第15話 対敵
前半に暴力描写があります。
「待ちなさい!!」
雪緒はなんとか人垣を抜け、あらん限りの大声で叫ぶ。
すぐ目の前では、流れ者がもう刀を抜こうかというところ。
だが、雪緒の声でそれはぴたりと止まる。
そのすぐそばで、みっこは涙を堪えて小さく震えていた。
「ゆ、雪緒ちゃん……、うぇ……、えっ……、わたし、わたじ……。」
雪緒が現れた瞬間、みっこの視界は一気に霞んで何も見えなくなる。
それはダムが決壊するように、もう止められなかった。
流れ者はチラリと雪緒の姿を確認し、目を細めた。
「なんだ貴様は。先に死にたいのか?」
「アンタさ、何してんの……。」
「あ?」
「何してんのって、聞いてんだよ!!」
雪緒の怒りは咆哮となり、敵を威圧する。
雪緒は衝動的に走り出していた。
すると、見えなくなっていたものが見え始める。
あの例の線が、指先から薄っすらと伸びていったのだ。
雪緒は、目前の不届き者を完全に"敵"として認識した。
「ば、馬鹿者!!」
だが、そこに也場の声が響く。
この時、也場はまだ人垣の中にいたのだ。
その声は雪緒の耳に届くも、雪緒はもう止められない。
すると、なぜか線は萎むように途中で消えてしまう。
だが、それでも雪緒は迷わずに身を任せた。
流れ者は再び刀の柄に手をかけ、雪緒を死の射程に引き込む。
だが、咄嗟に柄から手を離してしまう。
「なっ!?」
その柄には、苦無が刺さっていた。
おそらく、それは人混みの中から誰が投げ入れたのだろう。
一瞬、流れ者はそれを目で追ってしまう。
その時、目の前にはもう雪緒が迫っていた。
雪緒は、渾身の掌底を流れ者の顎を目掛けて振り抜いた。
だが、流れ者はそれをいとも容易く躱してしまった。
たしかに途中で線は消えている。
それでも、今までは躱されたことなどなかったのだ。
"スローな世界"は、雪緒にとって絶対の自信であり、拠り所。
そして、正解だ。
だが、この瞬間にそれは不確実なものへと変わってしまう。
もはやただの幻覚となり果てた。
雪緒は攻撃の手を止め、固まってしまった。
流れ者はその隙を見逃さない。
雪緒の腕をとり、そのままぶん投げてしまった。
雪緒は、地面に背を打ち付けられる。
「くはっ!?」
一瞬呼吸が止まるほどの衝撃が、雪緒を襲う。
流れ者は、再度自身の刀に手をかけたが、その手を止める。
それを止める者がいたのだ。
「待て待て!何をやっておる!」
そこに現れたのは、30代くらいの女。
三度笠に手甲、股引に振り分け荷物。
男物の旅装束を着用し、腰に一本だけ刀を刺している。
その女を見て、流れ者は自身の深編笠を少し押し上げた。
「おお、これは迷葉殿。探しましたぞ。」
「探しましたぞ、ではないわ。ハァー、全く……。待ち合わせ場所にさっぱり来ぬから探してみれば……。宇沙木殿、これはどういうことかな?」
「少々、蝿が集ってきましてな。追い払っていたところですよ。」
「ハァー、全く……。無用な争いは避けるよう努力してくれんかのう。」
「私は避けておりますよ。争いの方からやってくるだけで。」
「減らず口を……。まぁ良い。先を急ぐでな。」
三度笠の"迷葉"と、流れ者の"宇沙木"という二人の者。
彼女らは雪緒には目もくれず、何事もなくその場を去っていく。
だが、雪緒は叫ぶ。
「ちょっと、待ちなさいよ!やるだけやって、謝りもせず……。頭おかしいんじゃないの!?」
「見逃してやったのが分からんのか?」
「アンタが逃げるだけでしょ!!私は許してない!!」
「やはりコイツ……。」
その時、也場と重路がようやっと駆けつけた。
也場らは、迷葉らの前に立ちはだかり、雪緒らを庇う。
迷葉は宇沙木を片手で制しながら、雪緒を見て静かな声で話す。
「どこぞの武家の娘かのう?護られながら喧嘩を売るとは、良い御身分だな。何もできぬくせに、ピーチクパーチクよう囀る嘴よ。虫唾が走るわ。別に儂らはやってもいいのだが、ちょいとばかし騒ぎは面倒なのよ。だから、見逃してやっている。今ここで、お主ら全員殺すことなぞ造作もないぞ。」
