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第3話 流離

──────江戸城・大奥。


その夜、突如現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)のせいで騒然となった。


江戸城は高い塀や堀に囲まれており、そもそも容易に侵入できない。

最奥に位置する大奥においては、もはや不可能と言ってもよい。

だが、それでも警備の者は常駐している。

それは『火之番』と呼ばれる女性たちで、火の元の管理と警備を兼任していた。

武家の女は決まって薙刀を修め、有事の際にはそれが遺憾なく発揮される。

この大奥においても、その穂先は迷う事なく敵を討つだろう。

そして今、火之番らは既に薙刀を構え、視線の先に闖入者を睨みつけていた。


そこは、大奥内の小さな庭。

他の大奥女中も、何事かと火を灯した提灯(ちょうちん)を掲げる。

なにせ、こんな状況は前代未聞。

しかも間の悪いことに、その日の大奥には将軍が滞在していた。

まずは将軍の安全の確保。

そして御台所(みだいどころ)(正室)、側室の身の安全。

大奥は男子禁制であり、闖入者が男なら死罪は免れない。

それ程の重罪である以上、火之番はその場で斬り捨てるつもりで事に当たる。


だが、全員その場で固まっていた。

なぜなら、その闖入者は"ただの人間"ではなかったのだ。

少なくとも、彼女らの常識的な感覚では存在し得ない者であった。

しかも、それが二名。両者共、その時代ではあり得ない格好をしていた。

そして、極め付けは最初に闖入者を目撃した女中の話だ。


「突如、それは庭の空より出現し、そのまま落ちてきたのです。」


まさに"もののけ"である。

二名の異様な格好も相まって、女中らは恐れ慄き今も尚近付くことができない。


そんな膠着(こうちゃく)状態の中、闖入者の一人がおもむろに身体を起こす。

そして、頭を抱えながら、何やらつぶやいた。


「……う、うーん。ここは一体……?」



この大奥の闖入者という者、それは雪緒のことだった。


雪緒は、まだ朦朧とする頭を抱え、周りを見渡す。

薄暗いため、全景は確認できない。

その視界には、いくつものぼんやりとした薄明かりが浮かんでいる。

だが、そこが知らない場所だとすぐに察した。

なぜなら空気が妙に澄んでおり、同時に強く甘い香が漂っていたからだ。

そして、大勢の者に囲まれていることにも気付く。

ただそれらは遠巻きにざわざわするだけで、誰も近付いてこなかった。


その時、雪緒の後ろで動く気配がする。

それは、もう一人の闖入者。

雪緒と同じように周囲を見渡し始めた。


「んー?え?うーん……?あ!……うーん?おー?」


どうやら、その人物も同じように困惑しているようだ。

だが、辺りは薄暗いため、雪緒から隣の人物の姿はよく見えない。

小柄な人物で、声を聞く限りは若い女性のようだ。


その時、火之番が叫んだ。


「ろ、ろろろろろろろろ、狼藉者めぇ!!ししししし、神妙にぃ!!いたいたいたいた、いたせぇ!!」


その声は、大勢の者たちがざわざわとする空間に、ぴしゃりと響き渡る。

だが、その火之番は尋常でないほどに動揺していた。

声は上擦っており、薙刀は掻き混ぜるかの様に荒ぶる。

何より、一向に近付いてこない。

その間、雪緒の目には、様々な情報が朧げに飛び込んでくる。

瓦屋根の日本家屋。綺麗に整えられた庭。

そして、大奥女中らの着物。


「時代劇……?え?なんで?え?ここなに?」


雪緒は思考をフル回転させる。

しかし、思い出すのは曖昧な記憶。

それは、時代劇のテーマパークだとか、授業で習ったような歴史の話だ。

だが、それでこの状況に、納得がいく何かを思い出せるわけでもない。

しかも、状況は既に抜き差しならないものであった。

女中たちはようやく意を決し、少しずつ近付き始めたのだ。

提灯の明かりで、雪緒にもようやく辺りの詳細が見えてきた。

そして、ふと見える女中らの姿、その華美な装いに目を奪われる。

質素でありながら、きっちりと正された襟元や帯。

そこから垣間見える白い肌。

それは、凛とした艶やかな女性らしさを演出する。


「うわぁ、綺麗……。」

「おー?花魁(おいらん)〜!やばぁ!」


隣の人物にも、女中らの姿が見えたのだろう。感嘆の声が聞こえた。

だが、『花魁』は吉原の遊女に使われる言葉で、中でも高い位の者を指す。

つまりは高級娼婦のことであり、誰にでも使ってよい表現ではない。


「花魁て。」


思わず突っ込んでしまった雪緒は、そこで初めて隣の人物を見た。

提灯の灯りに照らされたことで、薄闇にうっすらと姿が浮かんでいたのだ。

そして、その人物も同時に雪緒を見た。


