飴細工の桜の花
年老いて呆けかけてるんじゃないかと見た者に思わせる男は
まだ四~五歳の曾孫と思われる童子を連れ、この街にある西の
市場まで来ていた。この街には中央と港町、それと街外れには
爺さんと童子が来ている西、合わせて三か所の市場があるのだ。
この西の市場は街から街へと気まぐれに渡り歩く流れ者たちが
露店を出して商売する市場だった。旅してきた渡来人なんかも
商売するので住民には珍しい飲食物を取り扱う店も並んでいて
ゆっくり歩く爺さんに連れられて歩いていた童子は握っていた
手を放し、飴細工の屋台など飽きることなく眺めて歩いていた。
「童子、飴細工が欲しいなら買ってやろう。商人に頼みなさい」
ようやく童子が興味津々で眺めてた屋台に辿り着いた爺さんは
懐から茶色い財布袋を取り出すとジャラジャラ鳴らしてみせた。
「えっ、いいの? それじゃオレに飴で桜の花を作ってくれ!」
機嫌良さそうにしている爺さんを見た童子は飴細工を作ってる
職人に声を掛けると「はい、お代は先払いだよ。坊やは元気で
威勢がいいから水無月にはちょびっと時期遅れだが綺麗な桜の
花を拵えてあげよう。さぁ、おじさんの手捌きをよく見てなよ」
商人が売り口上を言ってる途中で爺さんが飴代を支払ったから
職人は早速、童子の要望に応えて柔らかく白い飴を練り出した。
さっきまで白かった練り飴が春を思わせる淡い桜色に染められ、
飴細工職人の繊細な手捌きで形作られていく過程を眺めている
だけでも童子はワクワクした。爺さんが看板に書いてる飴代に
幾許か色を付けて寄越したので職人は張り切って枝や葉も付け
このまま花見したくなる可憐で緻密な出来映えの桜の花を飴で
拵えてやった。食べるのが勿体ない花瓶に挿して飾りたくなる
飴細工の『桜の花』を童子は満面の笑みを浮かべて受け取った。
「おじちゃん、ありがとう! この桜の花を病気で寝込んでる
オレの兄ちゃんの枕元に飾ってやったら喜んでくれると思うよ」
童子は飴細工を売る商人にお礼を言って頭をちょこんと下げた。
「そうかい。お兄ちゃんの病気が良くなるよう見舞っておやり」
道理で幼児が頼む飴細工に似つかわしくない桜の花を…。俺の
作った飴を見て喜ぶのはこの子の兄さんか。まだ子供だろうに
病気だなんて気の毒になぁ。早く良くなってくれりゃいいが…。
商人の裏には背景がある。客も然りか。まぁいい。次の注文の
ことを考えよう。職人は呼び込み口上と子供らが喜ぶ飴細工を
作り始めた。桜の花の飴細工を手にした童子と懐に財布の袋を
戻した爺さんは西の市場を後にした。早く帰って癒えぬ病気で
横たわっている兄を見舞ってやるためだったのを知ってるのは
爺さんと孫の童子に桜の花の飴を売ってやった商人だけだった。
…………………………。
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…………………………。
「どうやら後を追ってきてるなぁ。おまえはどうする?」
「オレは飴を壊したくないし、ここは爺犬に任せとくよ」
「よしきた。オレの強さを馬鹿どもに見せつけてやる!」
童子はトコトコと前を歩いていき、爺さんは振り返った。
「弱い者相手に小遣い稼ぎしようとは情けない連中だな。
かかってこいよ。オレが単なる年老いた爺じゃないって
証明してやる。こう見えてもオレは千年余を生き続ける
不老不死の…口上はこの辺にしとこう。かかってこい!」
挑発するような手付きを見せた爺さんは背後に忍び寄る
破落戸どもを手招きした。爺に腹を立てた破落戸が早速
飛び掛かってくると「誰に喧嘩売ってると思ってんだ!」
破落戸はくるりと引っ繰り返され、頭を地面にぶつけた。
「群れを成してる奴ら全員とっちめてやる。早く来い!」
