第16.5話 「影と影の交渉、そして潜入」
アードベル村は、小さな防壁に囲まれた静かな集落だった。
だが、その静けさは安らぎではなく、緊張で固められたものだった。
村長に案内されるまでもなく、蓮と凛、そしてロゼッタは、通りの隅々に張りつめた視線を感じていた。
「ここです。昨夜、あの丘の向こうに……」
村長が指差した森は、夜の帳を待たずに霧が漂っている。奥からは、見られているような圧があった。
「今夜、必ず来る」
村長の言葉に、蓮は短く「了解」と返した。
◇
夜。
村外れの平原に、三人は立っていた。月光の下、霧が深くなり、やがて五つの影が現れる。
先頭は全身を鎧に包んだ長身の男。その背後に、黒い翼を持つ者と赤い瞳の女、そして二人の魔族兵が続く。
「我らは戦いを望まぬ。この地を通る許しを求める」
鎧の男の声は低く、しかしよく通った。
蓮は一歩前に出る。
「ならなぜ村人を監視していた? ただの通過者にしては怪しすぎる」
「……人間が我らを恐れるのは理解している。だが我らは命令を受けているだけだ」
「誰からの命令だ?」凛が問いかける。
「答える義務はない」
互いの間に、剣を抜く寸前のような張りつめた空気が流れる。
黒翼の影が低く笑った。
「なら、力ずくで通るまでだ」
蓮が剣に手をかけた瞬間──
「まったく……見ていられないわね」
背後からロゼッタのため息混じりの声が響く。彼女はゆっくりとフードを外した。
赤髪と褐色の肌が月光に照らされ、赤い瞳が妖しく光る。
魔族一団の空気が、一瞬で変わった。
「……ロゼッタ・ヴァニラ・ベート様……!」
赤い瞳の女が膝をつき、鎧の男もわずかに頭を下げた。
「あなたたちの主は誰?」
ロゼッタの声は甘く、それでいて威圧的だった。
沈黙の後、赤い瞳の女が口を開く。
「我らは魔王直属の探索部隊。主命により、“封印の器”を探しています」
「封印の器……ね」
ロゼッタの視線が鋭くなる。
しかし、鎧の男は言葉を濁すばかりだった。
やがてロゼッタは小さく笑った。
「……いいわ。この村には手を出さないと約束するなら、道を譲ってあげる」
「誓おう。この村人には一切危害を加えない」
空気がわずかに緩んだその時、ロゼッタは二人にだけ聞こえる小声で囁いた。
「蓮、凛……これから、私を“部下”として扱って」
「えっ? どういう──」
「理由は後で。とにかく話を合わせなさい」
蓮と凛は顔を見合わせ、小さく頷く。
ロゼッタは魔族一団に向き直った。
「彼らは私の……新しい主です。命を預けるに足る方々」
魔族たちはざわめいたが、鎧の男は頷いた。
「……ならば話が早い。我らの行軍に同行し、監視の名目で来るがいい。あなた方の行動も、こちらで見極めさせてもらう」
こうして、三人は魔族一団の“同行者”として行動を共にすることになった。
だが、それは表向き。
実際には──潜入作戦の始まりだった。
◇
行軍の列に加わった蓮は、耳打ちする。
「本当に大丈夫か? 敵地みたいなもんだぞ」
「大丈夫よ。むしろこの方が、彼らの目的地と“封印の器”の正体に近づける」
ロゼッタは前を見据えたまま淡々と言う。
凛も小声で聞く。
「でも、どうしてあんなにあっさり受け入れられたの?」
「彼らにとって私は“過去の大罪人”であり、同時に“伝説の力”なのよ。敵に回すより利用した方が得……そう思わせたの」
やがて森を抜け、湿地帯へ差しかかる。
鎧の男が立ち止まり、低く呟く。
「封印の器は、この先に眠る」
三人は視線を交わす。
その時、蓮は胸の奥にひそかな緊張を覚えた。
──これはただの護衛任務じゃない。
この先で、何かとんでもないものに出会う。




