第11話 少憩
雪緒とみっこは、ようやく牢から出された。
二人は名残惜しそうな雪姫を残し、童雀の屋敷へと向かう。
城下町は、少々物々しい動きを見せていた。
先日の信綱・十一らの影響だろう。
見回りや警備の者がちらほら確認できた。
案内は、童雀の補佐役である"智"という女の子。
他に二名の侍が、警護兼御目付役として帯同していた。
智との初対面は、さすがの雪緒も驚いた。
なにせ教育係として紹介されたのが、小さな女の子だったからだ。
頭巾を目深く被って袴を履いているが、声や背格好はどう見ても小学生。
ただ幼くは見えても、話し方や立ち居振る舞いは随分しっかりしていた。
なんなら、上司の童雀よりも数段まともに見えてしまう。
今までに会った流離の中では、一番まともな人物かもしれない。
といっても、雪緒が今までにあった流離者は……。
・話の通じない女子高生ヤマンバ(みっこ・ヤマンバモード)。
・いきなり斬りかかってくる女殺人鬼(信綱)。
・いきなり撃ってくる女殺人鬼(十一)。
・胡散臭いエセ関西弁の女子中学生(童雀)。
・幼いがまともな女子小学生(智)。
……くらいなのだが。
──────江戸の城下町・童雀の屋敷。
童雀の屋敷へ到着すると、畳の部屋へと通された。
広くはないが、綺麗に整頓された部屋だった。
畳の匂いが心地良い。
そこで、雪緒とみっこ、智が向かい合って座る。
智のきちっとした振る舞いに、雪緒もかしこまってしまう。
座る際に袴を直す仕草すら、妙にしっくりするのだ。
雪緒はここに来るまでも、何か話した方が良いかと色々考えていた。
だが、あまり良い話題も浮かばなかったが、とりあえず会話を試みる。
「あの……、聞いていいか……。」
「え?なんでしょう。何でもいいですよ、どうぞ聞いて下さい。」
「頭巾はどうして……?」
「あ、ああ。城を出入りするのに、女子供は色々面倒なんですよ。私は女であり、子供ですから特に。城の中でも、何かと面倒が多くてですね。流離者は厄介者扱いなもので。童雀様は、全く気にしてないみたいですけどね。」
「はぁ、なるほど。」
「まぁ普段は脱いでても良いのですが……。いや、止しましょう。所詮私は小学生ですから。非力ですし。身を守るためには、正体は隠しておいた方が良いかもしれませんね。フフフ。」
「え、あ、はぁ……。」
智は二人に向き直り、スッと姿勢と表情を正す。
雪緒とみっこもつられ、背筋がしゃんと伸びた。
「さて、瑞白殿、翁岐殿。先ほど軽く挨拶はしましたが……。改めて自己紹介をします。私は相談役"松依童雀"様の補佐を務めております、"真栞智"という者です。どうぞよろしくお願い致します。」
「あ、よろしくお願いしま、……致します。」
「あ、あ、よろ……、しく……、お願……、ます……。」
智は、深く丁寧にお辞儀をする。
雪緒とみっこもつられてお辞儀をする。
だが、不慣れ過ぎて土下座のようになってしまった。
「しばらくの間、私があなた方の教育係を務めます。まだ右も左も分からない状態かと思いますので、まずはこの時代の生活についてお教えします。身分や法、作法や習慣、食事から下の話まで。ありとあらゆることです。」
"下の話"と言われ、雪緒は座敷牢の便所を思い出していた。
江戸時代である以上、現代の快適なものが悉く存在しないのは理解している。
水洗便所もウォシュレットもないし、シャワーだってない。
容易に受け入れられるものでもないが、結局は我慢して慣れるしかない。
そういう意味では、正しい使い方を学べるのは有り難かった。
「あとは力量と適正次第ではありますが、何らかの仕事をお願いすることになると思います。」
「仕事……。例えば暗殺とか……?はは……。」
「今のところ、そういう依頼はないですかね。」
智のサラッと流すような物騒な返答に、さすがに雪緒も一瞬固まる。
(依頼があったら、やるの……?冗談……、かな?)
