第28話 死闘
残虐・暴力描写があります。
──────常陸国の山中。
蝦夷地から遠く離れた場所。
そこには、先を急ぐ雪姫一行の姿があった。
だが、雪姫は突如崩れ落ちるように倒れ掛かってしまう。
蒼は慌てて雪姫の肩を支えた。
「雪姫様っ!?どうしましたっ!?」
「いけません……っ!そんな……、なぜ……!?」
雪姫はしゃがみ込み、両手で顔を覆った。
そして、すぐに両手をゆっくりと下げ、自身の周囲を確認する。
その顔は青ざめ、今にも倒れてしまいそうな表情だ。
ほんの数秒であったが、雪姫の目には別のものが映っていた。
蒼はすぐに察する。
「まさか、万華鏡がっ!?なぜ今!?」
「分かりません……。ですが……、お雪ちゃんと恋十郎様に危険が迫っております。事は命に関わります。このままではお二方は……。」
「もしや、蝦夷地で何か問題が……っ!?しかし、遠く離れた場所で、我々にできることは何も……っ。」
「私にも、なぜ今、万華鏡の更新があったのかは……。恐らく、私たちには知る由もない何かが、……起こっているのやもしれません。」
(どうか、お雪ちゃん、恋十郎様。無事に帰ってきて下さい。どうか……。)
雪姫は、ただただ祈ることしかできなかった。
*
──────札縨・町中の通り。
雪緒は必死に身を捩って、地面を転がってそれを躱す。
振り下ろされた釘バットは、地面を抉るようにめり込んでいた。
雪姫から頂いた雪緒の着物は、すでに泥だらけ。
黒く美しい色彩も、今はもう見る影もない。
もはや恥も外聞もなく、這いずろうとも躱すことを優先するしかない。
今の雪緒はギリギリの状況で、体裁など気にする余裕はなかった。
血に塗れたパンダの着ぐるみは、ただ淡々と釘バットを振り回していた。
まるで感情のない殺戮マシーンのようで、そこには何の感情も汲み取れない。
思考が読めないとなれば、予測もし辛く、どうしても後手に回ってしまう。
そして、とにかく装備の相性が悪い。
特に、着ぐるみの中の金属板が厄介だった。
恐らくは手の甲や足の脛にも、何か硬いものを仕込んでいると思われる。
蹴りを入れてみたが、びくともしなかったのだ。
釘バットの二刀流にしても、思いのほか厄介な代物であった。
まともに受け止めれば、刀を折られる可能性もある。
釘に引っかかれば、刃こぼれだってするかもしれない。
実際、いなしてはみたものの、引っかかって危なく刀を手放しかけた。
その特徴を列挙してみても、とにかくやり辛い相手だと再度思い知らされる。
「ねぇ、アンタ何なの!?聞こえてんでしょ!?」
雪緒は、先ほどからずっとこの着ぐるみに問いかけている。
だが、聞こえているような素振りは全く見えない。
その意思疎通の取れなさは、人間大の昆虫を相手にしている気分だ。
できれば、さっさと行動不能にしてしまいたいが、それも少々厳しい。
なにせ関節部分ですら装甲の隙間がなく、硬い何かでガードされているのだ。
(コイツ、中に鎧でも着てんの!?反則でしょうが!!……ダメだ。こんなの、まともに相手してらんない!冷静に考えるんだ……っ!)
