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第一部 その9

この作品は、黒森 冬炎様主催の『ソフトクリーム&ロボ~螺旋企画~』への参加作品です。

第一部が12話あり、4/4中に12話すべて投稿する予定です。

第二部は4/11以降に投稿する予定です。

 どれだけ邪険にされても、風太(ふうた)は匠のもとへ足を運ぶのをやめなかった。そして不思議と匠も練習場所を変えることはなく、常にグラウンドのすみで壁当てをしていた。


 ときには無言で匠の壁当てを見守り、そのままなにも語らず帰ることもあった。あいさつだけして、それ以外はなにもいわないこともあった。ただ、風太は学校が休みじゃないときは、毎日匠のもとを訪れるのをやめなかった。クラスメイトたちから、諦めたほうがいいんじゃないかといわれることもあったが、風太は意に介さなかった。常に匠のもとを訪れて、どれだけ文句をいわれても、その壁当ての様子をながめるのをやめなかった。


 そして五月になった。夏の大会は七月上旬から始まる。風太にはあと二か月と少ししか残されていなかった。


「……お前さ、どうして毎日おれのところに来るんだよ?」


 壁にボールを投げつけながら、匠がぼそっとした声で問いかけた。匠の背中を見つめながら、風太は答えた。


「タクさんこそ、どうして毎日壁当てをやめないんだ?」

「それは……。おれがこの学校の、最後の野球部員だからだ。おれがやめたら、野球部はなくなっちまう。だから」

「どうしてだよ? タクさん、見てたらずっともくもくと壁当てしてるじゃないか。キャッチボールじゃなくて、壁当てをずっとだ。そんなの、野球部じゃないだろう?」


 バッと匠が風太をふりかえった。跳ね返ったボールが転がっていくが、匠はもうボールには少しも意識を向けなかった。眉間にしわを寄せて、こぶしをぎゅうっとにぎりしめている。しかし、風太も一歩も引かずに、匠の怒りに燃えた目をまっすぐ見つめた。


「……お前になにがわかる? おれたちを、野球を捨てたお前になにが!」

「確かにおれは、タクさんたちチームメイトを見捨てた。言い訳なんてしない。それは事実だからだ。変えられない事実。おれが全面的に悪いよ」

「それならもうほっといてくれ」


 絞り出すようにいう匠に、風太はゆっくりと首を横に振った。


「それはできない」

「なんでだよ! お前は一度おれたちを見捨ててるじゃないか! 一度も二度も同じだろう? 今度も見捨てればいいじゃないか。それともなんだ、おれがこうやってみじめに壁当てしてるすがたを見て、お前はざまあみろって思ってるのか?」

「そもそもタクさん、どうして壁当てなんかしてるんだよ? それに、あれだけキャッチングが上手かったタクさんが、なんでボールを捕れないんだ? おれにはどうしても、タクさんがリハビリでもしてるんじゃないかって、そう見えるんだよ」


 匠の目が大きく見開かれた。こぶしをわなわなとふるわせて、一気に風太に詰め寄っていく。胸ぐらをつかみ、怒りでつばをまき散らしながら、風太にどなりつけてきた。


「リハビリだと! くそっ、おれのこと、なにも知らないくせに、知ったような口をききやがって……!」

「そうだよタクさん、おれはタクさんのこと、なにも知らないんだ。だって、タクさんの背中しか見ていなかったんだから。マウンドでもそうだった。おれは、タクさんのミットめがけて投げていただけで、タクさんのことを全然知らないって思い知らされたんだ」

「だったら、なんだよ!」

「だから知りたいんだ! おれ、タクさんのことが知りたいんだよ!」

「なんでだよ! おれのことなんて知ったところで、お前はまた見捨てるんだろう!」

「違う、おれはもう見捨てたりしない! 絶対にだ!」


 匠は怒りの炎を目にともしながら、胸ぐらをつかむ手に力をこめた。しかし、風太も一歩も引かず、匠の視線を真正面から受け止めた。しばらくバチバチと火花を散らす二人だったが、やがて匠が根負けしたのか、胸ぐらから手を離し、チッと短く舌打ちした。


「……仮に、お前がおれを見捨てないとしても、もうどうしようもないんだよ。おれの、野球人生は終わったに等しいんだ」

「どうしてだよ? タクさん、別にケガもしてないし、投げれるだろう? からだが動くなら、野球人生が終わったりなんてしないよ」


 匠はなにも答えずに、風太に背を向け、転がっていたボールを拾いあげた。しかし、壁当てを再開するわけでもなく、そのままじっとボールを見つめているだけだった。風太も待った。なにもいわずに匠を見守ったまま、待ち続けた。風が二人のあいだを吹き抜けていったが、もちろんそれは風太の風ではなかった。風太はじっと待ち続けた。


