第3話 流離
──────江戸城・大奥。
その夜、突如現れた闖入者のせいで騒然となった。
江戸城は高い塀や堀に囲まれており、そもそも容易に侵入できない。
最奥に位置する大奥においては、もはや不可能と言ってもよい。
だが、それでも警備の者は常駐している。
それは『火之番』と呼ばれる女性たちで、火の元の管理と警備を兼任していた。
武家の女は決まって薙刀を修め、有事の際にはそれが遺憾なく発揮される。
この大奥においても、その穂先は迷う事なく敵を討つだろう。
そして今、火之番らは既に薙刀を構え、視線の先に闖入者を睨みつけていた。
そこは、大奥内の小さな庭。
他の大奥女中も、何事かと火を灯した提灯を掲げる。
なにせ、こんな状況は前代未聞。
しかも間の悪いことに、その日の大奥には将軍が滞在していた。
まずは将軍の安全の確保。
そして御台所(正室)、側室の身の安全。
大奥は男子禁制であり、闖入者が男なら死罪は免れない。
それ程の重罪である以上、火之番はその場で斬り捨てるつもりで事に当たる。
だが、全員その場で固まっていた。
なぜなら、その闖入者は"ただの人間"ではなかったのだ。
少なくとも、彼女らの常識的な感覚では存在し得ない者であった。
しかも、それが二名。両者共、その時代ではあり得ない格好をしていた。
そして、極め付けは最初に闖入者を目撃した女中の話だ。
「突如、それは庭の空より出現し、そのまま落ちてきたのです。」
まさに"もののけ"である。
二名の異様な格好も相まって、女中らは恐れ慄き今も尚近付くことができない。
そんな膠着状態の中、闖入者の一人がおもむろに身体を起こす。
そして、頭を抱えながら、何やらつぶやいた。
「……う、うーん。ここは一体……?」
*
この大奥の闖入者という者、それは雪緒のことだった。
雪緒は、まだ朦朧とする頭を抱え、周りを見渡す。
薄暗いため、全景は確認できない。
その視界には、いくつものぼんやりとした薄明かりが浮かんでいる。
だが、そこが知らない場所だとすぐに察した。
なぜなら空気が妙に澄んでおり、同時に強く甘い香が漂っていたからだ。
そして、大勢の者に囲まれていることにも気付く。
ただそれらは遠巻きにざわざわするだけで、誰も近付いてこなかった。
その時、雪緒の後ろで動く気配がする。
それは、もう一人の闖入者。
雪緒と同じように周囲を見渡し始めた。
「んー?え?うーん……?あ!……うーん?おー?」
どうやら、その人物も同じように困惑しているようだ。
だが、辺りは薄暗いため、雪緒から隣の人物の姿はよく見えない。
小柄な人物で、声を聞く限りは若い女性のようだ。
その時、火之番が叫んだ。
「ろ、ろろろろろろろろ、狼藉者めぇ!!ししししし、神妙にぃ!!いたいたいたいた、いたせぇ!!」
その声は、大勢の者たちがざわざわとする空間に、ぴしゃりと響き渡る。
だが、その火之番は尋常でないほどに動揺していた。
声は上擦っており、薙刀は掻き混ぜるかの様に荒ぶる。
何より、一向に近付いてこない。
その間、雪緒の目には、様々な情報が朧げに飛び込んでくる。
瓦屋根の日本家屋。綺麗に整えられた庭。
そして、大奥女中らの着物。
「時代劇……?え?なんで?え?ここなに?」
雪緒は思考をフル回転させる。
しかし、思い出すのは曖昧な記憶。
それは、時代劇のテーマパークだとか、授業で習ったような歴史の話だ。
だが、それでこの状況に、納得がいく何かを思い出せるわけでもない。
しかも、状況は既に抜き差しならないものであった。
女中たちはようやく意を決し、少しずつ近付き始めたのだ。
提灯の明かりで、雪緒にもようやく辺りの詳細が見えてきた。
