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第1話 溺没

後半に暴力描写があります。

──────現代・高校。


早朝の教室。


登校した生徒たちは、他愛もない会話をしている。

いつものグループに分かれて、HR(ホームルーム)があるまでこうして過ごすのだ。


その中に一人、ボーッと過ごす少女がいた。

彼女の名は"瑞白(みずしろ)雪緒(ゆきお)"。16歳の女子高生。

いつも早めに登校しているが、あまり他人と会話をしない。

それは、中学の頃からそうだった。

高校一年になっても、それは変わらない。

それはハブられているというわけではなく、単純に億劫だったからだ。

積極的に関わろうとしなかったことで、自然に一人でいることが多くなる。

だが、雪緒はそんな一人の時間が嫌いではなかった。

彼女には、子供の頃から"あるもの"が見えていた。

それに身を委ねると、不思議な懐かしさを覚えるのだ。

ただそれは、言葉にするのはとても難しい現象であった。


一言で言えば『線』。

それは自身から伸びていき、緩やかなカーブを描く。

人々の間を縫うように交差し、ぐるりと回って、跳ねるように少し戻る。

例えるなら、"虫の通り道"が残像で見えているような感覚だ。

それは自身の指先から伸びていったり、時に足先から伸びていくこともある。

そして、それが見え始めると、もう一つの現象が現れる。

様々なものが、ゆったりとスローに動いているように感じるのだ。

人の肉の躍動であったり、自重で沈む関節の連動であったり。

まるで重力が軽減されたかのように、人の身体がじわりと弾む。

そうして彼女は、それらに合わせて自身の感覚をトレースする。

すると、次第に線は自身に重なっていき、スローな世界で泳ぐ魚となった。


少女がそんな不思議な感覚に身を委ねていると、不意に声をかけられた。


(ゆき)、またボーッとしてんの?また怖い夢で寝れんかった?」

「あ、レイちゃん、おはよう。ううん。……あ、いや、そう、ちょっと寝不足かも。でも、怖い夢ではないよ。最近は見てないかな、ははは。……レイちゃんこそどうしたの?珍しいね。朝から学校にいるなんて。」


彼女の名は"丹端(にばた)レイ"。中学の頃からの友人だ。

彼女は茶髪で、いつも何かしら甘い香りを漂わせていた。

いわゆる遊んでるタイプの子で、雪緒とは真逆の性質。

雪緒は委員長であったため、クラスメートとの会話の機会はそこそこ多い。

だが、くだらない雑談話をする相手は、高校では彼女くらいだった。


「聞いてよ、雪。ウチ、落第させるって言われたー。今日の一限出なかったら、補習出てもダメだって。もうウチさー、朝無理じゃん?絶対起きれんもん。そんで今日徹夜したしー。」

