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第14話 忿懣

後半に暴力描写があります。

──────江戸の城下町・也場の屋敷。


頭を抱えながら、也場はため息を吐く。

一通りの作業を終え、ようやく一息つけた。

実はあれから、自宅へ人をやって"源太(げんた)"を呼んだ。

彼は、也場家に古くから仕える下男。

身体の小さい老人だが、働き者で有能だ。

也場は、雪緒を戸板に乗せ、源太と共に自宅へと運んだ。

みっこの他に、助け出した女も一緒だ。


「ハァー、疲れたわ。源太よ、あとの手配を頼む。」

「へい。あ、その前に勢次郎様、お顔を……。」

「ああ、すっかり忘れておった。良い、自分でやる。医者の方を頼む。」

「へい、承知しました。」


そう返事をすると、源太はいそいそと外へ出ていった。

也場は、自身の顔を右手で拭おうとする。

だが、先ほど嵌め直した肩に痛みが走る。

身体中がベタベタとするほどに、脂汗をかいていた。


「これでは、しばらく剣も無理だな。全く……。」


左手で顔を拭うと、手に乾きかけた血が付着する。

也場はそれを見て、またため息を吐いた。


「ようやく合点がいったわ。……信綱を前に生き残った理由が。」


その血は、雪緒が暴走した際の頭突きによって出た鼻血だ。

也場も全く気付いていなかったのだ。

まさか、雪緒の中にあれほどの狂気が潜んでいようとは。


「だが、なんとかせねばな。強力でも、あれはあれで使い物にならん。」


也場は廊下を進み、とある一室へと戻る。

そこには不安そうなみっこ、それと牢屋敷から助け出された女。

そして、気絶した雪緒が横たわっていた。



少ししてから雪緒は目を覚ます。

だが、頭を打った後遺症か、軽い記憶障害だった。

牢屋敷の出来事が、まるまる抜け落ちていたのだ。

結局、雪緒は大事をとり、也場の屋敷で休ませてもらうことになる。


例の女性はというと、雪緒と同様に也場の屋敷で休養中である。

ただ彼女の怪我が治るには、もうしばらくかかりそうだ。

彼女の名前は『墺田(おうだ)(たまき)』という。二十九歳の女性だ。

城下町を珍妙な格好で徘徊していて、同心に捕縛されたようだ。

だが、おかしなことに、一足飛びに牢屋敷へと入れられてしまった。

しかも、次の日には拷問が開始されるという異例尽くし。


本来の手順は、全く違う。

まず番屋に連れて行かれ、取り調べが行われる。

そこで牢屋敷へ送ることになっても、すぐには送ることはできない。

収監には、町奉行所が発行する『入牢証文』が必要なのだ。

証文が発行されるまでは、大番屋へ連行され待機することになる。

そして、牢屋敷に収監されても、いきなり拷問されることはない。

今度は、吟味方による取り調べが始まるのだ。

なお、自白をさせるために拷問する場合はある。


手順を無視した異例尽くしであったが、実は理由があった。

先日の信綱の襲撃のせいで、かなり多くの武士が殺害された。

当然、同心や与力も含まれており、彼らは相当にナーバスになっていた。

そんな中で、彼女は『織田信長』の間者と間違ってしまったのだ。

ただ苗字が似ていたというだけの、くだらない理由で。

報復というよりも、それは八つ当たりだったのかもしれない。


実に不憫な彼女だが、その上、前世の記憶もかなり曖昧であった。

そのため、残念ながらあまり戦力にはならないと思われる。

なお、牢屋敷の騒動については、童雀預かりとなった。


「ハァ……。」


雪緒はため息を吐く。

目の前には涎を垂らし、雪緒の布団で寝っ転がるみっこがいた。

雪緒が寝ていると、なぜだかみっこも一緒に寝始めるのだ。

みっこは、別に怪我をしてるわけでもないのにだ。

雪緒はその警戒心の全くない顔に、少々イラッとしてしまった。

だが、雪緒のイライラの理由は、本当はみっこのことではない。

牢屋敷で暴走した雪緒は、也場に怪我を負わせてしまったのだ。

雪緒にはその時の記憶はないが、ひどく気まずかった。

なにせ相手は、腕の立つ剣士。

怪我をさせて謝るというのも、プライドを傷付けそうで怖い。

かと言って、何も言わないのもおかしい。

運んでくれたり、泊めてくれたお礼だけは言っておいた。

だが、彼の顔や右腕を見ると、どうにも後ろめたく感じてしまうのだ。


雪緒がそんな風に悶々としていると、不意に来客があった。

あの雪姫が、お忍びで見舞いに来たのだ。


「お雪ちゃん!怪我の具合はどうですか?」

「雪姫さ……、いえ、お雪ちゃん。わざわざ来てくれたのですか。」

「それはもう。お友達ですもの。頭はまだ痛いのですか?何か必要なものはありますか?あればおっしゃってくださいな。持って来させますので。あら、おみっちゃん、よだれがフフフ……。あ、そうだ、食欲はありますか?一緒に頂こうかと、羊羹を持ってきたのです。一緒に食べませんか?」


