第7話 拷問
──────江戸城・地下。
雪緒の背後で、ガチャリと金属音がした。
それは、木製の格子扉に付いた、錠前を閉める音だ。
ここは座敷牢。
今、雪緒の隣には、ヤマンバがちょこんと座っている。
畳が五枚敷いてあり、奥の一畳分は木製の仕切りで囲われている。
牢の周囲は木の壁で囲まれ、一面だけ木製の格子となっていた。
「ハァぁ、どうしてこんなことに……。マズイよ、これ。たぶん、ものすごくマズイ。絶対処刑されるやつだ。」
二人とも極度の疲労により、逃げることなど出来なかった。
結局、雪緒とヤマンバは素直に捕らえられた。
刀で、スパッと首と胴が離れる。
雪緒の脳裏には、そんな映像が浮かんでしまう。
思わず身震いをし、自身の肩を抱いた。
だが、実際はいきなりそんなことにはならないだろう。
その前に『吟味』と称した、取り調べ兼拷問が待っているはずだ。
"どこの間者だ!"などと、お決まりの文言が浴びせられるのだ。
それはもう、念入りに、執拗に。
望んでもいないのに、丁寧にもてなされるに違いない。
どの道、まともな処遇など期待できるはずもない。
雪緒は、やられた右手がひどく痛んだ。
折れてはいないようだが、しばらくまともに使えないだろう。
「あのぅ、ちょっと?誤解だと思うんです!たしかに将軍さん、人質にしちゃいましたけど、混乱しててー!あのー、誰かいませんかぁ!」
雪緒は叫ぶ。
だが、嘆願しようにも周囲には見張りの者すらいない。
実は、少し離れたところから覗き見ているのだが、雪緒は全く気付いていない。
ただ、気付いたところで、その者は絶対に近付くことはないだろう。
なぜなら、もののけが怖いからだ。
しかし、そんな絶望的な状況下でもヤマンバは元気だ。
むしろ楽しそうに見える。
「わぁ!……わぁ!畳!畳!うはっ!なんかザラザラぁ〜!……うはっ!臭っ!ここくっさっ!あははははっ!」
「アンタ、なんでそんな楽しそうなの……。」
「えー、だってみっこ、こんなの初めてだよぉ〜?」
「そりゃ私だって初めてだよ。……牢に入れられるなんて。」
「ねぇねぇ悪霊ちゃん、見てよここ〜。うはははっ!ここ、くっさぁああ!……くさぁ!あはははっ!!」
ヤマンバは何が楽しいか、はしゃぎにはしゃぐ。
畳のささくれた部分を指差したり、鼻を近付けて臭いを嗅いでは爆笑している。
座敷牢である以上、以前にも誰かが捕らわれていたはずだ。
とすれば、そのささくれや染みは"そういうこと"なのだ。
少なくとも雪緒は、そんなものに触ろうとは露程も思わない。
「あ!ほら、悪霊ちゃん!ここっ!すごっ!臭っ!」
「えっとね。あの、さっきから悪霊悪霊って。変な名前で呼ばないでくれる?」
「んー、じゃあ何ちゃんなの〜?」
「え、私は……。」
「みっこはね、"みっこ"だよ!」
「あ、それ、名前だったんだ。何かの方言だと思ってたよ。」
「悪霊ちゃんは?」
「私は……、雪緒。」
「ふぅん。そっかー。んで、雪にゃは何の悪霊なの?」
「もう、速攻ナチュラルにあだ名呼びしてきたな……。距離感が異次元過ぎて、頭が追いつかないんだけど……。って、だから悪霊じゃないからね?こういうファッションなの。ゴスロリ。知ってるでしょ?」
「ゴリゴリ?」
「……ん?ゴスロリね、ゴ・ス・ロ・リ。」
「ふぅん。そっかー。ゴスゴリかぁ。へー。」
"あ、コイツ分かってねぇな"と思いつつも、雪緒は深く突っ込まなかった。
みっこは悪い子ではなさそうなのだが、正常に会話が成立する気がしなかった。
「それにしても、ここってやっぱりそうなんだよね……。そういうことなんだよね……。」
「そういうこと?臭いってこと?」
「その話はもういい。」
雪緒はため息を吐く。
ふと部屋の中を見渡すと、木の壁の下方一面にある模様が気になった。
だが、それは目を凝らしてみると、ひどく不規則なものだと気付く。
そして、それは爪痕のようだなぁと思ってしまった。
そうすると、次第に模様のすべてが、そういうものに見えてきてしまう。
つまりは、それも"そういうこと"なのだ。
「ひぃ……。い、いや違うよね。模様だよね。うううう、こ、ここ嫌だなぁ……。なんか気のせいか寒くなってきた……。」