そして、ふと見える女中らの姿、その華美な装いに目を奪われる。
質素でありながら、きっちりと正された襟元や帯。
そこから垣間見える白い肌。
それは、凛とした艶やかな女性らしさを演出する。
「うわぁ、綺麗……。」
「おー?花魁〜!やばぁ!」
隣の人物にも、女中らの姿が見えたのだろう。感嘆の声が聞こえた。
だが、『花魁』は吉原の遊女に使われる言葉で、中でも高い位の者を指す。
つまりは高級娼婦のことであり、誰にでも使ってよい表現ではない。
「花魁て。」
思わず突っ込んでしまった雪緒は、そこで初めて隣の人物を見た。
提灯の灯りに照らされたことで、薄闇にうっすらと姿が浮かんでいたのだ。
そして、その人物も同時に雪緒を見た。
「……。」
「……。」
初めて互いの姿を確認し、二人は同時に固まる。
「うおっ!?」
「うおっ!?」
互いに驚きの声を上げ、同時に少しだけ後退った。
そして、その二人と連動するかのように、女中らも身体をビクッと震わせる。
「え!?なっ、ヤ、ヤマンバ……っ!?」
女中らは、雪緒の"ヤマンバ"という言葉を聞いて、ざわざわとし始める。
口々に"山姥?山姥?"と連呼し、あり得ないほどに困惑した。
実は、隣にいたのは『山姥』ではなく『ヤマンバギャル』だった。
2000年代初頭に若者の間で流行った、風変わりなファッションだ。
俗に『ガングロ』と呼ばれるファッションの発展系である。
その特徴は日焼けした浅黒い肌と、大仰な白い化粧だ。
また派手な髪色や、派手な服や装飾なども好んで用いられた。
そして、この大奥において、それは紛れもなく異質であった。
だが、2000年代でも十分異質であり、現代ではすでに絶滅している。
その姿は山姥というよりも、むしろ未開の地の少数部族のイメージに近い。
鼻の高い外国人にですら、大仰に驚く時代である。
もしも大奥にそんな者が現れたなら、もののけにしか見えないであろう。
だが、そのヤマンバギャルも同様に驚いていた。
「あー?エクソシスト〜?」
その隣にいた雪緒においては、『ゴスロリ』である。
今身につけているのは、肌露出が極端に少ない黒いドレスだった。
鳥籠のようなシルエットのスカートに、黒いレースがアクセントを添える。
しかし、その真っ白い肌は血色が悪く、遠目からは死体に見えなくもない。
その上、目の周りも唇も執拗に黒く、呪いの人形のようであった。
しかも、顔には血飛沫のようなものが付着している。
これでは、誰かを呪い殺してきた悪霊と思われても仕方ないだろう。
「ん?エクソシストって……?」
「悪霊っぽくない〜?」
「あく……、りょう?何を言って……?」
"悪霊"という単語を聞いた女中らは、更に混乱を深めていく。
中には腰を抜かす者まで現れ、其処彼処から嗚咽が聞こえてくる始末。
雪緒はヤマンバの言葉が理解できない。
それで、ヤマンバの視線を辿って振り向く。
そして自身の後ろを確認する。
だが、背後には誰もいない。
それもそのはず、ヤマンバが"悪霊っぽい"と言ったのは、雪緒のことなのだ。
「え?ちょ、まさか悪霊って私のこと!?失礼すぎでしょ!!…………って、そもそもエクソシストって祓う方でしょうが!」
「や〜、悪霊ちゃんこそ〜、みっこのことヤマンバって失礼すぎん〜?」
「どう見てもヤマンバでしょ。って、今時ヤマンバってどういうことよ!」
「だから、ヤマンバじゃないよぉ〜?むしろマンバ〜?」
「どう違うの……。」
だが、二人を取り巻く状況は、悠長に話していられるものではなかった。
大奥女中らは恐れながらも、少しずつ輪を狭めて包囲していった。
