第13話 暴走
中盤から後半にかけて、残虐・暴力描写があります。
『伝馬町牢屋敷』は、現代の日本橋小伝馬町の場所にある。
その跡地は『十思公園』や『大安楽寺』となっている。
江戸城は現代の皇居の場所なので、両者間は徒歩で40分程度だろうか。
江戸城の城下町というのは、実は用途で区画が決まっている。
武士の為の『武家地』であったり、寺社用の『寺社地』であったり。
それと、町人が住む『町人地』だ。
伝馬町は町人地であり、牢屋敷はその町人地のど真ん中にあった。
ただ牢とはいえ、この時代に懲役刑はないため、現代の監獄と役割が異なる。
未決囚(被疑者)を収監し処断する施設であり、性質は現代の留置所に近い。
牢屋敷へは、雪緒・みっこ・也場の三人で向かった。
智の話では、昨日怪しげな者が捕らえられたのだという。
ただ何をしたわけでもないのだが、あまりにも珍妙な出立ちであったそうだ。
おそらくは、流離者であろうと思われる。
牢と言えば、雪緒らに良い思い出はないのだが……。
だが、仕事である以上、行かないという選択肢はない。
ただ"珍妙な出立ち"というのには、雪緒も少々興味がそそられた。
一体どんな格好なのだろうと、どうしても期待してしまう。
「変な格好で捕まるとか……。一体どんな格好なんでしょうね。笑っちゃいけないんでしょうけど、面白いですね。あ、もしかして全裸とか?」
「言っておくが、貴様らも人のことは言えんからな?城では、山姥と悪霊が出たとかで、数日大騒ぎになっておったぞ?」
「ははは、本当ですか?怖いですねー。」
雪緒は笑いながら、さっと流す。
勿論、自分らのことだとは知った上でだ。
──────江戸の城下町・伝馬町牢屋敷。
そうこうしていると牢屋敷に着いた。
だが、おかしな状況になった。
門兵や役人らに確認しても、そんな人物はいないという。
途中、也場が間に入り、あれこれ会話し始めたが、どうにも要領を得ない。
ただ、雪緒は役人が何か隠しているような印象を抱いた。
「ここで問答していても時間の無駄です。とにかく中に入らせて下さい。」
「先ほどから、そのような者は知らんと言うておろうが。」
「ですから……っ!」
「女のくせに出しゃばるでない!シッ!シッ!」
「なっ!?男とか女とか関係ないでしょ!?変な格好の人がいなかったかって、聞いてるだけで……。」
「ええい、邪魔だ!ほら、さっさと帰れ帰れ!」
「うぐっ!?」
雪緒は役人に突き飛ばされ、地面へと投げ出されてしまう。
也場が雪緒に手を貸すも、雪緒の腹の虫は治らない。
再び雪緒が突っかかろうとしたところ、也場が雪緒と役人の間に割り込む。
「待て待て、貴様も熱くなるな。ここは私に任せろ。……オイ、これは幕命であるぞ。とにかく、中に案内してくれ。それとも、お上にも言えぬ何かがあるのか?もし、そうであれば、お上に報告し、徹底的に改めることになるぞ?」
「くっ!分かった分かった。だが、せいぜい大人しくしろよ。あと、そっちの女らはダメだからな!」
「なんでです!?女だからって、さっきから……っ!」
「待て待て。」
「でも……。」
「……オイ、そこの。幕命と言ったのが聞こえなかったか?この女は、この件に深く関わっておるのだ。全員入らせてもらうぞ?」
煮え切らない役人に連れられ、雪緒らはやっと屋敷の中へと入る。
木製の格子の壁が並んでおり、扉も格子。
隙間は小さく、中も少々覗きにくい。
だが、そこは想像よりも酷い場所だった。
雪緒らも座敷牢へ入れられていたが、ここまで酷い環境ではなかった。
問題は、中にいる人たち。
じっとりと粘着くような視線を、そこかしこから感じるのだ。
牢はあまり広いとは言えず、中にかなりの人数が押し込められていた。
彼らは何かを言うわけでもなく、じっとこちらを見ている。
「よう、ネエちゃん!こっち来て、俺らと遊ぼうよぉ!」
……などと、映画やドラマのように声をかけてくることもない。
ひたすらにじっとりと見つめてくるだけなのだ。
それには理由があった。
実は、牢内には『牢名主』という者がいる。
囚人の一人なのだが、牢内の長にあたる。
独自の自治組織を構成し、牢内で自治が行われているのだ。
ある意味そこは、もう一つの国だ。
そして、ここにいるのは囚人である。
そこに、人道的な自治など期待できるはずもない。
牢の隙間から見える目は、死んだ魚のようであった。
雪緒はごくりと唾を飲む。
なぜなら、他人事ではなかったからだ。
雪姫が、"伝馬町へは送らず……"と言っていたのを思い出す。
つまり、将軍の匙加減で、雪緒らもここに入る可能性があったのだ。
勿論、入るのであれば、女性たちのいる牢であろう。
だが、こことそう変わるものでもないはずだ。
(将軍庇って正解だった……っ!!絶対こんなとこヤダーー!!)
