第10話 沙汰
心に余裕が出てくると、余計なことを考えてしまう。
勿論、思い出す必要もないことだと雪緒は知っている。
だが、それは毒のように、いつまでも身体の隅に留まり続けた。
そして、ふと油断すると、それはじわりと染み出してくるのだ。
次第に毒は全身に回り、醜い心がドロドロに溶けていく。
その時の雪緒は、一体どんな顔をしていたのだろうか。
雪姫は心配そうに、雪緒の顔を覗き込んだ。
「……ちゃん……、お雪ちゃん……?」
「え?あ、はい?なんでしょうか?」
「何か心配事でも?少し思い詰めた顔をされていましたから……。あの、もしかして私、少々はしゃぎ過ぎていましたか。」
「え?あ、いや……、そんなことは……。」
「その嬉しくて、つい……。実は、私には同年代の友人というものがおりませんでした。ところが、流離さん達が現れてからというもの、同世代の方も……。そいうことですから、折角なので皆さんにもお友達になって頂けたら、と。実は徳川には、歳の近い流離の方が2人いらっしゃいまして。その中でも童雀様には、とても良くして頂いておりまして……。」
「童雀?それは女性ですか?」
「ええ。松依童雀様という方で女性ですよ。歳も私と同じ14です。ただ要職に就いておられる方なので、とても忙しくて……。ああ!!そうですね、お雪ちゃんはまだ流離さんのことをよく知らなかったのですね。流離さんは女性しかいないと聞いておりますよ。」
「その……、流離、というのは……?質問ばかりですみません。」
「いいえ!私もいっぱい未来のことをお聞きしていますので、お雪ちゃんも聞きたいことがあれば遠慮せずに聞いてくださいな。流離さんというのは……、そうですねぇ。"後の世"の……、あ、お雪ちゃん達の言葉で"未来"でしょうか。」
(そういえば、将軍も未来という言葉を知っていたな……。)
雪緒は、江戸時代へ来てすぐのことを思い出す。
あの時、雪緒はテンパって、咄嗟に将軍を人質にしてしまった。
今にして思えば、相当な悪手であったが、そうする以外考えが及ばなかった。
将軍と話したのは、その時のほんの少しだけだ。
まさかその娘とこうして過ごすことになるとは、あの時は思いもしない。
「未来からのやってきた方を"流離"、もしくは"流離者"と呼称しているそうなのです。そして、流離さんに共通しているのが、必ず女性であること。あとそれと、もう一つ。何かしらの、生まれる前の記憶を持っていること、らしいです。"前世の記憶"と言えば良いでしょうか。お雪ちゃんも前世の記憶を持っているのではないですか?そして、おみっちゃんも。」
「え?記憶……?」
雪緒には思い当たるものがあった。
あの人を殺す感覚。
自分自身のではない、自分の記憶。
断片的ではあるが、おそらくそれがそうなのだろう。
どうやら、それはみっこも同じだったようだ。
みっこは、珍しく雪姫に自分から質問を投げかけた。
「そ、それは、その……、誰かを……傷付けるような……、記憶……?」
「おみっちゃんにもあるのですね?」
「少しだけ……、でもあまり、詳しくは……。」
「記憶には個人差があるそうです。断片的であることが多いそうですが、中には生まれながらに完全な前世の記憶を持っている方もいるとか。」
「え!?それは、赤ん坊の頃からってことです?」
「ええ。先日の江戸城を襲撃した信綱はそうだと聞いています。彼女らのような者を、"完全覚醒者"と呼んでいるそうです。あと秀吉と信長もそうだったとか……。お雪ちゃんも、おみっちゃんも完全には無い方なのですよね?」
「たぶん……、というか、前世の記憶というのも、もしかして……、程度なので。子供の頃から見ていた悪夢がもしかしたら……。それで両親には、とても心配かけてしまいました。」