「そんな脅し……。」
雪緒が言い返しかける。
だが、也場がすぐさま被せるように横槍を入れた。
「待て!雪緒、落ち着け。冷静になれ。……貴様、迷葉といったか?」
「ああ。お主は?」
「也場勢次郎と申す。」
「……ほう。……ほう、ほうほう、おお!!そういうことか、フフフ。ならば、そちらは重路朋久殿ということか。」
「なんだ?どうしたのです、迷葉殿。」
「いやいや、宇沙木殿。ここは儂に任せてくれ。後で説明しよう。……也場殿、貴殿はすでに気付いておるようだな。儂の名は迷葉鹿頭火。ちなみに隣は、宇沙木剣数殿だ。だが、余計なことはせん方が良いと思うぞ?ここを戦場にしたくないならのう。儂らは一向に構わぬがな。」
そう言うと、迷葉は懐に手を忍ばせた。
それを見て、すぐに也場は理解した。
「クッ……。分かった。どこへなりとも行くが良い。」
「ちょっ!」
「雪緒!……後で教えてやる、少し黙っていろ。」
しかし、迷葉の目の色が変わる。
「雪緒……。ああ、あの。……だが、おかしいのう、なかなかに腕が立つと聞いておったのだが。スランプかのう?くはは、まぁ良い。弱者なぞに興味もないわ。宇沙木殿、先を急ぐぞ。」
「ふん……。」
そうして、迷葉と宇沙木は去っていった。
ドッと疲れ膝を落とす也場。
「ハァー……。命がいくつあっても足らんわ……。」
雪緒は、みっこを抱きしめていた。
今はその温もりを嫌なものだとは感じなかった。
雪緒は、心底安堵していたのだ。
「ゴメンね、みっこ……。」
「どうして……、雪緒ちゃんが謝るの……?」
「それは……。とにかく着物、直そうね。ほら、立って。」
「うん……。」
「それにしても也場さん、あんな奴らどうして見逃したんです?」
「馬鹿者。見逃したのではない、見逃されたのだ。雪緒、あれはオマエの前世の力があっても、勝てたかどうか。私も今はこの腕だしな……。」
「え?どういう……?」
「宇沙木というのは誰かは知らんが、名のある剣豪であろう。それと、迷葉鹿頭火という女。」
「あの、後から来た人?物騒なこと言ってましたけど。」
「ああ、あれは秀吉だ。」
「秀吉?……ええ!?秀吉!?」
*
──────江戸の城下町・童雀の屋敷。
雪緒・みっこ・也場・重路の四人は、秀吉の件を智へと報告する。
それを聞いた智は、頭を抱えていた。
「秀吉が江戸に……?そんな、もう?こちらはまだ、大して準備もできていないというのに……。それで奴は、何か言っていましたか?」
「いや、何も。懐に手をやったのでな。そのまま逃した。たしか、奴は持っておるのだよな?携帯式の銃を。真栞殿から以前聞いておったのでな。」
「ええ、リボルバーですね。村田銃と同時に開発を進めていたので……。」
回転式拳銃、俗称『リボルバー』。
携帯性に優れた拳銃であり、その特徴は"回転弾倉"を備えていること。
シリンダーには、弾丸を装填する空間である"薬室"が複数備わっている。
このように複数弾を装填できるため、連続射撃が可能となっている。
なお、リボルバーが初めて日本に伝来したのはペリー来航時。
つまり、黒船が来ていないこの世界では、当然存在しない。
その際に伝来したのは、パーカッションロック式の『コルトM1851』。
火縄銃と違って雷管を用いているが、まだ前から装填する"前装式"であった。
だが、秀吉が開発していたのは別の銃であった。
『コルトSAA』、通称『ピースメーカー』の模造品である。
村田銃と同様に金属製薬莢を使用し、銃身の後ろから装填する"後装式"だ。
実は西部劇では度々登場し、代名詞とも言われるほど有名な銃である。
だが、西部劇はあくまでもフィクションである。
実際の当時は、市井にあまり出回っていなかったようだ。
「おそらく、そこで更に揉めるようなことになれば、周囲の人間も巻き込まれていた可能性があります。也場殿の判断は正しいかと。しかし……。」
「一体なぜ江戸に……?というか、なぜこうも簡単に侵入されているのだ?よもや関所なぞザルではないか。」