もしかすると中は、西洋甲冑のようなものなのかもしれない。
そうなれば、刀で斬ったり突いたりというのも現実的ではない。
これが全身を覆うプレートアーマーだとすれば、弱点は兜前面の穴だけだ。
ただこの手の鎧は、総重量が30〜50kgもある。
着ぐるみ分も加えれば、相当な重量になるはずだ。
常人は動くこともままならないはずだが、この相手はそれなりに素早い。
間合いを詰めていては、対策を練ることもままならない。
それで雪緒は、釘バットをいなすことを諦め、距離を取るように努めた。
相手にも余裕を与えてしまうが、ペースを握られてしまうよりはマシだ。
ただそれにより一つ、見えてきたものがあった。
それは相手の視界が、極端に制限されているということ。
着ぐるみは距離を取った雪緒に対し、必ず首を上下に動かしていたのだ。
おそらく、狭い視界を調節しているのだろう。
西洋甲冑という予測も、あながち間違いではないのかもしれない。
(そうか、弱点は狭い視界。あとは、重さとか?攻撃するなら強力な打撃……、くらいしかないような……。)
冷静に相手を見られれば、更に見えてくるものがある。
釘バットの異様さに躊躇するが、その攻撃はひどく単純だった。
おそらく、甲冑の関節可動域か何かの制限だろう。
(関節……っ!そうだ、関節がどんなに硬くたって、曲がる方向は必ずある!それなら……っ!いなすのはバットの方じゃなく、身体の方だっ!!)
だが、雪緒が思考を巡らせている間に、着ぐるみが先に仕掛けてきた。
素早い動きで距離を詰め、釘バットを打ち下ろしてきたのだ。
雪緒は咄嗟にそれを左に避け、相手の右側へと身体を捌く。
「クッ!でも、これで……っ!!」
空いている左手で、着ぐるみの腕を掴む。
ここから関節に逆らわないように、相手の態勢を誘導してやればよい。
このまま肘を起点に逆関節で投げてしまえば、鎧だろうが関係はない。
しかし、その試みは失敗する。
その時、雪緒は着ぐるみの身体が急に膨れ上がったように錯覚した。
「え?……うぐぅ!?」
それは着ぐるみのショルダータックルだった。
最初から、二段構えの攻撃だったのだ。
雪緒は自身の左手を巻き込むように、胸に着ぐるみの肩口を食らってしまう。
更に、着ぐるみの硬い頭突きは、雪緒の顔面へと直撃する。
雪緒の鼻からは血が吹き出し、一瞬意識が飛んだ。
目の前でぱちぱちと火花が飛び、視界が真っ白いスクリーンに覆われる。
「……クッソぉ!!」
それでも雪緒は、すぐに意識を引き戻す。
だが、視界の端に、着ぐるみの右の釘バットが見えた。
それは腹目掛け下から迫るが、身体は浮き上がっているためにまず躱せない。
それで雪緒は、咄嗟に右手の刀を手放した。
そして、脇差の先端を鞘に残して、少しだけ抜いて構えた。
釘バットの一撃を、その脇差の刀身の横で受けとめるのだ。
「ぐうっ!!」
雪緒は物凄い力で後方へと吹き飛ばされ、地面へと投げ出された。
その時、脇差は砕けるように折れた。
だらりと鼻血が垂れ、腹の肉も少々裂けてしまった。
致命傷は避けたものの、意識は少し朦朧としている。
そして、手元には折れた脇差のみ。
落とした刀の場所は、着ぐるみの方が近い。
状況は最悪だった。
*
──────札縨・宿屋。
恋十郎は、刀をゆっくりと構え直す。
そして、眼前の宇沙木剣数をしっかりと視界に収める。
様子を窺い、隙あらばすぐにでも打ち込むつもりであった。
ところが、その立ち居振る舞いにはまるで隙がない。
相手の情報がない状況で、急遽開始されたこの立ち会い。
本来は五分五分のはずが、恋十郎には勝ち筋が全く見えていない。
それにも関わらず、剣数の方には気負いどころか気迫も感じられない。
剣数は刀を抜いてはいるものの、特別構えもしない。
まるで朝起きて顔洗う時のような、そんな不自然な自然さすら垣間見える。
剣数は、獄の拳銃を拾い上げた。
そして、それを隣の男へと手渡す。
「末藏、先に行って船の手配をしておけ。終わり次第、ここを発つ。」
「へい。」
末藏と呼ばれた男は返事をした後、荷物を手早くまとめて部屋を出ていく。
だが、恋十郎はその男をそのまま見逃す。
ただそれは斬らなかったのではなく、斬れなかったのだ。
男に気を取られた瞬間、剣数の刃が自身に届く気がしたのだ。
恋十郎の殺気に、剣数は微かに笑みを浮かべる。
「随分と気を張るものだな。"徳川一"というのも出まかせか?それとも、徳川にはまともな剣士もいないのか?」
「まだまともに斬り合っていなくとも、アンタの強さは分かる。挑発はしても、剣の腕までは侮ったりはしねぇよ。おいら、そこまで目は腐っちゃいねぇ。」
「なるほど、馬鹿ではないようだな。では、さっさと終わらせようか。」
恋十郎は、その一挙一動を見逃すつもりはなかった。
だが、剣数はゆらりと自然に歩き出し、間合いを詰めてきた。
その不自然なほどの平常に、恋十郎は機先の第一歩を封じられてしまう。
この時点で、恋十郎は後手に回ることが確定した。
剣数の刀は構えらしい構えもなく、ぶらりとぶら下がっていた。
だが、そこから最短距離で、恋十郎の喉元を捉える。
それは、正に首をもたげた蛇が捕食するかのように、首を狩りにきたのだ。
恋十郎はすばやく反応し、その刃をいなす。
(くっ!?そんなとっから来んのかよっ!?)
