第14話 忿懣
後半に暴力描写があります。
──────江戸の城下町・也場の屋敷。
頭を抱えながら、也場はため息を吐く。
一通りの作業を終え、ようやく一息つけた。
実はあれから、自宅へ人をやって"源太"を呼んだ。
彼は、也場家に古くから仕える下男。
身体の小さい老人だが、働き者で有能だ。
也場は、雪緒を戸板に乗せ、源太と共に自宅へと運んだ。
みっこの他に、助け出した女も一緒だ。
「ハァー、疲れたわ。源太よ、あとの手配を頼む。」
「へい。あ、その前に勢次郎様、お顔を……。」
「ああ、すっかり忘れておった。良い、自分でやる。医者の方を頼む。」
「へい、承知しました。」
そう返事をすると、源太はいそいそと外へ出ていった。
也場は、自身の顔を右手で拭おうとする。
だが、先ほど嵌め直した肩に痛みが走る。
身体中がベタベタとするほどに、脂汗をかいていた。
「これでは、しばらく剣も無理だな。全く……。」
左手で顔を拭うと、手に乾きかけた血が付着する。
也場はそれを見て、またため息を吐いた。
「ようやく合点がいったわ。……信綱を前に生き残った理由が。」
その血は、雪緒が暴走した際の頭突きによって出た鼻血だ。
也場も全く気付いていなかったのだ。
まさか、雪緒の中にあれほどの狂気が潜んでいようとは。
「だが、なんとかせねばな。強力でも、あれはあれで使い物にならん。」
也場は廊下を進み、とある一室へと戻る。
そこには不安そうなみっこ、それと牢屋敷から助け出された女。
そして、気絶した雪緒が横たわっていた。
*
少ししてから雪緒は目を覚ます。
だが、頭を打った後遺症か、軽い記憶障害だった。
牢屋敷の出来事が、まるまる抜け落ちていたのだ。
結局、雪緒は大事をとり、也場の屋敷で休ませてもらうことになる。
例の女性はというと、雪緒と同様に也場の屋敷で休養中である。
ただ彼女の怪我が治るには、もうしばらくかかりそうだ。
彼女の名前は『墺田環』という。二十九歳の女性だ。
城下町を珍妙な格好で徘徊していて、同心に捕縛されたようだ。
だが、おかしなことに、一足飛びに牢屋敷へと入れられてしまった。
しかも、次の日には拷問が開始されるという異例尽くし。
本来の手順は、全く違う。
まず番屋に連れて行かれ、取り調べが行われる。
そこで牢屋敷へ送ることになっても、すぐには送ることはできない。
収監には、町奉行所が発行する『入牢証文』が必要なのだ。
証文が発行されるまでは、大番屋へ連行され待機することになる。
そして、牢屋敷に収監されても、いきなり拷問されることはない。
今度は、吟味方による取り調べが始まるのだ。
なお、自白をさせるために拷問する場合はある。
手順を無視した異例尽くしであったが、実は理由があった。
先日の信綱の襲撃のせいで、かなり多くの武士が殺害された。
当然、同心や与力も含まれており、彼らは相当にナーバスになっていた。
そんな中で、彼女は『織田信長』の間者と間違ってしまったのだ。
ただ苗字が似ていたというだけの、くだらない理由で。
報復というよりも、それは八つ当たりだったのかもしれない。
実に不憫な彼女だが、その上、前世の記憶もかなり曖昧であった。
そのため、残念ながらあまり戦力にはならないと思われる。
なお、牢屋敷の騒動については、童雀預かりとなった。
「ハァ……。」
雪緒はため息を吐く。
目の前には涎を垂らし、雪緒の布団で寝っ転がるみっこがいた。
雪緒が寝ていると、なぜだかみっこも一緒に寝始めるのだ。
みっこは、別に怪我をしてるわけでもないのにだ。
雪緒はその警戒心の全くない顔に、少々イラッとしてしまった。
だが、雪緒のイライラの理由は、本当はみっこのことではない。
牢屋敷で暴走した雪緒は、也場に怪我を負わせてしまったのだ。
雪緒にはその時の記憶はないが、ひどく気まずかった。
なにせ相手は、腕の立つ剣士。
怪我をさせて謝るというのも、プライドを傷付けそうで怖い。
かと言って、何も言わないのもおかしい。
運んでくれたり、泊めてくれたお礼だけは言っておいた。
だが、彼の顔や右腕を見ると、どうにも後ろめたく感じてしまうのだ。
雪緒がそんな風に悶々としていると、不意に来客があった。
