彷徨いの蛇神
『それ』は低く地を這い。湿った地べたを這いずっていた。
まとわりつく湿気は、人間であれば相当な不快指数を示すだろう。いや、不愉快どころの話ではない。体は泥と腐りかけの落ち葉で濡れている『それ』は、木の葉の隙間から開けた土地の動物を見つめていた。
褐色の肌を持つ、二足歩行の生き物たち。多くの皮膚はむき出しだが、関節付近にだけ乾いた繊維を巻きつけていた。服、と認知するのは、たまたま眺めている存在にも難しい。観測者が一言で表すなら――『未開の地の原始的な民族の格好』だろうか。
『それ』は体を左右に波立たせながら、するすると民族に詰め寄った。視線が地面に近いからか、それとも観測者がこの移動方法に慣れていないからか……かなりの速力が出ていると感じる。標的となった民族が反応した時には、既に『それ』は牙を突き立てていた。
音が聞こえる。それも複数。不自然に大地を鳴らし、何かが大勢駆け寄って来るのを感じた。だが『それ』は、食らいついた対象への攻撃を優先したらしい。より深く牙をめり込ませ、口の奥から何かを流し込む。恐らくは毒素だろう。どれだけの効果があるかは分からないが、しかし殺しきるに至らなかった。
民族は『それ』を退治しに来たのか、それとも最初から群れていたのか……複数の民族が『それ』に巨大な槍を投擲する。丸太めいた太さと、先端だけを鋭く削り取っただけの……極めて原始的な槍。文字通り粗削りなモノであるが、その破壊力を『それ』は身をもって味わった。
体の鱗を容易に貫いた。否、貫かれていれば、こうも苦しくはなかった。
半端な鋭利さの巨槍は、どちらかと言えば質量を持って体に食い込んでくる。いっそ業物で真っ二つにされていれば、苦痛の度合いはマシだった。剥がれた鱗が神経を逆撫で、圧迫と鈍い穂先が体を苛む。ばた、ばた、と暴れる『それ』は牙を離し、喰いついた獲物は青い顔で足首を抑えていた。
民族の声が聞こえる。勝鬨か、鼓舞か、畏怖か……様々な感情の混じった、荒々しい声が。
民族は大勢集まり『それ』を鈍い槍で何度も突く。半分は餅をつくような、潰す工程に近い動作で。『それ』が力尽きても、民族は行為をやめない。恐怖と興奮が混じり、瞳は何か怪しげな輝きを含んでいるように見える。邪悪か、残虐性か、この時の『それ』は把握するのが難しいが……徐々に異常を観測者は認知した。
『それ』はこの時、この瞬間に、確実に絶命している。絶命したにも関わらず、視点や意識が継続している。それがたまたま、奇妙な視点を得たからか? 観測者は疑うが、自らの意志に関わらず、視点や体が動いている事に気が付いた。
死んだ筈の『それ』は、確かに意識を継続していた。肉体を失ってなお、この世に留まっていた。……強烈な恨みつらみで。
どうやら『それ』は、とうの昔にこの世のものでは無かったらしい。今、原始的な民族に屠られた個体も……『それ』の分身に過ぎない。
観測者は推測する。『それ』は恐らく、無数に殺害された蛇の塊。
古くから蛇は恐ろしい、汚らわしい、邪悪な使いだと、人類が認識する場合も多い。西洋圏においても、人類の祖先に知恵の実を喰うよう唆したとされている。
そうでなくても毒を持ち、人へ襲い掛かり、家畜にも被害を出すとなれば……実害の面からも蛇を憎むのも無理はない。この地域の蛇は狂暴だったのか、あるいは何らかの強い理由やきっかけがあったのか……ともかく蛇に対して、この地域の住民は、並々ならぬ憎悪を抱いていたに違いない。死体に対しても、過剰なまでの攻撃や損壊を与え……徹底的な敵意をぶつけている。第三者でも場面さえ見れれば、はっきりと理解できるだろう。
しかし、それが危険だったのかもしれない。蛇へ向けた強い感情……憎悪、恐怖、憤怒
などが累積していた。殺害された蛇側もまた、人に対する悪感情が絡み合っていた。
凝集し、絡み合う悪感情と屍が――真っ黒い邪神、あるいは蛇神を生み出したようだ。原住民が怖がるほどに、周囲の蛇を殺すたびに、逆にその蛇神に力を与えていた。恐怖もまた、信仰になり得る。
いつしか蛇を狩る側だった原住民が、蛇に狩られる側になるまで時間は掛からなかった。武器がまともに通じず、おまじないも効果もない。小型の蛇が群れを成して、家畜も人も意図的に襲われれば……流石に原因も察するというものだ。
そこからの光景は、全くの別の民族なのに……馴染みのある光景だった。
荒ぶる御霊、荒霊を、畏れ敬い奉らん。巨大な像を作り、炎の祭壇を人々で囲い、何らかの言葉を唱えている。それを観測者の頭が、理解できる言語ではなかった。少なくても――日本語ではない。
唯一辛うじて聞き取れた単語は、像に向けて唱える畏敬の言葉。恐らくは、祀り上げた神の名だろう。