薙刀の穂先が突き付けられ、さすがに雪緒も非常事態だと理解する。
雪緒は両手を上げ、恐る恐る女中に問いかけた。
「えっと、これは何かの撮影……、じゃないですよね……?すみません、私状況が掴めなくて……。ここって一体どこなんでしょうか……?」
その時、女中らの奥から一人の男性が現れる。
男性は前へ出ようとするが、複数の女中らがそれを必死に制止する。
「殿!なりませぬ!不用意に近付いてはなりませぬ!もののけにございますれば!"山姥"と"何かの悪霊"がっ!!」
「ほうほう、面白い。これが山姥とな……。初めて見たが、凄まじいのう。一体何人食えば、こうなるのだ。して、その隣が悪霊とな……。げにも恐ろしい。今にも呪われそうな面構えよ。」
「殿!お下がり下さい!」
男子禁制の大奥に立ち入れる男性は、たった一人。
この男性こそ、他ならぬ将軍その人であった。
*
突如現れた男性は、白い薄手の着物を着ていた。
「うわぁ、丁髷だ……。」
危機的な状況にも関わらず、雪緒は妙に冷静だった。
実はあまりにも突飛な状況に、逆に冷静になってしまっていたのだ。
もはや"ドン引き"していたと言っても良い。
だが、落ち着きすぎた雪緒は、不用意に立ちあがろうとしてしまう。
そこへ火ノ番の薙刀が、ギラリと睨みを利かした。
その穂先は、提灯に照らされて冷たく輝く。
しかし、この時。その場の誰も予想しない事態が発生する。
急に夜の空が明るくなって、闇を照らしたのだ。
それは雪緒から見て右側、東の空であった。
そして、その場にいた全員、その煌々とした空に気を取られてしまう。
……雪緒以外は。
雪緒には、指の先から伸びていく線が見えていた。
それは薙刀にぐるりと絡まり、前後に蛇行している。
(かすかに見える。……いける。)
雪緒は女中の持っている薙刀の穂先に、そっと手の甲を当てた。
そして、手首を返すと、そのまま薙刀の穂先を下にポンと押した。
不意のことに驚いた女中は、反射的に薙刀を手元に引き戻す。
だが、雪緒はその動きに合わせて前進し、一気に間合いを詰めてしまった。
焦った女中は、再び薙刀を前に突き出すが、すでに雪緒はそこにいない。
女中の左に移動した雪緒は、柄を掴むとそのまま一気に手前に引いた。
女中は自身の体重移動も合わさり、前方へと投げ出されてしまった。
「なっ!ぐはっ!?」
女中の呻き声に気付き、その場の全員がようやく空から視線を戻す。
だが、すでに遅かった。
薙刀を奪った雪緒は、廊下の将軍のすぐ背後まで移動していたのだ。
将軍の背に薙刀の穂先を突きつけ、雪緒は叫んだ。
「待って!動かないで!別に私は何かしようって訳じゃないんです!」
だが、誰もそれを聞き入れようとはしない。
雪緒を囲む女中らは、今度は明らかに敵意を向け始めた。
それもそのはず、雪緒が人質にとっているのは将軍だ。
この時点で、雪緒はただの闖入者から暗殺者へとランクアップしたのだ。
だが、それに気付いていないのは、雪緒ともう一人だけ。
「わぁ!それ、なぁに〜?みっこもやりた〜い!貸して貸して〜!」
ヤマンバが、庭から廊下にピョンと身軽にジャンプした。
そして、雪緒のすぐそばまで駆け寄り、薙刀を奪い取ろうとする。
「え、ちょっと、貴方!邪魔しないで!状況分かってんの!?……って、私も全く分かってないんだけど!」
場がどんどん混乱していく中、さらに混乱が押し寄せてくる。
西の中奥側出入り口の方から、女中が駆け寄ってきたのだ。
女中は相当に慌てているようで、吃りながらも叫んだ。
「あ、あ、恐れながら申し上げます!な、何やら中奥の方で何かあったようで、急ぎ殿へ取り継げと……。」