だが、そのいなしたはずの刃がくるりと向きを変え、再び襲いかかる。
それは流れるように恋十郎の刀を躱し、再び喉元をつけ狙う。
「くっ!?」
恋十郎は、たまらず後ろへと退いた。
(コイツの剣、一体何なんだ!?軌道が読めねぇ!?)
しかし、恋十郎が足を退いたのと全く同時に、剣数もまた一歩進む。
退いたことで、恋十郎は更に追い詰められてしまったのだ。
そうして再び、剣数の切っ先が恋十郎の首に突きつけられる。
恋十郎は身体を捩って、それを躱す。
首のすぐ横を切っ先が通り過ぎていく。
だが、この瞬間、恋十郎の背筋が凍る。
(しまったっ!やられた!?)
切っ先を躱した瞬間、剣数の刃の向きが変わった。
恋十郎は必死で後ろへ身体を逸らす。
そして、いなすのでなく、無様に棟(刀の背)でそれを受け止めた。
「ぐぅううっ!?」
そして、腕力でそれを弾き返す。
恋十郎は続け様に斬りつけるも、剣数はすでに間合いの外であった。
「フッ……。」
剣数は、微かに笑みを浮かべる。
恋十郎には、それが侮蔑かどうかは分からない。
だが、それに対し、軽口を叩く余裕すらもなかった。
(クソッ!棟で受けるなんて、折れるかと思ったぜ。……そうか、少し見えたぞ。なんであんな振りらしい振りもない刀で、こうも一方的にやられるのかが。)
相対する剣数は、相変わらず構えない。
ぶらりと刀を下げ、自然体だった。
(ヤツの刀、腕力で振り回してるって感じじゃねぇな。無造作に見えて、最短最小限できやがる。たぶん、先の動作が、次の動作に全部繋がってんだろうな。要するに、おいらの動きが全部見えてるってことだ。)
恋十郎は、首にヒリヒリとした痛みを感じ始める。
薄皮一枚で頸動脈までは達していなかったが、刃は首を切り裂いていたのだ。
剣数はニヤリと笑う。
「なんだか申し訳ないな。軽い手合わせのつもりが、随分と必死じゃないか。フフ……、思わず息を吸うのも忘れたか?」
「ハッ!?……カハッ!!ぐっ、ハァハァ……。ちっと、集中してただけだ。」
剣数は冗談のように言ったが、実際に恋十郎は呼吸を忘れていた。
それほどに、密度の高い刹那の攻防だったのだ。
(まるで勝てる気がしねぇ。だが、おいらはここで死ぬ運命じゃないはず。なら、おいらは迷わず、ただ死地に飛び込むだけさ。)
*
──────札縨・町中の通り。
雪緒は見た。
着ぐるみの足元にある自身の刀を。
おそらくは、着ぐるみもその視線に気付いた。
着ぐるみが、足で刀の位置を確かめている。
簡単に拾わせてもらえないだろうが、雪緒も折れた脇差では戦えない。
つまり、着ぐるみも、雪緒が刀を拾う瞬間を狙ってくると思われる。
だが、雪緒の予測は裏切られる。
着ぐるみは、雪緒の方へと刀を蹴って寄越したのだ。
「はぁ!?……このっ!馬鹿にしてぇ!!」
雪緒はすっ転びそうなほど左足で地面を蹴り、前へと走り出した。
刀は、雪緒と着ぐるみの丁度中間の場所。
そして、その刀を雪緒が先に掴んだ。
だが、待っていたように、そこに着ぐるみの釘バットが打ち込まれる。
すると、釘バットは刀の刀身に当たり、刀身がひん曲がってしまう。
