5.なけなしの蛮勇はあまりにもちっぽけで
(今度こそ、死ぬ……!)
ゼスィリアの猛攻をものともしないヘルグリューンの余裕の笑みを前に、ルカの頭はその考えだけで満たされた。
だめだ、まずい、このままじゃ。
恐怖で、時間がゆっくりになった気がした。
ゼスィリアが、固まったまま、動かない。
ああ、早く、早く逃げなきゃ殺されちゃう。
頼む、動いて、動いて……動いてくれ!
思考だけが、光の速さで脳内を駆け巡る。
その思考に追いつかない、愚鈍な体に焦燥を覚えた、次の瞬間。
ルカは、ゼスィリアを突き飛ばしていた。
「えっ……」
いきなり突き飛ばされたゼスィリアが驚きの声を漏らすと同時に、ゼスィリアを襲おうとしていた蔓の群れが、一斉にルカを襲った。
しかしルカは元々そこまで運動神経が良いわけではない。蔓に襲われようとしていたゼスィリアを突き飛ばせただけでも奇跡に等しかったのだ。
だから、そこから更に、襲い来る蔓の群れを避け切ることなど、できようはずもなく。
「あぐぅっ!!!」
躱しきれなかった蔓の攻撃を、ルカは右足に食らってしまった。
骨が折れたかのような激痛がふくらはぎに走る。
「ルカ!!!」
ゼスィリアの呼ぶ声が聞こえた。切羽詰まった、悲鳴のような声。
「……だ……いじょうぶ」
青ざめた彼女を安心させたくて、ルカはなけなしの根性で立ち上がった。
(骨が折れたみたいに感じるってことはつまり折れてない。折れてない折れてない、折れてないったら折れてない!)
地面を踏みしめようとすればするだけ走る痛みを、そう言い聞かせながら、歯を食いしばって耐える。
「逃げ、よ。はや……く!」
そして、ゼスィリアの手を掴み、無理矢理に引っ張って、走り出す。
「ちょっ、ルカ! その足じゃ……!」
「大したことないっ……、平気!」
(それに、今ここで殺されたら、痛いも痛くないも変わんない!)
妙な理屈をこねくり回して、痛みを感覚から吹き飛ばす。
それでも、ただでさえしがない中学生の足なのに、手負の状態での逃げ足の速さなんて、たかが知れているわけで。
「なぁに? それで、逃げてるつもりなの?」
そんなものは、ヘルグリューンの異能の前では、羽虫の抵抗に等しい。
傷一つつけられていない蔓は、未だ二人を追うことをやめない。
「ああ……くっそぉ……」
ルカは悔しさに毒づいた。
そんなルカの様子が無様に見えたのか、ヘルグリューンは高笑いしながら言った。
「あははは! そんな愚鈍な足でお荷物抱えて走って逃げるだなんて原始的がすぎるよねえ!」
「うるせぇ、黙れ……っ、走る以外の手段がないんだからっ……仕方ねぇだろうが……!」
「あっれ〜? 君もしかして知らないの?」
小馬鹿にしたような声で、首を傾げる素振りをしながら、ヘルグリューンは笑って言った。
「君の傍らに居るお姫様は竜のはずだけど? 飛んで逃げたらいいじゃない!」
「っ……!」
その言葉を聞いた瞬間、ゼスィリアが目に見えて青ざめた。
「ど、どうしたの?」
「……」
異様な青ざめぶりに、ルカはゼスィリアの顔をのぞき込む。しかし、ゼスィリアは沈黙したまま、ルカの問いには答えてくれなかった。
「ジェシー……?」
怒られたはずの渾名で呼んでみる。
怒らせたら、普段の調子を取り戻してくれるかと思ったのだ。
しかし、ゼスィリアは唇を噛み締めたまま喋らない。
ゼスィリアのあまりの狼狽ぶりに、ルカは一抹の焦燥を覚えた。
その、一瞬の、隙。
それは、命を手放すには、十分な余裕で。
ふいに、ルカ達の足元から、地面が、消えた。
「えっ……」
足場をなくして、落ちる感覚だけがルカ達を襲う。
咄嗟に真上を見上げたルカは、やっと事態を把握した。
「地面が、裂けた……!?」
「ふっふっふ、ボクレベルにもなると、こーんなこともできちゃうんだよね〜! この場の植物はみーんなボクの手足。足ひとつでちんたら逃げようなんて、億が一にも無理だよーだ!」
地面の裂け目からひょいと顔を出して、心底腹の立つ顔でヘルグリューンが嗤った。
「……地中に張った根を操って、地面を引き裂いたってこと? そんな、馬鹿な……」
ゼスィリアの言葉は、畏怖に染まっていた。
その間にも、二人はただただ落下していく。
無力に落ちていくことしか出来ない二人をにんまりと眺めて、ヘルグリューンは言い放った。
「永遠にさようなら。間抜けでお馬鹿なお姫様!」