再び破落戸どもに手招きしてた爺さんが別人に変わって
白髪を短く刈り込んだ頭が艶々した黒髪に変わっていた。
「爺さんじゃなかったのかよ? さっきの爺さんは…?」
年老いた爺さんの懐を狙ってた破落戸は慌てふためいた。
「だから、爺さんはオレと同一人物だよ。オレに喧嘩を
売ったんだから買ってやるってだけだ。成敗してやる!」
「なんかヤな予感がする。逃げよう。こいつ絶対ヤバイ」
若者になった老爺は鼻歌交じりで破落戸どもを追い駆け、
ものの数分もしないうちに破落戸ども全員倒してやった。
「これに懲りたら弱い者を脅して金をせしめようなんて
真似はやめるんだな。西の市場にいた爺と孫は仮の姿だ。
テメェらは金を持ってる弱い爺と孫だと思って市場から
後を追ってきたんだろうが、当てが外れて残念だったな。
年寄りを大事にしねぇと夜中にご先祖が化けて出るぞ!」
老人の格好をした若い男が大笑いして立ち去っていった。
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「爺犬、おかえり。早朝は雨が降ったし、今は晴れてるから
バケモノ屋敷の離れへ着くまで飴は溶けないと思いたいけど
梅雨でも初夏だから丁寧に作られた桜が心配だ。オレたちの
仲間に冷気を吹き出す能力を持つヤツがいりゃ良かったのに」
飴細工の桜の花に手を翳し、日陰にしながら歩く童子の姿を
見た若者は瞬く間に爺さんの姿に戻った。爽やかな風の吹く
雨上がりの晴れ空の下、黄水晶の爺犬と紫水晶の龍の童子は
通称「バケモノ屋敷」へ戻った。二人は急いで離れの一間で
独り横になってる薔薇水晶の桜文鳥の少年を見舞いに行った。
「桜文鳥、季節外れだが童子の気持ちだ。飴細工の桜を見て
花見を楽しんでくれ。この部屋は涼しいから飴は溶けんはず」
桜文鳥によく見える位置に移動された文机の上には飴細工で
作られた桜の花が満開に咲き誇っていた。この屋敷の庭では
四季折々の草花や景色が眺められるが、流石に桜の樹はない。
「ありがとう」
起きてる間は常に全身を走る激痛と寝ても抜けない疲労感を
堪え、桜文鳥は爺と孫にお礼の言葉をたった五文字で伝えた。
「桜文鳥の兄ちゃんに喜んでもらえて良かった。西の市場の
屋台に頼んで作ってもらった甲斐があったよ。本当良かった」
童子は横を向いて飴細工の桜を黙って眺める桜文鳥に喜んだ。
癒えない病を抱えて生き続ける仲間に喜びを与えられた喜び。
喜びは倍になって返ってくる。今度は桜文鳥の笑顔を見たい。
そのためにオレが出来ることを探してみよう。きっと仲間に
笑顔を齎す何かがある。それを見つけ出すのがオレの役目だ。
「オレは疲れたから昼メシが済んだら昼寝するぞ。童子は?」
桜文鳥の部屋を出て爺犬が話しかけてきた。オレは…そうだ!
「青空喫茶へお父ちゃんを見舞いに行く。疲れてるだろうし
オレの笑顔で元気になってもらうんだ。また西の市場へ行く」
「そうか。本当におまえは白猫のお父ちゃんが好きなんだな。
昼食は簡単に素麺で済ませるぞ。イヤなら青空喫茶で食べな」
「オレは爺犬の作る素麺も好きだよ。素麺を食べてから行く」
すりおろした生姜をめんつゆに入れた素麺を食べ終わったら
青空喫茶へ行こう。オレを紫水晶の卵から孵してくれたのが
青空喫茶店主の白猫のお父ちゃんなんだ。働き者で優しくて
オレの大好きなお父ちゃん。オレにお母ちゃんはいないけど
お父ちゃんはお母ちゃんでもあるから、ちっとも寂しくない。
昼過ぎ、龍の童子は青空喫茶を目指して一人で駆けて行った。
白猫のお父ちゃんや誰かを喜ばせるためなら何だってするよ!
心地好い向かい風を受けながら不思議な期待を感じて走った。
飴細工の桜の花《了》