しかし、そこに雪緒の姿はない。
着ぐるみが、そのことに気付いた時にはもう遅かった。
自身の狭い視界に、急に何かが飛び込んでくる。
それは折れた脇差の先端だった。
「……ッ!???」
着ぐるみは驚き、声にならない何か大きな息のようなものを漏らす。
しかし、脇差の先端は、金属音と共に途中で止まってしまった。
おそらくは、中で甲冑のバイザーか何かに当たって止まったのだろう。
ここで、雪緒の奇襲は失敗したかのように見えた。
だが、ここで終わらない。
着ぐるみは、脇差を差し込まれたことで少し仰け反っている。
この瞬間、雪緒は着ぐるみの右腕を取って引いたのだ。
着ぐるみはそれに逆らうように、一瞬だけ更に仰け反ってしまう。
そして、バランスを取るために後ろ足を下げる。
だが、それはできない。
なぜなら着ぐるみの背後には、すでに雪緒の半身があったからだ。
雪緒は、右手で着ぐるみの脇から腰をグッと押し上げる。
すると、着ぐるみの身体は、意図せず後ろへ倒れ込んでしまう。
だが、雪緒の体捌きは未熟であり、更に着ぐるみには重量がある。
結局、着ぐるみはその場に膝をついたものの、倒れはしなかった。
着ぐるみは慌てて、釘バットを振り回す。
しかし、関節の可動範囲に雪緒がいないため、それは空を切った。
このタイミングで、雪緒は完全に背後を取り、着ぐるみの頭を両手で掴む。
そして、後頭部に思いっきり膝蹴りをぶち込んだ。
硬い甲冑のようなもがあったが、それでも構わず何度も打ち付ける。
(この体勢から逃げられたら、もう私に勝ち目はない!!ここで仕留めきるんだぁっ!!)
雪緒は、膝が悲鳴を上げてもそれを止めなかった。
そうして何度か打ち込んでいると、二本の釘バットが地面に落ちる。
雪緒が掴んだ手を離すと、着ぐるみはそのままばったりと倒れ込んでしまった。
「やったの……?」
雪緒は、恐る恐る着ぐるみに近付く。
そして、着ぐるみの頭を取り除く。
それはぎゅうぎゅうに押し込められて、ひどく窮屈であった。
予想通り、やはり中には西洋甲冑が入っていた。
一本だけ横スリットが入っているバイザーだった。
「これ、殆ど見えなかったんじゃないの……?こんなんでよく戦ってたな、この人。どの道、これを刀で突くのは無理だったな……。」
こうしている間も、相手はグッタリしたまま動かない。
何度も頭に強い衝撃を受けたことで、脳震盪か何かを起こしているのだろう。
とにかく、この厄介な鎧はさっさと脱がしてしまった方がいいだろう。
そして、雪緒は兜を脱がせた。
「ええ……?なに、この人……?」
それは女性だった。
やはり、流離だったと思われる。
だが、顔の下半分が、錠前付きの黒革の拘束具に覆われていた。
胴体の方はよく見えないが、中にも拘束具らしき物がちらりと見える。
雪緒は大いに困惑した。
「ちょ、ええ……?そういう趣味の人ってこと……?」
それからしばらくして、錆之丞や配下の者らもそこへ駆けつける。
雪緒は錆之丞に事情を説明し、着ぐるみの女を拘束した。
そして、その後しばらくしてからのこと。
とある宿屋で、意識不明の恋十郎が発見されたのだ。




