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黒猫転生~理不尽な異世界で魔法と爪牙で生き抜く~  作者: 速水静香
第二章:アストリア王立魔法学園

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第二十一話

 あの衝撃的な実践魔法の授業から、数日が過ぎた。

 訓練場での一件は学園内に瞬く間に、そして面白おかしく脚色されながら広まっていったらしい。


『出来損ないのエリーナが、奇妙なゴーレムを召喚した』

『いや、あれはまぐれだ。何かの間違いで魔法が暴走しただけだ』

『そもそも、あの使い魔こそが元凶なのではないか?実はあれは、アストリア家の令嬢を誑かした、邪悪な魔獣の類やもしれぬ』


 俺の超高性能な耳は、廊下ですれ違う生徒たちのそんな心ない噂話を嫌というほど拾い上げていた。

 だが、そんな外野の喧騒など今の俺にとってはどうでもいいことだった。

 俺が今直面している最大にして最も厄介な問題。

 それは、目の前で腕を組み仁王立ちになって、俺をじっとりと睨めつけているこのご主人様の存在そのものだった。


「…………」

「…………にゃあ」


 俺たちの部屋には、気まずい沈黙が流れていた。

 あの日以来、エリーナの態度は明らかに変わった。以前のどこか遠慮がちなおどおどとした態度は鳴りを潜め、代わりにその翠色の瞳には常に探るような、疑うような色が浮かんでいる。

 食事の時も就寝の時も、彼女の視線は常に俺の一挙手一投足に注がれていた。

 まるで未知の生物を観察する研究者のような、執拗な視線。

 その視線が、正直、居心地悪くて仕方がない。


「……ねえ、猫さん」


 ついに沈黙を破ったのはエリーナだった。その声は静かだが、有無を言わさぬ強い響きを持っていた。


「単刀直入に聞きます。あなた、一体何者なんですか?」


 来たか。

 俺は内心でため息をついた。いつかはこうなると分かっていた。あの訓練場での俺のお節介。あれが彼女の中に巨大な疑念の種を植え付けてしまったのだ。

 普通の猫が、あんな奇跡を起こせるはずがない、と。


「にゃーん(さあ、何のことやら? 俺はただのしがない黒猫だが?)」


 俺はあくまで白を切ることにした。前足をぺろぺろと舐めながら、これ以上ないほど無害な猫を演じてみせる。

 だが、今のエリーナにそんなごまかしは通用しなかった。


「とぼけないでください!」


 彼女は声を荒らげた。そのあまりの剣幕に、俺は思わずびくりと身体を震わせてしまう。


「あの日のこと、私ははっきりと覚えています! あのゴーレムは私の力だけじゃ絶対に、あんな風には動かなかった! あなたが何かをしたんでしょう!?」


 その翠色の瞳がまっすぐに俺を射抜く。その瞳にはもはや以前の弱々しさはない。

 真実を知りたいという、強い意志。

 まずいな。これは思った以上に厄介なことになったかもしれない。

 俺は彼女の心の弱さにつけ込んでこの状況をコントロールしようとしていた。

 だが、俺の一手が彼女の心の強さを引き出してしまったというわけか。

 皮肉なものだ。


「お願いです、教えてください!あなたは何かの精霊なんですか? それとも高位の魔獣が姿を変えている……?」


 エリーナは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。その瞳は真剣そのもの。

 俺はどうしたものかと頭を抱えた。まあ、猫だから前足で頭を掻いた。


 その時、俺の脳裏に一つの考えが閃いた。

 そうだ。言葉が通じないのなら、言葉以外の方法で伝えればいいじゃないか。

 俺が何者で、何を求めているのか。そのヒントだけでも彼女に与えることができれば、あるいはこの膠着した状況を打破できるかもしれない。


「にゃあ!(よし、こっちへ来い!)」


 俺は一声短く鳴いた。そしてエリーナのスカートの裾を軽く前足で引っ張り、部屋の隅にある本棚へと彼女を誘導した。


「え……? な、何……?」


 エリーナは戸惑いながらも、俺の後についてくる。

 俺は本棚の前に立つと、一番下の段に収められている一冊の分厚い本を前足で指し示した。

 それは俺が先日図書館で見つけた、あの地図帳だった。もちろん、これは俺が昨夜のうちにこっそりと部屋に運び込んでおいたものだ。


「……地図帳? これがどうかしたの?」


 エリーナは俺の意図が分からず、きょとんとしている。

 俺は彼女にその地図帳を床に広げるように促した。そして広げられた巨大な地図の上を歩き回る。俺は先日図書館で見つけた、あの微かなマナの流れを思い出していた。

 この学園の遥か北。その方角を彼女に示そうとしたのだ。


 俺は地図の上でアストリア王国と記された場所から、ゆっくりと北へ北へと歩を進める。そして大陸の北端、広大な森林地帯が描かれているその場所でぴたりと足を止めた。

 そして、その場所を前足でとんとんと叩いてみせる。

 ここだ。俺が帰りたい場所は、ここなんだ。

 どうだ、これで分かるだろう。


「…………」


 エリーナはしばらくの間、地図と俺の顔を交互に見比べていた。そしてやがて、その翠色の瞳にぱあっと理解の色が浮かんだ。


「……分かったわ!」


 よし! 伝わったか!