「レイちゃん、いつも夜更かししてるでしょ。早く寝た方がいいよ。」

「寝不足の雪に言われたくねー。……あ!ねぇウチ、明日も一限来なきゃいけないんだけどさー。雪、明日起こしてよー?」

「レイちゃん、目覚ましも電話も起きないでしょ……。」


レイは身体をグイッと近付け、大きな胸を密着させてきた。


「ねー、ウチら親友じゃん?助けてよー!このままじゃウチ、後輩じゃん!」

「もうしょうがないなぁ……。明日、早めに迎えにいくから、ちゃんと起きててよ?言っとくけど、私の家、逆方向なんだからね。」

「本当ーっ!?だから、雪好きー!さっすが委員長!……あ、そうだ!今日一緒に帰る?あ、合気道あるん?……ん?あれ?剣道だっけ?」

「合気柔術ね。今日はないから、一緒に帰れるよ。……あと剣道は随分前にやめたって。なんか向いてなかったから。」


抱きつくレイに、雪緒はニッコリと笑いかける。

だが、雪緒はレイの嘘を知っている。

スローな世界の魚になっている時にだけ、それが見えてしまう。

彼女は嘘をつく時、右の眉が微かに動くのだ。

ほんの少しの嘘は、水面に落ちる雫のように波紋を広げていく。


だが、雪緒はその(さざなみ)を信じなかった。



夕方。


雪緒の母親は家にいて、けたたましくなる家の電話をとった。

かけてきた相手は、警察であった。


「ええ、そ、それで娘は……っ!?」

「今、病院の方なのですが……。お母さん、至急こちらへ来られませんか?」

「娘は、娘は無事なんですよね!?」



──────病院。


母親はタクシーを使い、急いで病院へ駆けつけた。

逸る気持ちを抑えながら、救急外来の受付男性に話しかける。


「あの、ウチの雪ちゃんは!?いや、えっと……、あの、瑞白です……っ!」

「ああ、瑞白雪緒さんのお母さんですね。こちらへどうぞ。警察の方もいらっしゃいますので……。」


受付に案内され、奥へと入る。

すると、待合室の長椅子に項垂れた雪緒が座っていた。

その隣には、女性警官だろうか、寄り添うように肩を抱いている。


母親は姿を見て一瞬安心するが、その姿を確認し、血の気が引いた。

彼女の制服は血で汚れており、その手は小さく震えていたからだ。

母親は、思わず廊下を走ってしまう。

そして、雪緒の隣に座るや否や、彼女をグッと抱き寄せた。


「ああ、雪ちゃん。もう大丈夫だからね。痛いところは?……は!?ど、どうして雪ちゃん、こんなところに!?先生は!?先生はどこなんです!?」


狼狽える母親を見て、すぐ近くにいた初老の男性が歩み寄る。

スーツ姿であったが、その顔付きには只者でない雰囲気があった。

その立ち居振る舞いから、母親は警察関係者だろうとすぐに理解する。


「ああ、お母さん、落ち着いて。娘さんは無事ですよ。電話でもお伝えしてると思いますが、怪我はありませんから。念の為大事をとって病院にお連れしましたが、傷一つないようです。大丈夫ですよ。一応医師の診断も終わっています。」


無事だと聞かされても、母親は理解できず、キョトンとしている。

それもそのはず、雪緒の制服は血塗れなのだ。

どう考えても尋常な状態ではない。


「え……っ!?でも、こ、こんなに血が……。」

「ああ、それは娘さんのものではないようです。」

「え?……状況がよく分からないのですが、娘はその……、暴力を振るわれたというわけではないのですか……?」

「そうですね。娘さんには何の外傷もありませんから、恐らく違うかと。なぜ"恐らく"という曖昧な表現になってしまうかというと、実は娘さん以外に十人の男がいたのですが、全員が意識不明の重体なんです。その上、娘さんの方も、ショックか何かで記憶が飛んでいるようでして……。」

「記憶……?外傷がないっておっしゃってましたので、頭を打ったりはしてないのですよね?」


腕の中の雪緒の髪に、母親は頬を当てた。

微かに震える身体は、いつもよりひどく小さく思えた。


「はい、医師の診断でも問題ないそうです。ただ、何かあれば、すぐにも連絡してくれとのことです。」

「そうですか……。」

「そういう状況なもので、そこで何があったのかはまだ分かっていません。我々は一つの可能性として、そこに別のグループがいたのではないかと考えております。例えば、不良グループの抗争とか。そうでもないと、この状況はあまりにも説明がつかないものですから。」

「あの、それでどうして娘が……。親が言うのもなんですが、この子はとても真面目な子なんです。中学でも、委員長や生徒会長をやっていたくらいで。こんな喧嘩とか、そもそもそういう人たちと関わったりすること自体……。」


警察の男は大仰に身振り手振りで、慌てて言葉を付け加える。


「ああ、お母さん、落ち着いて。私たちも、娘さんが仲間だとは思っていません。実は、"女子学生が複数人の男らに連れていかれた"という通報があり、警官が急行したんです。しかし、そこには娘さんと十名の意識不明者が……。ただ、彼らの状態には我々も困惑していまして……。前歯が無い者、手足が逆に曲がった者、股間や目を潰された者……。どう考えても、高校生の娘さんに出来るような芸当ではありません。」

「そんな……、一体何が……。」

「正直まだ何も分かりません。ただ、監視カメラのあるところなので、すぐに何か分かると思います。それで今日のところは、まず一旦家に帰ってもらって頂いて。ただ、あとあと娘さんには話を聞くことになるかもしれません。こんな状態の娘さんには、大変酷なことですが……。事件解決のため、どうかご協力頂けると助かります。」