相変わらず矢継ぎ早に話す雪姫。

ニコニコと笑顔を振り撒きながらも、時折心配そうな表情で雪緒を見つめた。

そのすぐ後ろには、侍女たちもいた。

折角休んでいたというのに、急に忙しなくバタバタとして落ち着かない。

だが、悪い気はしなかった。

"友人の見舞い"というイベントは、雪緒にとって初体験だったのだ。


「えっと、これお願いしますね。」


雪姫がそういうと、侍女の一人が羊羹を持って出ていった。

そして、皿やらお茶やら用意して戻ってきた。

そして、侍女が雪緒にお茶と羊羹を出す。


「うわぁ……。」


目の前に出されたそれを見ると、唾液が出てくる。

この時代に来てから、甘いものを食べた記憶がなかった。

しかも、自分の見舞いとして持ってきてくれたのだ。

それはもう格別な味に違いない。

雪姫はニッコリと微笑む。


「さぁどうぞ、お召し上がり下さいな。」

「あ、ありがとうございます。あー、えっと……。」

「作法などはいりませんよ。じょ、女子会ですからね!ああほら、おみっちゃんもこちらへ。みんなで食べましょう。」

「あ、はい……。」


三人分のお茶と羊羹が出される。

みっこも前へ進み出た。


だが、ここで思わぬ事故が起きた。

みっこが、自身の足に引っ掛かって転んでしまったのだ。

みっこの足は、転んだ拍子に前にあったお茶を蹴ってしまう。

結果、三人の羊羹の上にお茶がかかってしまった。


「あ、ああ……。」


それは、雪姫が雪緒のためにと持ってきてくれたもの。

友人を大事にする彼女のことだ。

もしかしたら、どんなものがいいか悩んだかもしれない。

そして、きっと雪緒が喜んでくれることを想像したに違いない。

そういう諸々を想像し、雪緒はなんだか泣けてきてしまう。

みっこの方は、やらかしておいて案の定泣き始めていた。


「ごめん……、なさい……。」

「みっこっ!!!」


雪緒は衝動的に怒鳴りつけてしまった。


「どうしてアンタは……。」

「ごめ……、なさい……。すぐ片付けるから……。」


みっこはオロオロとするばかり。

その間に、侍女達がテキパキと畳を拭き始めてしまう。

みっこは"片付ける"と言いながら、結局何も出来ない。

いつもそうだった。

今回は侍女がやっているが、普段はそれを雪緒がやっているのだ。

さすがに、雪緒もイライラが頂点に達してしまう。


「みっこさ、そういうの前から思ってたけど。わざとやってない?」

「違……、わざとじゃ……。」

「じゃあ、どうして?どうしてこんなんなっちゃうの?ありえないでしょ。せっかく持ってきてくれたのに……。みっこさ、ずっとそうじゃん。なんで?なんでそうなの?だいたいみっこは……。」

「お雪ちゃん!」


その時、雪姫の声がピシャリと響いた。

雪緒はハッとする。

そして、取り繕うため必死に弁解をする。


「ごめんなさい、お雪ちゃん。みっこがこんなことして、折角持ってきてくれたのに……。」

「お雪ちゃん、そのことではありません。」

「え?」

「いけません。大事なお友達に、そんな言い方をしてはなりませんよ。」

「そ、それは……。でも、みっこが……。」

「失敗は誰にでもあります。時には大きな失敗もあるかもしれません。そして、それを責めたくなるかもしれません。でも、それはお友達を傷付けてまで行うべくものなのでしょうか。」


雪姫は雪緒をじっと見つめた。

雪緒は視線を逸らすように、みっこに視線を移す。

普段のみっこならとっくに泣いている。

今は、唇を噛んで必死に泣くのを我慢していた。

だが、雪緒の中の説明できない何かは、簡単には納得できなかった。


「けど、お雪ちゃんが折角……。」

「多少、かかってしまった程度ですよ。大したことではありません。それよりも私は、私の持参したもので、お二方の仲に亀裂が入ってしまったら……。そちらの方が残念です。私はお雪ちゃんも、おみっちゃんも大好きです。ね、お雪ちゃん。お雪ちゃんはおみっちゃんが嫌いですか?」