「その……、実は各所に秀吉の信奉者がいるようなのです。」
「謀反人ではないか。さっさと捕まえれば良い。」
「そうもいかないのです。その数は、正直正確には分かっておりません。徳川のどこまで汚染されているかも……。先日の信綱襲撃、なぜあそこまで被害が広がったのか。手引きするものがいたからです。だが、内通者は予想以上に多く、下手に手を出せば、おそらく秀吉が手を出すまでもなく崩壊するでしょう。」
「真栞殿、もうすでに我々は負けているのではないのか……?」
「我々は出来ることをするだけです。それが無駄になるとしても……。」
雪緒らがいる部屋に、雪緒が知らない二人の女性が入ってくる。
「景気悪い話をしてんなぁ。おいら、負け戦をするつもりはないぜ?」
「そうですね。やるなら、勝たねば意味がありません。負けるくらいなら、いっそ逃げた方が良いかと。」
「私も端から負けるつもりはないですよ。ですから、お二方を呼び戻したのです。……と、ああそうだ。瑞白殿、翁岐殿。紹介しなくては。まずこちらは、"緋履恋十郎"殿です。」
「宜しくな。おいらのことは"恋"って呼んでくれて良いぜ?」
最初に入ってきたのは、『緋履恋十郎』という。
彼女は、雪緒と同じくらいの年頃の女の子だ。
桃色の着流しで、大股で胡座をかいて座る。
若い女の子だが、長い髪を縛りもせず、随分とガサツな印象を受ける。
「それと、そちらが"十霞蒼"殿です。」
「宜しくお願いしますね。私も"蒼"と呼んでくれて構いませんよ。」
もう一人の名は、『十霞蒼』という。
こちらは恋とは違い、随分と大人の女性の印象だ。
特に背が高く、短く丸みのあるジェンダーレスな髪型だ。
ボーイッシュな印象だが、礼儀正しく優しいおねーさんに見えた。
青基調の着流しで、正座をして座っている。
「ああ、それでこちらが瑞白雪緒殿。そしてこちらが翁岐蜜殿です。」
「あ……、宜しく、お願いします……。」
「ふぇ!よよ、よろ……、お願いします……。」
「緋履殿と十霞殿には遠方で色々とやってもらっていたのですが……。信綱のこともあり、急遽戻って頂いたのですよ。」
「そ、そうですか……。え、えへ……。」
だが、雪緒は二人が入ってきてから、妙にソワソワしていた。
明らかに挙動不審で、若干気持ち悪い。
見兼ねた智が、不審者を見るような目で問いかける。
「あ、あのう、瑞白殿?どうされました?」
「いえ、あの……、その……、ですね。もしかしたら、人違いかもしれないんですが……。その、ですね。光導乃斗様ではないですか……?」
「ミッド……?え?なんです?」
その瞬間、蒼の表情が急にキリッと変わる。
「なんだい、ボクの子猫ちゃんだったのかい。早く言っておくれよ!」
「きゃあああああ!!!ほ、本物なんですか!!?」
雪緒は急に奇声を上げた。
この場でどういうことなのか理解しているのは、雪緒と蒼だけだった。
他の者は、ポカーンとしている。
「あ、あの……、瑞白殿と十霞殿はお知り合いなんですか?」
「ああ、お知り合いと言えばお知り合いかな。それはもう……、彼女は前世でボクの妻の一人だったのさ!」
「は?あの……、それは……、瑞白殿が……、いやよく意味が……。というか、キャラ変わってません?十霞殿ってそんな感じでしたっけ?」
戸惑う智に、雪緒が説明を始めた。
それはもう凄まじいほどの早口だった。
「乃斗様はですね、光の惑星サンミローヴェの第三皇子なんですが、実は隠された秘密があって、お母様が闇の惑星ルナーデアル出身であり、本当は闇の第一王子だったんですけど、光の第一王子には光の王の力は顕現せず、なんと乃斗様がそのお力を……、なのに、闇の力まで同時に発現し、光と闇を同時に……。」
「えっと……、あのすみません。それはどちらの国の話なのでしょう。何一つ理解が出来なくて……、全く……、どういう……?」
「ああ、そうですね。世界設定の話ばかりじゃ、素人には分かりませんよね。乃斗様は数々の楽曲を自らプロデュースされ……。」