「……。」

「……。」


初めて互いの姿を確認し、二人は同時に固まる。


「うおっ!?」

「うおっ!?」


互いに驚きの声を上げ、同時に少しだけ後退った。

そして、その二人と連動するかのように、女中らも身体をビクッと震わせる。


「え!?なっ、ヤ、ヤマンバ……っ!?」


女中らは、雪緒の"ヤマンバ"という言葉を聞いて、ざわざわとし始める。

口々に"山姥?山姥?"と連呼し、あり得ないほどに困惑した。


実は、隣にいたのは『山姥(やまんば)』ではなく『ヤマンバギャル』だった。

2000年代初頭に若者の間で流行った、風変わりなファッションだ。

俗に『ガングロ』と呼ばれるファッションの発展系である。

その特徴は日焼けした浅黒い肌と、大仰な白い化粧だ。

また派手な髪色や、派手な服や装飾なども好んで用いられた。

そして、この大奥において、それは紛れもなく異質であった。

だが、2000年代でも十分異質であり、現代ではすでに絶滅している。

その姿は山姥というよりも、むしろ未開の地の少数部族のイメージに近い。

鼻の高い外国人にですら、大仰に驚く時代である。

もしも大奥にそんな者が現れたなら、もののけにしか見えないであろう。


だが、そのヤマンバギャルも同様に驚いていた。


「あー?エクソシスト〜?」


その隣にいた雪緒においては、『ゴスロリ』である。

今身につけているのは、肌露出が極端に少ない黒いドレスだった。

鳥籠のようなシルエットのスカートに、黒いレースがアクセントを添える。

しかし、その真っ白い肌は血色が悪く、遠目からは死体に見えなくもない。

その上、目の周りも唇も執拗に黒く、呪いの人形のようであった。

しかも、顔には血飛沫のようなものが付着している。

これでは、誰かを呪い殺してきた悪霊と思われても仕方ないだろう。


「ん?エクソシストって……?」

「悪霊っぽくない〜?」

「あく……、りょう?何を言って……?」


"悪霊"という単語を聞いた女中らは、更に混乱を深めていく。

中には腰を抜かす者まで現れ、其処彼処(そこかしこ)から嗚咽が聞こえてくる始末。


雪緒はヤマンバの言葉が理解できない。

それで、ヤマンバの視線を辿って振り向く。

そして自身の後ろを確認する。

だが、背後には誰もいない。

それもそのはず、ヤマンバが"悪霊っぽい"と言ったのは、雪緒のことなのだ。


「え?ちょ、まさか悪霊って私のこと!?失礼すぎでしょ!!…………って、そもそもエクソシストって祓う方でしょうが!」

「や〜、悪霊ちゃんこそ〜、みっこのことヤマンバって失礼すぎん〜?」

「どう見てもヤマンバでしょ。って、今時ヤマンバってどういうことよ!」

「だから、ヤマンバじゃないよぉ〜?むしろマンバ〜?」

「どう違うの……。」


だが、二人を取り巻く状況は、悠長に話していられるものではなかった。

大奥女中らは恐れながらも、少しずつ輪を狭めて包囲していった。

薙刀の穂先が突き付けられ、さすがに雪緒も非常事態だと理解する。

雪緒は両手を上げ、恐る恐る女中に問いかけた。


「えっと、これは何かの撮影……、じゃないですよね……?すみません、私状況が掴めなくて……。ここって一体どこなんでしょうか……?」


その時、女中らの奥から一人の男性が現れる。

男性は前へ出ようとするが、複数の女中らがそれを必死に制止する。


「殿!なりませぬ!不用意に近付いてはなりませぬ!もののけにございますれば!"山姥"と"何かの悪霊"がっ!!」

「ほうほう、面白い。これが山姥とな……。初めて見たが、凄まじいのう。一体何人食えば、こうなるのだ。して、その隣が悪霊とな……。げにも恐ろしい。今にも呪われそうな面構えよ。」

「殿!お下がり下さい!」


男子禁制の大奥に立ち入れる男性は、たった一人。

この男性こそ、他ならぬ将軍その人であった。



突如現れた男性は、白い薄手の着物を着ていた。


「うわぁ、丁髷(ちょんまげ)だ……。」


危機的な状況にも関わらず、雪緒は妙に冷静だった。

実はあまりにも突飛な状況に、逆に冷静になってしまっていたのだ。

もはや"ドン引き"していたと言っても良い。

だが、落ち着きすぎた雪緒は、不用意に立ちあがろうとしてしまう。

そこへ火ノ番の薙刀が、ギラリと睨みを利かした。

その穂先は、提灯に照らされて冷たく輝く。


しかし、この時。その場の誰も予想しない事態が発生する。

急に夜の空が明るくなって、闇を照らしたのだ。

それは雪緒から見て右側、東の空であった。

そして、その場にいた全員、その煌々とした空に気を取られてしまう。


……雪緒以外は。

雪緒には、指の先から伸びていく線が見えていた。

それは薙刀にぐるりと絡まり、前後に蛇行している。


(かすかに見える。……いける。)


