第29話 海神
──────札縨・花麓邸。
騒動から数日。
雪緒らは、ようやく以前の日々へと戻ることができた。
雪緒は警備隊の仕事を終え、お茶を飲みながら窓から外を見ている。
久々の、時間がゆっくりと過ぎていくような感覚に身を委ねた。
最近は目立った騒動もなく、警備隊も日常業務に戻りつつあった。
少し前の多忙な日々は、斬幕党による意図的な陽動だったのだ。
その為、斬幕党を壊滅させると、自然と面倒事も収まっていった。
雪緒を含む負傷者は、しばらく花麓邸で療養していた。
雪緒は比較的軽症だったので、すぐに復帰し、錆之丞を手伝った。
錆之丞は今も事後処理に追われているが、それももう終わるだろう。
お燐・お萌・お翠の三人においては、打撲による痣がしばらく残りそうだ。
ただ怪我自体はそのうち治る。問題は心の方だった。
また、花麓も肩に受けた銃弾のせいで、しばらく安静が必要だった。
「まったく、この忙しい時に……。」
花麓はそんな風に愚痴をこぼしていた。
今は、定山渓に発電所を建造しており、やることも多いのだそうだ。
建造中の発電所からは、時折職人がやってきては指示を仰ぐ。
そうして寝てはいても、結局何かしら作業はしているようだ。
そして、一番満身創痍だったのが恋十郎だ。
雪緒が宿屋に駆けつけた時、恋十郎は気を失った状態だった。
恋十郎は全身に打撲があり、一方的な状況だったことが分かる。
そこには、獄の遺体も放置されていた。
宿屋近隣の情報によれば、そこに女侍がいたという。
だが、その女侍はすでに宿を発っており、その消息も不明だ。
気を失った恋十郎を花麓邸へ運び入れてから、すでに数日が経っている。
そして、ようやっと恋十郎も意識を取り戻した。
「全身痛ぇ……、マジかこれ……。」
「恋……っ!良かった……。」
「雪……、ここは……?」
「花麓さんの屋敷だよ。」
「花麓……?」
恋十郎は辺りを見回した後、何かを思い出すように天井を見つめた。
雪緒は今まで、恋十郎のこんな有様を見たことがなかった。
しかも、ここまでの無様な状況だ。
相当なアクシデントがあったのだろうと想像ができる。
「おいら……。ああ、そうか。おいら負けちまったってことか。」
「負けた?……女侍がいたらしいけど。あと獄も死んでて……。」
「獄を殺したのはおいらじゃねぇ。たしか、名前は剣数……、だったか。流離で、べらぼうに強い奴だ。」
「……剣数?」
「獄の話じゃ、迷葉鹿頭火の関係者らしい。獄がそれを口走ったあと、口封じに殺されちまった。」
「迷葉?……ああっ!宇沙木剣数!?なんで!?」
「なんだ、雪。知ってんのか?」
雪緒は思い出す。
それは、江戸の町で売られた喧嘩だ。
あの場には迷葉もいて、みっこが酷い目にあった。
也場に止められたが、雪緒にはずっと悔しい思いがあったのだ。
「知ってるも何も……、江戸でちょっとね。……って、なんでこんなところに?もしかして迷葉もいたの?」
「いや、迷葉は見てねぇな。それが、どうも斬幕党関連のいざこざは、陰でコイツが糸を引いてたっぽいんだよ。……獄が持ってたあの拳銃。あれも迷葉から流された代物だろうな。」
「誘拐も迷葉関連の騒動だったってこと?」
「さぁ。どこまで噛んでいたかは知らねぇ。ただ花麓を亡き者に、ってのは考えていたんだろうな。例の、共闘の打診を断ったから、どうのこうのって。」
「それじゃ、迷葉は花麓さんを信用してなかったってことかな。」
花麓は、迷葉からの共闘を受け入れず、中立でいることを選んだ。
だが、迷葉から見れば、花麓の動向に不安が残ったのかもしれない。
どこまで迷葉の指示だったかは分からないが、結局は禍根を残す結果となる。
「さぁな。……それにしてもアイツ、なんで俺を殺さなかったんだ。獄を殺しても、俺が生きてたら口封じの意味ねぇ。クソッ、こんな屈辱は初めてだ。」
「いいよ、恋。私が仇をとってあげる。たぶん、剣数も江戸に行くはず。前に私も喧嘩売られたんだよね。次会う時は……。」
「いや。悪いが、アイツを殺るのはおいらだ。こればっかしは譲らねぇ。全く歯が立たなかったけどよ、こんなダセェまま終われねぇだろ。」
*
それから少ししてから、雪緒と恋十郎は花麓に呼び出された。
花麓は療養しつつも、結局は何かの作業をしている。
毎日忙しそうで、なかなか話す機会が無かったのだ。
雪緒らも、花麓と話すのは久々であった。
「雪緒くん、恋十郎くん。怪我はもういいのか?」
「ええ、私はもともとそこまでは。恋の方が……。」
「俺の方だって、大体問題ねぇよ。ちっと身体がバキバキなだけだ。というか、アンタの方が重症だろ。」
