第9話 友達
雪緒は、先ほどまでの酷い扱いを絶対に許す気はない。
そして、絶対に受け入れない。
だが、雪姫の真摯な態度に少しだけ溜飲を下げた。
ただ、それでも納得はできなかった。
なぜなら、雪緒たちは今も牢の中にいるからだ。
この隔たりがある以上、その言葉もどこか薄っぺらいと感じてしまう。
勿論、一国の姫が頭を下げるということは、大変なことなのだろう。
だが、雪緒はどうしても意地悪を言わないと気が済まない。
勿論、相手は言い返さないと分かっていた。
「なら、ここから出してくれないです?将軍様の命の恩人なんですよね?この扱いはあんまりじゃない、……ですかね?」
「それは……、申し訳ございません。私の一存では……。もうすぐ沙汰があるかと思いますが、決して貴方たちを悪いようにするものではないはずです。どうか、それまでは何卒ご容赦を。」
「ハッ!それって、アンタがどう考えようと、どう言おうと……。結局は、私たちの扱いは変わらないってことじゃないですかね?というか、アンタも心の中では、私らのこと、実際どう思ってることか。どうせ、徳川の敵にならない程度にご機嫌取りたいだけなんでしょ?」
雪緒は、そこまで言うつもりなどなかった。
ふと雪姫を見ると、ひどく悲しそうな表情が見えた。
だが、もうその言葉を引っ込めることはできない。
「そうですね……。たしかに、扱いを変えられない以上、私が今何を言っても意味はないのかもしれませんね……。」
「フン……。」
雪姫はひとり、何か思い詰めたような顔をしていた。
そして、少ししてから、近くの見張り番を呼んだ。
先ほどいた男とは違う、別の見張り番だった。
雪姫に呼ばれ、何事かと駆け寄ってくる。
「もし、そこの。そこの方?」
「へい。なんでしょう?」
「牢の扉を開けて下さい。」
「へ!?雪姫様っ!それはなりませぬ!此奴らを勝手に解き放つなぞ!」
「心配は無用です。解き放ちはしません。……良いのです、責任は私自身がとります。さぁ、お開けなさい。」
「ですが……。では今、他の者らを呼んで参ります故、お待ち下さい。この人数で暴れられでもしたら……。」
「必要ありません。この方達は逃げたりはしません。そうですよね?」
「え?あ、え、まぁ……。」
「一体何をするおつもりなんです?……ハァ。私は知りませんからね……。オイ、オマエら、逃げるなよ?」
見張り番は、頑なに抵抗していた。
だが、雪姫の真剣な目を見るなり、ため息を吐いて素直に従った。
「あの、雪姫様、開けましたが……?」
「ありがとうございます。では、貴方は少しお下がりなさい。」
「え?あ、ああ、はい。……って、ああ!!雪姫様なりませぬっ!!」
雪姫は突拍子もない行動に出始めた。
さすがに、雪緒もこれには驚き、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「え?えええええ!?ちょ、アンタ、なんで入って来ちゃったの!?」
*
見張り役も素っ頓狂な声を上げた。
「ゆ、雪姫様!!そ、其奴らは上様を人質に取った者たちですぞっ!?い、今すぐ他の者を……っ!!」
「静まりなさい!心配には及びません。……ね?」
「え?えっとぉ……。」
困惑する雪緒を他所に、雪姫は雪緒の元へと歩いてくる。
そして、雪緒の手を取った。
ちなみに、今も牢の扉は開いたままだ。
「え、あの、アンタ、ちょ、ちょっと……。」
「ああ、扉が開いたままでしたね。開けておいても良いのですが、彼らの責任になってしまいますから……。さぁ扉を閉じて、鍵をおかけなさい。」
「ええ!?……ええっ!?」
素っ頓狂声を上げる雪緒と見張り番。
雪姫は、奥に隠れているみっこにも声をかけた。
「さぁ、貴方もこちらへ。」
「ふぇ……?」
みっこの元へと歩いていき、手を引いて戻ってきた。
そして、雪姫は、雪緒とみっこの手を取ってニッコリと微笑んだ。
「申し訳ございませんが、私では貴方たちを牢から出すことはできません。……ですから、私が入ります。」
「は?……はぁあ!?」
