第16話 旅路
──────常陸国。
雪緒らは、今、山道を歩いていた。
周りには、みっこ・恋十郎・智・也場の四名。
江戸をたってすでに五日。
慣れない旅の疲労感は、とっくにピークを超えていた。
今はもうダルさよりも、ひどい眠気に襲われている。
昨晩の宿でもあまり寝られなかったのだ。
そもそも、雪緒らはなぜ急に江戸を離れたのか。
それには少々理由があった。
『常陸国』は現代の茨城県に位置し、江戸方向からは二つの街道がある。
まず、現代の栃木県日光市の日光東照宮へ続く『日光街道』。
そして、現代の茨城県水戸市へと続く『水戸街道』。
雪緒らは、今日まで水戸街道の方を辿ってきた。
だが、途中から山道に入ってしまい、現在地はよく分からない。
ただそれでも、雪緒はまだマシな方だった。
なにせこのメンバーには、お荷物が二人いる。
まずは幼い智。
中身はどうであれ、彼女の肉体は小学校高学年程度。
そもそも大人と同じペースで歩くのも無茶というもの。
ところが、そんな彼女よりももっと、無茶な人間がいる。
勿論、みっこのことである。
案の定、彼女は江戸を出る前から何度も転んでいた。
一応、予め膝にはサポーターとして当て布をしてある。
その上、杖も持たせてあったのだ。
だが結局予想通り、雪緒が隣でフォローしながら歩く羽目になった。
おかげで、雪緒も早い段階で疲労がきてしまう。
智の話では、目的地までは成人男性なら三日ほどだそうだ。
今回は、智やみっこの体調を加味して、倍の六日を想定している。
ただ、あまりにも手のかかるみっこに、雪緒も少々ウンザリしていた。
だが、智は笑って言うのだ。
「瑞白殿、心配ありませんよ。予定通りです。私もこの身体ですから、ご迷惑をお掛けしているのは同じです。まぁゆっくり行きましょう。それを想定した旅程にしてありますので。」
ただこの旅は、雪緒も決して楽なものではなかった。
逆に言えば、まだマシであるはずの自分は音を上げることもできないのだ。
「さぁ、もう少しいったら、休憩にしましょう。」
智が檄を飛ばす。
雪緒もみっこもずっと無言だったが、自身を奮い立てるように前へと進む。
なぜなら休憩時には、美味しいものが出るからだ。
それは『飴玉』。
現代では、その辺のコンビニやスーパーで簡単に手に入る。
だが、元来、砂糖というものは大変貴重なものであった。
それが江戸時代に入り、ようやく庶民の口にも入るようになる。
江戸の町には飴売りが現れ、飴細工を売り歩く。
目の前で器用に形作られる様は、一種の興行であり娯楽だ。
ただこの飴細工の成分というのは、水飴であり、原料はもち米や麦芽だ。
今回、智が持ってきた固い飴玉は、水飴と更に白砂糖を使っている。
いわゆる黒砂糖と白砂糖というものは、サトウキビが原料。
両者の違いは製法で、白砂糖の方がより手間がかかっている。
しかし、当時は殆どが輸入品だった。
ただ江戸時代後期には、国産の白砂糖も流通していた。
智の飴玉も、そうした国産の白砂糖を使って作られたものである。
一行はしばらく歩き、休憩をしてまた歩く。
ずっとその繰り返しだ。
この時代の移動は、基本的には徒歩のみであった。
馬や駕籠もあるにはあるが、気軽に利用できるものでもない。
なお、人力車の登場は明治以降である。
ただ先ほどとは打って変わって、雪緒らにも笑顔が戻っていた。
その様子を見て、智はふぅっと深く息を吐く。
「雪姫様の言う通り、持ってきて正解でしたね……。」
勿論飴玉のことである。
運動不足の現代っ子をひたすら歩かせるには、文字通り飴が必要だったのだ。
糖分というものは、疲労回復には最適である。
特に、甘味に飢えている江戸時代においては、精神的なものも大きい。
ただし、摂り過ぎると逆効果になることもあるようだ。
だが、雪緒は時折悲しい顔をする。
「それにしても、蒼様が来られないのが残念ですね……。」
「まぁ、修行の成果をお見せすれば良いかと。きっと十霞殿も、瑞白殿には期待していると思いますよ。」
「そ、そうですね!私、頑張ります!」
実は、彼女らが江戸をたったのは、修行のためであった。
しばらくは憧れの蒼にも会えないし、雪姫にも会えない。
だが、雪緒は決めていた。
自身の不甲斐なさを変えるために、剣と本気で向き合うことに。
それは、也場の一言が発端だった。
*
──────童雀の屋敷・道場。
時は数日遡る。
それは、道場で雪緒らが訓練を始め、数日が経った時のこと。
