第0話 氷鬼
こちらは事件の発端となったプロローグです。
主人公はまだ登場しません。
尚、序盤に少しだけ残酷・暴力描写があります。
雪が舞っていた。
寂れた農村の一角。
いつもは雪の降らぬ場所であった。
だが、その日は、粉のような雪が舞い落ちる。
ひんやりとした空気が、どこまでも澄んで漂う。
そこに、女の悲しい声が響いた。
「ああ……、おなつ。……駄目だ、目を開けろ。駄目だ、逝くな……、おなつ……。ああ……、私を、置いて、いかないで……、くれ……。」
その言の葉は、既に壊れたものを繋ぎ止める。
だが、それも虚しく、すぐに冷たい虚空へと消えていく。
おなつの身体にはもう、少しの熱しか残されていなかった。
そこに、十数名の侍がいた。
目の前の男はすでに抜刀しており、刀身には赤い紋様が浮かんでいる。
「オイ、女。貴様が信綱だな?貴様には、切腹命令が出ておる。素直に腹を切れ。武士の情けだ。従うなら、私が介錯してやろう。」
「なぜ……?」
「さぁな。大方、貴様ら流離の誰かが、讃岐様の怒りでも買ったのであろう。だが、そんなこと、貴様が知る必要はない。」
「違う。」
「ん?何が違う。」
「なぜ、斬ったのか……、と聞いている。」
「……ああ、その女子のことか。"信綱を出せ"と言ったら、何も言わず、急に逃げ出したのでな。全く薄情な女だ。貴様のところの下女であろう?主人を捨て、自分だけ逃げるとは、人の道に悖る行為よ。」
「違う。」
信綱と呼ばれた女性は、腕の中に眠る女を抱きしめた。
グッと引き寄せるように肩を抱き、その髪に顔を埋める。
「おなつはそのような女子ではない。おそらく、私に知らせようとしたのであろう。素直に喋っておれば、死なずに済んだかもしれぬのに……。すまないことをした。おなつよ、本当にすまない。私と関わらなければ……。」
「さぁ立て。……なぁに、心配することはない。お前もすぐ同じ場所へ行くのだからな。手間が省けたろう。感謝すると……、ん、くはっ。」
その侍の足元に、何か大きな塊が落ちた。
侍は力無く膝から倒れ、首がついていたあたりから赤黒い飛沫が上がる。
近くにいた全員が、その侍が倒れるまで気付かなかった。
信綱の手には、その侍が持っていた刀。
いつ奪ったのかも分からない。
だが、一瞬の間に、首から上を刈り取ったのは確かであった。
「……おなつ、すまない。私にはこんなことしかできない。此奴ら全員、殺してあの世で詫びさせよう。…………貴様ら全員、その首置いて逝け。」
*
三年後。
──────江戸城・内郭某所。
昼過ぎ、隠密から新たな情報が入る。
大老からそれを聞くや否や、将軍の表情はあからさまに曇っていく。
「またか、もうよい。そのような報告、もう聞きたくはない。」
すでに日は落ちかけ、いつもであれば城の業務も終わっている頃だ。
本来、将軍の政務は中奥で行われるが、今は内郭の秘匿された場所にいた。
この薄暗い部屋には、三名の者が座っている。
徳川幕府の中心とも言える将軍と大老、そして相談役が一名。
大老も自身の年老いた手を見つめ、ため息を吐く。
「秀吉の奴め。盗人猛々しいとは正にこのこと。奴の"村田銃"、元は徳川で活用すべく作られたもの。それがなぜ逆賊の手にある?火縄程度では、到底対抗できんのだぞ。……して、流離よ。こちらの銃はどうなっておる?一時その技が奪われたとて、お主も流離。無理ではなかろう、いつまでかかっておるのだ。相談役としての責務を果たせ。」
"流離"と呼ばれた相談役は、扇子を閉じたまま口元に押し当てる。
その扇子で唇を何度も軽く弾いて、ゆっくりと口を開く。
「そないなこと言われましてもなぁ、讃岐様。あれがやらかした時、ボクこっちにいてませんでしたし。」
それは怪しげな関西弁であったが、とても美しい声だった。
実はこの相談役、美しく長い黒髪を束ねた少女であったのだ。
その態度は見た目に反し、実に太々しく、将軍を前にしても気負うことはない。
女だてらに男物の羽織袴を身に付け、背筋を丸めて胡座をかいていた。
「そら、まぁ勿論、一通りの再現はできてますよ?今も必死に調整してますって。ただ精度が……。あれが離反する際、職人皆殺しにしてったのが致命的でしたなぁ。今の徳川には、もう有能な職人が残っとらんのですわ。」
「そんなことは聞いておらん、早々に銃を完成させよ!このままではいずれここも危ないのだぞ。……まったく流離なぞ、厄災以外の何者でもないわ。だから、早々に殺しておけば良かったものを。」
大老の言葉を聞き、将軍は格子窓から外を見つめ、深く息を吐いた。
