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黒猫転生~理不尽な異世界で魔法と爪牙で生き抜く~  作者: 速水静香
第二章:アストリア王立魔法学園

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第二十九話

 絶望的な殺戮の宴は、唐突に中断された。

 だが、それは決して戦いの終わりを意味するものではない。

 むしろ、ここからが本当の戦いの始まりなのだ。


「……なんだ……貴様は……一体……」


 アリーナの中央、黒ローブの集団を率いるリーダー格の男が、震える声で俺に問いかけた。そのフードの奥の瞳が、恐怖と、そしてそれ以上の戸惑いに揺れているのが手に取るように分かった。

 俺は答えない。

 ただ静かに、その神獣の金色の瞳で敵を睨み据えるだけ。

 俺の隣で、光の巨人がその手に握られた翠色の輝石の剣を、ゆっくりと持ち上げる。

 俺たちの反撃の狼煙は、今、上がったばかりなのだから。


「……ひ、怯むな! 姿形が変わったとて、所詮は出来損ないの小娘とただの猫! やってしまえ!」


 リーダーの男がヒステリックな叫び声を上げた。

 その声に我に返ったかのように、残存していた魔物たちが再びその濁った赤い瞳に殺意の光を宿す。

 深手を負わされたグリフォンを白い繭に閉じ込めた、あのおぞましい蜘蛛の魔物。

 岩石の身体を持つ亀の化け物。

 そして、数十人の黒ローブの魔法使いたち。

 彼らが俺たちを半包囲するように、じりじりとその距離を詰めてくる。

 だが、もはやその程度の数、その程度の力、俺たちの敵ではなかった。


『エリーナ』


 俺は魂の繋がりを使い、隣に立つもう一人の俺に語り掛けた。


『……はい』


 光の巨人の唇が動く。

 それはエリーナの声だった。

 だがその声にはもはや以前のようなか細さはない。

 俺の王としての威厳と、彼女の優しい心が完璧に調和した凛とした響き。


『……分かっています。やるべきことは、一つですね』

『ああ』


 俺たちは視線を交わす。

 いや、魂を交わす。

 もはや言葉さえ必要ない。

 俺たちの思考は完全に一つになっているのだから。

 先に動いたのは、光の巨人だった。


 ズンッ!


 その翠色の輝石の足が、アリーナの地面を強く踏みしめる。

 それだけで大地が揺れた。

 そして次の瞬間。

 その神々しい姿は、俺たちの目の前から消えていた。

 いや、違う。

 動いたのだ。人の目には捉えられないほどの神速で。


「なっ……!?」


 黒ローブのリーダーが驚愕の声を上げる。

 その視線の先。

 光の巨人はすでに、あのおぞましい蜘蛛の魔物の懐へと潜り込んでいた。

 そしてその手に握られた翠色の輝石の剣を、まるでバターをナイフで切るかのように、滑らかに、そして無慈悲に振り抜く。


 ザシュッ!