その時、妙に慌ただしい下男が視界の端に映る。
それを見て、みっこが叫ぶ。
「ふわぁ!ゆゆゆゆゆ、雪緒ちゃん……、あれ!」
「え!?」
*
みっこが指差した先。
下男が持っていたのは"鎧"だった。
……と言っても、日本古来の甲冑ではない。
あきらかに、現代の感覚でしか理解できないもの。
西洋甲冑をベースにしたチープなデザインだ。
それは、黒い鎧に漆黒のマントがセットになっていた。
雪緒は走っていき、それを奪い取った。
みっこと也場が追いつく。
「ゆ、雪緒ちゃん、こ、これ、あ、悪魔……っ!」
「悪魔……?」
「貴様ら、勝手なことをするな!!」
役人が何やら叫んだが、雪緒は無視してそれをじっくりと見る。
(ヘビメタ?かな?その手のアーティストが着ていたような……。こういうの、あんまり詳しくないんだよね……。)
しっかりとした作りで光沢がある鎧。
だが、かなり軽い素材であり、明らかに金属製ではない。
なんとなく、これを着ていた者の全体像が想像できる。
みっこが"悪魔"と言ったのも頷ける。
たしかにそんな者が江戸に現れたら、さぞやえらいことになっただろう。
問題は、なぜ本人がいないのに、これがあるのかということだ。
雪緒が鎧を奪い取ってしまうと、下男がアワアワと狼狽えた。
おそらくは、役人に片付けるようにでも言われたのだろう。
その時、雪緒は見逃さなかった。
下男が、奥の方へと視線を泳がせたことを。
雪緒はハッとし、奥に向かって全速力で走り出した。
だが、それを役人が力ずくで止める。
「なっ!?放しなさい!!」
「だから、勝手なことをっ!…………くはっ!?」
雪緒は、役人の股間を思いっきり蹴り上げた。
そして、再び奥へ走り出す。
「オイ!どうした!?」
「あ!雪緒ちゃん!」
也場も雪緒を追って走る。
みっこは案の定転んだが頑張った。
ここは牢屋敷だ。
役割としては留置場に近いが、もう一つ重要な役割がある。
それは"拷問"による自白強要である。
この時代に現代のような科学捜査はない。
よって、証言や自白に依るところが大きくなる。
つまり、ここでは自白させるための拷問が平然と行われているのだ。
その責苦は凄まじく、無実の者であっても耐えかねて自白してしまうという。
理由は分からない。
だが、鎧の持ち主は鎧を脱がされている。
奥で拷問されている可能性が高い。
事は急を要する。
拷問によって死ぬ事だってあるのだから。
雪緒の目指す部屋から、大声が漏れ聞こえてくる。
「貴様、織田の間者なのだろ!あのような珍妙な格好をしよって、一体何が目的なのだ!!さっさと吐け!」
「ちばいまず!!ばばちはおだじゃばく、おぶだばんべふ!!」
「また意味の分からぬことを!!このぅっ!!」
雪緒がその部屋に入る。
土間のように地面が剥き出しの部屋であった。
そこに、後ろ手に縛られた女性が跪かされている。
そして、立っていた男が手に持った何かで女性を殴った。
「うぐぅ!?」
女性が呻くように仰反る。
それは拷問の一つである『笞打ち』であった。
だが、使用される笞(鞭)は、現代人が想像するものとは異なる。
『箒尻』と呼ばれ、割った竹を麻糸で補強し、"観世紙縒り"を巻いたものだ。
サイズは70cm程度のもので、主素材が竹であるため重量は軽い。
だが、しなりと表面の凸凹が相まって、かなりの責苦を与える凶器である。
笞打ちは拷問の導入時に行われるものだが、殆どの者は数回で自白するという。
「なんだオメェ!?」
笞を持った男は、急に部屋に入ってきた雪緒を見て叫ぶ。
雪緒は女を見た。顔全面に白と黒の化粧。
すぐさま雪緒は、彼女がおそらく現代人だと理解する。
そして、跪いた女も雪緒を見た。
涙でグシャグシャの彼女は、懸命に口を動かす。
「ばぶべべ……っ!!」
その瞬間、雪緒の何かに火が入る。カッと燃え上がるその何か。
雪緒はその何かを一切抑えず、それは口をついて出た。
「殺してやる……。」
それは純然たる怒りだった。
その時、雪緒の脳裏に、現代でレイを庇った時の映像が蘇る。
それは目の前でバチバチと閃光のように明滅し、断片的に世界が裏返る。
雪緒の視界にフラッシュバックするかのように、今と現代が重なっていく。