「あとそちらに道場もありますので、自己鍛錬や訓練もできますよ。」
「訓練……、って戦うってことですよね……。」
「ああ、心配しなくても、向き不向きの適性は見ますよ。ですから、見当違いの仕事を押し付けたりはしません。ウチはこれでも結構ホワイトなんです。アットホームな職場ですかね。ははは。」
雪緒は、少々変な汗をかき始めた。
(ブラックでアットホームじゃないところの常套句のような……。)
雪緒は、無意識に不安そうな表情をしてしまっていた。
智はそれを見て、ずいっと前に乗り出し急に熱く語り始めた。
「まぁ、その辺は心配ありませんよね!瑞白殿も翁岐殿も、あの信綱と戦って生き残った手練れですし!御二方には大変期待しているのですよ!」
「ええ!?い、いやぁ……、それはどうかなぁ……。あれはその、ただのマグレというか……。」
「またまたご謙遜を。我々は、御二方のような戦力をずっと待っていたのです!本当に喉から手が出るほどに欲しかった!」
「は、はぁ……。」
「なんならもう、徳川の救世主と言ってしまっても!!」
「いや、さすがにそれは……。」
智は先ほどとは打って変わって、グイグイ来る。顔が近い。
雪緒も、明らかに分不相応なことに巻き込まれてると気付く。
(うう……、もしかしてえらいところに来てしまったんじゃ……?このながれだと、またあの頭おかしい人と戦わされそうな予感が……。)
「……と、まぁ、ではその件は後ほどで……。そうですね、とりあえず、まず先に垢を落としましょうか。」
「は?」
*
雪緒は、全裸で仁王立ちになっていた。
そこは土間であり、半分外のような場所。
本来は、何かの洗い場なのかもしれない。
目隠しのようなものもあり、外からは見えない。
これから、ここで垢を洗い流すのだ。
今、ここには雪緒一人。
思えば、江戸に来てから常時誰かが一緒だった。
なにせ座敷牢では、トイレも同じ部屋の中だ。
こうして一人で過ごすのは久々かもしれない。
全裸と相まって、かなりの解放感だ。
目前の大きなタライには、沸かしたばかりのお湯が張ってある。
それを小さな桶で汲んで、身体にかける。
身体から湯気が立ち上り、じんわりと熱が染み込んでくる。
「ふあ〜……、うぃ〜……。」
久々の心地よい感覚に、思わず変な声が出てしまう。
暖かい湯が身体に触れると、背筋にゾワッとしたものが登ってきた。
だが、それは不快なものではなく、とても心地の良い感覚だった。
雪緒の手には、小さな布袋があった。
雪緒は慣れない手つきで、智に言われた通りにそれを桶に沈めてみた。
これは『ぬか袋』といい、中に糠が入っている。
身体を洗うためのもので、江戸時代では一般にも普及している。
石鹸のようにブクブク泡は出ないし、ゴシゴシ洗うものでもない。
だが、汚れが落ちて、同時に美肌効果もあるものだ。
使い方は、まず水に浸けて揉み、中の糠をほぐす。
それを、ゆっくりとマッサージするように押し当てて使う。
「これでいいんだろうか……?うーん?」
雪緒は、半信半疑で初めてのぬか袋を使う。
美肌効果があると言われたので、必要以上に押し当ててみたり。
よく分からないが、なんとなくツルツルになった気がした。
そして、身体を洗うためのものがもう一つ。
雪緒が手に取ったお椀には、洗髪料が入っていた。
その成分は『うどん粉+ふのり』。
「これ、本当に大丈夫なのかな……。うぇぇ……。」
見た目はシャンプーのようなものではなく、完全に"練られた何か"だ。
江戸時代の女性は、大抵髪が長く、結い上げている。
しかも、洗髪は毎日行わず、月に数回しか洗わない。
また、髪油を使うため、洗髪はなかなかの重労働であった。
「これ……、おお〜……、うおお……。うい〜……。」
髪に"それ"を塗ると、予想通りの触感で、予想通りの匂いがした。
思わずオッサンのような変な声が出る。
だが、なんとなく油分が取れ、しっとりしている気がした。
そうして不慣れな江戸時代の風呂事情を堪能していると、外から声が聞こえた。
「瑞白殿、どうでしょうか?何かお困りではないですか?」
「え!?あ、真栞さん?えっとー、とりあえず大丈夫……、だと思います……、たぶん。概ね……、たぶん……。」
「まぁ追々慣れるかと思いますが、まずは庶民的なものから慣れてもらった方が良いかと。いきなり石鹸とか使って、それに慣れてしまっても困るので。」
「え、石鹸あるんですか?」
「ありますが……。大変高価なものなので、まずはそれに慣れた方がいいかと思います。」
(えー、石鹸でいいじゃん……、ってそんなに高いのかな。)
実は石鹸は、安土桃山時代あたりにはすでに海外から持ち込まれていた。
だが、高価であったため、あくまでも医療品扱いであった。
「一応、こちらには内風呂もあるのですが、そこまで汚れていると、まずは別に落とした方が良いかと。あ、それと庶民は公衆浴場を利用します。ご希望であればそちらの作法も、誰かにお願いしてお教えしますよ。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
江戸時代にも、内風呂(家の中のお風呂)は存在する。
だが、あくまでも一部の武士のお屋敷にある程度。
庶民は、専ら公衆浴場に通っていた。
この時代は、大別すると二種類の形態があり、明確に分かれていた。
まず、蒸気で汗を流す蒸し風呂の公衆浴場を『風呂屋』という。
また、現代のような湯に浸かる公衆浴場を『湯屋』といった。
(公衆浴場か……。江戸時代でも富士山とか書いてあるのかな……?)