「貴方たちには本当に感謝しておるのです。徳川を、父上を助けて頂き、本当にありがとうございました。」
「え、あ、ああ……。」
再び頭を下げる雪姫。
雪緒とみっこは、互いに目を合わせた。
だが、それでも雪緒は納得していなかった。
もはや意固地になっていたのかもしれない。
(大方箱入り娘で、世間知らずなんだろうな。……良い気なもんだ。)
だが、雪緒は気付いてしまう。
彼女の手が震えていることに。
ただそれは、雪緒らを恐れている風ではない。
おそらく、この行動自体が大きな冒険だったのだろう。
徳川の姫として、徳川を心から案じ、目の前の人物に敬意を表する。
それだけのことだが、一歩踏み出すには相当な勇気が必要だったに違いない。
雪緒は、視界の端に牢の扉を見る。
混乱した見張り番は、まだ扉を閉めていなかった。
だが、雪姫の震えた手を跳ね除け、そこから逃げる気にはなれなかった。
「わ、分かった。分かりましたよ。徳川のことは正直分かりませんが、貴方のことは信用しましょう。……ね?みっこ。」
みっこも頷く。
すると、雪姫の表情が一気にパッと明るくなった。
「本当に!?感謝致します!」
雪姫は、二人の手をギュッと握り締める。
雪緒はもう、愛想笑いするぐらいしかできない。
「え、あ、ははは……。」
「……あ、ところで貴方様のお名前は何と言うのでしょう?」
「え、あー、私は"雪緒"と言います。降る"雪"に、鼻緒の"緒"で……。」
「まぁ!私と同じ雪ですの!?こんな偶然ってあるのでしょうか!?な、なんてお呼びしたら……?」
「え、まぁ、そ、そうですね……。よく周りからは、雪とか雪ちゃんとか呼ばれてましたが……。」
「まぁ雪ちゃん!では"お雪ちゃん"とお呼びしても?……そ、それで貴方は?小さくて可愛らしい方ですね!」
みっこは急に話を振られ、全身をビクンと震わせる。
どこかに逃げたい欲求にかられるが、雪姫にガッチリ手を掴まれている。
「お名前を!ぜひ!」
「あ、あの……、私、"密"です……。み、みんなは、み、"みっこ"って、よ、呼んでくれました……。」
「まぁお蜜ちゃん!?ああ、でも呼ぶなら、みっこちゃん?おみっちゃん?どちらが良いかしら!?素敵なお名前ですね!」
「は、はぃ……、あ、ありがとう……、ございます……。」
だが、雪姫の質問はそれで終わらない。
「それで、おいくつなのかしら?きっと私たち近いと思うのですが……?」
「私は16歳です。」
「あ、私も……、16……、です……。」
「まぁ!私よりもおねーさんでしたのね!私は14になります。」
「は、はぁ……。」
更にグイグイくる雪姫。
雪緒もみっこも、もうタジタジだった。
しかし、雪姫は急にここで余所余所しい態度に変わる。
「そ、それであの、ですね……。私たち歳も近いので……。」
「はぁ……。」
「不躾で、とてもその……、ですね……。えっと……。」
「えっと、何でしょう……?」
「……私たち、お友達になりませんか?」
「…………はいいいいい!?」
*
それからの雪緒の生活は一変してしまう。
「これ、本当にいいのかな……?これでまた罪増えないよね……?」
実はあれから、雪姫が座敷牢に居着いてしまったのだ。
雪姫の『私が(牢に)入ります』と言う言葉。
てっきりそれは、『牢に入ってお礼を言う』ことだと思っていた。
だが、まさかの『解放されるまでご一緒します』という意味だったとは。
そして、今は雪姫付きの侍女二名もいた。
彼女らは、用事があるまで端に座っている。
そんな状況で、雪緒もみっこも困惑していたが、雪姫は楽しそうだった。
「そ、それで、あとはどのような……?それからどうなっちゃうんです?学校という場所で、男女が!その寺子屋のようなところは、どういった……。ああ!それで、お友達がいらっしゃるのですよね!?そ、それで……、そのお友達と殿方が……、まぁど、どうしましょう!た、大変ですのね……。それでそれで、そのお友達は……っ!?ハァハァ……、しょ、少々お待ち下さい、私喋り過ぎて……、あ、お飲み物を……っ!」