雪緒は女中の持っている薙刀の穂先に、そっと手の甲を当てた。

そして、手首を返すと、そのまま薙刀の穂先を下にポンと押した。

不意のことに驚いた女中は、反射的に薙刀を手元に引き戻す。

だが、雪緒はその動きに合わせて前進し、一気に間合いを詰めてしまった。

焦った女中は、再び薙刀を前に突き出すが、すでに雪緒はそこにいない。

女中の左に移動した雪緒は、柄を掴むとそのまま一気に手前に引いた。

女中は自身の体重移動も合わさり、前方へと投げ出されてしまった。


「なっ!ぐはっ!?」


女中の呻き声に気付き、その場の全員がようやく空から視線を戻す。

だが、すでに遅かった。

薙刀を奪った雪緒は、廊下の将軍のすぐ背後まで移動していたのだ。

将軍の背に薙刀の穂先を突きつけ、雪緒は叫んだ。


「待って!動かないで!別に私は何かしようって訳じゃないんです!」


だが、誰もそれを聞き入れようとはしない。

雪緒を囲む女中らは、今度は明らかに敵意を向け始めた。

それもそのはず、雪緒が人質にとっているのは将軍だ。

この時点で、雪緒はただの闖入者から暗殺者へとランクアップしたのだ。

だが、それに気付いていないのは、雪緒ともう一人だけ。


「わぁ!それ、なぁに〜?みっこもやりた〜い!貸して貸して〜!」


ヤマンバが、庭から廊下にピョンと身軽にジャンプした。

そして、雪緒のすぐそばまで駆け寄り、薙刀を奪い取ろうとする。


「え、ちょっと、貴方!邪魔しないで!状況分かってんの!?……って、私も全く分かってないんだけど!」


場がどんどん混乱していく中、さらに混乱が押し寄せてくる。

西の中奥側出入り口の方から、女中が駆け寄ってきたのだ。

女中は相当に慌てているようで、吃りながらも叫んだ。


「あ、あ、恐れながら申し上げます!な、何やら中奥の方で何かあったようで、急ぎ殿へ取り継げと……。」


だが、今度は間髪入れずに、東の平川門の方からも女中が駆けてきた。


「恐れながら、火急にて申し上げます!東の屋敷が炎上しておるとのこと!お、恐らくあちらは、讃岐様のお屋敷かと……。」

「なっ!?……なるほど、そうか。恐らくは中奥の方もその件だな。よし、すぐに行くと伝えよ。……と、おお。其方(そなた)らか。忘れておったわ。」

「えっと、すみません。敵意はないんですが……。これ、たぶん私たち処刑されるながれですよね?逃げますので、どうか人質になって下さい。」


ざわめく女中ら。

もう少し少人数であれば、雪緒でもなんとかなったかもしれない。

だが、あまりにも多過ぎた。

しかも気のせいか、どんどん人が増えていっているように見える。

もはや完全に敵として認識されてしまい、雪緒に逃げる以外の方法はなかった。


「と、殿!……おのれぇ!慮外者(りょがいもの)めぇ!!」