「分かりました……。雪ちゃん……。」


母親は雪緒を再び抱きしめた。

母親のおかげで少しだけ落ち着いたのか、雪緒の震えは止まっていた。


この時、外から若い刑事が駆け寄ってきた。


「警部、二名意識が戻りました。それで、少しだけ話聞けたんですけど……、その……、ちょっと……。」

「なんだ、どうした?」


スーツの男"警部"と若い刑事は、母親と雪緒から少し離れた場所で話し始めた。


「……で、なんだ?」

「それがその……、二人とも"JKにやられた"と言っているんです。」

「は?JK?」


警部は、向こうで項垂れて座る雪緒を見た。

だが、ブンブンと頭を振って、一瞬考えたものを振り払う。


「いや、まさかな。……記憶が混濁しているんだろ。アテにならんな。」

「それが、どっちの男とも"レイのダチのJKにやられた"と言っていて。」

「レイ……?」

「実はそいつら、元々レイという女子高生を追っていたようで。なんでも、リーダー格の男の浮気相手だったらしくて。それをリーダーの彼女が知って激昂して、グループの男共を使って探させてたみたいなんです。」

「ふぅん、なるほど。レイってのは、あの娘さんということか?本名は雪緒って名前のようだが、そっちでは偽名使ってる可能性もあるしな。最近の女子高生なんて、真面目そうに見えても、裏で何やってるか分からんからな。」

「あ、いえ。たぶん、違うかと。レイは茶髪だそうですから。ただ、そのレイの友人ってのは、黒髪の真面目そうな子だそうです。」


警部は、再び雪緒にチラリと視線を戻す。


「うーん、あの娘さんがその"レイの友人"だったとしても、あれはどうやっても無理だ。まぁいい、とりあえずそこは置いておいても……。なぜレイでなく、レイの友人の方が狙われたんだ?」

「それなんですが、実は見つけた時、二人一緒にいたらしいんです。それでレイを捕まえようとしたところ、レイは友人を突き飛ばして逃げてしまったようで。そのせいで、完全なとばっちりで連れていかれたみたいですね。」

「ハッ!ひでぇ話だな。そもそも友人ってのも怪しいもんだ。とにかく、そのレイってのにも話を聞く必要はありそうだ。」

「でも、JKにやられたって……、どういう意味なんでしょうね。あの惨状、加害者が複数人じゃないと説明つかないですよね。」

「ああ。だが、あれは格闘技とかを齧ってるってレベルじゃないぞ。強さの問題じゃない。躊躇がなく、正確過ぎる。あまりにも戦い慣れ過ぎてんだ。迷いなく相手の急所を潰して、完璧に戦闘不能にしている。それこそ、殺す一歩手前だ。明らかに、特殊な訓練を受けてるような者たちだ。……もしかしたら、これ、裏に何かヤベェのがいるかもな。かー、めんどくせぇ話にならなきゃいいが……。」


そこにまた、別の刑事が駆け足でやってきた。

手にはタブレットパソコンを持っている。


「警部、地下駐車場の監視カメラ、該当時刻の映像を確認できました。ありました、映ってます。それでその部分だけ、取り急ぎ送ってもらったんですが、見てもらって良いです?実は、ちょっと信じられないものが映ってて……。」

「何だ、随分勿体つけて。……まぁいい、さっさと見せてみろ。」


その映像の一部始終を見た警部は、絶句してしまった。

映っていたのは、人通りのない地下駐車場。

そこには、雪緒と十人の不良たち。それ以外には誰もいない。

五人掛かりで押さえつけられ、今まさに暴行が行われるようとしていた。


ところが状況は一変する。

ひとりの男が雪緒に覆いかぶさったが、数秒もしないうちに跳ね起きた。

耳を押さえ、床をのたうつように暴れ回ったのだ。

そして、まるでそれが合図になったかのように、映像に動きがあった。

雪緒は押さえられていた右足を引き抜き、男の急所に蹴りを入れる。

そして、流れるように、左足を押さえていた男の顔面に蹴りを入れた。

それと同時に、雪緒の右手を掴んでいた男が、股間を押さえて苦しみだした。

その次は、左手側の男の股間に蹴りを入れ、同じように悶絶する。


その後、雪緒は素早く立ち上がり、一瞬自分の手を見つめた。

その後はもう雪緒の動きは、殆どカメラに映らなかった。

十名の男たちが、もんどりを打って倒れていく。

恐らくは何かの打撃を入れているのだろうが、その動作は見えない。

まるで、男たちが勝手に吹き飛んでいるように映っているのだ。

それはもはや、人の動きではない。獣に近い。

中には警棒を持った者もいたが、大して意味はなかった。

奪われる間すらもなく、昏倒したからだ。

そして、男たちが全員倒れて、ようやく雪緒が再び画面に登場する。

だが、そこで終わらない。

そこから倒れた者の手足や急所を潰し、完全に戦闘不能にし始めた。


それは、たった数分の出来事。

最後に立っていたのは、血塗れの雪緒だけだった。

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