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黒猫転生~理不尽な異世界で魔法と爪牙で生き抜く~  作者: 速水静香
第二章:アストリア王立魔法学園

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第二十三話

 学園に一種の熱病のような空気が流れ込み始めたのは、あの忌まわしい襲撃事件から一週間ほどが過ぎた頃だった。

 犯人はいまだ捕まらず、生徒たちの間には見えない脅威に対する不安と恐怖が澱のように溜まっていた。教師や騎士たちの巡回は強化され、学園全体が息苦しいほどの緊張感に静まり返っていた。

 そんな重苦しい雰囲気を一夜にして吹き飛ばすほどの、巨大な爆弾が投下されたのだ。


「聞いたか!? 今年も『使い魔決闘大会』が開催されるらしいぞ!」

「本当かよ!? この状況で!」

「ああ、今朝、掲示板に告知が張り出されたんだ! 学園長直々の決定らしい! 不安に沈む生徒たちを元気づけるため、そして学園の健在ぶりを内外に示すため、例年以上に盛大に執り行うとさ!」


 食堂で、廊下で、中庭で。生徒たちの会話はその話題で持ちきりだった。


 使い魔決闘大会。


 それは年に一度開催される、このアストリア王立魔法学園最大の一大イベント。生徒たちが己の使い魔を使役し、その強さと連携を競い合う、いわば魔法の異種格闘技戦だ。

 優勝者には莫大な賞金と名誉が与えられ、卒業後の進路にも大きな影響を与えるという。生徒たちが色めき立つのは当然だった。

 昨日までの不安げな表情はどこへやら、誰もが目を輝かせ、自分の使い魔の自慢話や優勝候補の噂話に花を咲かせている。


「にゃーん(なるほどな。ガス抜きというわけか)」


 俺はエリーナの部屋の窓枠で日向ぼっこをしながら、そんな学園の喧騒を冷静に分析していた。

 見えない脅威に対する恐怖を、分かりやすいイベントへの熱狂で上書きする。

 為政者がよく使う古典的だが効果的な手法だ。まんまとその術中にはまっている生徒たちには、少しばかり同情を禁じ得ない。


 だが、俺にとってこの状況はむしろ歓迎すべきものだった。


 大会。それはつまり、多くの人間が一箇所に集まり、その注目が一点に注がれるということ。

 これほどの好機、逃す手はない。


「にゃはっ(……決まりだな)」


 俺は誰にも聞こえないように、不敵な笑みを浮かべた。

 この大会に乗じて、彼女に自信を持たせる。俺がいなくとも彼女が自信をもって社会的に自立できるように戦闘する。

 そして、俺は晴れて、この学園から出ることができる。


 俺の脳内では、すでに完璧な勝利計画の青写真が描かれ始めていた。


 問題はただ一つ。

 この計画の最も重要な主役であるはずのご主人様が、全くもってその役目を果たせそうにないということだ。


「……はぁ」


 部屋の主、エリーナ・アストリアはベッドの隅で体育座りをしながら、この世の終わりのような深いため息をついていた。

 その翠色の瞳は、せっかく宿り始めた希望の光が嘘だったかのように、再びどんよりとした灰色の雲に覆われている。


「……決闘大会……。どうしよう……」


 その声は蚊の鳴くようにか細い。

 まあ無理もない。彼女にとってこの大会は、晴れの舞台どころか公開処刑台以外の何物でもないのだろう。

 なにせ、彼女の使い魔は俺。見た目はただの黒猫。何の変哲もない、その辺の路地裏をうろついていそうな平凡な猫だ。

 実践魔法の授業で一度だけ奇跡のゴーレムを生み出したとはいえ、それはあくまで『まぐれ』として処理されている。

 そんな彼女が、強力な魔獣や精霊を使役するエリート生徒たちと、同じ舞台で戦えというのだ。絶望するなという方が無理な相談だった。


「……出場したくないな……。きっと、またみんなに笑われる……」


 ぽつりと、彼女の唇から弱音がこぼれ落ちる。

 そのネガティブな発言に、俺は思わずぴくりと耳を動かした。

 おいおいご主人様、そんなことでどうする。お前が出場してくれなければ、俺の壮大な脱出計画が根底から頓挫してしまうではないか。

 それは困る。非常に困る。


「にゃあ!(おい!)」


 俺は窓枠からひらりと飛び降りると、エリーナの足元へと駆け寄った。

 そして、その足に前足でぽんぽんと軽く叩いてみせる。


「……え? 猫さん……?」


 エリーナが不思議そうな顔で俺を見下ろす。


「にゃーん、にゃごにゃご!(何をうじうじしている! 女だろ! いや、女だからってうじうじしていいわけじゃないが! とにかくしゃんとしろ!)」


 俺はありったけの激励の念を込めて、まくし立てるように鳴いた。

 もちろん、彼女に伝わっているのはただの猫の鳴き声だけだろうが。


「……ふふっ。どうしたの急に。お腹でもすいた?」


 伝わっていなかった。

 それどころか、的外れな解釈をされている。俺はがっくりと、その場にうなだれそうになった。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。


