第21話 上陸
雪緒と恋十郎は蝦夷地へと歩みを進める。
当初の雪緒は、"急いで行って帰ってくる"なんてことを考えていた。
だが、すぐ初日から"焦ってもしょうがない"と思い始めることとなる。
なにせ朝から晩まで歩き通しだ。
とにかくすぐに疲労が溜まってしまい、そんな余裕などなかった。
そのせいか、草鞋に馴染むのにもそれなりに時間を要した。
それに引き換え、恋十郎の方は随分慣れたもの。
休憩の際は、替えの草鞋を編んだりしていた。
雪緒が、足を投げ出してだらしなく休む間も手を動かし続ける。
普段のだらしない恋十郎からは想像もつかない姿だ。
だが、これが俗に言う"旅慣れている"ということなのだろう。
ただ雪緒のそんな体たらくも序盤だけだった。
若い肉体は回復も早い。
途中からは随分と慣れ、順調に進み始める。
第一に、路銀が十分だったこと。
第二に、剣の腕も十分だったこと。
なにせ、当たり前のように追い剥ぎが現れるのだ。
男装をしていても、若い女相手となめる者が多いのだろう。
ただその度に斬り合いになるも、二、三人斬り伏せれば逃げていく。
その頃の雪緒も慣れたもので、特に恐れもなかった。
軽くひねる程度なら朝飯前だ。
旅程の中ほどを過ぎる頃には、気が抜けて欠伸まで出てくる始末。
「ふわぁ……。うーん、さすがに歩くのもう飽きたな……。追い剥ぎも多いし。治安どうなってんのよ……。あー暇すぎる。音楽ぐらい聴きたいなぁ。」
「そんじゃ歌でも歌うか?」
「いや、それはいいや……。」
奥州街道は、陸前国(現代の宮城県あたり)で多少海沿いになる。
だが、それ以外はひたすらに内陸を進んでいく。
景色が変われば、それなりに気も紛れるが似たような景色が続く。
雪緒も暇過ぎて、木の本数を数えたり、珍しい草木を探したり。
そうして、やっと陸奥国(現代の青森県あたり)の三厩に到着する。
ここから船に乗り、松前(現代の北海道南端)へと渡るのだ。
結局、ここまで28日ほどかかってしまった。
決して早いペースではないが、旅の不慣れさを考慮すればマシな方だ。
そして実は、この旅には道連れがいた。
背の高いガタイのいい女侍で、名は『此志村錆之丞』という。
実は、彼女とは陸中国(現代の岩手県あたり)で出会った。
道中で追い剥ぎに襲われていた者らを助けた際、彼女とは共闘する形になる。
その後、恋十郎と随分気が合った様子で、自然と道連れとなったのだ。
そんな彼女は津軽海峡の荒れた波を見て、深いため息を吐いた。
「うーん、やっぱ今日は無理か。この調子だとしばらく渡れんな。」
「えー?おいらたち、急ぐってわけでもねぇけど……。あんまり足止めされんのも勘弁だぜ。なんとかならんのかい、錆さんよぉ?」
「こればっかしはなぁ。俺もここの船は何度かって程度だが、待たされる時は諦めるしかねぇよ。たぶん、これから雨が降る。波はもっと荒れんだろ。しばらくは、宿で酒でも飲んで寝てた方がいい。」
実は彼女、少々変わった出立であった。
刀と脇差の他に、腰の後ろにもう一本の脇差を差していた。
わざわざ差しているのだから、おそらく脇差は二本同時に使うのだろう。
"二刀流"と言えば二天一流の宮本武蔵や、奥村二刀流の奥村左近太が有名だ。
しかし、人体の構造上、純粋に手数が増えるというものでもない。
大抵は、太刀と脇差のような非対称が普通である。
短い方が受け用で長い方が攻め用と、役割分担することが多いのだ。
短い方の役割としては、刀を受けて絡め取る。同心の使う十手に近い。
西洋短剣であれば、ソードブレイカーやマンゴーシュに相当するだろう。
ただし、脇差や小太刀の二刀流というのも存在しないわけではない。
脇差の二刀流となれば、柳生心眼流にそういった型もあるようだ。
だが、一時の道連れでしかない彼女に、根掘り葉掘り聞くわけにもいかず。
雪緒からの印象は、癖のありそうな……、というものだった。
実を言うと、雪緒は姉御肌な彼女に少々気後れしていた。
苦手、というわけではないのだが、距離感を掴みづらいのだ。
ただ、彼女からは有益な情報も得られていた。
それは、雪緒らが知らない江戸の情報だった。
その後、雪緒ら三人は三厩で宿をとる。
雪緒と恋十郎が部屋で休んでいると、錆之丞が入ってきた。
「湯を沸かしてくれてるってさ。雪。お前さん、先にもらってきな。」
「あ、うん。ありがとう。」
雪緒が手拭いを持って部屋を出ていく。
だが、浮かない表情であった。
錆之丞は恋十郎の向かいに座り、酒を煽り始めた。
