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第一部 その5

この作品は、黒森 冬炎様主催の『ソフトクリーム&ロボ~螺旋企画~』への参加作品です。

第一部が12話あり、4/4中に12話すべて投稿する予定です。

第二部は4/11以降に投稿する予定です。

「はぁっ、はぁっ……」


 足ががくがくとふるえ、目に汗がしみた。風太(ふうた)は乱暴に袖でぬぐって、それからホームベースをにらみつける。さっきまで気にならなかった、応援団のバカでかい声援がうざったらしい。


「くそっ、なんで入らないんだ……」


 汗が入ったからだろうか、目がかすむ。ホームベースが遠く見える。ピッチャープレートから足を外し、内野を見わたす。ファースト、セカンド、サードベース、全部塁が埋まっている。打たれたんじゃない、自分がまいた種だ。


 ――フォアボール、フォアボール、デッドボール……。最悪だぜ、急にからだが重くなって、手元が狂ってきやがった。どうしちまったんだろうか、おれ――


 最終回、あと1アウトで全国大会への切符を手に入れられるというのに、ボールが、そして風がいうことを聞かない。いつもならきれいならせんを描くスパイラルボールが、今日は大きく右にそれたまま戻ってこない。左バッター二人はフォアボールですんだが、右バッターにはデッドボールを食らわせてしまった。


 ――リードは1点、おれたちの貧弱打線じゃ、同点にされたら終わりだ。ここを守りきるしかないのに、なのに――


 次のバッターは右バッターだ。当てた瞬間に全国大会は夢と消えるだろう。疲れだけじゃない、足が、そして歯の付け根がガチガチと鳴り出す。のどの奥にすっぱいものがこみ上げてきた。思わず口を押さえる。


「……た、風太!」


 声をかけられても、風太は顔をあげることができなかった。と、かけよってきて、しゃがみこんだあいつが、風太の顔をのぞきこむ。人なつっこい丸い目が、今日はやけに大きく見える。それに、わずかだがひとみの色が紫色のような気がする。驚き顔をあげる風太に、あいつはしゃがみこんだままミットをバンバンッと鳴らした。


「……タクさん」

「この音を、あと三回鳴らしたら終わりだ。簡単だろ?」

「でも」

「ちょっとぐらいぶれたって大丈夫だ。おれが受け止めてやるよ。お前の球、絶対にうしろにそらしはしない!」


 あいつはもう一度バンッとミットを鳴らした。


「ほら、これで全国大会出場決定だ」

「はぁ?」

「さっき二回、今一回鳴らしただろ。おれたちの勝ちだよ」


 風太は目をまたたかせ、それからもう一度ごしごしと顔を袖でこすった。泥と汗のにおいが鼻をくすぐる。


「風太、お前すげぇ顔してるぞ。表彰式の前にちゃんと顔ふいとけよ」

「なっ……」


 ぽんぽんっと肩をたたかれ、あっけにとられる風太を残して、あいつはさっさとキャッチャーズボックスへ戻ってしまった。ぼうぜんとしている風太に、あいつはどっしりとすわってミットを三回、バンバンバンッとたたいた。


 ――ここに投げろ、そうすれば全国大会出場だ、ってか? チェッ、こっちが大変だってのを全然知らないで――


 ゆっくりと顔をあげて、空を見あげた。さっきまで恨めしいまでに照りつけていた太陽の光が、なんだか優しく感じる。うじうじと湿っていた心を乾かすかのように、風太はその光を一身に浴びた。そして再びキャッチャーズボックスを射抜くように見すえる。ミットがさっきよりも大きく見えた。


 ――へへっ、いいぜ、あと三球だろ。それで全国大会出場できるんだ。簡単だぜ――


 ピッチャープレートを踏み、ゆっくりと投球動作に入る。鼓膜をつんざくような、うるさい応援団の声も、不思議と消えていった。逆に鼓膜がなくなったかのように静寂がグラウンドを支配する。大きく振りかぶった。バッターのすがたが消え、まわりの景色も溶けるように見えなくなり、ミットだけが、目の前にはっきりと映る。からだを竜巻のようにひねりあげ、その反動を利用して投げた。スパイラルボールだ。


「ストライーックッ!」


 審判のコールが聞こえると同時に、音がよみがえってきた。だが、先ほどまで感じていたような、いやなプレッシャーは感じなかった。応援団の声が、清々しい風のように湿った心に吹き抜ける。