あの雪姫が、お忍びで見舞いに来たのだ。
「お雪ちゃん!怪我の具合はどうですか?」
「雪姫さ……、いえ、お雪ちゃん。わざわざ来てくれたのですか。」
「それはもう。お友達ですもの。頭はまだ痛いのですか?何か必要なものはありますか?あればおっしゃってくださいな。持って来させますので。あら、おみっちゃん、よだれがフフフ……。あ、そうだ、食欲はありますか?一緒に頂こうかと、羊羹を持ってきたのです。一緒に食べませんか?」
相変わらず矢継ぎ早に話す雪姫。
ニコニコと笑顔を振り撒きながらも、時折心配そうな表情で雪緒を見つめた。
そのすぐ後ろには、侍女たちもいた。
折角休んでいたというのに、急に忙しなくバタバタとして落ち着かない。
だが、悪い気はしなかった。
"友人の見舞い"というイベントは、雪緒にとって初体験だったのだ。
「えっと、これお願いしますね。」
雪姫がそういうと、侍女の一人が羊羹を持って出ていった。
そして、皿やらお茶やら用意して戻ってきた。
そして、侍女が雪緒にお茶と羊羹を出す。
「うわぁ……。」
目の前に出されたそれを見ると、唾液が出てくる。
この時代に来てから、甘いものを食べた記憶がなかった。
しかも、自分の見舞いとして持ってきてくれたのだ。
それはもう格別な味に違いない。
雪姫はニッコリと微笑む。
「さぁどうぞ、お召し上がり下さいな。」
「あ、ありがとうございます。あー、えっと……。」
「作法などはいりませんよ。じょ、女子会ですからね!ああほら、おみっちゃんもこちらへ。みんなで食べましょう。」
「あ、はい……。」
三人分のお茶と羊羹が出される。
みっこも前へ進み出た。
だが、ここで思わぬ事故が起きた。
みっこが、自身の足に引っ掛かって転んでしまったのだ。
みっこの足は、転んだ拍子に前にあったお茶を蹴ってしまう。
結果、三人の羊羹の上にお茶がかかってしまった。
「あ、ああ……。」
それは、雪姫が雪緒のためにと持ってきてくれたもの。
友人を大事にする彼女のことだ。
もしかしたら、どんなものがいいか悩んだかもしれない。
そして、きっと雪緒が喜んでくれることを想像したに違いない。
そういう諸々を想像し、雪緒はなんだか泣けてきてしまう。
みっこの方は、やらかしておいて案の定泣き始めていた。
「ごめん……、なさい……。」
「みっこっ!!!」
雪緒は衝動的に怒鳴りつけてしまった。
「どうしてアンタは……。」
「ごめ……、なさい……。すぐ片付けるから……。」
みっこはオロオロとするばかり。
その間に、侍女達がテキパキと畳を拭き始めてしまう。
みっこは"片付ける"と言いながら、結局何も出来ない。
いつもそうだった。
今回は侍女がやっているが、普段はそれを雪緒がやっているのだ。
さすがに、雪緒もイライラが頂点に達してしまう。
「みっこさ、そういうの前から思ってたけど。わざとやってない?」
「違……、わざとじゃ……。」
「じゃあ、どうして?どうしてこんなんなっちゃうの?ありえないでしょ。せっかく持ってきてくれたのに……。みっこさ、ずっとそうじゃん。なんで?なんでそうなの?だいたいみっこは……。」
「お雪ちゃん!」
その時、雪姫の声がピシャリと響いた。
雪緒はハッとする。
そして、取り繕うため必死に弁解をする。
「ごめんなさい、お雪ちゃん。みっこがこんなことして、折角持ってきてくれたのに……。」
「お雪ちゃん、そのことではありません。」
「え?」
「いけません。大事なお友達に、そんな言い方をしてはなりませんよ。」
「そ、それは……。でも、みっこが……。」
「失敗は誰にでもあります。時には大きな失敗もあるかもしれません。そして、それを責めたくなるかもしれません。でも、それはお友達を傷付けてまで行うべくものなのでしょうか。」
雪姫は雪緒をじっと見つめた。
雪緒は視線を逸らすように、みっこに視線を移す。
普段のみっこならとっくに泣いている。
今は、唇を噛んで必死に泣くのを我慢していた。
だが、雪緒の中の説明できない何かは、簡単には納得できなかった。
「けど、お雪ちゃんが折角……。」
