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第2話 奈落

後半に暴力描写があります。

雪緒は、自室のある二階から一階へと降りていく。


食卓テーブルの上には、ラップのかかった朝用のおかずが置いてあった。

目玉焼きとソーセージ、それとほんの少しの野菜。

冷蔵庫を開けると、晩用のおかずも作り置きされている。

両親は共働きだ。朝以外、顔を合わせないことも多い。

これが用意されているということは、今日も遅いのだろう。

昼ごはんは、いつも適当に済ませているが、丁度目の前には朝食がある。

雪緒は、それをレンジで温め直し、食パンを焼いた。

家の中が静かなせいか、少しだけ外の音が聞こえてくる。

ざわざわとする音の中で、ゆっくりと時間が過ぎていく。

こうして時間を過ごすのも、もう三日目だった。


出来上がりを示すトースターの音が鳴った。

だが、焼き上がったパンを取り出すこともせず、何かを見つめ続けた。

それから、冷めたパンにジャムを塗り、淡々と口に入れていく。


「どこか、行ってくるかな……。」


実は、例の事件の数日後に一度登校していた。

だが、学校には尾ヒレを付けて事件のことが広まっていた。

その中には、雪緒がずっと秘密にし続けていた内容も含まれている。

それを打ち明けたのは、両親以外では一人しかいない。



雪緒は街へと出かけた。


家を出る時、少し緊張していたが、しばらくすると気にならなくなった。

その理由は、"秘密"を身に纏っていたからだ。


『ゴスロリ』。


ゴシック・アンド・ロリータの略。

2000年初頭から流行り始めたもので、『ロリータ』ファッションの発展系。

ロリータのイメージは、白基調の可愛らしさだ。

だが、ゴスロリのイメージは、吸い込まれるような黒。

愛らしいシルエットを残しつつ、ゴシックの重厚さや病的イメージを併せ持つ。


それは、優等生を演じていた彼女にとって、ほんの少しの冒険だった。

ただその冒険は、いつも自室の中だけで完結していた。

秘匿された冒険であり、それが人目に触れることはない。

この冒険こそ、雪緒の心のバランスそのものだった。


雪緒は幼少期から悪夢や幻覚に悩まされ続け、病院通いをしていた。

精神が安定しないせいもあり、友人もなかなかできなかった。

それで両親に心配かけまいと、必要以上に学業に励んだ。

気がつくと、自分だけでなく、他人にも厳しくしてしまうようになった。

更に、友人というものは遠ざかっていく。


そんな中で、友人と呼べる人ができた。

茶髪で、いつも甘い匂いのする彼女は、雪緒にとって刺激的な人物だった。

だが、彼女の一挙一動は嘘に塗れ、雪緒の心はいつも乱された。

ただそれでも、一度得たものを手放す気にはなれなかった。

彼女は次第に、雪緒のもう一つのバランスになった。


そして、その均衡はすでに崩れてしまった。


雪緒は周りの視線に気付いた。

だが、あれほど気にしていたのに、不思議と何も感じなかった。


(こんなことなら、もっと前から着れば良かった。)


案外他人というものは、自身を見ていないことに気付く。

目で見てはいても、その心内まで覗き見るわけでもない。

そういう格好の人は、"そういう格好の人"でしかないのだ。

そこに至るストーリーにまで、考えを巡らせる人は殆どいない。

なら、"好きにやればいい"と、やっとそう気付いた。


あの事件以来、例の"スローの魚の世界"は現れなくなった。

ただ、それはそれで良かった。

見たくないものを見なくてよいから。

魚になると、必要のないものまで見えてしまう。


だが、それとは別に、ひとつ困ったことがあった。

例の悪夢が再発したことだ。

子供の頃からずっと苦しめられた夢であり、幻覚。

人差し指から伸びた長く冷たい"それ"が、稲妻のように空を裂く。

すると、透明な白昼の軌跡が、赤黒い飛沫に変わっていく。

最初、それはひどく心地良いのだが、必ず最後に嫌なものに変わる。

手に残る生暖かさがベタつき、鉄の臭いに吐き気がしてくる。

気がつくと、足元に見知った顔が転がっていた。

そこでようやっと、自身の手で殺したと理解する。

そんな夢を延々と見続けるのだ。


(しばらく見てなかったのにな……。やっぱりあれは、私の精神状態次第なんだな……。)