そして、目の前の女性に、レイの輪郭が重なった。
閃光はすぐに光線へと変わる。
それは、その部屋を埋め尽くすように縦横無尽に駆け巡った。
雪緒は、一切の躊躇もせずにその線に身を預けてしまった。
すでに足は動いていた。
雪緒の目前には、女を殴った男。
自身の腕から伸びる線が、男の顎を掠っていく。
雪緒は、その線と男の顎に目掛けて、渾身の力で掌底を振り抜いた。
「ぐぼはぁ!?」
光の軌跡に雪緒の掌底が重なると、手に顎の砕けるような感触が残った。
男は、そのまま吹き飛ばされていった。
その場には他に五人ほどいた。
だが、一瞬のことに全員呆気に取られていた。
内三名が侍で、その内一名は後方に座っている。
近くにいた二名の侍は、正気に戻るなり腰の刀を抜いた。
「何者だ!?織田の間者か!?」
もはやのっぴきならない状況になってしまった。
だが、雪緒は止まらなかった。
侍の一人は、刀を抜いた瞬間に倒れてしまっていたのだ。
それはまるで人形のように膝が落ち、力無く地に伏した。
「はぁ!?」
全く理解できない状況に、侍は雪緒目掛けて刀を振り下ろす。
だが、雪緒は低い姿勢から左に回り込み、それを避ける。
そして右手で、侍の刀をちょんと下に押した。
侍は前傾に重心を持っていかれると察知し、重心を後ろ足に移してしまう。
その時、雪緒の左手は相手の右の膝裏にあった。
それを少し押しただけで、侍は片膝が不安定になる。
そして、侍が自身の姿勢に気を取られた瞬間。
嫌な音がする。
「ぐぅあ!!?」
同時に侍の悲鳴が上がる。
侍の左手小指が、明後日の方向へと曲がっていたのだ。
一瞬のことで刀を落とし、膝を落としてしまう。
次の瞬間、その顔面に雪緒の膝蹴りが入った。
「くはっ!?」
侍の鼻から血が飛散する。
だが、雪緒は追撃の手を止めない。
その時、也場は後ろで見ていたが全く動けなかった。
「な、なんだ……、これは……?一体、何が起きている……?」
それは動揺。
目の前では、信じられないものが繰り広げられている。
道場では、まともに動くこともできなかった素人。
それがまるで獣のような動きで、相手をバタバタと倒していくのだ。
しかも、刀を相手に、無手で一才の躊躇もなく。
その上、まるで赤子の手を捻るかのように、あっさりとねじ伏せてしまう。
なにより、也場にはその動きを捉えることができていなかった。
そして、それを止めようとした他の者らも、雪緒は次々と無力化していく。
その場はすでに雪緒の独壇場だった。
誰も止められない。
雪緒はついに一番奥の侍へと向かう。
じっと座って見ていた侍。
立って逃げようとするが、全く間に合わない。
だが、そこに也場が立ちはだかった。
「よせ!やり過ぎだ!」
也場は刀を抜いていない。
腕を構え、何としても止めようとしたのだ。
しかし、それでも雪緒は止まらなかった。
也場の右手が雪緒の右袖口を掴み、真下へと引いた。
だが、その瞬間に雪緒も手首を返し、也場の右手を捉える。
それに対し也場は、雪緒の左側へと素早く足を運ぶ。
也場は、そのまま雪緒を後方へ投げ飛ばすつもりだったのだ。
だが、雪緒の方が早かった。
雪緒の頭突きが、也場の顔面を捉えた。
也場は、咄嗟に顔を逸らすも間に合わない。
「ぐうっぼぉは!?」
顔面に食らい、鼻血が吹き出す。
一瞬、目の前にパチパチと火花のようなものが散る。
しかし、也場は諦めなかった。
「私を侮るなよぉ!!」
也場は、雪緒の身体を両手でガッチリ掴んだ。
雪緒は、その腕をすぐ外そうと抗う。
だが、次の瞬間。
也場と雪緒の身体は宙に浮いていた。
也場が馬鹿力で雪緒を持ち上げて、そのまま地面に押し倒したのだ。
雪緒は也場の拘束を解いた瞬間、也場の体重で押しつぶされてしまう。
そして、雪緒は頭を打ち、気絶してしまった。
也場はゆっくりと立ち上がる。
「クッ……。此奴、何なのだ……?」
也場は、左手で右肩を押さえていた。
「あの状態で私の肩を外しおったのか。凄まじい強さだ。前世の力か。……だが、その力。……危ういな、自身で制御もできんとは。」
也場は辺りを見渡す。
そこには、五人の男たちが横たわっていた。




