3.話せば意外に分かり合えるものだったり
「……ねえ。……聞いてもいい?」
「何かしら」
「……どこまで歩くん?」
ゼスィリアはぴたりと止まって、顎に手を当てて考える素振りをした。
「そうね……目的地に着くまで、あと半刻ってとこかしら」
「半刻……」
半刻って何時間だっけ。
ルカはぼんやりしてきた頭で、そんなことを考えた。
ちなみにルカは知る由もないが、一刻は季節によって左右されるものの、超ざっくり言えば大体2時間前後である。つまり半刻は大体1時間。長い。
そして、時間の感覚がないまま歩くと、大抵は実際の時間より長く感じてしまうものである。
分からない時間はすなわち永遠に等しい。
ルカは辛抱がきかなくなって、へろへろとその場に崩れ落ちた。
「あと何キロ歩くんだよぉ〜〜〜」
「何よ、情けない。根性が足りないわね」
「根性の問題かなぁぁぁあ」
泣き言を喚いてみる。ルカはこれでも結構根性のある方だと評判なのだ。それを誇りに思ってもいたので、『根性無し』という評価は辛かった。
不名誉を払拭すべく、ルカは情けない声で訴える。
「休憩なしでぶっ通しで歩いたら、どんだけ根性あっても辛いって……。それに何より、靴履いてないのが大分堪えて……」
「……足袋じゃなかったのそれ!?」
「ただの靴下だよ!?」
……見解の相違が大事故を引き起こしていた。
「……靴も無しに草原にいたものだから、てっきり」
「家から飛ばされたって言ったじゃないかぁ〜」
「? 貴方、家の中では靴を脱ぐの?」
あ、と思う。そう言えば、自宅で靴を脱ぐのは、日本の風習だった。ゼスィリアが疑問に思うのも無理はない。
「そうだよ。うちの国ではみんなそう」
なんせ畳の国だしな、とルカは思う。畳の上を靴で歩こうもんならいぐさの取替が偉いことになるだろう。多分。
「……聞けば聞くほど、不思議なところから来たのね、貴方」
「そりゃこっちのセリフだよ。聞けば聞くほど不思議なことばっかりだ。てか、そっちは脱がないの?」
「脱がないわよ。有事の時に対処が遅くなるじゃない。ベッドや風呂に入る時は別だけれど」
「そうだろうな〜……っておい! 寝る時は脱ぐなら疑問に思うなよ! ここに来る前は自宅で寝てたって言っただろ!」
「……そうだったわ」
あらうっかり、と言わんばかりのきょとん顔にイラッときて、ルカはゼスリィアの肩を思いっきり揺さぶった。
「ななににするるのよよよ」
「う〜る〜せ〜〜〜!」
イラつくに任せてぶんぶんぶんと揺さぶったら、ゼスィリアが壊れた首振り人形みたいになってしまった。
なんだか偉くシュールな絵面である。
ふっ、とゼスィリアの口から空気が漏れた。
「ふふふふふ」
あ、流石に揺さぶりすぎたかな。
ルカの脳裏に不安がよぎったその時。
「ふふっ、ふふふふ、あはははは!」
いきなり、ゼスィリアが大声で笑い出した。
あははは、ふふふふと、堪えきれないと言ったふうにころころ笑う。
そのうち腹を抱え始めたので、ルカは本格的に心配になってしまった。
「だ、だいじょぶ?」
「……大丈夫よ。ふふっ、あはは」
持ち上げたその顔には、笑い涙が滲んでいた。
花が綻ぶような笑顔に、朝露のような涙、それを拭う様があまりに生き生きとして美しくて、ルカは思わず見惚れてしまった。
「……笑った方が、きれいだな」
そして、うっかりまた思ったことを口に出してしまった。
慌てて口を両手で塞いだがもう遅い。
ゼスィリアの顔から表情がすとんと抜け落ちた。
またやらかした、とルカは怒られる覚悟をした。
しかし、今度は怒声が飛んでこない。
あれ、と思っていると、ゼスィリアはゆっくり口を開いて、言った。