そこからは、ゆっくりと歩いている武士たちの姿が見えた。
一見、この平穏に見える風景も実は仮初に過ぎない。
それを知っているのは、ほんの一握りの人間だけだが。
「"生かして教えを乞え"と言ったのは儂だ。すべての責任は儂にある。なにせ流離は後の世に転生し、戻ってきた者たち。知識は存分に利用すべきであろう。」
「甘いのですよ、殿は。新しいものが必ずしも良いとは限らないのです。徳川は、すでに三百年以上も続く泰平の象徴。銃なぞ要らなかったのですよ。あの時、私の助言通りにしておれば……。」
「元は信長だ。奴が言う"未来"というもの。それは素晴らしいものだった。民を思うが故、"いんふら"なるものを整えるという具体的な構想が、特にな。今はもう、奴が考案した馬車網による物流はなくてはならん。戦乱の世ではない以上、いつまでも武士のものにしておく必要もなかろう。」
「ですが、その後が宜しくない。電気でしたか。"発電所"なる施設を作ろうなどと調子付きおって……。それ以外にも"油田"や"がす田"など、怪しげなものを画策していたとか。げに恐ろしい。」
将軍と大老の意見は、真っ向から対立していた。
将軍は、革新的なものに抵抗はなく、民のためになれば労力も惜しまなかった。
だが、大老や老中らの思惑は違う。保守的で、最優先は保身だ。
つまり、彼らの行動理念には、最初から民も徳川も無かったのだ。
そして、独断専行により、取り返しのつかない事態となっていた。
「だが、讃岐殿よ。流離の処刑なぞ……。あの時は、随分と早まったことをしてくれたな?なぜ儂に相談しなかった。あれのおかげで信長も秀吉も、信綱も……。悉く徳川の敵となった。特に信綱には可哀想なことをした。あれでは恨まれても仕方あるまい。」
「それは徳川を思ってのこと。結果的にはそうなってしまいましたが……。元はと言えば……、いえ。とにかく、信綱も先の動向から動きはありませんが、秀吉同様警戒すべき対象かと。……流離よ。銃は早々に完成させろ。このままでは、一方的に殺されるのを待つことになるぞ。」
「はいはい。承知致しましたよ。……まぁ可能な限りですが。」
「あとはとにかく、早々に秀吉らの居場所を突き止めよ。居場所が分かれば、先手も打てる。流離なぞ、皆、所詮女ではないか。中身が秀吉だろうと、信長だろうと関係ない。一斉に取り囲み、嬲り殺しにしてくれようぞ。」
*
相談役の少女は、部屋から出て廊下を少し歩く。
すると背後に、どこからともなく羽織袴の何者かが歩み寄ってきた。
その者は、目深く頭巾を被っており顔は見えず、子供のように小さかった。
相談役は頭巾の者に気付くも、振り返りもせず話し始めた。
「智はん、アンタも聞いてたな?早う銃作れとさ。ハァー、全くお偉いさんは気楽なもんや。あんの、讃岐のヒヒ爺めが。ボクのこと、相変わらず名前で呼ばへん。腹立つわー。残りもんの毛、全部毟ったろか。」
相談役は扇子を取り出し、また口元で遊ばせた。
「徳川の世もそろそろ仕舞いやな。300年も続いたんや。ここらが潮時やろ。」
「童雀様、またそのようなことを。誰かに聞かれたらどうするのです。」
口の悪い相談役に、いつものように頭巾の者が苦言を呈す。
その声は、本当に小さな子供のような声だった。
だが、相談役とは違い、どこか理知的で丁寧な話し方であった。
この頭巾の者、名を"真栞智"という。
僅か10歳の少女にして、この相談役の補佐を務める。
そして、この相談役の名は"松依童雀"という。
14歳の少女でありながら、徳川幕府の相談役を務めている。
両者共、特殊な事情を抱える者らで、"流離者"と呼称されていた。
「どうもならんへんて。大丈夫大丈夫。ってか、まぁどうでもええやん。そもそも21代将軍なんて、ボクの知っている歴史と違うしな。この世界、一体何がどうなってねん、ホンマに。開国どころか、黒船も来いひんかった世界やで?おかげで未だに鎖国されたままや。せやから、色々拗らすんのも理解できるんやけどな。それにしても、とにかく頭が固い。殿はマシやけど、老中どもがあれではな。」
「また讃岐様ですね。」
「ハァー、元はと言えば流離の謀反も、あのヒヒ爺の考えなしが原因だろうに。それを未だに理解してへん。信綱に可哀想なことを……、ってアホか。あれもう、そんなレベルの話とちゃうかったで?まぁボクらの来る前の話やし。その場におったわけでもないけどな。」
「上泉伊勢守信綱……。たしかあの者は、現代でも妻と子を亡くしているのですよね。女同士ですから、子は養子だとは思いますが。」