「ご両親……、ですか。お雪ちゃんは、やはり元の時代へ戻りたいのですよね……?」
雪姫の少しだけ寂しそうな表情。
数日一緒に過ごして、随分彼女との距離感にも慣れた。
だが、時折見せる彼女のこういう悲しい顔。
それだけは、雪緒は慣れることができなかった。
「あー、そうですね、両親には何も知らせることも出来ずに、こちらに来てしまったので。あ、でも、それ以外は特に……。私はその、友人も居なかったので。ははは……。」
雪緒は、少しだけ胸がチクリとした。
雪姫はそんな雪緒の手を取り、またギュッと握る。
「ご両親には、何かしらお知らせできれば良いのですが……。ですが、あちらにご友人がいないのでしたら、ずっとこちらにいらっしゃれば良いのです!そして、ずっと私と一緒に居たら良いのです!ぜひそうしましょう!!」
「へ?あ、ああ……。」
「それで、おみっちゃんは……?」
「私、も居なかったです……。仲良かったお姉ちゃんも死んじゃって……。」
「そうでしたか。たしか、おみっちゃんの大好きなお姉さんでしたね……。なら、おみっちゃんも一緒!みんなずっと一緒の仲良しでいましょう!」
「は、はい……。」
「きっと、私たちは出会う運命だったのですよ!私とても嬉しいです!ど、どうしましょう!……ああ!そうだ!今度、童雀様もご紹介致しますわ!あと、その配下に、小さくてとても可愛らしい方がおりまして……。」
それからも雪姫の幸せそうなお話は、延々と続いた。
それを、雪緒は愛想笑いで合わせていた。
正直、面倒臭かった。
だが、彼女のことをとても可愛らしい人だとも思っていた。
少なくとも彼女に対しては、ひとつの不快感も持っていなかった。
早い話、雪緒は雪姫のことを少し好きになっていたのだ。
*
それから数日が経ち、ようやく事態は動き始める。
初老の男性と、二名の侍が現れたのだ。
そのすぐ隣には、ちんまりと中学生ぐらいの女の子もいた。
羽織袴を着たその女の子は、扇子をパタパタとさせている。
あまりにも場違いな女の子に、雪緒は違和感を覚える。
綺麗な子ではあったが、妙に態度が太々しいのだ。
その女子中学生は、牢の中をじっと見てから大きな声で喋り始める。
「えー、っとぉ?雪姫様、そんなとこで何してますのん!?」
怪しげな関西弁だった。
大きく素っ頓狂な声を上げ、大仰なわざとらしいリアクション。
雪緒はそのあまりの胡散臭さに、一気に警戒度を急上昇させた。
だが、雪姫はしゃなりしゃなりと歩き、ゆっくりと牢の格子の前に座る。
「あら、童雀様。ご機嫌麗しゅう。」
「ああ、ご機嫌麗しゅう。……って、そやなくて!なんで雪姫様が、牢に入ってるんです?って話ですよ。」
「しょうがないじゃありませんか。私の大切なお友達が、いつまでもここから出られないのですよ?そうなれば、私が入る他ないじゃありませんか。」
「なるほど、そらしょうがない。……って、ならへんでしょ!……と言いつつ、ボクは知ってましたが。」
雪姫は若干ツンとしながら答える。
ただ童雀と呼ばれた女の子も、ニヤニヤと笑みを溢しながら話していた。
そのあまりにもわざとらしいやりとりを、雪緒は傍観していた。
しかし、それに不快感を示した者が一人。
初老の男性であった。
「オイ、童雀よ。これはどういうことだ?聞いておらんぞ、説明せい。」
だが、その問いに答えたのは、雪姫自身だった。
「出羽守様、でしたね。お初にお目にかかります。21代将軍徳川家望が娘、雪にございます。」
「ええ!?ああ、これは雪姫様、ご丁寧に……。私は巳角出羽守……。って!いやそうでなくっ!!」