 さすが出来損ないとはいえ名門魔法学園の生徒だ。俺のこの高度なジェスチャーゲームを理解するとは。

 俺が内心でガッツポーズをした、その時。

 エリーナは満面の笑みでこう言ったのだ。


「あなた、お散歩に行きたいのね!」

「…………にゃ?」


 俺は思わず固まった。

 お、さんぽ……? 今こいつ、お散歩と言ったか?


「そうよね、ずっと部屋の中に閉じこもりきりだったものね。ごめんなさい、気づいてあげられなくて。北の森……そうね、学園の北側には綺麗なの中庭があったはずよ。そこに行きたいのね!」


 違う。違う、そうじゃない。

 俺が言いたいのはそんなペットの可愛らしいおねだりなんかじゃないんだ。俺は故郷に帰りたいという切実な魂の叫びを伝えたかったんだ!

 なぜそれが、お散歩というメルヘンな解釈になるんだ!


「にゃ、にゃあああああああ!(話を聞けぇぇぇぇぇぇ!)」


 俺は必死に首を横に振る。だが俺のその必死の抵抗も、彼女にはただの喜びの表現にしか見えなかったらしい。


「ふふっ、そんなに嬉しいの? 分かったわ、今度教頭先生に外出の許可をもらってあげる。だからもう少しだけ待っていてね」


 エリーナはそう言うと、俺の頭を優しく撫でた。

 その慈愛に満ちた眼差し。その善意百パーセントの笑顔。それが今の俺には何よりも残酷な仕打ちに感じられた。

 ダメだ。こいつには伝わらない。

 俺と彼女の間にはあまりにも深く、そして絶望的な認識の溝が横たわっている。

 俺はその場にがっくりとうなだれた。ポイズン・ハイドラと戦っていた時の方がまだマシだったかもしれない。あれはまだ言葉が通じないなりにも、殺意という分かりやすい共通言語があったからだ。

 だが、これは違う。善意のすれ違い。これほど厄介なコミュニケーション不全はない。



 俺の渾身のコミュニケーション作戦は、見事なまでに空振りに終わった。

 それ以来、エリーナは俺のことを『お散歩に行きたがっている、賢い黒猫』と認識してしまったらしい。

 彼女は俺の真意など知る由もなく、時々俺の頭を撫でながら「もう少しの辛抱だからね」などと優しい言葉をかけてくる。

 そのたびに俺は、心の奥底で血の涙を流していた。


 俺は別のアプローチを試みることにした。

 地図がダメなら次は魔法だ。彼女の創造魔法。その力のの本質を彼女自身に気づかせることができれば、あるいは何かが変わるかもしれない。

 俺はエリーナが自室で魔法の自主練習をしている時を狙った。


「……万物の母なる大地よ……」


 彼女は部屋の隅に置かれた植木鉢の土に向かって、真剣な面持ちで呪文を唱えている。その指先から放たれる翠色の魔力。それは確かに、俺がエンシェント・トレントから受け継いだ生命の力とよく似た波長を持っていた。

 だが、その力はあまりにも弱々しく、不安定だった。

 彼女が生み出す土人形は相変わらず不格好で、数歩歩いただけでばらばらと崩れてしまう。


「……はぁ。やっぱりダメ……」


 エリーナはがっくりと肩を落とした。その翠色の瞳が悲しげに揺れる。

 俺はその瞬間を見逃さなかった。

 俺は彼女の足元へと駆け寄る。そして崩れた土くれの一つを前足でちょいちょいと突いてみせた。次に自分の胸をとんと叩き、最後にエリーナの胸を指し示す。

 心だ。魂を込めろ。お前のその優しい心を形にするんだ。そうすればお前の魔法はもっと輝くはずだ。

 どうだ、これで分かるだろう!