両親にまた心配をかけてしまう。

それだけが気がかりだった。


そうして暗い表情のまま、雪緒は街をアテもなく歩く。

すると、一番会いたくない人物に出会ってしまう。


レイは息を切らし、何かから逃げているようだった。

雪緒に気付くと立ち止まった。

いつもの綺麗な茶髪は、何かと争ったのか、少し乱れていた。


「……え?アンタ、もしかして雪……?え、なんでその格好……?」


雪緒は何も言わず、そのまま立ち去ろうとする。

だがその時、ガラの悪い不良女が追いついてきた。

そして、レイに掴みかかった。


「オイ!てめぇ、逃げてんじゃねぇ!」

「離してよ!だから、違うって言ってんでしょ!人違いだって!」


不良女は振りかぶり、レイの頬を思い切り打った。


「痛ッ!なにすんだよ!!」

「人違いじゃねぇ!こっちは(つら)知ってんだよ!毎日逃げやがって、やっと捕まえたぞ!私の男に手出して、ただで済むと思ってんじゃねぇだろうなぁ!?」

「離せよ、ブス!オマエがブスだからだろ!ウチの方が可愛いからって僻んでんじゃねぇよ!ブス!」

「ああん!てめぇ!」


再び不良女がレイを打つ。

だが、今度はレイも不良女を殴り返す。


「この、テメェ!」

「先にそっちがやったんでしょ!」


揉み合う二人。だが、そこに不良女の仲間が追いついてきた。

仲間の男が、レイの肩を掴んで連れ去ろうとする。


「なによ!触んないでよ!やっ!やだって!!」


急に旗色の悪くなったレイは、雪緒に助けを求めた。

雪緒の手に触れ、グッと力をこめて掴んでくる。


「ね、ねぇ!雪、助けてよ!コイツら馬鹿だからさ、なんか逆ギレしてんだよね。知ってるよ、アンタ結構強いんでしょ?合気道とかやってたじゃん。ねぇ、ウチらダチじゃん?また助けてよ、この前みたいにさ?」

「あ?オマエ、こいつの仲間か?」


不良女が雪緒を睨む。

だが、雪緒はレイの手を冷たく払った。


「……誰、知らない。私は関係ない。」

「オマエ、ふざけんな!助けろよぉ!!」


その瞬間、激昂したレイが雪緒の背後に回り込む。

そして、両手で雪緒を突き飛ばそうとした。

恐らく、先日にやったことと同じことをしようとしたのだろう。

だが、雪緒は後ろも見ずに、スッと右へ移動する。

すると、レイは不良たちの方へと、身体全体を投げ出すように転んでしまう。


不良女は雪緒を一瞥したが、それ以上雪緒には手を出さなかった。

そして、仲間と一緒にレイを連れ去っていく。

レイは引っ張られ、去り際に雪緒に向かって罵詈雑言を浴びせていった。


「ぼっちだからダチになってやったのによぉ!恩返せよ!オマエみたいなつまんねぇヤツ、誰が本気でダチになるかよ!バぁカ!死ね!死ね!!」


雪緒は、何も言い返さなかった。



──────駐車場。


レイは髪を掴まれたまま、引き摺り回されていた。

茶髪はもうクタクタになり、顔も腫れ上がり始めていた。

いつも薄く化粧をしており、人一倍見た目に気を使うレイ。

だが今は、涙で化粧もぐずぐずになっていた。


駐車場の中には、他に何人かいた。

だが、彼らが入ってくると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。

彼らのすぐそばには、ワンボックスカーが停まっている。

そこから、四人の男たちが出てきて、下卑た笑いを浮かべた。

他に三人の女と一人の男がいた。

レイひとりに対し、相手は八人だった。

レイは男に殴られ、すでに戦意喪失してしまっている。

彼女は無駄と知りながらも、何度も涙ながらに懇願した。


「やめ、やめてください……。お願いします、お願いします……。」

「さっきまでイキってたのに、どうしたよ?」

「すみませんでした……。もうしないから、もう帰して……。」

「オマエ、バカか。帰すわけねぇだろうが。」


不良女は、レイの髪を掴んだまま、勢いよく蹴り飛ばす。

レイは、ワンボックスのすぐ隣まで突き飛ばされる。

そして、そこにいた男たちに掴まれる。


「手伝ってくれたコイツらに、餌やんねぇといけねぇしなぁ。意味分かるよな?……ああ、後で動画送ってよ?学校にばら撒いてやるから。」

「ほら、来いよ!乗れ!」

「やだ!やめて!やだああ!!お願い!やだ!やだ!!」


泣き叫ぶレイ。だが、誰も助けようとする者はいない。

男たちは、レイの身体をベタベタと触りながら、車の中に押し込める。


雪緒が駐車場に足を踏み入れた時、奥から泣き叫ぶ声が響いた。

その声を聞いても、雪緒は何も感じない。……はずだった。


(あー、いやだ。なんで私……。)