 生々しい音はなかった。ただ光が通り過ぎたという感覚。

 蜘蛛の魔物の巨大な胴体が、その八本の脚ごと綺麗に上下真っ二つに分断されていた。

 断末魔の叫びを上げる間もなく。

 そのおぞましい身体は光の粒子となって、きらきらと宙に舞い、そして消滅していった。

 一撃。

 たった一撃。

 あの伝説の魔獣グリフォンさえも一蹴した憎悪の化身が、塵芥と化したのだ。


「……ば、馬鹿な……」


 リーダーの男が呆然と呟く。

 その動揺は残りの黒ローブたちにも伝染していた。

 だが俺たちの猛攻は、まだ始まったばかりだ。

 今度は、俺が動く。


「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 神獣の姿となった俺は、地面を蹴った。

 風のようにアリーナを駆け抜ける。

 そのしなやかな四肢から繰り出される一撃一撃が、黒ローブの魔法使いたちが展開する貧弱な魔法障壁を、まるで薄いガラスを叩き割るかのように粉砕していく。

 そしてその鋭い爪と牙が、彼らのローブを引き裂き、そのか弱い肉体を容赦なく切り刻んでいく。


 悲鳴が上がる。


 だが俺の心は一片も揺らがなかった。

 こいつらはこの学園を、エリーナの大切な居場所を土足で踏みにじった、ただの害獣だ。


 駆除して当然。

 俺と光の巨人の連携は完璧だった。


 俺が前線で敵陣を切り崩し、光の巨人がその長大な剣で後方から援護する。

 その剣から放たれる翠色の斬撃はアリーナの地面を深く抉り、その軌道上にいた全ての魔物を光の粒子へと変えていった。

 それはもはや戦闘ではない。

 一方的な蹂躙。

 あれほど学園の騎士団を苦しめた黒ローブの軍勢が、俺たちの前ではまるで赤子の群れのように、なすすべもなく崩れ去っていく。

 数分後。

 アリーナには静寂が戻っていた。

 生き残っているのは、リーダー格の男ただ一人。

 その男は信じられないという顔で、目の前の惨状と俺たちを交互に見比べていた。

 そのフードの奥の瞳が、絶望に染まっている。


「……あり得ない……。我らの計画が……。たった二人……いや、一人と一匹に……」


 その震える声。

 だがその男はまだ諦めてはいなかった。

 その瞳に狂信的な光が宿る。


「……いいだろう。ならば見せてやる。真の絶望というものを。この世界そのものを喰らい尽くす、我らが神の御姿を!」


 リーダーの男がその禍々しい杖を天に突き上げた。

 そして自らの胸に、その鋭い杖の先端を突き立てる。

 ごぷり、と鈍い音。

 男のローブが鮮血で真っ赤に染まっていく。

 だが男は苦痛の表情さえ浮かべない。ただ恍惚とした笑みを浮かべているだけ。


「いでよ……! いでよ……! この我が生命と魔力の全てを贄と捧げる! 虚無の淵より来たれ! 全てを無に帰す、我らが神よ!」


 男の狂気の詠唱に応え、世界が軋んだ。

 男の足元の影が不自然に膨張していく。

 それはもはや影ではない。

 空間に空いた穴。どこまでも深く、そして冷たい闇。

 その闇の中から何かがゆっくりと這い出してくる。

 それは形を持たなかった。

 ただそこにあるという事実だけが、俺たちの五感を直接殴りつけてくる。

 光を吸い込み、音を喰らい、生命の温もりさえも凍てつかせる、絶対的な虚無。

 俺が建物で対峙したあの黒い靄の魔物。

 その親玉。あるいはその本体。

 全ての魔力を喰らう虚無の化け物。

 それが今、このアリーナに降臨したのだ。



 空気が死んだ。

 そう表現するしかなかった。

 虚無の化け物がその形なき姿を完全に現した瞬間、アリーナを満たしていた全てのエネルギーが、その存在に吸い込まれていく。

 光が色を失い、風がその動きを止め、大地がその温もりを失っていく。

 俺たちの足元で咲き誇っていたエリーナの創造魔法の花々が、急速に萎れ、枯れ、灰となって崩れ落ちていった。


『……猫さん……!』


 光の巨人の姿を保っているエリーナの魂から、苦しげな声が聞こえてくる。

 彼女の生命力そのものである創造の力が、この虚無の存在の前では相性が悪すぎた。

 その存在そのものが彼女の力を根こそぎ吸い上げていくのだ。

 光の巨人の翠色の輝石の身体に、ひびが入っていく。

 このままでは彼女の魂ごと喰われてしまう。


「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル!」


 俺は神獣の姿のまま、光の巨人の前に立ちはだかった。

 そして俺の森の王としての生命力を全て解放する。

 翠色の光のオーラが俺の身体から溢れ出し、虚無の化け物が放つ絶対的な冷気を押し返していく。

 だが、それは拮抗。

 俺の生命の力と奴の虚無の力が激しくせめぎ合い、互いの存在を消し去ろうとしている。

 このままでは俺もエリーナもいずれ喰われる。

 何か別の手が必要だ。

 この虚無を完全に消滅させるほどの、圧倒的な何か。

 だが俺の手札はもう尽きている。

 俺が絶望に膝をつきそうになった、その瞬間だった。


 空が、裂けた。


 アリーナの上空。

 グリフォンが作り出した黒い雷雲でも、黒ローブが作り出した異次元へ続くかのような亀裂でもない。

 もっと清浄で神々しい、光の亀裂。

 その亀裂の中から一筋の純白の光が、まっすぐにアリーナへと降り注いできた。

 その光はあまりにも温かく、そして懐かしい光だった。

 俺がこの一年、片時も忘れたことのない光。

 その光の中心から、一つの小さな影がゆっくりと舞い降りてくる。

 銀色に輝く毛並み。つぶらな黒い瞳。

 そしてその全身から放たれる、生命力そのものの優しい光。


「……チカ……?」


 俺は思わずその名を呟いた。

 嘘だろ。なぜお前がここに。

 幻覚か? 俺もついにあの幻惑系の蝶の毒にやられたのか?