「…………」


 エリーナは俺のその奇妙な動きを、しばらくの間ぽかんと見つめていた。そしてやがて、その顔に困惑と憐れみが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。


「……猫さん……。あなた、もしかして……お腹でも痛いの……?」

「にゃあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」


 俺はついに堪忍袋の緒が切れた。

 天を仰ぎ、ありったけの声で絶叫する。

 もうダメだ。こいつには何をどうやっても伝わらない。俺の知能は人間以上。だが、身体は猫。この絶望的なまでのミスマッチ。

 俺は、このもどかしさに本気で気が狂いそうだった。



 俺とエリーナの、心通わぬ主従生活はその後も続いた。

 俺は何度もコミュニケーションを試みたが、その全てが空振りに終わる。俺が本棚の特定の本を指し示せば、彼女は「そんな難しい本が読みたいの? すごいわね」と見当違いの感心をする。俺が窓の外を指し北の方角を示せば、「ああ、またお散歩に行きたいのね。ごめんね、まだ許可が下りなくて」と申し訳なさそうな顔をする。俺が彼女の魔法の未熟さを指摘しようと身振り手振りをすれば、「もう、そんなにじゃれちゃダメよ」と優しく窘められる。

 もはやコントだ。それも全く笑えない、質の悪いコント。

 俺は次第に何かを伝えようとすること自体を、諦め始めていた。


 そんなある日の夜。

 俺はいつものように図書館で情報収集を終え、エリーナの部屋へと戻ってきた。部屋の明かりは消えている。彼女はもう眠っているのだろう。

 俺は音を立てないようにベッドへと近づいた。だが、エリーナは眠ってはいなかった。

 ベッドの上に体育座りをしたまま、窓の外の月をぼんやりと眺めていたのだ。

 その小さな背中は、ひどく寂しそうに見えた。


「…………」


 俺は何も言わずに彼女の隣にそろりと座る。彼女は俺の気配に気づいたようだったが、何も言わなかった。ただ静かに月を見上げている。

 しばらくの間、俺たちの間に沈黙が流れた。

 やがてエリーナがぽつりと呟いた。それは誰に言うでもない、独り言のようだった。


「……昔から、こうだったな……」


 その声はひどくか細く、夜の静寂に溶けてしまいそうだった。


「私の魔法……みんなと少し違ってたから……」


 彼女は静かに語り始めた。自分の過去を。

 彼女の生家アストリア家は、代々強力な攻撃魔法の使い手を輩出してきた名門中の名門らしい。父親も母親も兄も、誰もが炎や雷を自在に操るエリート中のエリート。そんな家系にたった一人、彼女だけが創造魔法の使い手として生まれてきた。


 幼い頃、彼女が初めて魔法を使った時。それは庭の枯れかけた花を再び咲かせるという、ささやかな奇跡だった。彼女は嬉しくて両親にそれを見せた。だが、返ってきたのは賞賛の言葉ではなかった。

 失望と戸惑いの眼差し。


 『なぜ、お前は炎を出せないのだ?』


 その一言が彼女の心に深く突き刺さった。


「それからずっと……私は出来損ないだった」


 学園に入ってからも状況は変わらなかった。周りの生徒たちが派手な攻撃魔法を次々と習得していく中で、彼女だけが土をこねて不格好な人形を作るのが精一杯。

 誰も彼女の魔法を認めようとはしなかった。誰も彼女の本当の価値に気づこうとはしなかった。

 いつしか彼女の周りから人はいなくなり、彼女はたった一人になった。心を許せる相手もいない。自分の悩みを打ち明けられる友人もいない。

 彼女はその深い孤独の中で、ずっと一人で耐えてきたのだ。


「……私、話すのが下手だから……。どうやって自分の気持ちを伝えたらいいか分からないの……。だからみんな、離れていっちゃう……」


 その最後の言葉は嗚咽に震えていた。

 俺は、その言葉を聞いてはっとした。

 そうだ。俺は自分のことばかり考えていた。言葉が通じないもどかしさ。自分の意図が伝わらない苛立ち。だが、彼女も同じだったのだ。いや、彼女は俺以上にずっと長く、その孤独と戦ってきた。

 俺は彼女のその寂しそうな横顔に、かつての自分を重ねていた。

 猫に好かれるという特異な体質。そのせいで周りから奇異な目で見られ、どこか一歩引かれていた人間だった頃の自分。俺もずっと孤独だった。

 だから分かる。彼女の心の痛みが。


「にゃあ……」


 俺は何も言わずに彼女の身体にそっと寄り添った。そして喉をごろごろと鳴らす。

 言葉なんていらない。

 ただ、俺はここにいる、と。お前はもう一人じゃない、と。

 その想いだけを込めて。


「……猫、さん……」


 エリーナが俺の名前を呼んだ。彼女はゆっくりと俺の背中を撫で始める。その手つきはひどく優しかった。


「……あなたは笑わないのね。私の魔法を見ても……私の話を聞いても……」


 当たり前だ。お前の力は誰にも笑われるようなちっぽけなものじゃない。それは生命を育む、尊い奇跡の力だ。

 いつか必ず、俺がそれを証明してやる。


「……ありがとう。そばにいてくれて……」


 ぽつりと、彼女の唇から感謝の言葉がこぼれた。


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