4.死はいつだって、側で鎌首をもたげている
《注意喚起》
津波を想起させるシーンがございます。
何が起こっているのか、瞬時には理解できなかった。
ゼスィリアの後ろから現れた大量の蔓は、1本1本が意志を持った生き物のように、一瞬でゼスィリアの身体を捕え、縛り上げ、宙吊りにしたのだ。
もし、ゼスィリアの反射神経が鈍かったら、彼女は一瞬でルカの目の前で首の骨を折られて絶命していただろう。
しかし、間一髪で間に合ったのか、腕で首を絞めようとした蔓を防いでいる。
だが、足は片方ずつ蔓にからめとられて身動きが取れないし、なにより腰にがっちり蔓が巻きついているせいで逃げる所の話じゃない。
「な……」
何が起きてるんだよ。
そう言いたくても、声が出ない。
先程まで朗らかに笑っていた女の子は、今、一瞬にして、意志を持った蔓に、殺されようとしていた。
「あれれ? 殺したと思ったのに。生きてるの? しぶと〜い」
無邪気な声が高らかに響いた。
その声を聞いた瞬間、ルカは全身が凍りついたような錯覚に襲われた。
声色は楽しげな子供のものなのに、どこまでも残酷な響きを孕んでいる、声。
そこにあるのは、明確な殺意。
初めて経験する代物の尋常でない切れ味が、ルカの体を一瞬で使い物にならなくしてしまった。
「何にもできないお姫様だと思ってたけど、それなりに動けちゃうんだ〜。へぇ〜」
高らかな声の主はさく、さく、さく、と、草の根を踏み分けて近づいてくる。
やがて姿を現したのは、年端も行かないであろう幼い少年だった。
一番最初に目を奪われるのは、透き通った、萌黄色の髪。
比喩ではなく、本当に、透き通っているのだ。太陽を反射して、キラキラと光る様が、どこか妖しく、不気味で、怖い。
次に、血の気が通っていないのではないか、と思わされる、ぞっとする程に白い肌。気のせいか、向こうが透けて見えるような気がする。
そして、髪と同じ鮮やかな萌黄の瞳は、宝石でもはめ込んであるのかと思ってしまうほどに、生気を感じない。
なのに、人形のような整った顔立ちには、にっこりと作ったような笑みが浮かんでいるのだ。
ルカは震えが止まらなかった。
幼く可憐で愛らしいはずの容姿の少年が、ひどく恐ろしい怪物のようなものに見えて仕方なかった。
「……な、にもの、なの……あなた」
か細く、しかし確かな意志を持った声が頭上から聞こえた。
はっと上を見上げれば、ゼスィリアが、余裕のなさそうな顔で、精一杯少年を睨みつけていた。
「あれれ、喋る余裕あったんだ。……ふふーん、雑魚に名乗る名前はないけど、そこまで聞きたいなら教えてあげてもいいよ?」
少年は、くるりくるりと楽しげに回りながら、生意気な台詞を吐いてくる。
「ボクの名はヘルグリューン。誉れ高き『宝石人形』の一石」
(ヘルグリューン? 宝石人形?)
宝石と言う割に、聞き覚えのない名前だ。
「……『宝石人形』だか何だか知らないけれど……貴方に、命を狙われる覚えは、ないわよ」
「あぁ、あぁ! そうだろうねぇ! 何も知らない、哀れで愚かなお姫様!」
至極真っ当なゼスィリアの問いは、ヘルグリューンに嘲られて一蹴された。
「でも、ボクのあるじ様は、キミの死をお望みだよ。あぁ、なんて可哀想。お馬鹿なお姫様」
ちっとも可哀想だと思っていない口振りで、ヘルグリューンは嘲笑う。
「そんな訳で。何も知らないお馬鹿なまんま、君は死ぬんだよ。ここでね!」
「ぐぅっ!!!」
高らかに叫んで、ヘルグリューンが右手をサッと振り上げると同時に、蔓が一気に締め付けをきつくした。
縛り上げられてくびり殺されそうになったゼスィリアが、悲鳴じみた呻き声をあげる。
「……やめろよっ!!!」
気づけば、ルカは震える声で叫んでいた。
恐怖に震えて出なくなってしまった声が、恐怖に上書きされて、悲鳴になって喉をふるわせた。
しゃがれた叫び声になってしまったが、それでもその声は届いたらしい。
「あれ〜、何、キミ。お姫様のお付き? ごめ〜ん、全然『力』がないから気づかなかった〜」
「何だっていいだろ、別に。なんだよ、殺されるって。お馬鹿なお姫様って。この娘の死を望んでる奴がいるって……? ふざけんなよ! なんで、この娘がっ、殺されなきゃならないんだよ!」
「……ん〜、キミに教える義理はないかな〜。だってキミ、まっっったくもって関係ないもの」
「関係あるっ!!!」
ルカの絶叫に、ヘルグリューンも、ゼスィリアも、毒気を抜かれた顔になった。