「え、あ、えっと……、それで……。え、っと……、ふぇ……。」
雪姫の質問攻撃に、みっこもタジタジだった。
相変わらずオドオドしているみっこだが、心なしか気を許してるように見えた。
雪姫が来てすぐは、いかにもお姫様といった様子だった。
その品のある立ち居振る舞いに、最初は近寄り難いものを感じてしまった。
だが、その様子も少しずつ変わっていく。
すごろく、カルタ、あやとり、人形遊びなど。
三人で遊び始めると、雪姫も年相応に楽しげな顔を見せ始めた。
そして、遊びながら話していると、雪姫の知らない言葉が出てくる。
そうすると、遊びそっちのけで質問大会が始まってしまうのだ。
彼女は、現代の話に興味津々だった。
そのはしゃぎっぷりは、年よりもずっと幼く見えてしまうほどだ。
「あの……、雪姫様……、その……。」
「まぁ!お雪ちゃん!?いつまでもそんな他人行儀に呼ばないでくださいな!私たち、もうお友達でしょう!?私のことも、お雪ちゃんとお呼びくださいな!さぁ!さぁ!お雪ちゃんと!!」
「え、あ、そのそれはさすがに……。」
「私たち、どっちもお雪ちゃんなんですよ!素敵な偶然ではありませんか!でも呼ばれたら、二人とも振り向いちゃいますね!ふふふ……。」
雪姫は、ニコニコで雪緒の手をとった。
彼女の手の表面は、ひんやりとしていた。
だが、ギュッと握られると、彼女の体温がじわりと伝わってくる。
雪緒は、雪姫から伝わる熱に妙にドキドキしてしまう。
「で、でしたら、私の方は雪緒とお呼び頂ければ……。」
「駄目です!私たち二人とも、お雪ちゃんなんです!それが良いんです!!」
「は、はぁ……。」
「さぁさ、おみっちゃん!続きは続きは!?それから、その殿方はどうなったのです!?」
「ふぇ!?ふぇ……。」
「えっと、ですから、雪姫様……。」
だが、今度は素直に振り向かない雪姫。
一瞬、雪緒の目を見たのだが、ぷいっとみっこに向き直てしまった。
雪緒は、深いため息を吐く。
「は、はぁ……。あの……、おおおお、おゆ、お雪、ちゃん……?」
「はい!なんでしょう、お雪ちゃん?……にしし!」
「その……、このようなことしてて、本当に大丈夫なんでしょうか……?」
「このようなこと?」
「えっと、こう、一緒に牢に入って、遊んで……。もう、おゆ、……きちゃんがここに来て、二日ですけど……。」
「そうですね。もうそろそろ、上の方の詮議も終わると思うのですが……。何ぶん、老中全員が信綱の手により亡くなられたそうで、体制を立て直す必要もあるかと。新しい老中はもう決まっているようなのですが、引き継ぎなどもあるのでしょう。お雪ちゃんとおみっちゃんには、このようなところに拘束してしまい、本当に申し訳ないと思っております。」
「このようなところ……。」
実は、雪姫が来てからすでに二日経っていた。
たしかに、今は"このようなところ"の座敷牢に囚われている。
だが、その環境は一変していた。
なにせ、畳は新品に替えられ、寝床もグレードアップ。
食事にしても、衣服にしても、今は雪姫と同等のものが与えられている。
トイレの異臭以外は、ほぼ何の不自由もなかった。
強いて言えば、日の光がないので、時間感覚がよく分からないくらいだ。
そして、今ではだいぶこの時代のことも分かった。
それは、雪姫との会話のおかげである。
現在が江戸時代であることは確かだった。
だが、ただの江戸時代ではない。
なにせ、西暦で言えば1900年以降にあたる。
それにも関わらず、大政奉還もなく、黒船も来ていない。
そのせいで開国もされず、ずっと鎖国が続いているのだ。
雪姫の質問攻撃は、おそらく寝るまで続くだろう。
雪緒はドッと疲れていた。
(けど、彼女のおかげで生活の質は上がったし、危険人物という先入観は消滅してくれたかな。この状況で、友好的なのは有難いけど……。)
雪緒は楽しそうな雪姫を見て、少しだけ胸が苦しくなる。
(でも、私には友人なんて必要ないよ……。ごめんね、お雪ちゃん。)