童雀は、扇子を叩くように掌に打ち付ける。
「せや。そんで、ヒヒ爺が"やっぱし流離は処刑や!"て暴走したせいで、巻き添えで奴の女が真っ先に斬り殺されてもうた。そんで信綱ブチギレ。そら怒るやろ。同じ立場なら、ボクかてキレるわ。徳川家臣16名、その場で皆殺し。後から駆けつけたのも合わせると、死者54名。生存者なし。あれは女とは言え、完全覚醒者やで。まともにやって勝ち目なんぞないっちゅー話や。」
「……ところで童雀様、以前から申し上げていることですが、いい加減徳川に素性を明かされては?すでに徳川に未練もないようですが、この泰平を終わらせたところで、やって来るのは戦乱ですよ?」
童雀は大仰にクルッと身を翻し、扇子を智に突きつけた。
一瞬ニッコリと微笑むが、すぐに眉をひそめる。
「ええい、今更名乗れるかいな!それに、ボクがどうこうしたところで、どの道もう手遅れや。……それにボク、前世のことで"あれ"に相当恨まれとるからねぇ。バレでもしたら、結局火に油を注ぐだけやと思うよ?なんせ、あれの一族郎党皆殺しにしたの、前世のボクやし。」
「ですが、このまま手をこまねいていても、状況は悪化するばかりですよ。」
「まぁそら?ボクがやれば?ノブノブやヒデヒデなんか目じゃないけどね。なんせボク、一回天下獲ってもうてるからね。」
「あの、それと……、童雀様。その怪しげなエセ関西弁、いつまで続けるおつもりでしょうか。現代を知っている流離者からすると、とてつもなく胡散臭さが……。色々混ざってますよね、それ。」
「え!?そこ!?そこなぁ。実はそれ、ボクも思おとったんよ。でも最初にこっち来た時、"あかん!正体バレてまう!ほな関西弁つこうたろ!"って、即興でこういうキャラでやってしまった手前、実は引っ込みつかんのよ。なぁ、智はんはどこでカミングアウトしたらええと思う?いきなり標準語喋り始めたら、将軍フリーズしよんで?絶対ボクわろてまうわ。」
「知りませんよ、そんなの……。」
その時、廊下の先から見覚えのある少女が歩いてきた。
将軍の娘、"雪姫"である。彼女は14歳で、童雀と同年代。
そのため、何かにつけては遊びにやってきていた。
「まぁ童雀様、ご機嫌よう。どんな話をなさっておいでかしら?」
「ああ、雪姫様。また、こんなところに。あきません、また叱られますよ?」
「良いのです。父上は、私を籠の鳥のように仕舞っておきたいだけなのですよ。ですが、私ももう14。籠の鳥というわけにはいきません。それにまたいつ嫁ぐことになるか……。お会いしたこともない殿方の元へ嫁ぐなぞ……、私は……。」
雪姫は、思い詰めたような表情を見せた。
童雀は慌ててフォローを入れる。
「ダメですよ、そんなことを言うては。先日、あれのせいで嫁ぎ先が無くなってまいましたが。また情勢が安定すれば、別の嫁ぎ先も見つかるでしょう。きっと良い相手に恵まれますよって。」
そんな童雀の心遣いを受けてか、雪姫の表情はすぐにパッと明るくなった。
「ところで童雀様。今日はこれからお暇かしら?」
「はー、残念至極にて。申し訳ない。ボクはこれでも忙しい身でして。はー、忙しい忙しい。見て分かりません?この忙しゅうて、ひーひー言うとるのが。つい今し方も、お父上から色々言われましてなー。はー、忙しい。」
「私たち、お友達でしょう?童雀様は、私とお仕事、一体どちらが大事なのでしょうか?」
「はー!そら、雪姫様よりも大事なことがありますかいな!友達大事。……ですがねぇ……。あー、もしや"万華鏡"に何かありました?」
「ええ、少々修繕が必要かと。」
「……なるほど、それはちと考えんといけませんね。……というわけで、智はん。後のことはお願いしますね。はー、忙しなぁ。」
「……は?え?」
予想してなかった展開に、一瞬ポカーンとしていた智。
だが、童雀は姫と一緒に、そのまま何処かへと行ってしまった。
智はため息を吐く。
「ハァ……、前世では有能な方だったのに。なぜ現代を経由したら、あんな風になってしまったのか。ちょっとは信長らを見習って欲しい……。」
そんな智の愚痴は聞こえていなかったであろうが、童雀が先の曲がり角からひょいと顔出した。
「あーそうそう。新しい流離者を見つけたら、すぐ知らせてな。今は猫の手も欲しいさかい。気張ってリクルートせんと。できれば、強いのがええねんけどなぁ。でもまぁこの際、贅沢も言うてられへんけども。ほな、諸々頼むでー。」
「ハァ……。」
智は童雀の消えた曲がり角を見つめ、ため息を深く吐いた。