「飲むかい?」
「いや、おいらはいい。すまねぇな、錆さん。雪に悪気は無ぇんだけどよ。ずっとあんなカンジでさ。普段は気のいい奴なんだ。」
「ん?ああ、いや、あの子の大事な人が江戸にいるんだろ?気落ちすんのはしょうがないさ。俺は別に気にしてねぇよ。」
「まさか江戸城が本当に無くなっちまってるなんてなぁ。」
「江戸は大混乱だったな。今は西側もキナ臭くなってるっていうし。いつ戦が始まってもおかしくない。幕府も、もうそろそろ駄目かもしれんな。」
「なぁ錆さん。アンタ、何者なんだ?松前藩の……、って感じじゃねぇよな。」
「さぁてな。まぁ、俺はとりあえずはお前さんらの敵ではねぇよ。何せ、俺は今、商人に飼われてる身でな。」
「商人ねぇ。」
「遠瀬花麓という方でな。松前では有名人だぜ。今は蝦夷地で手広くやってる。まぁ困ったことがあったら、頼るといい。俺の名前を出してもいいさ。」
「そうかい。そうさしてもらうよ。それでさ、信長の……。」
「おめぇさんもしつこいなぁ。まぁこれから探すのに、手掛かりも無いんじゃ仕方ねぇか。……そうだな。松前で聞き込みでもすりゃ、知ってる奴もいるんじゃないか?蝦夷地にいるんだろ?……って、その情報を持ってたやつからは、それ以上の情報は聞けなかったんかい?」
「ん?ああ、蝦夷地にいるらしいって噂だけだな。」
「ふぅん、そうかい。そいつ、一体どこからそんな噂を聞きつけたんだろうなぁ。そっちの方が興味あるぜ。まぁでも、お前らの目的は知らんが、あんま深入りはしない方がいい。秀吉のことといい、流離関連はキナ臭過ぎるぜ。」
「ああ、分かってるよ。」
こうして三人は、しばらく三厩で足止めを食ってしまう。
結局、松前へ渡れたのはそれから4日後だった。
*
──────松前藩・城下町。
雪緒・恋十郎・錆之丞は、ようやっと松前へと到着する。
結局、雪緒らが屋敷を出てから32日が経過していた。
松前の港は、思いのほか人や船で溢れていた。
江戸もなかなかの賑わいであったが、こちらも決して負けてはいない。
雪緒は、蝦夷地を未開の地と想像していたので、正直驚いていた。
勿論ここは松前藩であり、まだ蝦夷地ではない。
松前藩も蝦夷地も現代の北海道であるが、南端部だけが松前藩となる。
それ以外の部分が、いわゆる蝦夷地となっているのだ。
江戸時代には蝦夷地の開発も始まっており、和人は急増していた。
そして、面食らったのは恋十郎も同じだった。
「すげぇな、こりゃ。油断すっと迷子になりそうだ。」
「ははは、気を付けな。じゃあ俺はここでお暇させてもらうよ。恋、雪。楽しかったぜ。またな。」
「なんだよ、錆さん。もう行っちまうのかい?」
「花麓様に報告しにいかねぇとならんのよ。まぁ、またそのうち会うこともあらぁな。じゃあな。」
「そうかい、じゃあまた。」
「錆さん、色々ありがとうございました。」
「ああ、こっちも助かったよ。あんがとさん。」
そう言って、錆之丞は松前の雑踏へ消えていった。
「さて……、信長を探さねぇとな。」
「うーん、まずは宿を見つけておいた方がいいかもね。人が多そうだし、簡単に宿がとれるかも分からないから。」
「じゃあ手分けしようぜ。雪ももう一人で出来んだろ?おいら、聞き込みに行ってくるよ。30分か1時間後くれぇに、ここにまた集まろうぜ。」
「分かったよ。」
こうして二人は一旦別れた。
雪は早速旅籠屋を見つけ、手続きを済ませた。
そして、早めに待ち合わせ場所で待っていた。
ところが、いくら待っても恋十郎は戻ってこない。
「恋、どっかで遊んでるんじゃないだろうな……。」
剣の腕は折り紙付きで、恋十郎が負けることはそうそうないだろう。
とすれば、彼女が約束を忘れているくらいしか理由が思いつかない。
だが、ここを離れてしまうと、恋と行き違いになる可能性がある。
そんな風に雪緒が逡巡していると、不意に何者かに袖を引かれた。
「ねぇねぇ、黒い着物のおねーさん。」
「え?……ひっ!?」
雪緒が振り返ると、そこには小さな三人の子供たちがいた。
上は10歳から、下は5歳くらいだろうか。
ただそれだけなら、驚くこともない。
雪緒が驚いたのは、三人とも"髭の生えた能面"を被っていたことだ。
その奇妙さに、雪緒は思わず身体を縮こませてしまう。
「おねーさんは人を待っているんだよね?」
「え?ええ、まぁ。君たちは誰?……というか、何か知ってるの?」
「うん。桃色の着物を来た、女侍でしょ?」