「別に嫌いでは……、ただいつも自分じゃ何もできないし、失敗ばかりするし……。」

「ではお雪ちゃんは失敗しませんか?」

「そんなこと!……ないです……。」


雪緒は思い出す。

先日、暴走して也場を傷付けてしまった。

しかもその記憶もない。


「なら、許しましょう。きっとお雪ちゃんは、心に余裕がなかったんですよね。」

「……はい。」

「では仲直りしましょう。おみっちゃんもそれで良いですか?」

「は、はい……、ごめんなさい……。」

「ほら、二人とも手を。」


三人で手を繋ぐ。


「はい、これで仲直り。……ね?」

「はい……。」

「雪緒ちゃん……、ごめんね……。」

「いいよ、もう……。」


三人が話している時、侍女が溢れたお茶を拭いてくれていた。

羊羹も下げようとしたが、それを雪姫が止めた。

そして、雪姫は笑顔で再び言った。


「大丈夫。味に支障はありませんよ。さぁ、みんなで頂きましょう。」



数日が経った。


今日は、これから町へ出かけようとしていた。

雪緒がしばらく安静だったので、その気分転換だ。

実は、先日の雪姫の差し入れの際、女物の着物も貰っていた。

普段使いにできるようにと、あまり華美ではないものだ。

それを着て町へ繰り出すのだ。


「ほら、みっこ。背筋しゃんとして。……そう、そのままね。……うん、よし。こんな感じかな。……へぇ、みっこ、可愛いじゃん。」

「えへへ……。」


町娘の装いを褒められ、照れるみっこ。

雪緒も初めての女物の着物に、少しだけテンションが上がる。

着付けは源太に教えてもらいながら、なんとか自分達で行った。

といっても、みっこのも、ほぼ雪緒がやったのだが。

きちっと襟を正し、帯を締める。

背筋がしゃんとし、少し大人になったような気がした。

あの大奥の女中らのように。



──────江戸の城下町。


雪緒・みっこ・也場・重路で、町に散策へと出かけた。

雪緒にとっては、久しぶりの外だった。

ここは町人地。

町人たちは活気に溢れ、人が止めどなくながれている。

行き交う人を見ているだけでも、少々疲れてきてしまう。


「雪緒、どうした?まだ調子が悪いのか?」

「あ、いえ……。」


雪緒は也場を見た。

右肩は袖を通しておらず、着物の中で折りたたむようにしている。

彼は自身のことをあまり語らないが、未だに痛むのかも知れない。

正直、まだ気まずい。

それは雪緒の方だけかもしれないが。

隣では、泣き虫みっこがしがみつき、行き交う人に一々ビクビクしている。

本当にリスか何かのようだ。


「ふ、ふえぇぇ……。」


先日、雪姫の取り計らいでみっことは仲直りした。

だが、心の一番奥ではわだかまりは消えていなかった。

納得できなかった。


(どうして……、どうしてお雪ちゃんは私にあんなこと言ったの……?私のお見舞いじゃなかったの?もしかしたら、私よりみっこの方が大事なんじゃ……。いっつもみっこばっかり……。)


そして気付く。

なぜか、イライラの矛先が雪姫に変わっていたことに。

自分でも説明できない感覚に、雪緒は戸惑う。


(嫌だ、本当に嫌だ。私、友達なんて要らないって思ってたのに。なのに、何この感情。やだ……、やだ……。)


そうなってくると、抱きつくみっこの体温も嫌なものに感じてしまう。

ただみっこから離れたかった。

そして、そこには少しだけ意地悪をしたい気持ちもあったのかもしれない。


「あ、ほら、みっこ。出店があるよ。」

「え?うわぁ……。」


それは、屋台の『蕎麦屋』だった。

他にも『寿司屋』『天ぷら屋』『風鈴売り』など様々なもので溢れている。

屋台を担いで歩く『担ぎ屋台』は、この時代ならではのものだろう。

みっこは、そんな見慣れぬ屋台に目を奪われる。

雪緒の手を離し、覗き込むようにぼーっと見つめていた。


だが、雪緒はそのみっこを置いて先へ歩いていってしまう。

也場と重路も、みっこの方を見ていたので、一瞬雪緒を見失ってしまった。


「オ、オイ!どこへ行く?勝手に歩き回るな!」


也場は、先に行ってしまう雪緒に気付いて走って追いかけた。

だが、みっこはしばらく気付かない。

彼女は子供のように目を輝かせ、屋台を見つめ続けていた。

そして、也場はようやく雪緒に追いつく。


「はぁはぁ。雪緒、勝手に行くな。全く……、ってみっこはどこだ?」

「なんで、私があの子の面倒をみなくちゃいけないんですか。もう子供じゃないんだから……。」

「は?なんだ急に。貴様は何を不貞腐れておるんだ?まぁ、みっこの方は、重路のやつが見ていてくれるだろう。……って、重路!お主もこっちへ来てしまったのか!?して、みっこは!?」