「一緒にご飯食べて、色々話して、一緒に歩いたっ! まだ会って1日も経ってないけどさぁ、それでも同じ時間を過ごしてさあ……そんな風にいっときでも一緒にいたひとが、いきなり死ぬとかありえないだろ! 死んで欲しくないって思うのは、当たり前だろぉっ!!!」
滅茶苦茶な上に、涙声になってしまった。
「ほんと意味わかんねえよ! 殺すなら目的くらいはっきり言えよ、その前に殺すなっ、ていうか何も知らないくせに愚かだの馬鹿だの言うな!! このっ……生意気黄緑野郎!!!」
「なっ……なま……きみっ……!?」
語彙もへったくれもないルカの怒りの叫びは、しかし確かにヘルグリューンの心を抉ったらしい。
怒りに耐えかねているのか、赤くなったり、青くなったりしながらぷるぷる震えている。
その時だ。
激流の槍が、地面を抉る勢いで、無数の蔓を薙ぎ倒した。
「えっ……」
ヘルグリューンが驚きの声を上げる。
見れば、自らを縛りあげていた蔓を自らの神術で吹き飛ばしたゼスィリアが、軽やかに大地へ飛び降りてくるところだった。
「なっ……!? どうやって! 何も出来ない、無能のくせに……!」
「貴方が……ルカの言葉に動揺した時……蔓が、思いっきり緩んだのよ……馬鹿ね。……何も出来ないと、油断してたみたい、だけど……貴方も……案外……口ほどにもないんじゃ、ないかしら……?」
ゼスィリアは口端を持ち上げて、強気に笑った。
それでも、あと少しでくびり殺されそうだったダメージは十分に受けているらしく、息も絶え絶えだ。
「ゼシリア! 大丈夫か!?」
「だから、ゼスィリアだって、言って……いえ、今はそれは、置いとくべき、かしら……」
はぁ、はぁ、と口で息をしている様は、思った以上に苦しそうだ。
「さて……貴方……ヘルグリューン、だったわね。……無能だと、嘲笑ってくれたけど。私だって、誇り高き、『竜』の一族の、長の娘、なのだから。……貴方みたいな、小物くらい」
不敵に笑ったゼスィリアは、ばっと右手を突き出した。
「余裕で、片付けられるわよ!!」
一際大きな陣が、ゼスィリアの前に現れる。
ゼスィリアの意思に共鳴するように、陣が眩く輝いた。
ゴゴゴゴゴ、と大地の揺れるような音がして、陣から生み出された濁流が、ヘルグリューンを襲った。
大波は足早く草原を襲い、ヘルグリューンの作り出した蔓の群れをどんどん飲み込んでいく。
さながら、海の怪物。
(これが、『竜』の、本気……)
美しくて、愛らしくて、凛々しくて。
そんな少女の、『竜』としての一面を、ルカは垣間見た気がした。
「間抜けで愚かな姫だろうとね。このぐらいは、できるのよ」
そう言って不敵に笑うゼスィリアが、ルカにはとても恐ろしく、そして、頼もしく見えた。
「すごい……」
しかし。
突如、あんなに波打っていたはずの水が、一気に引き始めた。
まるで、地面に穴でも空いたかのような勢いで、水はどんどん勢いを失っていく。
そして、激流に飲まれたはずのヘルグリューンが、涼しい顔をして姿を表した。
「うそ……」
ルカは思わず、絶望のうめきを漏らしてしまった。
頭に着いた水滴を鬱陶しそうに払い除けたヘルグリューンは、せせら笑って言った。
「やっぱりお馬鹿じゃない。草木を操る相手に、たかが小波ごときで応戦しようだなんて」
その言葉に、ルカは戦慄した。
『たかが小波』。
草木を根こそぎ刈り取ってしまいそうな大波を。
やっぱり、人間じゃないのだ。ここは、自分の常識の通じる場所ではないのだ。
ルカは改めて、その事実を飲み込まざるを得なくなった。
血の気の引いたルカには目もくれず、ヘルグリューンはおかしくてたまらないという風に、笑い続ける。
「ほんっと、お馬鹿な上に間抜けだなんて、どこまでボクを笑わせたら気が済むの? ……ふふっ、まさか、自分で切り飛ばした蔓を、自分で回復させちゃうなんて、ねぇ?」
その言葉で、先ほどまで不敵な笑みをどうにか保っていたゼスィリアの顔から、余裕が抜け落ちた。
「……まさか、今の、波を……全部、あの蔓で、吸い込んだって、言うの……?」
その言葉を肯定するように、ヘルグリューンの蔓が、先程より勢いを増して、びゅんとしなった。
ゼスィリアの術が切り落とした傷は跡形もなくなり、むしろ先程よりいきいきしている。
あっはは、ふふっ、ふふふ、と、堪えきれない笑いを吐き出していたヘルグリューンは、ふと、笑顔のままに、瞳から光を消して、言った。
「じゃ、わざわざ死ぬ準備も整えてくれた事だし」
言葉と共に、先程より生命力を増した蔓が、びゅん、と、空を切る。
「満を持して、死んでもらおっかな!」
そして、一斉に、ゼスィリア目掛けて、襲いかかって来た。
(今度こそ、死ぬ……!)
そう、思った。