「……それ、本気で言ってるの?」
「へ?」
「綺麗だの、なんだのって。本気でそう言ってるの?」
「……当たり前では?」
ルカは間の抜けた返事を返す。
「……そんなに、気持ちがこもってないように聞こえる? もっと感情込めて言った方がいい?」
「いえ、そんな意味じゃないのだけど」
じゃあどういう意味だろう。気持ちがこもってないからもっと誠心誠意褒めろという意味ではないのだろうか。
ルカが首を傾げていると、ゼスィリアは少し俯いて、疑問の答えを口にした。
「そんなに、綺麗だって、他人に言われたことがないから」
「へぁっ!?」
ルカは素っ頓狂な声を上げた。
「お付きの者は、姫様は世界一お美しいですよ、なんて言ってくれるけれど。他の者に、容姿を褒められたことはないわ。それどころか、お前の顔を見るだけでむかつくから近寄るな、とまで言われたこともあるし」
「なんで?????」
あんまりな評価にルカは目を剥いた。ルカの目から見たゼスィリアは、どこからどう見ても絶世の美少女である。風になびく銀髪も透明感のある白い肌も美しすぎてため息が出そうだし、銀のまつ毛に縁取られた大きなサファイアの瞳は人間の碧眼よりよっぽどずっと深い青で、吸い込まれそうになる。
(お付きの人の褒め言葉は絶対お世辞じゃないと思うぞ……むしろ難癖つけてきたやつの感性の方がどうかしてる……)
そう思ったルカは、思ったままに言葉を口にした。
「気にしなくていいと思うけどなあ、そんな失礼なやつの言うことなんか……。というか、ひとの見た目を馬鹿にするやつは最低だと思う。そんなやつの言葉は聞かなくていい」
きっぱりと断言すると、ゼスィリアは目を丸くして固まった。
そして、気を取り直すように瞼を瞬くと、そっと呟くように、言葉を口にした。
「……眩しい人ね、貴方って」
今度はルカが目を丸くする番だった。
ボサボサの焦げ茶の髪。釣り目がちの目に、低い鼻。体格だって普通だし、背がそこまで高いわけでもない。どう足掻いても『平凡』以上の評価が付けられないこの見た目のどこに、彼女は眩しさを見出したのだろうか。
不思議に思う気持ちが顔に出ていたのか、ゼスィリアはその答えを、ゆっくり口にしてくれた。
「……貴方、顔にすぐ出るでしょう。驚いたり、悩んだり……そう言うのが、生き生きしていて、目を惹かれて……眩しいなぁ、って、思うわ」
ゼスィリアの言葉に、ルカはかあっと赤くなる。そんな風にまっすぐな褒められ方をされては、照れてしまうのも仕方なかった。
「……だから、貴方のその言葉は、お世辞じゃないのね」
ゼスィリアは照れた笑みで、ありがとう、と言った。
「何だか、そうやって褒めてもらえると、自分が大したものに思えるわ」
「いやもっと自信を持って」
ルカは思わず突っ込んだ。実際大した美貌なのだから、卑屈になるどころか天狗になっていいレベルである。
(しかし、こんだけ美人なのに讃えられるどころか貶されるって……もしかして神獣の美の基準って、人間よりずっと高いのか?)
ルカは悶々と考える。やっぱり、『神の獣』だから、神がかった美貌の者くらいざらにいると言うことなのだろうか。
うんうん唸っていると、ゼスィリアが切り替えるように、パンと手を打ち鳴らした。
「さて、駄弁ってる間に日が暮れちゃうわ。あと半刻、頑張りましょ」
「そうだったあ……」
まだ何時間かわからない距離を歩くことを思い出し、ルカはげんなりした気分になった。
「ほら、立って立って。頑張っていきましょう」
「おぉ〜」
情けない声と裏腹に、ルカは腿を叩いて、足に気合を入れて立ち上がった。
その時だった。
ゼスィリアの背後から、無数の蔓が、彼女目掛けて飛んできたのは。