 ――へっ、あと二球だ――


 あいつもそれを伝えたかったのだろう、今度はバンバンッと、二回ミットをたたいた。


 ――ご丁寧なこったぜ、タクさんは。ま、そんな期待されたら、おれも答えるしかないだろ――


 再び投球動作に入り、またしても応援団の声が、そしてすべての音が消えた。視界が一気に狭まり、そしてミットだけが、その視界をおおうかのように広がった。からだをひねり、ボールに風をまとわせる。弓のようにキリキリと、バネを最大限生かして、そして再び放った。スパイラルボールはミットのど真ん中に「バンッ」と吸い込まれていった。


「ストライッツー!」


 審判が高らかにコールする。応援団たちのどよめきが聞こえてきたが、もう気にならない。あいつがボールを投げ返してきた。風太がバシッとキャッチするのを見て、あいつもこたえるようにミットを一回、バンッと力強くたたく。


 ――あと一球だ――


 迷いはなかった。恐れもなかった。なにも考えることなく、ただ投球動作に入る。音は消え、ミットしか見えなくなる。この心地よい繰り返しが、からだじゅうの余計な力を洗い流して、風がかわりに、からだの隅々にまで満ち満ちていく。


 ――おれは竜巻だ、おれが、らせんなんだ――


 限界までからだをひねり、そして次の瞬間、突風のごとく腕を振り下ろした。まとわせた風が、今日一番のらせんを描いてキャッチャーミットへ吸いこまれていく。さすがにバッターも今度はバットを振るが、らせんはそれを間一髪でかわし、あいつのミットをバンッと鳴らした。


「ットライーッ、バッターアウッ!」


 三度目のコールがグラウンドにひびきわたった。一瞬球場が静まり返り、そして次の瞬間、あいつがおたけびをあげて風太のもとへ一直線に走ってきた。よろめく風太に抱きつき、揺さぶって男泣きに泣き崩れる。


「ちょ、タクさん、痛いって」

「だだ、だって、だってよぉ、うぅ……! 全国だ、全国だ、全国大会だ! うぉぉっ!」


 それ以上は言葉にならない様子で、あいつは泣いて泣いて泣きじゃくる。風太はへへっとニヒルに笑ってあいつの背中をバンバンッとたたいた。


「おいおい、全国大会出場が決まったくらいで泣くなよ。これからが本番だぜ、全国に行っても、暴れまくってやろうぜ!」


 泣きわめきながら、あいつが顔をあげた。その顔は……のっぺらぼうだった。




「うわっ!」


 自分の悲鳴で目が覚め、ベッドの上で風太は完全に固まっていた。しばらくぼうぜんとしていたが、ようやく意識がはっきりしてきたのだろうか、ベッドからはい出てゆっくりと立ちあがった。そのまま重い足取りで洗面所へ向かう。引っ越してきたばかりで、歯ブラシと髭剃りだけが置かれた、殺風景な洗面所の蛇口をひねる。春だがまだ水は身を切るように冷たく、頭が一気に覚醒する。水を両手ですくい、顔を洗う。さらにはっきりしてきた頭を、風太はブンブンッとふった。


 ――くそっ、最悪な夢を見たぜ。……タクさんの顔、思い出せなかった――


 顔だけでなく、名前ももう思い出せない。ただ、『タクさん』とだけ呼んでいたことは覚えている。タオルを出していなかったことを思い出し、風太はチッと舌打ちする。


 ――タクさん、あのあとどうなったんだろう。それに、チームメイトのみんなも、おれがいないのに、全国大会に行ったら――


 風太が以前所属していたクラブチームは、正直いって全国どころか、市内大会で一回戦負けしてもおかしくないレベルのチームだった。そこに魔球であるスパイラルボールを投げる風太が加わり、タクさんがスパイラルボールのキャッチングを完璧にしたことで、全国大会まで怒涛の如く駆け上がったのだ。それなのに肝心の風太が抜けたら……。


 ――ちくしょう、転入初日から、なんていやな目覚めなんだ――


 びしょびしょの顔のまま、引きだしに入れていたタオルをつかみ、ごしごしと顔をふく。押し入れにしまい込んでいたときの、あのムッとするにおいがして、思わず鼻にしわを寄せる。


「チッ」


 タオルを思い切り洗濯機の中に投げこんで、風太は頭をがしがしとかく。寝ぐせがわずかについたぼさぼさの髪が、駄々をこねる子供のように見える。髪を押さえつけたが、もちろんそんなことで寝ぐせが直るわけもない。「はぁっ」と疲れたようにため息をついた。


「水でぬらしてなんとかごまかすか」


 さすがに転入初日に、こんな髪のまま行くのは気が引ける。風太はもう一度蛇口に手をかけた。

その6は本日4/4の15:40ごろに投稿予定です。

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