身震いする身体を抱き、見なかったことにする。
そして、考える。
余計なことを考えないように、徹底的に思考を巡らす。
雪緒はここへ連れられてくる間も、実はずっと周囲を観察していた。
それは建物・植物・空・人・服装・持ち物、あらゆる物をだ。
「ぶはっ!雪にゃ、白目キモぉ!!」
「へ?」
雪緒は、頭を沢山使うと白目を剥いてしまう癖があった。
だが、そのあまりの気色悪さに、周囲の誰も指摘しなかった。
だから今の今まで、本人はそんな顔をしていることすら知らなかったのだ。
「白目……?何の話?」
何のことか分からない雪緒は、白目を剥きながら一つの結論を出す。
「やっぱここって、江戸時代だよね。そうとしか思えない。将軍さんもそう言ってたし。」
「江戸時代?あ!みっこ知ってるよ!……オーレぃ!」
「ひっ!?……ってああ、あれか。ようやく意味分かった。それ、リオのカーニバルじゃなかったんだ。時代劇の役者さんが出してた曲でしょ?って、100%間違ってるわけでもなく、また絶妙なとこきたな……。」
「オーレぃ!」
「……うん、それはもういいかな。」
みっこは立って指先をしならせる。
彼女の脳内では、サンバのようなリズムが流れているのだろう。
挙動不審過ぎるが、もう放っておくことにした。
だが、それにしても部屋が臭い。
みっこが言っていた畳も臭そうだが、気になるのはもっと根源的な臭いだ。
「臭いの元はこれか……。」
それもそのはず、部屋の隅に木製の便所があった。
申し訳程度の低い囲いがあり、床をくり抜いて穴が空いている。
しかも逃走防止なのか、ひどく穴が小さい。
うまくいたさないと外しそうだ。
実は江戸時代には、すでに『汲み取り式便所』が存在した。
"汲み取り式"とは、床下に便槽を設け、そこに排泄物を溜める便所のこと。
便槽にある程度溜まってから、中身を汲み取って処理施設へと運ぶのだ。
海外では、排泄物をその辺に捨てていたなんて話もある。
だが、江戸時代の日本では、排泄物も肥料として有効利用される。
おそらくここにある便所でも、排泄物は何らかの形で回収されるのだろう。
紙は備え付けの物が置いてあった。
それは『浅草紙』というもので、その名の通り浅草周辺で作られた紙である。
再生紙であり、和紙と墨の色からか灰色であった。
ただ質が悪いため、鼻紙や落とし紙(要はトイレットペーパー)に用いられた。
「ここでしろってことか……。マジか……。」
とりあえず雪緒の中で、そのトイレはなるべく使わない方向で考える。
だが、それは無駄な足掻きだった。
結局この後、雪緒らはこの座敷牢にしばらく放置されてしまったからだ。
用を足さなければ命に関わってしまう。背に腹は変えられない。
ただ、放置はされていても飯は普通に出るし、拷問もない。
そもそも見に来る人もいなかった。
強いて言えば、"暇過ぎる"くらいだろうか。
だが、雪緒にとってここから"それなりの地獄"が始まる。
「ここ飽きたぁー!つまんなーい!スマホ繋がんないしー!……あ!チューチュー!待てー!」
「みっこ!また変なの触らないでよ!ちょ!鼠は汚いからダメだって!ああ、もう……。」
「あー!わさわさだぁー!」
「ぎゃあああああ!やだ!みっこ!助けて!そ、それ遠くにやって!掴んじゃダメだからね!って、うわ!こっち持ってくんな!ちょお!オマエ、マジ……、ああああああ!!やだあああああ!!」
みっこが、"駄々をこねて諦める"というルーティンを何度か重ね。
更に"動くものを捕まえては雪緒に見せる"というルーティンも何度か重ねる。
そして、雪緒が精神疲労で涎を垂らし、油断した頃にようやっと迎えが来た。
結局、事態が進展するのは、牢に入ってから三日後であった。
*
雪緒とみっこは、ようやく地下の座敷牢から出される。
二人は、両手ごと身体をぐるぐる巻きに縛られて歩かされた。
雪緒は不安でいっぱいだったが、ここは従うしかない。
──────江戸城・地下・別室。
目的地にはすぐ着いた。
そこは、床一面に硬い土が敷いてある土間だ。
雪緒は両腕を縛られたまま、そこに跪かされる。
そして、目の前に、水の張ったタライが置かれた。
(ご、ごごごごご、拷問だぁあああああ!?)