その時、也場と重路はみっこを置いてきてしまったことに気付く。

みるみる顔が青ざめる。


「オ、オイ!まずいぞ!あの娘を一人にしたら、一体何を仕出かすか!……い、急いで戻るぞ!ほ、ほらオマエもさっさと行くぞ!」

「ちょ、痛いですって!何で、いいじゃないですか。放っておけばいいんです。ちょっとぐらい困ればいいんですよ。あんな甘ったれて……。人に頼ってばっかりで……。人に迷惑ばかりかけて……。」

「なんなんださっきから。あの娘と何かあったのか?」

「別に、何も……。」

「……よく分からんが、さっさと行くぞ!」


結局、雪緒は也場に腕を掴まれ、引っ張られるように戻った。


(私はああいう、人に迷惑をかけるような……。そうだよ、嫌いなんだ、私。ああいう子、嫌いなんだ。大っ嫌い。)


雪緒に現代の記憶が蘇る。

手のかかる同級生がいたのを思い出してしまった。

彼女は嘘にまみれ、雪緒を傷付けた。

このイライラは、みっこだけのせいではない。

雪緒はその気持ちを制御できなかった。


だが、みっこのいる辺りまで戻った時、大きな音が響いてきた。

それは屋台がひっくり返るような、何かが割れるような音。


「てめぇ!何してくれてんだ!?」


叫んだのは、蕎麦屋の屋台の男。

みっこが頭から蕎麦を引っかぶり、屋台と共に転んでいた。


「オイ、テメェ!聞いてんのか!?」

「私、違っ……、痛っ!」


みっこは蕎麦屋の男に腕を掴まれ、引っ張られてしまう。

だが、そこへ見知らぬ流れ者が割って入る。

深編笠(ふかあみがさ)を目深く被り、羽織に袴の浪人風の者だ。

全体的に暗い色調で、顔は見えないが(ただ)ならぬ雰囲気を持っている。


「なんだオメェ?……ヒッ!?」


屋台の男が掴みかかろうとすると、流れ者が刀に手をかける。


「少し……、黙れ。」

「なっ……。」


流れ者がしゃがみ込み、みっこの顎を掴む。


「オマエ、私の刀に触れたな?」

「違、知らない、知らないです……、知らない……。」


意味が分からず、みっこは半泣きだ。

雪緒らは、人だかりのせいで思うように近付けなかった。

也場も重路も人混みを泳ぐように進むが、一向に辿り着けない。


「まずいぞ、どういう状況だ!?」

「オイ、アンタ、押すなよ!」

「なぁ、そこの。オマエは見ていたのか?何があった?」

「え、ああ。あの侍がなんか知らんが、あそこの娘さんを蹴り飛ばしたんだよ。そしたら、娘さん、蕎麦屋の屋台に身体ぶつけちゃってさ。可哀想に。あの様子じゃ斬られちまうぞ。」

「な、まずい。早く助けないと!」


だが、也場らは人だかりで全く先へ進めない。

そうしていると、みっこは流れ者に胸ぐらを掴まれ、乱暴に振り回される。

そして、そのまま地面へと投げ飛ばされてしまった。

せっかく着せてもらった着物も、帯からはみ出すように襟が乱れてしまう。


「ああ……っ。」


みっこは怯えてしまい、喋ることもできない。

それでも、みっこは乱れた襟を必死に直そうとした。

帯の中に襟を戻そうと、何度も試みる。何度も何度も。

しかし、手が震え、力が入らない。

当然、襟はうまく入っていかない。

そもそも彼女は、着物の直し方など知らないのだ。

だが、みっこにとって、それはとても大事なことだった。

なぜなら、雪緒が綺麗に着せてくれたものだったから。


流れ者はみっこの前でしゃがみ込み、髪を掴んだ。

みっこは泣いたが、相手は力を緩めようともしない。


「うう……、やめて……。」

「どこの田舎者だ?貴様?死にたいのか?」


周りの者たちも、流れ者を恐れて誰も助けようとはしない。


「みっこ!」


雪緒は叫んだ。

だが、その声は雑踏に紛れ、届かない。


そうしてとうとう、流れ者が腰の刀に手をかけた。

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