「そうだな。私の方は、もう少し休ませてもらうよ。まぁ、やらなきゃいけないことが山積みで、ゆっくりとはできないがね。」
「……それで話って?」
「まずは礼を言わせてくれ。私の家臣を助け出してくれてありがとう。」
「え、あ、はい……。どういたしまして……。」
花麓の素直なお礼の言葉に、雪緒は戸惑う。
やはり、知っている前世の人物像とはまるで違う。
史実や後世の創作では脚色もあるのだろうが、それでも随分とギャップがある。
少なくとも雪緒は、花麓に"誠実な人柄"という印象を持っていた。
「まぁ、色々あったけど、ガキンチョども、生きてて良かったな。」
「ああ、キミらのおかげだ。」
「それでよ、花麓さんよ。こっちもちっと……。」
「いや、言わなくても分かっている。今回のこと、裏で誰が糸を引いていたかも聞かせてもらった。そういうことなら、こちらも義理立てする必要もない。迷葉には痛い目をみてもらわねばな。」
「それじゃあ!?」
「ああ。丁度、斬幕党関連もひと段落したところだ。我らも少し手を貸そう。」
「本当に!?」
今回の騒動では、肉体的にも精神的にも随分と疲弊した。
だが、ようやく当初の目的が達成できるのだ。
さすがの雪緒の顔にも、少しだけ明るさが戻った。
「ただ私はこんな身体だ。あと、こちらでやることもある。だから、代わりの者を行かせよう。それに多くはないが、手勢もつける。まぁ人数はあまり期待しないでくれ。」
「代わりの者……?」
その時、部屋へ錆之丞が入ってくる。
「ああ、なんだ。恋も雪もいたのかい。恋は、もう少し寝ててもいいんだぜ?」
「錆さん、おいらもう平気だぜ。ほれ、この通り。」
「どれ?」
錆之丞は、恋十郎の右肩を軽く掴んだ。
「うぎぃ!?」
「やっぱりな。あんなボコボコにされて、二、三日で治るわけねぇだろが。痩せ我慢もほどほどにしときな。休める時に休んどくのも仕事だぜ?でなきゃいざって時、存分に力を発揮できねぇだろ。」
「ぐぅ、錆さん……。分かってんなら、もう少し手加減してくれよ……。」
「お前さんは、言っても分からねぇからよ。」
ニヤニヤと笑う錆之丞。
「……で、ああ、花麓様。警備の方の話なんですが……。」
「ああ、書類はそこに置いておいてくれ。それと、錆之丞。例の件、言っておいたぞ。オマエが江戸へ行く話な。」
「……ああ、そうですかい。」
「え!?」
雪緒は驚いて、錆之丞を見る。
「私の言った"代わりの者"とは、錆之丞のことだ。知らぬ仲でもないし、丁度良いだろう?」
「よろしくな、雪、恋。それと、連れていく人員はすぐ編成するからよ。ちと待ってくれ。まぁ、迷葉陣営から見れば、全く足りてねぇだろうが。」
「そういうことだ。大軍相手では厳しいだろうが、流離なら手立てもあるだろう。雪緒くん、キミらは近日中に、すぐ江戸の方に戻るといい。手配はこちらでするから、出立の準備だけはしておいてくれ。」
「分かりました。でも、ここからだとどれくらいかかるんでしょうか?札縨から松前までって、歩いて何日かかります?そこから津軽海峡渡って、江戸までとなると、また1ヶ月以上かかるんですよね……。」
「ああ、いや。徒歩は小樽までだ。そこからは船で行くといい。ウチには、密かに建造した高速船があるのだよ。江戸へは数日で着くだろう。」
「船、ですか。」
「江戸幕府では、大型船の建造が自由にできないのだが、ここは蝦夷地だ。彼らの目も届かないからな。」
江戸幕府の統治下では、大きな船舶を勝手に建造することはできなかった。
それは『武家諸法度』で定められている。
ただ商船に関しては、ある時から除外されて建造できるようになる。
また、幕末期には、防衛のために大名も建造することが可能になった。
ただ、この世界は鎖国中であり、未だ大名の建造は禁止されている。
それに、商船においても完全に自由だったというわけではない。
要するに、この制限は軍船の建造を規制し、海軍を規制するものなのだ。
だから、現代の知識を用いた高性能な船舶は、規制される可能性があるのだ。
「へぇ。たしか、この時代ってロシアからも侵入してきたりするんですよね。船の建造はそのためですか?それともいずれ徳川との戦いを見据えて……。」
「……ん?ロシアが攻めてくる心配はない。少なくとも今の所はな。」
「そうなんですか?」
「……その様子。雪緒くん、キミは知らないのだな?恋十郎くんもか?」
「何?何のことだ?」
「質問で返してすまないが、童雀から外国のことを聞いているか?あと、童雀は船を作らせていないのか?」
「えっと、いえ。外国のことは特には。あと船のことはすみません。ちょっと分からないです。」
「そうか、ならばキミらは船に乗ったことは?津軽海峡以外でだ。」
「いえ……、どうして……?」