だが、今度は間髪入れずに、東の平川門の方からも女中が駆けてきた。
「恐れながら、火急にて申し上げます!東の屋敷が炎上しておるとのこと!お、恐らくあちらは、讃岐様のお屋敷かと……。」
「なっ!?……なるほど、そうか。恐らくは中奥の方もその件だな。よし、すぐに行くと伝えよ。……と、おお。其方らか。忘れておったわ。」
「えっと、すみません。敵意はないんですが……。これ、たぶん私たち処刑されるながれですよね?逃げますので、どうか人質になって下さい。」
ざわめく女中ら。
もう少し少人数であれば、雪緒でもなんとかなったかもしれない。
だが、あまりにも多過ぎた。
しかも気のせいか、どんどん人が増えていっているように見える。
もはや完全に敵として認識されてしまい、雪緒に逃げる以外の方法はなかった。
「と、殿!……おのれぇ!慮外者めぇ!!」
「ちょ!見えます?見えてます!?人質!人質です!こ、殺しますよ!?マジですからね!?……あ、いや、殺す気はないんですけど、私たちは別に何かしようって気は……。寄らないでって!死にますよ!?」
実はこの時、雪緒は行動を起こしてしまったことでテンパり始めていた。
しかもそれを煽るかのように、雪緒の動きに合わせ、女中らが反応するのだ。
(ああ……、これ……、まずいまずい……。ど、どどど、どうしよう……?)
しかし、そんな中でも全く動揺していない者が一名。
雪緒の隣にいるヤマンバだ。
物欲しそうに、ずっと雪緒や女中らの薙刀を見ている。
「ねぇねぇ、お祭り?」
「は?祭り……?なんの……。」
「みっこもやる!わしょーい!」
「あ!ちょっとぉ!」
ヤマンバはその場でジャンプする。
見た目からは想像もできないが、かなりの跳躍力であった。
もしかすると、彼女はかなりのフィジカルモンスターなのかもしれない。
案の定、近くの女中らが腰を抜かしてしまう。
そして、手元から転げ落ちる薙刀。
「あ!」
嬉々としてヤマンバはそれを拾い上げてしまった。
しかも、両手に一本ずつの計二本。
「やったぁ!わしょーい!」
「きゃあ!」
「ひっ!?」
ヤマンバが薙刀を振り回す。
その姿は、正に未開の地の少数部族。狩られたら食べられてしまう。
日本の山中で見かけたら、本物のヤマンバと見間違えるに違いない。
女中らの怯えようが、あまりにも鬼気迫り過ぎて可哀想になってくるほどだ。
「危っ、危なっ!危な……、いから、振り回すなっ!……って、もしかして、お祭りの時の、振り回す"何か"だと思ってる……?」
「わしょーい!」
要は、火消しや祭りの際に用いられる"纏"である。
棒の先に、人の頭ほどの飾りを載せているものであり、そこから馬簾と呼ばれるタコの足のようなものが垂れ下がっている。
つまり、棒状であること以外に薙刀との共通点は全くない。
「まぁいいや。ヤマンバちゃん、ついておいで!えっと、どっちに行けば……。ど、どっちが外ですか!?」
雪緒は女中に聞いたつもりだったが、思わぬ人物が答えた。
それは人質の将軍だ。
「近いのはそちらの平川門の方だな。だが、そちらにも警備の者がおるぞ。」
「なら、その平川門に……。って、なんで貴方が答えてるんです!?」
しかし、平川門側には、女中らの渋滞が起きていた。
狼狽える雪緒を他所に、将軍は冷静だった。
「ああ、すまぬ。出来れば中奥の方に行ってくれるか?どうも讃岐殿の屋敷が燃えておるようでな。これより、その対応をせんとならんのだ。」
「はぁ!?え、なんでそんなに冷静なんです?」
「其方らはあれであろう?流離であろう?……あーいや、未来から来たのであろう?誰の転生者なのだ?どうだ、徳川に仕える気はないか?」
「は?」