「にゃあ!(違う!)」


 俺は首をぶんぶんと横に振る。

 そして今度は、部屋の隅に立てかけてあった掃除用の箒を、前足で指し示した。


「……箒? ああ、お掃除してほしいの? ちょっと待っててね」

「にゃあああ!(そうじゃない!)」


 ダメだ。全く伝わらない。

 このコミュニケーション不全、なんとかならないものか。

 俺は最後の手段に出ることにした。

 俺はエリーナの目の前でくるりと身を翻すと、ファイティングポーズを取ってみせた。前足を軽く上げ、ボクサーのように小刻みにステップを踏む。

 そして虚空に向かって、シュッ、シュッと猫パンチを繰り出してみせる。

 どうだ。戦う意志。これなら、さすがに伝わるだろう。


「…………」


 エリーナは俺のその奇妙な行動を、しばらくの間ぽかんと見つめていた。

 そして、やがて。


「……ふふっ。ふふふっ、あははっ!」


 彼女はついに声を上げて笑い出した。

 最初はくすくすという小さな笑い声だったが、やがてこらえきれないといった様子で、腹を抱えて笑い転げ始めた。


「あはははは! な、なんなのあなた! 面白すぎ……!」


 涙を流しながら腹を抱えて笑っている。

 俺の真剣なメッセージは、どうやらただの珍妙な猫の曲芸として受け取られてしまったらしい。

 俺は猫パンチを繰り出したままの姿勢で固まった。


 解せぬ。


 だが、結果的にはそれでよかったのかもしれない。

 ひとしきり笑った後、エリーナはすっきりとした顔で涙を拭った。その翠色の瞳を覆っていた灰色の雲は、いつの間にかすっかり晴れていた。


「……ありがとう、猫さん」


 彼女は俺の頭を優しく撫でた。


「なんだか、あなたのその姿を見ていたら、悩んでいるのが馬鹿らしくなっちゃった」


 そうか。

 俺の渾身のファイティングポーズは、彼女を笑わせ元気づけるという、意図せぬ効果を発揮したらしい。

 まあいい。結果オーライというやつだ。


「……うん。私、出てみる」


 エリーナは決意を込めた声でそう言った。


「笑われたっていい。馬鹿にされたっていい。私、逃げない。あなたと一緒なら、きっと大丈夫な気がするから」


 その翠色の瞳はまっすぐに俺を見つめていた。

 そこにはもう、以前の弱々しさはどこにもなかった。

 よし。これで第一段階はクリアだ。

 俺は満足げに、ごろりと喉を鳴らした。

 こうして俺とエリーナの、前途多難な決闘大会への挑戦が、今、静かに、そしてどこかコミカルに幕を開けたのだった。



 出場すると決めたはいいが、問題は山積みだった。

 いや、問題しかないと言った方が正しい。

 最大の問題は、言うまでもなく俺たちの戦力不足だ。

 俺は森の王としての力は、この学園で使用することはまったくもって適切ではない。だとすれば、この俺が使えるのは猫としての身体能力と、ごくわずかな魔力操作だけ。


 そして、エリーナの創造魔法。


 彼女はあの日以来、血の滲むような努力を続けていた。その結果、彼女が生み出す土人形は以前とは比べ物にならないほど安定して動かせるようになっていた。

 だが所詮は土人形。他の生徒が使役する、炎を吐くサラマンダーや空を飛ぶグリフォンといった本物の魔獣と渡り合えるほどの力はどこにもない。

 正面からぶつかれば、一瞬でただの土くれに戻されてしまうのがオチだろう。


「……やっぱり、無理なのかな……」


 特訓初日。

 訓練場の隅でエリーナは、自分のゴーレムが上位クラスの生徒が放った小さな火の玉で、あっけなく破壊されるのを見て、早くも心が折れかけていた。

 その翠色の瞳が、再び自信なさげに揺れている。

 まずい。このままではまた元の木阿弥だ。


「にゃあ!(諦めるな!)」


 俺は彼女の足元に駆け寄り、叱咤するように一声鳴いた。

 そして、考える。

 どうすれば勝てる?

