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黒猫転生~理不尽な異世界で魔法と爪牙で生き抜く~  作者: 速水静香
第二章:アストリア王立魔法学園

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第二十話

 俺の、この人間社会における潜入生活は、思いのほか順調な滑り出しを見せていた。

 あの一件以来、エリーナの退学処分はなぜか保留となっているようだった。それは気まぐれか、あるいはアストリア家という名門の体面を考慮した結果か。理由は分からないが、どちらにせよ俺にとっては好都合だった。

 おかげで俺は『出来損ないのご主人様に付き従う、ただの黒猫』という絶好の地位を手に入れたのだ。

 日中はエリーナの部屋で昼寝をするふりをしながら、夜になれば屋根裏を伝って図書館へ忍び込み、情報収集に明け暮れる。そんな怪盗かスパイのような二重生活にもすっかり慣れてきた。


「……おはよう、猫さん」


 朝の柔らかな日差しが部屋に差し込む中、ベッドの上でエリーナが身を起こした。まだ眠そうな翠色の瞳が俺の姿を捉え、ふわりと優しく細められる。

 俺は返事の代わりに「にゃあ」と一つ、わざとらしくあくびをしてみせた。

 ここ数日、俺たちは猫とご主人様という同居生活を送っていた。

 エリーナは甲斐甲斐しく俺の世話を焼き、食事時には俺の好みを探ろうと、魚やミルク、高級そうな肉の切れ端などを並べてくれる。その健気さには、正直少しだけ心が動かされた。人間だった頃、俺がベランダの猫たちにしてやっていたことと全く同じじゃないか。因果は巡る、というやつか。

 俺の方も、ただ世話を焼かれているだけではない。彼女が落ち込んでいる時にはそっと寄り添って喉を鳴らしてやり、勉強に集中している時にはその足元で静かに丸くなる。完璧なペットとしての役割を演じきっていた。

 全ては、チカの元へ帰るため。

 その目的を忘れたことは一度もない。


「今日は、実践魔法の授業があるの……」


 着替えを終えたエリーナが、ぽつりと憂鬱そうな声で呟いた。その翠色の瞳が途端に灰色がかった雲に覆われる。

 実践魔法。その言葉の響きだけで、彼女がどれだけその授業を苦手としているかが手に取るように分かった。

 図書館で得た知識が俺の脳裏をよぎる。この世界では、破壊こそが力の証。そして彼女の魔法は、おそらくその対極にあるもの。


「……行きたくないな……」


 そんな弱音が、彼女の唇から吐息と共に漏れた。

 俺は何も言わずに彼女の足元にすりと身体を擦り付けた。

 行け。そして、お前の力を俺に見せろ。

 お前がどんな魔法を使うのか。それが俺の脱出計画の新たな鍵になるかもしれないのだから。

 俺の無言の催促を感じ取ったのか、エリーナははっとしたように顔を上げた。そして、俺の金色の瞳をじっと見つめる。


「……そう、だよね。あなたも来てくれるんだものね」


 彼女は何かを勘違いしているようだった。俺が彼女を励ましているとでも思ったのだろう。

 まあ、いい。今はそれでいいのだ。


「……うん。頑張る」


 エリーナは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、俺をそっと抱き上げた。



 実践魔法の授業は、屋外の広大な訓練場で行われた。

 土埃が舞うだだっ広い広場。その隅には的や障害物のようなものがいくつも設置されている。生徒たちは俺たちを召喚した時と同じ揃いのローブを身にまとい、いくつかのグループに分かれて訓練に励んでいた。


「ファイアボール!」

「ウォーターカッター!」


 あちこちで勇ましい掛け声と共に、色とりどりの魔法が飛び交っている。炎の玉が的を黒焦げにし、水の刃が木の人形を真っ二つにする。

 なるほど、確かに派手で分かりやすい。この世界の価値基準が一目で理解できた。いかに効率よく対象を破壊するか。それが全てなのだ。


 俺はエリーナの肩の上からその光景を冷静に観察していた。

 森の弱肉強食の世界とどこか似ている。だが、根本的に何かが違う。森の戦いは生きるための手段だった。だが、こいつらの魔法はまるで自分の力を誇示するための見世物のようだ。そこに生命に対する敬意は感じられない。ただ、一方的な破壊の羅列。

 俺はその光景に、わずかな嫌悪感を覚えていた。


「――次! エリーナ・アストリア!」


 その時、教官らしき大柄な男が不機嫌そうなだみ声で彼女の名前を呼びつけた。

 その声にエリーナの身体がびくりと震える。周囲の生徒たちの視線が一斉に俺たちに集まった。そのほとんどが嘲笑と好奇の色を帯びている。


「……は、はい!」


 エリーナはか細い声で返事をすると、おそるおそるといった様子で広場の中央へと進み出た。俺は彼女の肩の上から飛び降りると、少し離れた場所でその様子を見守ることにした。