「そうか……。」
花麓は、少し考える素振りを見せる。
雪緒も恋十郎も、話が見えずに困惑していた。
「ならば、ひとつ教えておいておこう。この世界についてだ。ここは日本であって、日本ではない。少なくとも我々が知っている日本ではないのだろう。」
「それって、どういう意味で……。」
「恐らく、我々はこの日本から外へ出ることは出来ない。逆に言えば、外からもこの日本へ入ってくることもできない。ここは、隔絶された空間の中にある閉鎖世界なのだよ。」
この世界では、1900年になっても未だ鎖国が続いている。
それにどんな意味があるかは、雪緒らには知る由もなかった。
*
錆之丞が部屋を出ていき、花麓が再び話し始める。
それは、雪緒が聞かされていない話で、恋十郎も知らないことだった。
「これは、私がまだ徳川に身を置いていた時の話だ。インフラの整備と並行して、鎖国が続いていた原因を探っていたのだよ。……ああ、一つ言っておくと、その時の私は、今の童雀に近い立場であったと言っておこう。」
花麓がまだ徳川にいた頃といえば、3年以上前のことだ。
その頃は、まだ童雀や智もこちらには来ていなかったはずだ。
「鎖国が続く原因ですか。黒船が来なかったと聞いていますが……。」
「そうだ。では、なぜ黒船が来なかったのか。まずはその原因を探る必要があった。なぜなら、本来の歴史において、幕府が立ち行かなくなった元凶がそこにあるからだ。国というものは、国内だけを見ても意味がない。いずれ来るであろう、幕末に向けての準備は必要だった。」
当時の花麓はまだ『遠瀬花麓』ではなく、『織田信長』と名乗っていた。
完全に前世の記憶を保持している完全覚醒者で、現代の知識にも明るい。
現世では商社に勤め、身体も鍛え続けていた。
武士としての記憶もあることから、徳川でもすぐにそれなりの地位となる。
「それで、各地の情報を集めていたのだが、その中に気になる情報があった。実は随分前から、長崎の貿易が機能していないというのだ。ずっと船の往来が途絶えていたのだよ。」
「長崎ですか……。出島ですよね。歴史でやった記憶が。」
「うーん、おいら歴史はあんまりで、よく分かんねぇんだけどよ。ずっと鎖国していたわけだし、元々船なんて往来してなかったんじゃないのか?」
「いや、鎖国とは言っても、完全に国交を絶っていたわけではない。そもそもあれは、キリスト教国のスペインとポルトガルを締め出すためのものだ。だから、中国やオランダとの貿易は、鎖国中でも続いていたのだよ。……ところがだ。私がこちらの世界に来た時点で、それも完全に失われていた状態だった。恐らく、それは今も変わっていないはずだ。」
「海外とのやりとりは全く無いってことなんですか?完全に?」
「無い。この世界は、本当の意味での鎖国状態だったのだよ。そして、気になる情報はもう一つ。遠洋に出ていく船舶も、すべて行方不明になっているというのだ。漁船や商船など関係なく、すべての船舶が、だ。」
「気持ち悪いですね……。」
「それで原因を探るべく、徳川の力を使って調査船団を編成した。だが、誰も帰ってこなかった。ただの一艘もだ。それで私は、何度となくやり方を変えた。最終的には、何艘かをロープで連結した船団を作った。それで判明した。」
「何が分かったんです……?」
「この日本は、"見えない何かに覆われている"ということだ。連結した船のロープが寸断されていた。その切り口は、焼き切ったように溶け爛れていた。それが消滅なのか、瞬間移動なのかは分からない。正直、"それ"があるということ以外に、我々には確かめようもなかった。」
「えっと、それは今も?」
「ああ、我々はそれを、便宜上"海神の境界"と呼称していた。恐らく、童雀や徳川の一部の者には、それだけで通じるはずだ。それに、日本各地の情報を精査する限り……。おそらく日本全土を囲む海上に、そういった境界が存在すると思われる。要するに、これこそ鎖国が続いている原因なのだ。」
雪緒らは花麓の話を理解はしたものの、全く実感がなかった。
実際に目で見たものでも、体験したものでもないということもあるが……。
そんな意味不明なものを、簡単に受け入れられるわけがない。
「まぁだから、洋上に出る際は気をつけるといい。陸地から離れ過ぎると、戻れなくなる。行く着く先は"常世"か、はたまた"ニライカナイ"か。それとも"あの世"か。私には知る由もないがね。」
「分かりました……。」
「あと、雪緒くん。童雀には宜しく言っておいてくれ。恐らく彼女は、私の知っている人物だろうと睨んでいる。できれば彼女が、もしくは彼女の部下が、迷葉の首を取ってくれることを願うよ。前世のようにね。」