「雪緒。オマエ、本気で剣をやってみないか?」
「え?」
雪緒は也場からそんなことを言われ、キョトンとしてしまった。
「でも、私には前世の……。」
「ああ、前世の力は確かに強力だ。だが、自分の意志で使うべき時に使えないのであれば、戦力として数えることはできん。私が思うに、オマエはどこか前世の記憶というものに、執着しているように見えるのだが。」
「そ、それは……。」
「だが、それでは駄目だ。勿論、私は前世のことについては分からん。しかし、実際に手を動かすのは、前世ではなく今のオマエだ。では、今のオマエがそれを扱えなくてどうする?たとえば今後、前世の記憶が蘇ったとして、今までの努力が無駄になるというものでもあるまい。」
「そうですが……。私は剣なんて……。人殺しの……。」
「私とて、好きで斬るわけではないよ。あくまでも守るためだ。オマエは今のままでいいのか?守るべき人を守れずとも。本当にいいのか?」
雪緒は思い出す。
みっこが剣数に絡まれた時。
あの時、もう少し自分に力があれば、悔しい思いをしなかったかもしれない。
江戸城で信綱と戦った時。
あの時も、もう少しなんとかなったのだろうか。
そこに、蒼が丁度休憩にやってくる。
「話が少し聞こえていたのですが……。雪緒ちゃんは、前世の記憶があまり無い方なのかな?」
「えっと、はい……。」
「では、私と同じですね。」
「え!?」
「私は記憶は多少あって、誰だったかも覚えているのだけど……。それが直接剣には結びつかなくて。今こうしているのは、ほぼ現代で習得したり、こちらで習得したものなのです。」
「そ、そうなんですか!?」
「生まれた家がそこそこ裕福だったのですよ。お茶や生花、乗馬やフェンシング、いろいろやりましたね。高校では棒高跳びをやっていましたよ。雪緒ちゃんが私と似た状況であるなら、自身で習得する方が良いかもしれませんね。」
「はい!分かりました!私、頑張ります!」
也場は、現金な雪緒を見てため息を吐く。
「……オイ、私の時と、態度が違い過ぎるだろう……。まぁいいか。ただ私もまだ本調子ではないから、十霞殿や恋にシゴいてもらうといい。」
「んじゃやるかい、雪?」
そう言って、木刀を片手に恋十郎がやってくる。
向こうでは、みっこが這いつくばっていた。
「えっと……、竹刀なら……。」
「なぁに言ってんでぇ。剣道の練習じゃないんだぜ?おいらたちは殺し合いの練習してんだ。なら、間違ったら怪我するなり死ぬなりって緊張感は必要じゃないか?まぁおいら強ぇから、心配すんなって。」
「ううう……。」
「ほぅら、ちったぁシゴいてやっからよぉ。こっちへ来なぁよ。みっこはすぐへバっちまうからさ。遊ぼうぜ?」
「ちょ、貴方が遊びたいだけでしょ!」
「遊びながら学べるなんて、最高じゃないか!?」
「それ、私の方に"遊び"の要素全く無いんだけど。」
丁度そこへ智がやってくる。
城でのお勤めを終え、丁度帰ってきたところのようだった。
「瑞白殿も、ようやくやる気になったということですか。なら丁度良い。合宿に行きましょうか。童雀様の別荘へ行きましょう。」
「合宿……?いや、そんな部活動みたいなノリじゃないですよね……?というか、ここじゃダメなんですか?」
「ええ、ダメですね。やるからには本気でやりましょう。よし、善は急げです。明日の朝出立しましょう。」
「はぁあ?」
*
──────常陸国・山中の屋敷。
再び、刻は今に戻る。
一行は、ようやく山中にある屋敷へとたどり着いた。
「さて、お疲れ様でした。ここが目的地となります。」
「ここが、童雀様の別荘……?」
山中にポツンと一軒だけある謎の屋敷。
塀で囲まれており、そこそこの広さの武家屋敷の様相だ。
だが、周りには一切何もなく、鬱蒼とした森に囲まれている。
雪緒が陰鬱な雰囲気に飲まれていると、智はあっけあらかんと答えた。
「ああ、それは嘘です。」
「え?」
「ここは、昔、さる高貴なお方が隠居されていた屋敷なんですよ。その方は亡くなり、今はもう使われておりません。ただ、管理だけはされ続けていまして。今回は、そこにちょっとお邪魔させて頂くだけです。」
「は、はぁ……。」
鬱蒼と生い茂る草木が、かすかな風に揺れ、カサカサと音を立てる。
すでに日は落ちかけており、闇の中にそれらが蠢いていた。
雪緒はごくりと唾を飲む。
「なんか出そうな雰囲気……。」
「ああ、出ますよ。」