「ごめんなさい!ごめんなさい!もうしないから!もうしな、……やだあ!!触らないで!!いや!いやぁ!!」


(きっと、最初から友達じゃなかったんだよね……。私、馬鹿みたい。)


「やだ!やだああああ!!お母さぁああん!!やだぁ!!」


泣き叫ぶ声が聞こえなくなる。

雪緒の位置からは車の影になり、その様子は何も見えなかった。

だが、その時、微かに声が聞こえた。


「…………ゆ、雪ぃ……、助けて……。」


ただそれはあまりにも小さく、消えてしまいそうな音。

だから、雪緒は気のせいだと思いたかった。


(ああ、手の震えが止まらない。どうして、もう関係ないのに。私は一体何をしようとしてる……?今はもう、あれは見えないんだ。トレースできないんだ。私には何もできない。でも……。)


その時、一瞬、光が見えた。

それは雪緒のつま先から伸びていき、ずっと奥の方まで続いていく。

地を這うような光のながれは、視界を塞ぐ車の影へと繋がっていた。


(どうして……。もう見えなくていいのに。)


雪緒はそれをトレースする。

ゆっくりと、それでいて足速に進む。

そして、その場所へ着く。


ワンボックスカーの扉は開いていた。

髪を掴まれ、涙でくしゃくしゃのレイ。

彼女はなんとか自力で逃れようと、自分で扉を開けたのだろう。

だが、それは虚しく、再びに車の中へ引き戻されようとしていた。


その時、雪緒はレイと目が合った。


「雪ぃ……っ!」


レイの消えそうな声。

しかし、彼女は押さえつける男に殴られ、身体を縮こませた。


「ああん!?テメェさっきの!?」


不良女が雪緒の姿を確認して叫ぶ。

だが、次の瞬間、女は膝から崩れ落ちていた。

雪緒の掌底が顎を振り抜き、女は一瞬で意識を持っていかれたのだ。


「殺してやる……。」


雪緒の口から、自身でも意図しない言葉が漏れる。

自分でも驚いていた。そして理解できなかった。

なぜこんなにも、ハラワタが煮え繰り返っているのか。


雪緒は、その怒りを解き放った。


ワンボックスカーの入り口に飛びつき、中の男二人の目に同時に指を突っ込む。

そして、その男二人の喉に肘を入れ、潰した。

呼吸が出来ずに悶え苦しむ男たちの胸ぐらを掴み、車外へと引き摺り出した。

背後から別の男に掴みかられると、踵を打ち上げ、急所を潰す。

そのまま髪を掴み、顔面に膝蹴りを食らわせた。

運転席にいた男もやってきたが、今の雪緒の前ではただの生贄でしかなかった。

急所に膝蹴りを入れられ、倒れざまに側頭部にも膝をいられ昏倒した。

その場にいた男どもは、全員急所を潰され、もはや立ち上がることもできない。

一瞬のことに、固まっていた女らも次々と戦闘不能にさせられる。

もうそこで動く者は、雪緒とレイ以外いなかった。


レイが、車から恐る恐る出てきた。


「助けに……、来てくれたの……?」

「……別にそういうわけじゃない。」

「雪……。」


レイは自身の身体を抱きながら少し歩くも、足元は頼りなくよろめいてしまう。

雪緒はいち早くそれに気付き、咄嗟に支えようと手を伸ばす。

だが、レイは身体を縮こませ、それを拒絶した。


「アンタ……、誰……?本当に雪、なの……?」


レイは怯えていた。それは、男共にではない。

目の前の、血塗れの女に対してだ。


雪緒は笑顔を見せた。


「……じゃあね。」


雪緒は、そのまま駐車場を出ていった。


駐車場を出ると、日が落ちかけていた。

辺りには影が落ち、少しずつ暗闇に飲まれていく。

だが、その影も、今の雪緒にはよく見えていなかった。

朧げな陰影は、もうすべて暗黒の中と変わらない。


もう気付いてしまったのだ。


(人を殺す感覚。夢でも幻覚でもなかった。……記憶。私のものではない、私の記憶。……これは、人殺しの記憶。)


雪緒は足の感覚を失った。

今、歩いているのか、走っているのか、立っているのか、座っているのか。

もう何も分からない。

自身の根底から、何かが崩れていく錯覚。


だが、それは錯覚ではなかった。

錯覚を意識した瞬間、本当に奈落へと落ちていたのだ。


そこで一度、雪緒の意識は途切れた。

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