雪緒の解説は、それから延々と早口で続いていく。
だが、その場にいる雪緒と蒼以外、誰も何一つ理解できない。
「はははは、すごいね。本当にボクのコアなファンだったみたいだね。……と皆さんが困惑しているようなので、きちんと説明しましょうか。実は私、現代では芸能人だったのですよ。マルチに色々やってましたね。俳優やバラエティタレントに、本の執筆。でも一応は音楽が本業でした。」
「芸能人……?」
「ああ、こちらで言う役者ですかね。あとは様々な芸事も。」
「そうだったんですか、どうして今までそれを……?」
「それはこちらに来てから、私を知っている人がいなかったもので。わざわざ言うのもなんだか恥ずかしいじゃないですか。誰も知らないのに。あと、芸能人ってプライベートがあまりないですからね。こうして変装もせずに外を歩けるのは、なかなか新鮮でしたよ。日々忙殺されていましたし。」
雪緒はハッとした表情をして、急に平伏し始めた。
「ああ……、申し訳ございません……。乃斗様の平穏を乱してしまい……。」
「いや、良いのですよ。そんなにしょげないでください。こっちに来て何にもなくなっちゃったのでね。それはそれでちょっと寂しかったし。久々にボクを知っている人がいて、嬉しいかったですよ。ありがとう。」
「あああああ……、乃斗様ぁ……。」
ウルウルとする雪緒。
周囲の者らは明らかにドン引きしている。
也場は特に酷かった。
「あ、うん。どちらかというと、私は十霞殿がどうというより……。雪緒の豹変ぶりがちょっとな……。正直、ちょっと怖い……。」
そして、雪緒はここで気付く。
「ああああ!!ここにいるということは……、まさか乃斗様も流離者……。」
「ああ、そうですよ。」
「そうですよ、瑞白殿。お二方は徳川の秘密兵器と呼んでも良い方々。なにせ、緋履殿は伊藤一刀斎の転生者で、十霞殿は前田慶次の転生者なんです。」
*
雪緒らは道場の方へと向かうため、部屋を出ていく。
来たる決戦に向け特訓をするためだ。
いつもの雪緒ならそこまでやる気にならないのだが、今日は違う。
蒼が手解きをしてくれるということで、やる気満々で出ていった。
そして、その部屋には智だけが残されていた。
「十六夜殿。それで?どうなりました?」
智がそう言うと、襖が少しだけ開く。
そこにいたのは、黒装束の者であった。
「ククク……、楽しそうだのう。お気楽なことだ。」
「ええまぁ……。それで?」
「信綱、十一、鹿頭火、剣数の四名。全員が船で江戸を出ていくのを確認した。目的地は不明だが、どうやら南へ向かっておるようだな。」
「ハァー……。承知しました。徳川は命拾いしましたね。やはり、奴らはすぐに事を起こすつもりではなかったのですね。それで、奴らの……。」
「ああ、場所は特定し、番屋には知らせたよ。今頃、同心が立ち入っているだろうさ。先日のこともあるから、随分とやる気だったそうだ。だが、もう奴らはいないのに意味はあるんかね?」
「しょうがないでしょう。野放しにもできません。まさかお上のお膝元に、謀反人共の根城があったなどと……。信綱が急に武家屋敷に現れたのも合点がいく。最初からそこにいたのですから。……それで追跡は?」
「ああ、手の者が抜かりなく。昼間の騒動のおかげで、特定できたのだ。この機を逃す必要はあるまい。場所が分かり次第、また知らせてやろう。」
「助かります。」
「ククク……。貴様らが徳川に味方している間は、いくらでも手を貸してやるさ。だが……。」
「分かっておりますよ。ただこちらとしても……、徳川がまた流離者を裏切らなければ……、の話ですが。」
「それは心配なかろう。なにせ流離排斥の中心であった坂衛はすでに死んでおる。しばらくは三年前のようなことにはならないはずだ。」
「だといいのですが……。あ、あと、これで私が秀吉を手引きしたのではないと、理解していただけましたか?」
「ああ……、とりあえずはそういうことにしておいてやろう。」
そう言うと、襖が閉じた。
そして、黒装束の者の気配も消えていた。




