第十四話
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
俺の身体を中心に、黄金の灼熱の嵐が天を衝く柱となって吹き荒れていた。
森の王が見せた一瞬の驚嘆。それが俺の闘争心に最後の火をつけた。ためらいはなかった。完成したばかりの究極の力を、俺は即座に目の前の絶対的な存在へと叩きつける!
俺の意志に応え、炎の竜巻が咆哮を上げる。その神聖ささえ感じさせる黄金の嵐に対し、エンシェント・トレントは明確な『敵意』をもって応えた。静かだった琥珀色の瞳が燃え盛るマグマの色へと変わり、森そのものが牙を剥く。
地面から突き出す無数の巨大な根の槍が、天蓋から降り注ぐ無数の枝の腕が、俺が作り出した炎の竜巻に触れた瞬間、ジュウウウッ! とおぞましい音を立てて黒い炭へと変わっていく。
だが、相手の手数は無限だった。
一本を焼き尽くしても、すぐにその脇から二本、三本と新たな根が、まるで悪夢の増殖のように生まれてくる。
「にゃ、にゃあああ……(きりがない……!)」
俺は嵐の中心、嘘のように静かな台風の目の中で歯を食いしばった。
フレイムサイクロンは確かに強力だが、その代償として俺の魔力は猛烈な勢いで消費されていく。このままではもって数十秒。魔力が尽きた瞬間、俺は無数の根と枝の餌食になるだけだ。
これは消耗戦。そして、圧倒的に不利なのは俺の方だ。
答えは一つ。本体を直接叩くしかない。
俺は嵐を動かすことを決意した。このフレイムサイクロンごと移動するのだ。
俺自身が巨大な炎の竜巻そのものとなって、エンシェント・トレントに突撃する。
「にゃあ……(チカ、舌を噛むなよ! ちょっと揺れるどころの騒ぎじゃないぞ!)」
「ち、ちきゅっ!(う、うんっ!)」
俺はフレイムサイクロンの回転の軸を、ほんの少しだけ前方に傾ける。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
俺ごと炎の嵐が、エンシェント・トレントに向かってじりじりと、だが確実に進んでいく。
いける! このまま一気に本体まで!
俺が勝利への道筋を確信しかけた、その時。エンシェント・トレントが新たな攻撃を繰り出してきた。天からだ。
闇に閉ざされた天蓋を覆う無数の枝葉。その一枚一枚が剃刀のように鋭利な、翠色の刃の暴風となって一斉に俺たちに向かって降り注いできたのだ。
ザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
刃の雨がフレイムサイクロンの上部に激突し、凄まじい蒸発音を立てる。その影響で、俺の前進速度ががくりと落ちた。
まずい。上からの攻撃で竜巻のエネルギーが相殺されている。このままでは本体にたどり着く前に、この炎の壁が消滅してしまう。
万策、尽きたか。
俺が再び諦めの淵へと沈みかけた、その時。
「ちきゅ……!」
俺の毛皮にしがみついていたチカが、何かを覚悟したように一声短く鳴いた。
そして俺の肩からひらりと飛び上がり、フレイムサイクロンの嵐の中心をまっすぐに天へと駆け上がっていく。
「にゃっ!? チカ、何を……!?」
俺が制止する間もなく、チカの小さな身体は竜巻の頂上へと到達した。
そして、そこで。
「チカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
その小さな身体が、今までで一番強く輝いた。
もはやそれは光というよりも、純白のエネルギーそのもの。チカは自らの生命力の全てを燃焼させるかのように、その光を全方位へと解き放ったのだ。
閃光が、天から降り注ぐ翠の刃の雨を、一瞬にしてかき消した。
「チカ……お前……!」
俺はそのあまりにも健気で、そして壮絶な光景に言葉を失った。
チカが俺のために、道を開けてくれたのだ。
その代償に、チカの身体から放たれていた光はふっと力なく消えかかっていた。生命力を使い果たしたのだ。小さな銀色の毛玉は力なく、空から俺の元へと落ちてくる。
俺は咄嗟にフレイムサイクロンの壁に、チカ一体が通れるだけの小さな穴を開け、落ちてくる相棒を前足で優しく、しかし確実に受け止めた。
腕の中に収まったチカの身体は驚くほどに軽かった。そして、いつもは温かいその身体が氷のように冷たくなっている。
「チカ! しっかりしろ、チカ!」
俺は必死に呼びかける。だが、チカは弱々しく「ちきゅ……」と一声鳴いただけで、ぐったりと俺の腕の中で動かなくなった。
その瞬間。
俺の中で、何かがぷつりと切れた。
悲しみ、ではない。
怒り。
俺の大切な、唯一無二の相棒をここまで追い詰めた、あの森の王に対する静かで、そして底なしの怒り。
「………………よくも」
俺の喉から、今まで出したこともないような低く、地の底から響くような声が漏れた。
「よくも、俺のチカを……!」
俺の瞳の色が変わった。理知的な光を宿していた金色の瞳が、憎悪と破壊衝動に満ちた濁った赤色へと。輝石の洞窟で俺が一度は克服したはずの、俺自身の負の感情。その化身が、チカを傷つけられた怒りを引き金に再び俺の意識の表層へと浮上してきたのだ。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
俺の感情の変化に呼応するように、フレイムサイクロンの様相が一変した。
神聖ささえ感じさせた黄金の炎は、全てを憎むかのような禍々しい血のような深紅色へと変わる。風の渦も秩序だった回転を失い、ただ無差別に破壊を撒き散らすだけの暴力の塊へと変貌した。
もはや、それは究極の魔法などではない。
俺の怒りが具現化した、ただの破壊の化身。
「にゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
俺は怒りのままに、その紅蓮の嵐をエンシェント・トレントへと叩きつけた。
もはや移動などという、まどろっこしいことはしない。
この嵐の全てを巨大な炎の槍へと変え、ただ一点、エンシェント・トレントのあの琥珀色の瞳があった場所、その中心核へと撃ち込む。
チカが作ってくれた、最後の好機。
俺の、怒りの全てを乗せた最後の一撃。
紅蓮の流星となって、俺は森の王の懐へと突っ込んだ。
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
世界から、音が消えた。
ただ、全てを白く染め上げる光の奔流だけがそこにあった。




