中に静止する一匹の黒猫。

 その肩には小さな光る生き物。

 ウィンドイーグルにとって、それは初めて見る不可解な光景だったに違いない。


 キィ?


 訝しげな鳴き声。

 なんだ、お前は。

 そう問いかけているようだった。


 俺は答える代わりに右の前足を上げた。

 そして爪の先に小さな黄金色の炎を灯す。

 魔力を純化したことで、俺のフレイムアローはその色を真紅から黄金へと変えていた。

 威力は以前の比ではない。


 俺はその黄金の炎の矢を、ウィンドイーグルの遥か頭上、何もない空間に向かって放った。

 シュッと、小さな、しかし鋭い音を立てて黄金の矢が空を切り裂く。

 そして、空中でぱんっと花火のように弾けて消えた。


 これは挨拶だ。

 そして宣戦布告。

 俺は、お前と戦いたい。

 この空の王座を賭けて。


 俺の意図は確かに伝わったようだった。

 ウィンドイーグルの雰囲気が変わった。

 それまでの悠然とした王者の風格は消え失せ、全身から鋭い戦闘の気が立ち上る。

 鋼鉄の翼が、ぎしりと不気味な音を立てた。


 キィィィィィィィエエエエエエエッ!


 再び空気を引き裂く咆哮。

 今度はその声に明確な怒りと闘争心が、含まれていた。

 面白い。

 その挑戦、受けて立つ。

 そう言っているようだった。


 ウィンドイーグルは、その巨大な翼を一度大きく羽ばたかせた。

 次の瞬間。

 その姿は俺の目の前から、消えていた。


「にゃっ!?」


 速い!

 俺の飛行速度とは次元が違う!

 どこだ!?


 俺が必死にその姿を探した、その時。

 背後から死神の鎌のような、鋭い風切り音が迫ってきた。


 まずい! 上を取られた!

 俺は咄嗟に身体をきりもみ回転させながら、急降下する。

 ほんの数瞬前まで俺がいた空間を、ウィンドイーグルの巨大な鉤爪が薙ぎ払っていった。

 もし反応がコンマ一秒でも遅れていたら、俺の身体は今頃二つに引き裂かれていただろう。


 冷たいものが背筋を駆け上る。

 これが空の王者の実力。

 なめていた。

 俺の未熟な飛行技術など、本物の空の王者の前では児戯に等しい。


 だが、それでこそだ。

 それでこそ戦う意味がある。


「にゃはは! 面白い! 最高じゃないか!」


 俺は恐怖を歓喜で塗りつぶした。

 ここからが本当の空中戦だ。

 黒猫対巨鷲。

 異世界の大空を舞台にした、前代未聞のドッグファイトの火蓋が今、切って落とされた。



 空中戦は熾烈を極めた。

 序盤は完全にウィンドイーグルのペースだった。

 圧倒的な飛行速度と長年の経験に裏打ちされた、巧みな戦闘技術。

 やつは俺の死角に巧みに回り込み、鋭い嘴や鉤爪で何度も攻撃を仕掛けてきた。

 俺はそれを必死にかわし続けるので精一杯だった。

 風魔法による三次元機動がなければ、とっくの昔に撃墜されていただろう。


「くそっ、速すぎる! 全然追いつけない!」


 俺は悪態をつきながら急旋回して、追撃をかわす。

 肩の上のチカが俺の毛皮に必死にしがみついている。

 その小さな身体が小刻みにふるえているのが伝わってきた。


「チカ、大丈夫か!?」


「ち、ちきゅ!(だ、大丈夫! それより集中して!)」


 気丈な相棒の言葉に、俺ははっとさせられる。

 そうだ。俺が弱気になってどうする。


 反撃の機会をうかがわなければ。

 俺はウィンドイーグルの攻撃パターンを冷静に分析し始めた。

 やつは基本的にスピードとパワーに絶対的な自信を持っている。

 攻撃は直線的で大振りだ。

 その一撃一撃は必殺の威力を持っているが、同時に攻撃の後にはわずかな隙が生まれる。


 狙うはそこだ。

 ウィンドイーグルが急降下からの突き上げ攻撃を仕掛けてきた。

 俺はそれを紙一重で横にかわす。

 そして俺の真横を通り過ぎていく、その一瞬。


「今だ!」


 俺はすれ違いざまに、至近距離から黄金のフレイムアローを放った。

 さすがのウィンドイーグルも、このゼロ距離からの反撃は予測していなかっただろう。


 キィッ!?


 驚きの声を上げ、咄嗟に翼でその身をかばう。

 黄金の矢は鋼鉄の翼に弾かれた。

 キンッ! という甲高い音を立てて。


 ……マジか。

 俺の最大出力のフレイムアローが、翼の一撃で防がれただと?