「多少、かかってしまった程度ですよ。大したことではありません。それよりも私は、私の持参したもので、お二方の仲に亀裂が入ってしまったら……。そちらの方が残念です。私はお雪ちゃんも、おみっちゃんも大好きです。ね、お雪ちゃん。お雪ちゃんはおみっちゃんが嫌いですか?」
「別に嫌いでは……、ただいつも自分じゃ何もできないし、失敗ばかりするし……。」
「ではお雪ちゃんは失敗しませんか?」
「そんなこと!……ないです……。」
雪緒は思い出す。
先日、暴走して也場を傷付けてしまった。
しかもその記憶もない。
「なら、許しましょう。きっとお雪ちゃんは、心に余裕がなかったんですよね。」
「……はい。」
「では仲直りしましょう。おみっちゃんもそれで良いですか?」
「は、はい……、ごめんなさい……。」
「ほら、二人とも手を。」
三人で手を繋ぐ。
「はい、これで仲直り。……ね?」
「はい……。」
「雪緒ちゃん……、ごめんね……。」
「いいよ、もう……。」
三人が話している時、侍女が溢れたお茶を拭いてくれていた。
羊羹も下げようとしたが、それを雪姫が止めた。
そして、雪姫は笑顔で再び言った。
「大丈夫。味に支障はありませんよ。さぁ、みんなで頂きましょう。」
*
数日が経った。
今日は、これから町へ出かけようとしていた。
雪緒がしばらく安静だったので、その気分転換だ。
実は、先日の雪姫の差し入れの際、女物の着物も貰っていた。
普段使いにできるようにと、あまり華美ではないものだ。
それを着て町へ繰り出すのだ。
「ほら、みっこ。背筋しゃんとして。……そう、そのままね。……うん、よし。こんな感じかな。……へぇ、みっこ、可愛いじゃん。」
「えへへ……。」
町娘の装いを褒められ、照れるみっこ。
雪緒も初めての女物の着物に、少しだけテンションが上がる。
着付けは源太に教えてもらいながら、なんとか自分達で行った。
といっても、みっこのも、ほぼ雪緒がやったのだが。
きちっと襟を正し、帯を締める。
背筋がしゃんとし、少し大人になったような気がした。
あの大奥の女中らのように。
──────江戸の城下町。
雪緒・みっこ・也場・重路で、町に散策へと出かけた。
雪緒にとっては、久しぶりの外だった。
ここは町人地。
町人たちは活気に溢れ、人が止めどなくながれている。
行き交う人を見ているだけでも、少々疲れてきてしまう。
「雪緒、どうした?まだ調子が悪いのか?」
「あ、いえ……。」
雪緒は也場を見た。
右肩は袖を通しておらず、着物の中で折りたたむようにしている。
彼は自身のことをあまり語らないが、未だに痛むのかも知れない。
正直、まだ気まずい。
それは雪緒の方だけかもしれないが。
隣では、泣き虫みっこがしがみつき、行き交う人に一々ビクビクしている。
本当にリスか何かのようだ。
「ふ、ふえぇぇ……。」
先日、雪姫の取り計らいでみっことは仲直りした。
だが、心の一番奥ではわだかまりは消えていなかった。
納得できなかった。
(どうして……、どうしてお雪ちゃんは私にあんなこと言ったの……?私のお見舞いじゃなかったの?もしかしたら、私よりみっこの方が大事なんじゃ……。いっつもみっこばっかり……。)
そして気付く。
なぜか、イライラの矛先が雪姫に変わっていたことに。
自分でも説明できない感覚に、雪緒は戸惑う。
(嫌だ、本当に嫌だ。私、友達なんて要らないって思ってたのに。なのに、何この感情。やだ……、やだ……。)
そうなってくると、抱きつくみっこの体温も嫌なものに感じてしまう。
ただみっこから離れたかった。
そして、そこには少しだけ意地悪をしたい気持ちもあったのかもしれない。
「あ、ほら、みっこ。出店があるよ。」
「え?うわぁ……。」
それは、屋台の『蕎麦屋』だった。
他にも『寿司屋』『天ぷら屋』『風鈴売り』など様々なもので溢れている。
屋台を担いで歩く『担ぎ屋台』は、この時代ならではのものだろう。
みっこは、そんな見慣れぬ屋台に目を奪われる。
雪緒の手を離し、覗き込むようにぼーっと見つめていた。
だが、雪緒はそのみっこを置いて先へ歩いていってしまう。
也場と重路も、みっこの方を見ていたので、一瞬雪緒を見失ってしまった。
「オ、オイ!どこへ行く?勝手に歩き回るな!」
也場は、先に行ってしまう雪緒に気付いて走って追いかけた。