 だが幻ではなかった。

 その小さな身体から放たれる温かい生命の波動は、紛れもなく本物。

 俺の唯一無二の最高の相棒。

 チカが、そこにいた。

 世界を越えて、俺を探しに来てくれたのだ。


『……やれやれ。ちょっと予定より早かったけど……まあこの方が面白そうだからいっか』


 脳裏にあの軽いノリの猫神の声が響いた。

 こいつか。こいつが最後に少しだけ手助けをしやがったのか。

 どこまでも自分勝手でふざけた神様だ。

 だが今だけは、その気まぐれに感謝してやる。


「ちきゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 チカが一声高く鳴いた。

 それは俺の名前を呼ぶ歓喜の声。

 そしてその小さな身体から純白の生命の光が迸った。

 その光はまっすぐに俺の神獣の身体へと注ぎ込まれていく。

 温かい。力が蘇ってくる。

 虚無の化け物に吸い上げられていた生命力が、急速に回復していく。

 いや、回復どころではない。

 チカの純粋な生命の光と俺の森の王としての生命力が共鳴し、融合し、今までとは比べ物にならないほどの強大なエネルギーへと昇華していく。


『猫さん……!』


 背後でエリーナの驚きの声が聞こえる。

 そうだ。これこそが俺たちの本当の力。

 俺とチカ。そしてエリーナ。

 三人の魂が、今、一つになる。


「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 俺は咆哮した。

 そしてその溢れ出す生命の力を一つの形へと凝縮させていく。

 それはもはや炎でも風でもない。

 創造と破壊。

 その二つの相反する概念を完全に融合させた、究極の複合魔法。

 俺たちの周囲に翠色と純白の光の粒子が渦を巻き始める。

 その渦は周囲の死んだ空気を巻き込みながら、みるみるうちにその規模を拡大させていく。

 それは嵐。

 生命そのものが巻き起こす浄化の嵐。

 その名は『生命のライフ・サイクロン』。


「……消えろ」


 俺は静かに呟いた。

 生命の嵐が咆哮を上げ、虚無の化け物へと襲いかかった。

 絶対的な生命と絶対的な虚無。

 二つの相反する力が激突する。

 だがもはや拮抗はなかった。

 生命の嵐は虚無の化け物を、まるで太陽が闇を払うように、一方的に飲み込んでいく。


『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!』


 虚無の化け物が断末魔の叫びを上げた。

 その形なき身体が光の渦の中で急速にその存在を失っていく。

 そして最後には一粒の塵さえも残さず、この世界から完全に消滅してしまった。

 生命の嵐もまたその役目を終えたかのように、静かにその勢いを弱めていく。

 そして最後には、きらきらと輝く光の粒子となってアリーナに舞い落ちた。

 その光の粒子が大地に触れると、そこから次々と新しい生命が芽吹いていく。

 枯れていた花が再び咲き誇り、ひび割れていた大地が緑の苔で覆われていく。

 アリーナは一瞬にして美しい花畑へと姿を変えていた。

 事件は、終わったのだ。



 俺の神獣の姿が、ゆっくりと光の粒子となって消えていく。

 光の巨人もまたその輝きを失い、元の赤毛の少女の姿へと戻っていった。

 俺は再び、ただの一匹の黒猫に戻っていた。

 全身から力が抜け落ちる。

 俺はその場にへたり込んだ。

 だがその疲労感は、不思議と心地よかった。


「……チカ……」


 俺はか細い声で相棒の名前を呼んだ。

 俺の目の前に、銀色に輝く毛玉がちょこんと座っている。

 そのつぶらな黒い瞳が俺をじっと見つめている。

 その瞳に俺のちっぽけな黒猫の姿が映り込んでいる。


「ちきゅ……」


 チカが一声鳴いた。

 その声は俺が焦がれてやまなかった懐かしい響き。

 ゆっくりと俺の元へと歩み寄ってくるその小さな一歩一歩が、永遠のように感じられた。

 ずっと会いたかった。

 お前がいなくなってから、俺の世界は色が褪せて見えていた。

 どんなに強い力を手に入れても、どんなに新しい仲間ができても、心のどこかにぽっかりと穴が空いていた。

 その穴を埋められるのは、世界中でお前だけなんだ。


 チカは俺の目の前でぴたりと足を止めた。

 そして俺の鼻先に自分の鼻先を、こつんと合わせた。


 温かい。

 ああ、そうだ。この温もりだ。俺がずっと求めていたものは。

 懐かしいチカの匂い。陽だまりと森の若葉が混じったような、優しい匂い。

 俺はその温もりを確かめるように、チカの小さな身体にそっとすり寄った。

 銀色の柔らかな毛並みの感触が全身に伝わってくる。

 チカもまた俺の首筋に、その顔をうずめてくる。


 ごろごろごろごろ……。


 俺の喉が勝手に鳴り始めた。

 それは安堵と喜びと、そしてどうしようもないほどの愛しさが溢れ出した音だった。


 言葉はいらなかった。

 ただこうして互いの温もりを感じているだけで、十分だった。

 離れていた時間の全ての寂しさが、この一瞬で溶けていくようだった。

 俺たちは再会したのだ。

 この人間社会の地で。

 ついに感動の再会を果たしたのだ。


「……猫さん……。その子……」


 背後でエリーナの戸惑ったような声がした。

 俺は振り返らない。

 今はただこの奇跡の瞬間を噛み締めていたかった。

 アリーナの喧騒も、黒ローブの謎も、猫神の思惑も。

 今は全てが遠い世界の出来事のように感じられた。

 俺の世界には今、この小さな温かい光だけがあった。

 おかえり、チカ。

 俺は心の中で、ただそれだけを呟いた。

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