 あの翼、本当に鋼でできているのか。


 だが、攻撃は完全に無効化されたわけではなかった。

 フレイムアローが着弾した箇所が、わずかに赤く熱を帯びている。

 そして、ウィンドイーグルの飛行の軌道がほんの少しだけ乱れた。


 いける。

 ダメージは通っている。

 俺は確かな手応えを感じた。


 ここからが俺の反撃のターンだ。

 俺は守勢から攻勢へと転じた。

 ウィンドイーグルの猛攻を最小限の動きでかわしながら、懐へと潜り込む。

 そして攻撃の後のわずかな隙を突いて、的確にフレイムアローを叩き込んでいく。

 狙うは翼の付け根。あるいは関節。

 防御の手薄な一点。


 戦いの流れは徐々に俺の方へと傾き始めていた。

 ウィンドイーグルも俺の戦術に気づき、距離を取ろうとする。

 だが、俺はそれを許さない。

 風魔法でぴったりと張り付き、逃がさない。

 まるで巨大な戦闘機にまとわりつく、一匹の蜂のように。


 やがてウィンドイーグルの動きに、明らかな焦りの色が見え始めた。

 そして、ついにやつは奥の手を出してきた。


 キィィィィィィィエエエエエエエッ!


 一声高く咆哮すると、その巨大な翼を大きく羽ばたかせた。

 次の瞬間。

 俺の周囲に無数の風の刃が発生した。

 カマイタチの嵐。

 三百六十度全方位からの、逃げ場のない飽和攻撃。


「まずい!」


 俺は咄嗟に自分の周りに、風の魔力で球状の防御壁を展開した。

 バリバリバリバリッ!

 風の刃が防御壁に次々と命中し、激しい音を立てる。

 防御壁が悲鳴を上げ、表面にひびが入っていく。


 このままでは破られる!

 だが、その時、俺の肩の上で今まで固唾をのんで戦いを見守っていた相棒が動いた。


「チカァァァァァァァァァッ!」


 チカの小さな身体が、今までで一番強く輝いた。

 それはもはやただの光ではない。

 闇を完全に消し去る、純白の閃光。

 太陽がすぐそばに現れたかのような、圧倒的な光量。


 その閃光がカマイタチの嵐を、一瞬にしてかき消した。

 そして、その光をまともに浴びたウィンドイーグルが、苦しげな声を上げる。


 キ、ギィ……ッ!


 目が眩んだのだ。

 最大の攻撃を破られ、視界まで奪われた。

 ウィンドイーグルの動きが完全に止まる。


 これ以上ない絶好の好機。

 俺はチカが作ってくれたこの千載一遇のチャンスを、逃さなかった。

 残った全ての魔力を右の前足、その爪の先に凝縮させる。

 黄金の炎がまるで小さな太陽のように、白く輝き始めた。


「これで、終わりだ!」


 狙うは相手の心臓ではない。

 俺は、この誇り高い空の王者を殺すつもりはなかった。

 俺が狙いを定めたのは、その美しく、そして強靭な白銀の翼。

 その一枚の風切り羽。


 俺は最大最強の黄金のフレイムアローを放った。

 それは光の槍。

 空を焦がし、一直線にウィンドイーグルの翼へと突き進む。


 そして。


 シュッと小さな音を立てて、光の槍はウィンドイーグルの翼の、たった一枚の羽だけを正確に射抜いた。

 射抜かれた風切り羽が根元からちりちりと燃え上がり、やがて黒い灰となって空に散った。


 勝負、あり。


 俺は静かにそう確信した。

 視力が回復したウィンドイーグルは、信じられないという顔で自分の翼を見下ろした。

 そこには一枚だけぽっかりと羽が抜け落ちた跡がある。

 痛みはないだろう。

 だが、ウィンドイーグルは理解したはずだ。

 俺が本気を出せば翼ごと、その心臓を射抜くことができたということを。

 そして俺があえて、そうしなかったということも。


 ウィンドイーグルはしばらく呆然と空中に静止していた。

 やがてその鋭い瞳をゆっくりと俺に向けた。

 その瞳にはもはや怒りも敵意もなかった。

 そこにあるのは敗北を認めた戦士の、澄み切った色。

 そして、俺に対する深い敬意。


 キィィ……。


 短く、しかし穏やかな鳴き声。

 それは降参の合図。

 そして、俺を新たな空の強者として認めるという、誓いの声。


 ウィンドイーグルは俺に向かって一度深く頭を下げると、ゆっくりと身を翻し、森の彼方へと飛び去っていった。

 その去り行く後ろ姿は敗者のそれではなく、好敵手と出会えた王者のそれに、見えた。



 こうして俺と空の王者ウィンドイーグルとの激しい戦いは、幕を閉じた。

 俺は勝ったのだ。

 この森の空の支配権を手に入れたと言っても、過言ではないだろう。


「にゃはは! やった! やったぞ、チカ! 俺たちの勝ちだ!」


「ちきゅー! ちきゅー!」


 俺とチカは空の上で、勝利の雄叫びを上げた。

 魔力はほとんど空っぽだ。

 身体もあちこちが痛む。

 だが、心は今まで感じたことがないほどの、達成感と高揚感で満たされていた。


 これからは、この大空も俺たちの庭だ。

 どこへでも行ける。

 何でもできる。


 俺は眼下に広がる、果てしない緑の海を見下ろした。


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