「今日の課題は『ゴーレムの生成と基本操作』だ。土くれから人型のゴーレムを生成し、あそこの障害物コースを走らせろ。分かっているな?」


 教官が顎で広場の隅に設置されたコースを指し示す。丸太や柵、小さな堀などが設けられた簡単なアスレチックコースのようなものだ。


「……はい」

「ふん。どうせまた、まともに動くものさえ作れんだろうがな。まあ、せいぜい頑張ることだ。君の家の名にこれ以上泥を塗らんようにな」


 教官は吐き捨てるようにそう言うと、腕を組んで仁王立ちになった。そのあからさまな侮蔑の態度に、俺の喉の奥がグルルと鳴る。

 エリーナは唇をぎゅっと噛み締め、俯いた。その小さな手が小刻みに震えていた。無理もない。こんな公開処刑のような状況で、平常心でいられるはずがない。


 だが、彼女は逃げ出さなかった。

 ゆっくりと息を吸い、震える両手を地面にかざす。そして小さな声で呪文のようなものを唱え始めた。


「……万物の母なる大地よ。我が声に応え、形を成せ……」


 その声に呼応するように、彼女の足元の地面がもこりと盛り上がった。土くれがまるで粘土のように集まり、寄り集まって一つの形を作り上げていく。

 それは、確かに人型をしていた。頭、胴体、両手、両足。

 だが、その出来栄えはお世辞にも良いとは言えなかった。


 頭の造形は、いびつで、腕の長さは左右でバラバラ。足は棒のように細く、今にも折れてしまいそうだ。全身のバランスも悪く、立っているのがやっとといった様子。

 まるで小学生が初めて粘土細工に挑戦したかのような、不格好な土人形。

 それが彼女の創造魔法の結果だった。


「ぷっ……!」

「あはは、なんだあれ!」

「今年も傑作が生まれたな!」


 周囲の生徒たちから、こらえきれないといった様子の笑い声が上がる。教官も呆れたように大きなため息をついた。

 エリーナの顔が羞恥で真っ赤に染まる。だが、まだ終わりではない。課題はこのゴーレムを操作すること。


「……う、動いて……!」


 エリーナが必死の形相でゴーレムに魔力を送り込む。

 すると、不格好な土人形は、生まれたばかりの小鹿が震えているかのような、ぎこちない動きで、一歩前に足を踏み出した。

 だが、そのたった一歩でバランスを崩してしまった。

 細すぎた足が自らの重さに耐えきれず、ぽきりと乾いた音を立てて折れる。

 そして土人形はそのまま前のめりに倒れ込み、ばらばらとただの土くれへと還っていった。


 しーん、と。

 訓練場に一瞬の静寂が訪れる。

 そして、次の瞬間。


「「「あははははははははははははははははははははははははははははははッ!」」」


 爆笑。

 訓練場全体が揺れるほどの大爆笑。誰もが腹を抱え、涙を流して笑い転げている。

 エリーナは、その嘲笑の嵐の中心でただ一人立ち尽くしていた。その小さな背中はあまりにもか弱く、今にも折れてしまいそうだった。

 翠色の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち、乾いた地面に小さな染みを作っていく。


「……もういい。そこまでだ、アストリア」


 教官が笑いをなんとかこらえながら言った。


「期待はしていなかったが、まさかここまでとはな。もはや才能がどうこうというレベルではない。君には魔法使いとしての最低限のセンスさえないようだ。諦めて実家に帰ることをお勧めするよ」