「出羽守様、童雀様。お雪ちゃんとおみっちゃんにお会いに来たのでしょう?どうか私のことは、居ないものとして扱い下さいませ。私は今、お友達の部屋にお泊まりに来ているだけですので。み、未来ではこういうのを"お泊まり会"とか、"女子会"というらしいですよ!」
「は、はぁ……。い、いや、ですが……。」
「まぁまぁ、出羽様。ええやないですか。今日我々は、お雪ちゃんとおみっちゃんに会いに来ただけで、そちらのお友達には特に用はありませんし。」
「おゆ……、って……?あれか、あの流離のことか。くっ……、やりにくい……。まぁ良い。とりあえず、其方ら……、あー、えっと?」
「あー出羽様出羽様、お雪ちゃんとおみっちゃんです。雪姫様と同じお雪ちゃんですよー。」
「ねー?」
雪姫は、ニッコリと雪緒に微笑む。
同意を求めてるのだろう。
だが、さすがに姫相手にそこまでくだけることはできない。
「え!?ええ、あ、はい……。」
初老の男"巳角"も、だんだんと面倒になってくる。
「いや、そうでなく……。オイ、童雀……、いい加減にしておけよ……?」
「しょうがないですなぁ。"瑞白雪緒"と"翁岐蜜"ですね。でも"お雪ちゃん"と"おみっちゃん"でも宜しいかと。」
「宜しいわけあるか!全く……、瑞白雪緒、翁岐蜜、両名。……って、何を惚けておる?」
「へぁ!?え、っと……、どのような御用で……?」
「沙汰を言い渡しに来たのだ。大奥闖入の件だ。」
「ほらほら、お雪ちゃんにおみっちゃん。この方、こう見えて老中なんですよー。一応、その中でもきちっとしてくれます?」
「こう見えて、とはなんだ。」
「きちっと……?こう、かな?」
正座に座り直す雪緒。
みっこも真似をした。
「あーそうそう。ええなぁ。一応な、こういうんは、形式が大事やからな。……って、雪姫様までやらんでええんですけど!」
「私もお雪ちゃんなので。」
「……さいですか。じゃぁ右側のお雪ちゃんだけで、左のお雪ちゃんはやらんでも……、ってややこしいから名前変えてもらいません!?って、雪姫様、右に移動したりせんと!……ま、まぁええか。出羽様。ささ、どうぞ。」
「……ん、んー!ゴホン!沙汰を言い渡す。」
雪緒は、生唾を飲み、喉をごくりと鳴らす。
雪姫のおかげか随分と和やかな雰囲気だが、雪緒らの処分には関係ない。
流石に処刑はされないだろうが、まだどうなるか分かったものではない。
しかし、その処分は意外なものだった。
「大奥闖入の件……、不問と致す。」
「え、……ええ!?」
「ただし、徳川に身を粉にして仕えよ。断れば死罪とする。……以上だ。其方らの仕事に関しては、この隣におる相談役"松依童雀"に聞け。其方ら流離者の全般は、此奴の方で管理しておる。」
「宜しゅうな!お雪ちゃん、おみっちゃん!あ、左の……、右の……、雪姫様、それはもうええっちゅうねん!流離者のお雪ちゃんの方な。宜しゅう頼むで!」
「えっと……?罪には問われない、というのは理解できたのですが……。」
「ほう。さっそく質問かいな。ええで、ボク優しい上司やからな、何でも答えたるで?あ、スリーサイズとかはあかんで!秘密や秘密。ボク、こんな可愛ええし、14歳のピッチピチのJCやったけどな。これでも徳川では相談役やねん。結構偉いねんで?せから、おっぱいバインバインやったら困るやろ?まぁ、今成長期やから、まだぺったんこやけどな!ボクのお胸は大器晩成やからな!」
「いえ、お胸のことは聞いてませんが……。」
(よく喋る人だ……。しかも中身がない。雪姫から多少聞いてたけど、全くイメージが違う……。)
「あ、いやそうでなくて、徳川に仕えるとか、死罪とかって……。」
「なんや、そっちかい。ガッカリやな。ボクのおっぱいのサイズ知りたいんやと思ったわ。ぺったんこやけどな!」