「は?」
「お化けではなく、天狗ですが。この辺は天狗伝承のある地域なんですよ。あまり奥に行くと、攫われますよ。なんでも、天狗は見知った人に化けるそうです。怖いですね。ああでも、もしかしたら、さるお方の亡霊だったり……。」
「夜は家から出ないようにします……。」
そうして門を叩き、中へと入れてもらう一行。
だが、そこで思わぬ人物と遭遇した。
「やっといらしたのですね。お待ちしておりました。さぁさ、こちらへ。」
そこにいたのは雪姫であった。
*
雪姫の格好は、なぜか羽織袴に脇差という男装であった。
雪緒は意味が分からず、だらしなく大口を開けてしまう。
「ええ!?ど、どうしてここに!?」
「えへへ、一体どうしてでしょう。」
「天狗……?」
「ほら、さっさと入るぞ。足を洗え。」
雪緒は也場に言われ、慌てて足を洗う。
ただこの状況は、みっこも恋十郎も知らなかったようだ。
ちなみに、江戸時代では外から帰ってきた際は必ず足を洗う。
当時の履き物といえば、主に草履・草鞋・下駄。
『草履』は、"鼻緒"という紐状のものに、足の指を通し引っ掛けるタイプ。
それに対し『草鞋』は、紐状の緒が長く、足首に巻き付けて固定するタイプだ。
『下駄』は草履と同じ形状だが、木のような硬い材質を使ったものをいう。
旅に出る際は、足袋と草鞋を履き、脚絆を身につけるのが一般的だ。
『脚絆』とは、事故や怪我防止のために脛に巻く布のこと。
ただ、どれも西洋式の靴とは違い、足が汚れてしまうものだった。
そのため、タライに湯を汲んできて、入り口で足を濯ぎ洗うのだ。
慌てて屋敷の中に入ると、大きな座敷に通された。
だが、そこにいたのは見知った者たちであった。
「え?……ええ!?」
童雀・蒼・重路・環・源太、そして雪姫の侍女二名。
要するに雪姫の他は、徳川の流離者が一堂に会しているのだ。
……雪緒が知っている者たちだけだが。
「蒼様ぁ!!?ど、どうして!?」
「やぁ、雪緒ちゃん。数日ぶりですね。」
「ええ……?別任務で出張のはずでは……?」
「はい、そうですよ。だから、ここに。」
「えっと……、これは一体……?」
そこに智も合流し、全員が揃う。
「さぁ、とりあえず座ってください。」
「え?え?こ、これはどういう……?合宿じゃ……?」
「ああ、それは嘘です。」
「はぁあ!?」
「まぁこれから説明しますので、まずは座ってくださいな。」
「は、はぁ……。」
全員が座ると、雪姫がゆっくりと話し始めた。
その表情は、とても神妙なものだった。
「皆さん、まずは遠路はるばるお越し頂き誠に有り難うございます。最初に言っておきますと、詳細な事情をお伝えしている方は、童雀様とおさとちゃん(智)だけです。また、也場様と重路様、十霞様には、断片的にだけお伝えしています。それ以外の方々には、事情があり詳細をわざと伝えておりません。これからそのすべてをお話しします。」
他の者は誰も口を開かなかった。
勿論、一国の姫君の話に、一介の家臣が口を挟むことなぞできない。
だが、心情はそうではない。
今のこの状況が、異様な状態だと理解しているからだ。
姫が国を離れて山中に隠れ、この人数で密談しているという状況。
誰もが、何かしらの危険な香りを感じ取っているに違いない。
「あ、あともう一つ。この場にいる方々は、どのような場合であっても味方です。私がそう吟味し、確認した方のみを招待しております。」
雪緒は意味が分からなかった。
密談をしている以上、信用しているのは分かる。
だからこそ、なぜわざわざそれを口にするのか。
だが、それから雪姫は少し口を閉ざした。
何かを考えているのか、悩んでいるのか。
何かひどく言いにくいことなのか。
そうして少しの間が空いたあと、雪姫は重い口を開いた。
「今回、皆さんにここへ集まって頂いたのには理由があります。それは、これから国家の存亡を揺るがす大事が起きようとしているからです。そして、そこには皆さん自身の運命も大きく関わってくるのです。実は……。」
そう言ってから雪姫は再びしばし沈黙し、そっと口を開いた。
「徳川は……、そう遠くない未来に滅亡します。」
その場はシーンとなった。
雪緒は智を見た。
また"ああ、それは嘘です"というのではないか、そう思ったからだ。
だが、目を閉じ、じっと聞いているだけだった。
そして、再び雪姫が口を開く。
「そして、私たちは、これから織田信長と合流するつもりです。」