 その追い打ちをかけるような無慈悲な言葉。

 エリーナの心が完全に折れる音が、俺には聞こえた気がした。

 もう彼女は立ち上がれないだろう。この絶望の淵から。


 その時だった。

 俺の中で何かが静かに燃え上がった。

 怒りではない。侮蔑でも同情でもない。もっと別の何か。

 そうだ、これは森の王としてのプライドとでも言うべき感情。


 俺は図書館で知った。


 創造魔法がこの世界でいかに不当な扱いを受けているかを。生命を育むその尊い力が、ただ破壊の力に劣るという一点だけで道化の戯言と蔑まれているその事実を。

 そして今、目の前でその力の未熟な担い手が無様に打ちのめされている。

 俺がエンシェント・トレントから受け継いだあの偉大なる力が、こんなくだらない価値観の前で屈していいはずがない。


 許せない。

 俺は、この状況が許せなかった。


 俺は決めた。

 見せてやろう。本当の創造魔法の、その片鱗を。

 この愚かな人間たちに。そして何よりも、絶望しているこの哀れなご主人様に。

 お前のその力は、決して無価値なんかじゃない、と。


 俺は誰にも気づかれぬよう、そっと前足を上げた。そして体内の、森の王としての生命の力をほんのわずかだけ練り上げる。

 それは俺が持つ力の百分の一にも満たない微細なエネルギー。だが、それでもこの世界の常識を覆すには十分すぎる力。

 俺はその生命の力を、見えない糸のように紡ぎ出す。

 そしてその糸を、エリーナが先ほど作り出し、そして崩れ落ちた土くれの残骸へとそっと送り込んだ。

 まるで人形に魂を吹き込むように。


 その瞬間だった。


 ばらばらになっていたはずの土くれが、ぴくと動いた。

 そして、まるで逆再生の映像のように再び寄り集まり、一つの形を作り上げていく。

 それは先ほどとは比べ物にならないほど、完璧な人型だった。

 均整の取れた体躯。滑らかな表面。その土人形の胸の中心が、ほんのりと温かい翠色の光を灯した。

 それはエリーナの瞳と同じ色。

 そして俺がエンシェント・トレントから受け継いだ、生命の色だった。


「……え?」


 最初にその異変に気づいたのは、エリーナだった。彼女は涙に濡れた翠色の瞳を、信じられないといった様子で見開いている。

 その視線の先で、土人形はゆっくりと立ち上がった。

 その動きには先ほどのぎこちなさは微塵もない。極めて滑らかで自然かつ俊敏な動き。


 ざわっ、と。

 嘲笑に満ちていた訓練場が、水を打ったように静まり返る。

 誰もが目の前で起きている信じられない光景に、言葉を失っていた。教官も組んでいた腕を解き、呆然とその土人形を見つめている。


 土人形は立ち上がると、その場にいた全員に向かってぺこりと丁寧なお辞儀をしてみせた。

 そして、くるりと身を翻す。

 その視線の先にあるのは、障害物コース。

 エリーナが何も命令していないにも関わらず、土人形は自らの意志で課題を認識したのだ。


 次の瞬間。

 土人形は地面を蹴った。

 それはもはや歩行ではなかった。疾走だった。

 最初の障害物、丸太のハードル。土人形はそれをまるで体操選手のように軽々と飛び越えた。

 次の柵の迷路。複雑なルートを一切の迷いなく最短距離で駆け抜ける。

 最後の堀。幅三メートルのその障害を、土人形は華麗なバク転で飛び越えてみせた。


 そしてゴールラインを駆け抜けると、ぴたりとその場に止まる。

 そして再び、観衆に向かって深々とお辞儀をした。


 完璧。

 それ以外の言葉が見つからない。課題をこなしただけではない。そこには高度に訓練を積んだ人間以上の動作性を超えたものを感じさせる、圧倒的なものがあった。


 誰もが声も出せずに立ち尽くしている。エリーナも例外ではなかった。

 彼女は自分の目の前で起きた奇跡が信じられないといった様子で、ただぱくぱくと口を開閉させているだけだった。


 俺は、その光景を満足げに見つめていた。

 どうだ、見たか。

 これこそが創造魔法の真の力だ。ただ形を作るだけではない。そこに生命を、意志を、魂を吹き込む力。

 それはどんな破壊魔法よりも尊く、そして無限の可能性を秘めている。


 俺は、エリーナの魔法の本質に気づいていた。

 彼女の力は、俺がエンシェント・トレントから受け継いだ生命を育む力と、非常に近い性質を持っている。いや、あるいは同質とさえ言えるかもしれない。

 ただ、彼女はまだその力の本当の使い方を知らないだけなのだ。この、破壊こそが全てという歪んだ価値観の中で、自分の力の本当の価値に気づけずにいるだけなのだ。

 この力があれば、彼女は化ける。

 俺がそう直感した、その時。


「……い、今のは……」


 教官がようやく我に返った。


「……そ、そうだ。ま、まぐれだ! そう、まぐれに決まっている! 何かの間違いで、たまたま高性能なゴーレムができてしまっただけだ!」


 そのあまりにも苦しい言い訳に、俺は思わず鼻でふんと笑ってしまった。

 だが、教官も生徒たちもそう思うしかなかったのだろう。


「……今日の授業はここまでだ! 解散!」


 教官はそう叫ぶと、逃げるようにその場を去っていった。

 生徒たちもざわざわと囁き合いながら、周囲へと散っていく。

 後に残されたのは、呆然と立ち尽くすエリーナと、その足元で主の帰りを待つ忠実な土人形。

 そして、俺だけだ。


 エリーナはゆっくりと土人形のそばに歩み寄る。

 そして、その滑らかな身体にそっと触れた。土人形はその主の温もりを感じてか、その翠色に光る胸をさらに輝かせた。


 エリーナの翠色の瞳に、今まで見たこともないような強い光が灯っていた。

 それは驚愕。そして、戸惑い。

 何よりも、自分自身の未知なる可能性に対する、かすかな希望の光。


 俺は、その光景を満足げに見つめていた。

 だが同時に、もどかしさも感じていた。

 教えてやりたかった。


 お前の力――創造魔法とはこんなものじゃない、と。

 もっともっともっと――すごい可能性を秘めているのだ、と。


 だが、それを伝える言葉を持たないことが、酷くもどかしかった。


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