雪緒が想像しているのは、現代の銭湯のイメージだ。
勿論、この時代にタイル張りはない。
また、江戸時代中期までは混浴が一般的だった。
ただこれは『寛政の改革』『天保の改革』で明確に禁止された。
だが結局、完全にその文化が消えることはなかったようだ。
「着替えはここに置いておきますね。着ていたものはお城のもののようですし、洗濯してお返ししないと。」
「あ、はい、分かりました。」
江戸時代の習慣には、雪緒も戸惑うばかりだった。
だが、牢に入れられている時よりも、ずっとマシなことは確かだ。
身体がサッパリすると、少しお腹が空いてきた。
全裸で腰に手をやり、仁王立ちする。
スッと身体から、熱気の篭る湯気が立ち上った。
そうすると、なんだか少し笑けてしまう。
現代で生きていた自分が、今は江戸で生活しているのだ。
とても不思議な気分だった。
もしかしたらこの奇妙な新生活に、少しだけワクワクしていたのかもしれない。
*
雪緒とみっこは、全身さっぱりでポカポカとしていた。
用意されていた着物は男物の袴で、若干気後れする。
だが、雪緒は過去に剣道をやっていたので、着るのに苦戦はしなかった。
しかも、スルスルと滑るような着心地で、案外気持ちが良かった。
ただ、みっこは色々と苦戦していた。
まず、頭にうどんが残っていたので、雪緒が流し直してあげた。
更に、よく見ると身体の汚れも結構残っている。
結局また一度全部脱がせ、雪緒が洗ってあげる羽目になった。
そして、着物も着せてあげた。
(この子……、ポンコツ過ぎる……。)
江戸城でもそうだったのだが、実はみっこは事ある毎に転んでいた。
段差とかではない。何もないところで転ぶのだ。
なので、雪緒はしばらくみっこの様子を観察していた。
すると、自分の足に引っかかったり、つま先を地面に引っ掛けたり。
彼女のポンコツぶりは、日常生活に支障が出るレベルなのだ。
途中からめんどくさくなり、ずっとみっこと腕を組んで歩いていた。
ただそんな彼女も、今は湯を浴びてご満悦のようだ。
「ゆ、雪緒ちゃん……、気持ち、いい……、ですね……。ふふふ……。」
「う、うん、そうね。気持ちいいね……。」
ニコニコの美少女みっこの満面の笑顔。
彼女の身体は小さいため、子供用の袴だった。
もはや完全に七五三だ。
雪緒は深くため息を吐きそうになるが、なんとかとどまる。
小動物の面倒を見てると思えば、許せなくもないのかもしれない。
可愛いといえば可愛いのだ。
凄まじく手がかることに目を瞑れば。
二人が畳の間に戻ると、智が座って待っていた。
「随分かかりましたね。」
「ああ、すみません……。」
「まぁ、久々の湯ですしね。どうです?リラックスできましたか?」
「ええ、おかげさまで……。あ、髪って自然乾燥なんですよね……?」
「はい、手拭いで出来るだけ吸水して下さい。ドライヤーなんて無い時代ですし。電気があればまた違うんでしょうけど……。」
「そ、そうですね、たしかに。あ、この着物もありがとうございます。でも、どうして男物……?」
「ああ、それはこれから必要になるので……。」
「必要……?って、あ!あの、そういえば、私たちの服は……?」
雪緒たちが現代で来ていた服のことだ。
ゴスロリ衣装は、血やら埃やら随分汚れていた。
本来ならすぐにでも洗いたかったが、牢に入れられ、それどころではなかった。
牢に雪姫が来てからは、代わりの着物を着させられてしまっていた。
ゴスロリ衣装は、雪姫の侍女が持っていってそれっきりだったのだ。
「ん?ああ、現代のものですね。随分と汚れていましたんで、洗濯をお願いしています。現代のものを洗ったことのある職人にお任せしてますので、大丈夫かと。特に雪緒さんの物は、ゴシゴシ洗えないタイプのものですし。」
「そ、そうですか……。」
「まぁ、私たち流離が唯一こちらに持ってきたものですからね。できれば手元に置いておきたいですよね。大丈夫、洗濯が終わったらお返ししますよ。」
「ええ、まぁ。……って、やっぱり真栞さんも流離なんですね……。」
「ああ、そうですよ。身体は10歳ですが、中身はそこそこだったりします。」
「もしかして、完全覚醒者というやつですか?」
「ああ、いえ。そこまでは。……あと私のことは、智で良いですよ。私は先輩ではありますが、上司ではありません。歳下ですし、その辺は気楽に。」
「え、いえ。これからお世話になるわけですし……。そうですね……。」
雪緒は少し考えた。
「では"おさとちゃん"で……。」
「え。」
「雪姫様がそうおっしゃっていたので……。あ、いや、すみません、嘘です。調子こきました……。」
「いいですよ、まぁ。でも、城では"智殿"とかでお願いしますよ。」
「そ、そうですね……、うへへ……。」
「さて……、何から始めましょうか。そうですね、まずは食事にしましょうか。それからその後、簡単な試験を行いますね。」
「試験?……ですか。」
「ええ。まずは、貴方たちの実力を見せて頂きましょうか。」