「その、要するに仕えないと殺すぞ?って聞こえるんですが……、もしかして私たち、脅されてます?それ、結局不問になってないような……。」
「あはははは!自分賢いなぁ!正解!と言いたいところやけど、ちょっと違うで?大奥の件は、本当に不問になったんや。お優しい上様に感謝しい。まぁ男やったら、問答無用で死罪やったけどな。……たーだなぁ、自分ら、もう一個悪さしとるやろ?」
「えっと……、何でしたっけ?」
「上様を人質にしよったな。」
「あ。」
「こんなん普通、死罪確定やで?けど、その後で信綱来おった時、上様庇ったやろ?それや。それで帳消し。……とはさすがにならんわ。覆水盆に返らずやな。だから、これから徳川に一所懸命仕えるんやったら、まぁそっちも不問にしたってもええで?って話やな。脅し、言うたら身も蓋もないんやけど、取引ととってくれたってもええ。」
老中・巳角はため息を吐く。
彼は彼で、ひどく疲弊しているように見えた。
もしかすると、童雀の怒涛のようなエセ関西弁のせいかもしれない。
「まぁそういうことだ。雪緒に蜜よ。どの道、其方らは江戸には不慣れなのであろう?あーそうだ、童雀よ。流離者の話も一緒にしておけ。こちらでの立場や、過ごし方、作法などもな。そいうことだ。まずは童雀に付いて学べ。」
雪緒に選択の自由はない。
だが、これからどんな仕事を任されるかも分からない。
もしかすると暗殺のようなことも……。
雪緒は、チラッと老中や童雀を見る。
不安と疑心暗鬼。
だが、その時、雪姫が雪緒の手をとった。
雪姫の温度が伝わってくる。
「お雪ちゃん。私には分かります。今、お雪ちゃんは不安なのですね。」
「え?」
「まだ数日ですが、一緒に過ごし、私はずっとお雪ちゃんを見てきました。ですが、大丈夫です。私がついております。それにおみっちゃんも一緒です。さぁ、ほら……、おみっちゃん?」
「へぁ!?ひゃ、ひゃい……。」
みっこも手を握る。
三人で輪になって手を繋ぐ。
「お友達がいれば、きっとどんな難局だって立ち向かうことができるはずです。お二人とも、どうか徳川の力になって下さい。皆で、この泰平の世に生きるすべての民を守りましょう。」
雪姫の目は、真っ直ぐに二人の目を捉える。
そこには何の思惑もない、心からの願いがあった。
「でも……。」
雪緒が何か言いかける。
だが、雪姫は何も言わず、グッと握る手に力を込めた。
そして、潤む瞳で見つめ続ける。
雪緒は、ひとつの選択をした。
「ハァー……、わ、分かりました、分かりましたよ……。その、まだどうしたらいいか、分からないことだらけですが……。徳川のため……、いや、お、雪ちゃんのために徳川で働きますよ。ね?みっこも。」
「は、はい……。」
「本当に!?では最初のお仕事は、童雀様に言って、私の護衛をお願いしましょう。そうしたらずっと一緒にいられますものね!!」
「え、ええ……。」
老中・巳角はその様子を見て、またため息を吐く。
「貴様、童雀よ。こういう展開になると分かっていて、雪姫様のことを黙認しておったな……?」
「いやいや、どうですかねー?ただ、信綱とやり合っても生きているような優秀な人材ですんで、徳川に仕えてくれればええなぁとは思うておりましたが。いやいや、ボク知りませんでしたよ?」
「先ほど"知っていた"と言っておったよな?」
「はて、そうでしたっけ?」
「まぁ、良いわ。……まずは奴らの力量を確かめよ。偶然とはいえ、信綱を退ける一助となったのは確かなのだ。儂は信綱を直接見ておらんが、鬼神の如きであったのであろう?今回、限定的ではあっても、秀吉と手を組んだことは事実。次があるとすれば、今の戦力では太刀打ちできんからな。」
「その辺は滞りなく。……ボクの優秀な部下に、全部丸投げしますんで!」