『ナールゥァ』あるいは『ヌァーラァ』――強引に日本語へ変換するなら、このような表現になる。独特な巻き舌の強い発音で、日本人は馴染みが無い。この表現も、どこまで正確か怪しいものだ。スペイン語の巻き方に近い気がするが……残念ながら観測者は言語学に疎い。それに、この後に起きた事を考えると……既に現代から失われた、地球上から焼失した言語の可能性も、考慮せねばなるまい。恐怖は、悍ましいのは、ここからだった。
蛇の怪異、あるいは蛇の悪しき神として、原始的な民族と……一応は共存していたと考えられる、彼ら。
決して良好な関係性とは言えなかった。悪神は気まぐれに災害や生贄、供物を要求していたと思われる。日本で言う所の、祟り神の性質で間違いない。加護や祝福はさほど与えていなかったようだが、気まぐれに助けたりはしていた。その悪神にとってこの土地、彼らの民族の住む地域こそが、帰る場所だった。
どれだけ長い時間、両者が過ごしていたのかは、わからない。ただ――ある日、多くの者にとって突然に、その事件は起きてしまった。
集落に、奇妙な格好の人間がいた。いや、観測者からすると、住民側が原始的で見慣れない者の筈だけど、長い事見ているうちに『慣れて』しまったようだ。
やって来た人間はまさしく『中世ヨーロッパ』の格好をしていた。船もおおよそ、その時期の……大砲を装備した『ガオレン船』と呼称される物のように思える。接触した彼らは、最初お互いに距離を取っていたが――やがてヨーロッパ側が、サーベルと銃器を取り出した。
状況は悲惨だった。無理もない。半裸の民族、原始的な武器に対して……鋭く鍛えられた鋼の刃は、それだけで致命的である。加えて圧倒的な長射程かつ、貫通力と殺傷力を持つ『銃器』が相手では……勝ち目など無かった。
集落から火の手が上がるまで、さほど時間はかからなかった。悲鳴と恐怖、怒号と罵声、絶命と流血が連鎖した。ほとんどは民族が死に、ごく稀に来訪者が死ぬが、力の差は明白だ。
蛇の悪神は森の中にいた。騒ぎを聞きつけて、大急ぎで集落に戻った。蹂躙されていく集落を見て、凄まじく憤怒により鱗を逆立てた。逆鱗に触れるとはまさにこの事。強烈な怒りを宿して侵略者を見据えたが――『それは何も意味をなさなかった』のだ。
どれだけ蛇の神が、侵略者を睨みつけても。体をぶつけようにも、まるでするりと抜けてしまう。何が起きたのか理解できない蛇の神と、虐殺される原住民は、呆然と見つめるしかない。
観測者は考察する。恐らく、波長が合っていないのだ。と。
外部から来た物たちは、この地域への信仰を持っていない。言語さえ通じない以上、意思疎通も不可であり、祀り上げられたモノなど『つまらないガラクタ』としか感じない。
信じているモノにしか、悪しき蛇の神の力は通じない。原住民にとって怖ろしい神であっても、侵略者にとっては迷信に過ぎない。異なる世界、通じない世界、完全にすれ違っただけ――
故に、蛇は眺める事しかできない。自分を信じる住民たちが、死に絶えていく光景を。自らが帰るべき場所、帰るべき道が、侵略者によって踏みつぶされていく瞬間を。
――あぁ、人は神を恐れるが。
時に人は、神から見ても恐ろしい。
やがて侵略者は人だけでなく、そこに残された文明の破壊を開始した。自分たちの文明を、新たな土地に植え付けるために。呆然と立ち尽くした蛇は、ゆっくりと朽ちて消えていくしかない。信じる者、信奉者のいない神。誰にも伝えられず、語られる事もなく、返る場所を、帰る道を失って消えていくモノ。
あれだけ人へ悪意を撒いて、畏れ敬えと吠えた蛇神は――泣いていた。
夢は、そこで途切れた。
何故こんな妙な夢を見たのか、作者としても分からない。自前の知識が混じって生まれた妄想めいたモノとも思ったが、それだと途中で聞いたあの妙な言語たちと『神の名前』が説明できない。
後半の方――波長云々について、そして何故この夢を見た理由については、心当たりがある。ちょうどこの夢を見た時期、作者は『蛇の怪異』についての小説を書いていた。恐らくそれで、遠いどこかの昔の蛇神と作者が『波長が合ってしまった』のだろう。たまたま彷徨っていた『それ』を、認知できるだけの土壌が作者にあった……なんとなくだが、作者はそう感じている。
それをこうして、書き残して良いのかは迷い所だった。妄想と夢、過去と記録、そして観測者たる作者の知性で、どこまで伝わったか、表現できたか、正しく出力できたかは、怪しい部分もある。
しかし……神が人を恐れる事があり得るのと、上位者、心霊として恐れ敬われながら……全くの無力に打ちひしがれ、帰る場所を失った痛みと恐怖について、一個人の記憶にとどめ、埋蔵するには惜しいと感じた。
推測するに……似たような神と信仰、蹂躙された民族は実在したのであろう。そのことは想像に難くない。信仰者たちを守れず、ただ絶滅を眺めることしかできず、そして最終的に、自らの信仰する人物が消えて……もう誰の記憶にも、何の記録にも残らない、神々が。
こうして書き残せば、供養の代わりになるのだろうか? 消えていったモノたちが、せめて安らかであらんことを、祈るばかりである。