だが、みっこはしばらく気付かない。
彼女は子供のように目を輝かせ、屋台を見つめ続けていた。
そして、也場はようやく雪緒に追いつく。
「はぁはぁ。雪緒、勝手に行くな。全く……、ってみっこはどこだ?」
「なんで、私があの子の面倒をみなくちゃいけないんですか。もう子供じゃないんだから……。」
「は?なんだ急に。貴様は何を不貞腐れておるんだ?まぁ、みっこの方は、重路のやつが見ていてくれるだろう。……って、重路!お主もこっちへ来てしまったのか!?して、みっこは!?」
その時、也場と重路はみっこを置いてきてしまったことに気付く。
みるみる顔が青ざめる。
「オ、オイ!まずいぞ!あの娘を一人にしたら、一体何を仕出かすか!……い、急いで戻るぞ!ほ、ほらオマエもさっさと行くぞ!」
「ちょ、痛いですって!何で、いいじゃないですか。放っておけばいいんです。ちょっとぐらい困ればいいんですよ。あんな甘ったれて……。人に頼ってばっかりで……。人に迷惑ばかりかけて……。」
「なんなんださっきから。あの娘と何かあったのか?」
「別に、何も……。」
「……よく分からんが、さっさと行くぞ!」
結局、雪緒は也場に腕を掴まれ、引っ張られるように戻った。
(私はああいう、人に迷惑をかけるような……。そうだよ、嫌いなんだ、私。ああいう子、嫌いなんだ。大っ嫌い。)
雪緒に現代の記憶が蘇る。
手のかかる同級生がいたのを思い出してしまった。
彼女は嘘にまみれ、雪緒を傷付けた。
このイライラは、みっこだけのせいではない。
雪緒はその気持ちを制御できなかった。
だが、みっこのいる辺りまで戻った時、大きな音が響いてきた。
それは屋台がひっくり返るような、何かが割れるような音。
「てめぇ!何してくれてんだ!?」
叫んだのは、蕎麦屋の屋台の男。
みっこが頭から蕎麦を引っかぶり、屋台と共に転んでいた。
「オイ、テメェ!聞いてんのか!?」
「私、違っ……、痛っ!」
みっこは蕎麦屋の男に腕を掴まれ、引っ張られてしまう。
だが、そこへ見知らぬ流れ者が割って入る。
深編笠を目深く被り、羽織に袴の浪人風の者だ。
全体的に暗い色調で、顔は見えないが徒ならぬ雰囲気を持っている。
「なんだオメェ?……ヒッ!?」
屋台の男が掴みかかろうとすると、流れ者が刀に手をかける。
「少し……、黙れ。」
「なっ……。」
流れ者がしゃがみ込み、みっこの顎を掴む。
「オマエ、私の刀に触れたな?」
「違、知らない、知らないです……、知らない……。」
意味が分からず、みっこは半泣きだ。
雪緒らは、人だかりのせいで思うように近付けなかった。
也場も重路も人混みを泳ぐように進むが、一向に辿り着けない。
「まずいぞ、どういう状況だ!?」
「オイ、アンタ、押すなよ!」
「なぁ、そこの。オマエは見ていたのか?何があった?」
「え、ああ。あの侍がなんか知らんが、あそこの娘さんを蹴り飛ばしたんだよ。そしたら、娘さん、蕎麦屋の屋台に身体ぶつけちゃってさ。可哀想に。あの様子じゃ斬られちまうぞ。」
「な、まずい。早く助けないと!」
だが、也場らは人だかりで全く先へ進めない。
そうしていると、みっこは流れ者に胸ぐらを掴まれ、乱暴に振り回される。
そして、そのまま地面へと投げ飛ばされてしまった。
せっかく着せてもらった着物も、帯からはみ出すように襟が乱れてしまう。
「ああ……っ。」
みっこは怯えてしまい、喋ることもできない。
それでも、みっこは乱れた襟を必死に直そうとした。
帯の中に襟を戻そうと、何度も試みる。何度も何度も。
しかし、手が震え、力が入らない。
当然、襟はうまく入っていかない。
そもそも彼女は、着物の直し方など知らないのだ。
だが、みっこにとって、それはとても大事なことだった。
なぜなら、雪緒が綺麗に着せてくれたものだったから。
流れ者はみっこの前でしゃがみ込み、髪を掴んだ。
みっこは泣いたが、相手は力を緩めようともしない。
「うう……、やめて……。」
「どこの田舎者だ?貴様?死にたいのか?」
周りの者たちも、流れ者を恐れて誰も助けようとはしない。
「みっこ!」
雪緒は叫んだ。
だが、その声は雑踏に紛れ、届かない。
そうしてとうとう、流れ者が腰の刀に手をかけた。