「え!?何か知ってるの!?……って待って。なんで私が"連れ"だって分かっ……。」
「こっちおいでよ!会わせてあげるよ!こっちこっち!」
「え、あ、ちょ!」
雪緒は子供達に手を引かれ、雑踏を越えて町を横切る。
そうして四人は町に消えていった。
*
「う、ん……?」
「お目覚めかい?」
雪緒は朦朧とする頭を抱え、起き上がる。
少しずつ明瞭になる視界。
そこには、恋十郎の姿があった。
「あ、恋。見つけた。」
「見つけたって。呑気な奴だな。まぁ状況も分かってねぇんだろうけど。」
「状況?」
雪緒は恋十郎にそう言われ、辺りを見回してみた。
見覚えのない場所であった。
だが、こういう雰囲気の場所は知っている。
木製の壁に、木製の格子。そして、錠前のついた扉。
小汚い畳が敷いてあり、格子の手前には臭い穴があった。
「え?ええ!?またぁ!?こ、こ、ここ、座敷牢じゃん!どうして!?」
「どうして、って。捕まったからだろうが。」
「え、あ、いや、アンタこそどういうことなの!?」
「お前ここに運ばれた時寝てたみたいだからな。おいらとおんなじだろ。」
「おんなじ?」
「ガキに会ったか?能面の三人。」
「ああ!!会った!!」
「やっぱりそうか。おいら、信長の聞き込みしてたらよ。怪しげな三人のガキが知ってるってんで、ついてったら……。途中から記憶が曖昧なんだが……。ありゃ、どっかで何か盛られたな。」
「盛られた?毒とか?……うう、全然思い出せない……。」
「信長関連か何かは分かんねぇけどよ。ありゃ、あんなナリでも忍びか隠密だったのかもな。油断しちまったぜ。まぁ、慌ててもしょうがねぇ。あちらさんも殺す気はねぇみたいだから、しばらくゆっくりするしかねぇかもな。」
「そんな暇ないでしょ!すぐにここを出ないと……。」
「どうやって?刀も全部取られちまったし……。でもまぁ大丈夫だろ。万華鏡によれば、俺らはここでは死なねえだろうしな。」
「そんな……。」
それから数日間、雪緒らは放置された。
勿論、食事は出るし、見張りの者もいた。
だが、結局、なぜ捕えられたのかも何も分からなかった。
*
そして、10日ほど経ち、事態はようやく進展する。
座敷牢に見覚えのある者が現れたのだ。
「オイオイ、おチビちゃんたち、これはどういうことなんだよ?」
それは、少し前に一緒に旅をした此志村錆之丞であった。
すぐ側には、例の子供の能面三人組もいる。
「せ、錆さん!?」
「おお、恋。悪いな。なんでこんな……。オイ、お燐。なんでこんなことになってんだよ。」
どうやら"お燐"とは、一番背の大きな能面の子のことのようだ。
「え?だって、錆ちゃん。右府様のことを嗅ぎ回ってる奴らがいるから、監視しておけって……。」
「言った。言ったけど、それがなんでこうなる。」
「尾行するより、捕まえた方が監視しやすいでしょ?右府様もいつも言ってるでしょ!合理的にって!」
「違う!オマエらのは合理的じゃなく、短絡的というんだ!」
言い争う錆之丞と能面三人衆。
それを見ていた雪緒と恋十郎は、何が何だか分からない。
「えっと……?」
「ああ、えっとだな……。恋、雪。悪いな、そのなんだ。手違いってやつだ。すぐ出してやっから、勘弁してくれ。」
「はぁ……。」
「何言ってんだ!錆ちゃん!ボクらが頑張って捕らえたのに、手柄を横取りする気だな!右府様に褒められるのはボクらだぞ!!」
「だから……、って。あーお前ら、右府様なんて言ってると、また怒られるぞ?今は商人だって言ってんだろうが。あーそうだな、言いつけちゃおうかなぁ?」
「う、うわあああ!ボ、ボクは何にも言ってないからな!」
「わあああああ!」
「あああああああああん!」
「ちょ!お前ら泣くな!都合悪くなると泣き出すの卑怯だぞ!!」
「わああああああああああああ!」
「ああ、もうめんどくせえ……。」
錆之丞がうんざりしていると、奥から誰かが現れた。
それは、着物の上に、アイヌ紋様の羽織りを着た女商人であった。
現代風の銀縁の眼鏡をかけており、只者ではないとすぐに分かる。
「全く騒々しい。外まで丸聞こえだぞ。……それで、錆之丞。彼女らが?」
「そうです。おそらくは、徳川の流離かと。」
「なるほど。」
女商人は、ゆっくりと座敷牢の格子へと近付く。
中の雪緒と恋十郎を見て、銀縁眼鏡をクイッと押し上げた。
「初めまして、お嬢さんたち。私は遠瀬花麓という一介の商人だ。それとも織田信長と言った方が、君達には分かりやすいかな?」
「は?」