すでにテンパっている雪緒。
「違っ!違、違う!違うんです!!だからえっと……、違ううう!!」
縛られている雪緒を押さえつける男たち。
なんとか抵抗しようと、半泣きになりながらジタバタともがき始める。
そして、雪緒はとうとうタライの水に顔を押し付けられた。
「ぐばぁ!違うんです、これには……ぐほぉ!ゴホッ!私は別……、ブワァ!!ああああ!!」
「ええい!なんだオマエは!?喋るな!!」
「ごぼっ!……おえっ!違っ!私っ……、おぼぉあ!ブフォ!!むああああ!!」
「息を止めんか!なんでオマエは、わざわざ水の中で喋ろうとするのだ!」
「わた……ぶほわっ!!何かの間違……、おぼぉ!!ううう、飲んじゃった……。」
「分かったから喋るな!終わったら聞いてやる!まず顔を洗わせろ!」
「洗う……?ぶっ!ぶぶぶぶぶぶぶっ!……ブハッ!」
もはや鼻水なのか涙なのか分からない。
そして、何度か水に浸けられ、手拭いで拭き取られる。
「なかなか取れんな……。お前は一体、顔に何を塗ったのだ。なかなか取れんではないか。……って、うわっ!水がえらいことになっとるな。オイ、ちょっと水を換えてくれ。」
その後、タライの水が交換される。
目の周りに多少残っているものの、雪緒の化粧はだいたい落とせたようだ。
だが、拷問と勘違いした雪緒はグッタリしていた。
暴れに暴れ、メイクを含んだ水も結構飲んでしまった。
「オイ。……で?何だ?何か言いたいことがあるのか?」
「あ……、いえ、もう……、結構です……。」
ぐったりと土間に寝っ転ぶ雪緒。
まるで泥酔したトドのようだ。
だが、ここで予想外の事態が発生する。
「ぎゃあああああああああああ!!やんだあああああああああああ!!うぼぼぼぼわああああああ!!」
みっこの叫び。
それは、今までのような楽しげなものではない。
この世の終わりとでも言わんばかりの、大絶叫であった。
「こ、これ!足!足を離さんか!!」
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!」
次はみっこの番だった。
だが、雪緒の化粧が落とされたのを見て、みっこは豹変してしまう。
侍の小脇に抱えられていのだが、両足で柱にしがみついてしまったのだ。
それはもう巨大なクワガタのようだった。
凄まじい必死の形相で、あらん限りの力でガチガチにしがみつく。
相当な馬鹿力なようで、侍も三人掛かりで引き剥がしにかかる。
「きええええええええええええええええええええ!!」
「この!男三人でも……、ぬおお!力を抜けぇ!顔を洗うだけだぞ!?」
「離さんか!この!強っ!ちから強ぉ!?」
「このぉ!って、ななな、なんだこれ!?お前、本当に人間か!?」
「うぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!」
みっこは新種の巨大クワガタさながらに、奇声を発しながら柱にしがみつく。
これがもう嘘みたいに、びくともしない。
結局、近くにいた男五人でようやっと引き剥がした。
「おんぎいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
「あ!また、此奴!?」
だが、今度は地面に足を突っぱねて、再び抵抗を始めた。
しかも、男五人で押してもびくともしない。
その時、侍の一人が機転を効かし、みっこの足を軸にクルッと半回転した。
こうなるともう、みっこは引き摺られていくだけだった。
しかし、それでもつま先が土間の硬い土にゴリゴリと溝を掘っていく。
そして、侍たちはようやくみっこをタライの前に座らせた。
だが、今度は顔がつく水面スレスレで堪え始めた。
「うぎぃーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「おおおい!?なんなのだ、此奴は!?こ、この力!?こ、こっちは男三人掛かりなのだぞっ!?」
頭を押さえつけるのにさえ、男三人で体重をかけてもまだ堪える。
一体、彼女の何が、そこまでの底力を引き出しているのだろうか。
おそらくそれは『火事場の馬鹿力』。
人間には、普段から抑制するリミッターがかかっていると言われている。
だが、危機的な状況下では、限界を超えた力を出してしまうことがあるのだ。
それは、肉体のリミッターすらも外してしまう。
みっこにとって、今それぐらいの危機的状況なのだろう。
"化粧を落とす"というだけのことが。
明らかにそれは、常識を超えた力であった。
しかし、抵抗を続けたみっこであったが、結局化粧は落とされてしまった。
さすがに途中からは諦めたのか、全く抵抗をしなくなっていた。
男らも必死だったようで、息を切らしている。
「全く、凄まじい抵抗をしおって……。本当にもののけなのではあるまいな!?ほれ、綺麗さっぱり拭き取れたぞ?顔を上げよ。全く、顔ぐらい自分で洗……、わせ……。は……?お、お前……、なんだその顔は……?」
男はみっこの顔を拭いていたが、なぜだかその様子がおかしくなっていった。