「ちょ!見えます?見えてます!?人質!人質です!こ、殺しますよ!?マジですからね!?……あ、いや、殺す気はないんですけど、私たちは別に何かしようって気は……。寄らないでって!死にますよ!?」


実はこの時、雪緒は行動を起こしてしまったことでテンパり始めていた。

しかもそれを煽るかのように、雪緒の動きに合わせ、女中らが反応するのだ。


(ああ……、これ……、まずいまずい……。ど、どどど、どうしよう……?)


しかし、そんな中でも全く動揺していない者が一名。

雪緒の隣にいるヤマンバだ。

物欲しそうに、ずっと雪緒や女中らの薙刀を見ている。


「ねぇねぇ、お祭り?」

「は?祭り……?なんの……。」

「みっこもやる!わしょーい!」

「あ!ちょっとぉ!」


ヤマンバはその場でジャンプする。

見た目からは想像もできないが、かなりの跳躍力であった。

もしかすると、彼女はかなりのフィジカルモンスターなのかもしれない。

案の定、近くの女中らが腰を抜かしてしまう。

そして、手元から転げ落ちる薙刀。


「あ!」


嬉々としてヤマンバはそれを拾い上げてしまった。

しかも、両手に一本ずつの計二本。


「やったぁ!わしょーい!」

「きゃあ!」

「ひっ!?」


ヤマンバが薙刀を振り回す。

その姿は、正に未開の地の少数部族。狩られたら食べられてしまう。

日本の山中で見かけたら、本物のヤマンバと見間違えるに違いない。

女中らの怯えようが、あまりにも鬼気迫り過ぎて可哀想になってくるほどだ。


「危っ、危なっ!危な……、いから、振り回すなっ!……って、もしかして、お祭りの時の、振り回す"何か"だと思ってる……?」

「わしょーい!」


要は、火消しや祭りの際に用いられる"(まとい)"である。

棒の先に、人の頭ほどの飾りを載せているものであり、そこから馬簾(ばれん)と呼ばれるタコの足のようなものが垂れ下がっている。

つまり、棒状であること以外に薙刀との共通点は全くない。


「まぁいいや。ヤマンバちゃん、ついておいで!えっと、どっちに行けば……。ど、どっちが外ですか!?」


雪緒は女中に聞いたつもりだったが、思わぬ人物が答えた。

それは人質の将軍だ。


「近いのはそちらの平川門の方だな。だが、そちらにも警備の者がおるぞ。」

「なら、その平川門に……。って、なんで貴方が答えてるんです!?」


しかし、平川門側には、女中らの渋滞が起きていた。

狼狽える雪緒を他所に、将軍は冷静だった。


「ああ、すまぬ。出来れば中奥の方に行ってくれるか?どうも讃岐殿の屋敷が燃えておるようでな。これより、その対応をせんとならんのだ。」

「はぁ!?え、なんでそんなに冷静なんです?」

「其方らはあれであろう?流離であろう?……あーいや、未来から来たのであろう?誰の転生者なのだ?どうだ、徳川に仕える気はないか?」

「は?」

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