 正面からの殴り合いでは勝ち目はない。ならば戦い方を変えるしかない。

 俺が森で生き抜くために身につけた戦術。

 それは弱者が強者に勝つための、知恵と工夫。


「戦わない、戦い方」


 そうだ。

 相手を直接打ち負かす必要はない。相手を戦えない状況に追い込めばいいのだ。

 俺はエリーナの前に立つと、再び俺流の非言語コミュニケーションを開始した。


 俺はまず、地面に前足の爪で簡単な絵を描き始めた。

 丸を描き、それが敵の使い魔だとジェスチャーで示す。そして、その丸の周りにいくつもの線を引いて囲いを作る。

 これは罠だ。敵を閉じ込めるための。


「……え? なに? お絵かき……?」


 エリーナは俺の意図が全く分からず、きょとんとしている。

 ダメだ。これでは抽象的すぎる。もっと具体的なイメージを見せなければ。


 俺はエリーナの手を、再びスカートの裾を引っ張る形で中庭へと連れ出した。

 そして、ある植物の前で足を止める。

 それは学園の壁を覆うように、青々と生い茂っている蔦だった。

 俺はその蔦を、前足でとんとんと叩いてみせる。


「……蔦? これがどうかしたの?」


 俺は今度は地面に転がっていた小石を、その蔦の根元に置いた。

 そしてエリーナに向かって、魔法を使うようにジェスチャーで促す。

 蔦を動かせ。この小石を捕まえろ、と。


「……蔦を……動かす……?」


 エリーナは俺の意図を、ようやく少しだけ理解したようだった。

 彼女は半信半疑といった様子で、蔦に向かって両手をかざした。


「……万物の母なる大地よ……緑の生命に我が意志を……」


 彼女の指先から翠色の魔力が蔦へと注ぎ込まれる。

 すると今まで壁に張り付いていただけだった蔦が、まるで生きている蛇のように、にょろりと動き出したのだ。


「……あっ!」


 エリーナが驚きの声を上げる。

 蔦は俺が示した小石に絡みつくと、その小さな身体をぎゅうぎゅうと締め上げた。

 成功だ。


「すごい……! こんなことできたんだ……!」


 エリーナは自分の新たな可能性に目を輝かせている。

 そうだ。お前の力は無から有を生み出すだけじゃない。すでにある自然の生命を操ることだってできるんだ。

 ゴーレムを作るよりも、よほど効率的で強力な武器になる。


 俺はさらに、別の場所へと彼女を導いた。

 次に俺が示したのは、花壇に咲いていた一輪の真っ赤な花だった。その花は見た目は美しいが、近づくと鼻を突くような甘ったるい独特の匂いを放っていた。


 【スイートポピー】。美しい花だが、その花粉には軽い眠りを誘う幻覚作用がある。


 俺はその花を前足で優しく揺らしてみせる。

 ふわりと赤い花粉が風に乗って舞い上がった。

 そして、その花粉を敵の使い魔に見立てた別の小石に向かって、扇ぎ送るようなジェスチャーをする。


「……この花の、花粉を……?」


 エリーナは俺の意図を必死に読み取ろうとしていた。

 そうだ。

 敵の足を止め、動きを封じ、そして集中力を奪う。

 それこそがお前の戦い方だ。


 それからというもの、俺とエリーナの特訓は続いた。

 俺が森の王としての知識を総動員して、学園内に生えている様々な特性を持つ植物を探し出し、エリーナがその植物を創造魔法で操る。


 最初は蔦を動かすことさえおぼつかなかった彼女だが、俺の熱心な…………おそらく、傍目には猫と遊んでいるように見えるような指導と、彼女自身のひたむきな努力によって、その技術はめきめきと上達していった。

 地面から粘着質の樹液を分泌する根を無数に生やし、相手の足元を沼地のように変える。


 目くらましになる眩い光を放つ、胞子を持つキノコを一瞬で成長させる。

 敵の魔力をわずかに吸収する特殊な苔を、相手の身体に付着させる。

 彼女は試行錯誤を繰り返しながら、創造魔法の新たな、そして無限の可能性を次々と開花させていった。

 その姿はもはや、かつての『出来損ない』の面影などどこにもなかった。

 自分の力に自信を持ち始めた、一人の立派な魔法使いがそこにいた。


「……すごい。私、こんなこともできるんだ……」


 訓練の帰り道。


 夕日に染まる廊下を歩きながら、エリーナは自分の手を見つめてぽつりと呟いた。

 その声は喜びに満ちていた。


 その横顔は、俺が今まで見たどんな彼女よりも美しく、そして力強く輝いて見えた。

 俺はそんな彼女の姿を、少しだけ誇らしい気持ちで見上げていた。


 もちろん、俺の最終目的は変わらない。

 この大会で俺たちは勝つ。そして、ご主人様が主役になるのだ。

 この不器用で孤独だったご主人様に、勝利の栄光を掴ませてやりたい。


 彼女の心からの笑顔が見てみたい。


「にゃあ」


 俺は短く一声鳴いた。


 エリーナは俺の声に力強く頷き返した。

 俺たちの間には、もはや言葉など必要なかった。


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