「……イップスだよ」


 唐突に匠が口を開いた。風太はなにも答えず、匠の背中を見守り続ける。匠がこちらをふりかえり、そして風太と目を合わせた。ほんのかすかに、ひとみが紫色に光ったように見えたが、光のいたずらだったのだろうか、すぐに元の黒いひとみへ戻った。


「……イップスだ。キャッチングができなくなっちまったんだよ」


 匠のひとみが、わずかにゆらめく。なんらかの原因で、思い通りのプレーができなくなる『イップス』は、野球選手にとって大敵である。代表的なのが、投球だ。ひどいときには投げる動作そのものができなくなることもあるという。だが、キャッチングができなくなるというイップスは聞いたことがなかった。しかし、もちろん風太はなにもいわずに、匠が語るのをじっと待った。匠は大きく息をはきだし、降参といった様子で肩をあげた。


「わかったよ、そんなに知りたけりゃ話してやる。お前がおれたちを見捨てたことで、おれたちがどんな目にあったかを」


 目が再び怒りの色を帯びた。ナイフのようなその視線に、風太はわずかに身じろぐ。匠は早口でまくしたてた。


「お前がいなくなったあと、おれたちは棄権することすらできずに、全国大会に出場せざるを得なかった。お前以外にピッチャーの専門はいなかったから、外野手やってたやつが投げたよ。当然そんなものが通用するはずもない。打たれたさ。打たれて打たれて、めちゃくちゃにされた。へとへとになってピッチャーは順々に交代していった。もちろんみんな野手だから、投手なんてやったこともない。なにをしたって打たれるんだ。それかフォアボールのオンパレードだ。おれもへとへとになったよ」

「そんな……」


 思わず口に出た言葉を、風太は飲みこもうとしたが遅すぎた。匠はふんと鼻を鳴らして、自嘲気味にせせら笑った。


「あきれたか? だが、これは全部お前がまいていった種だぜ。どうやったってアウトが取れない。名門中学のスカウトも来ていたからな、相手チームも手を抜くなんてことはできなかったんだろう。ボロボロになったおれたちを、さらにボコボコにしていった。そしておれは……へとへとになって、ボールをうしろにそらしたんだ」


 珍しくストライク先行で、三振を取ったと思ったところでパスボール。振り逃げされて、マウンドに立っていたピッチャーはそのままばたりと倒れてしまったらしい。


「あとで聞いたが、どうやら熱中症だったらしい。……そいつはその日で出雲ドンキーズを辞めたよ。他のやつらも、半数が辞めた。かろうじてクラブチームに残ったやつらも、中学に入ってからは誰も野球部に入るやつはいなかった。みんなあの敗戦で、すべてを失ったんだよ」


 もはや責めるような口調ですらなく、匠は無念そうに語った。風太もじっとそれを聞いていたが、本音は今すぐにでもここを逃げ出し、高校はもちろん、陰陽師すらも辞めて、どこかに閉じこもりたい気分だった。自分のせいで何人もの人生をぶち壊した、その重さは耐えられそうになかった。だが、それで終わりではなかった。


「……おれは、諦めなかった。全国大会で恥をかいたかもしれないが、それでおれの野球人生が終わるわけじゃない。そういい聞かせた。だが、ピッチャーの球を捕球しようとする瞬間に、あの場面が目に浮かぶんだ。おれが球をそらしたことで、あいつの、チームメイトたちみんなの野球人生を、おれがめちゃくちゃにしたんじゃないかって」

「タクさん、そんなことは」

「そんなことはない、そうだな、チームメイトのみんなもそういってくれたよ。だが、現実問題おれはキャッチングできなくなっちまったんだ。……それだけじゃない。おれの目は、どんどん悪くなっていった。あの日を境に、今はもう裸眼の視力は0.01以下だ。めがねがなけりゃ、いや、めがねがあっても、ぼやけてかすんでうまく見えない。特に、野球のボールが見えないんだ」


 めがねを外して、匠はごしごしと目を袖でこすった。手に持っていた白球を目をこらしてとらえようとするが、どうしてもよく見えないようで、目の前でぶんぶんとふる。それでも見えないのだろうか、匠は再びめがねをかけて、もう一度ボールを見すえた。

その10は本日4/4の19:40ごろに投稿予定です。

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