第一部 その1
この作品は、黒森 冬炎様主催の『ソフトクリーム&ロボ~螺旋企画~』への参加作品です。
第一部が12話あり、4/4中に12話すべて投稿する予定です。
第二部は4/11以降に投稿する予定です。
全身真っ黒い人影が、バッターボックスに立っている。ホームベースとキャッチャーミット以外は、闇に包まれているのに、そいつが黒い人影だと認識できたのは、その影が闇よりはるかに濃かったからだ。呼吸が早くなる。胸が苦しい。目がかすんできて、影のすがたも闇に溶けていく。見えていたはずのキャッチャーミットが、じょじょに遠くなっていった。
――くそっ、ここまでか――
バンバンバンッと、闇を払うような音がして、キャッチャーミットの向こう側に、紫色に燃える光が二つ見えた。キャッチャーミットをもう一度たたいて、紫色のひとみが、来いとさけぶ。闇さえも消えていき、ミットが目の前にあるような感覚がよみがえってくる。
――そうだ、あのミットにこいつを、おれの風を届ければ――
投球モーションに入る。高く腕を振りかぶり、竜巻のようにからだをひねる。ボールにありったけの力をこめて、目の前のミットめがけて風を放った。手元から離れたボールの軌道が、スローモーションで見ているようによく見えた。じょじょにらせんを描き、風は渦を巻いてボールの速度をあげていく。黒い人影が、やはり闇より濃いバットを振り下ろす。
――行けっ――
ほんのわずかにバットがボールの上をかすった。軌道を変え、ファールチップがあらぬ方向へ飛んでいく。思わず目をぎゅっと閉じて、そして祈った。
――タクさん、受け止めてくれ――
――数か月前――
「はぁ? 江上の森球場に、魔物がとりついた?」
すっとんきょうな声で聞き返す嵐山風太に、本田師範はいつもの薄ら笑いを浮かべてからうなずいた。
「あぁ。兆候は去年の冬ごろから見られていたんだが、なかなか判別するのが難しくってな。だが、春になって魔物も冬眠から覚めたんだろう、ようやく瘴気がわき出してきたんだ」
「いや、魔物に冬眠とかないんじゃないっすか? 少なくともおれは、そんな魔物がいるなんて、聞いたことないですけど」
「ハハハ、冗談だ」
にべもなくいう本田師範を、風太はジトッとした目で見つめる。この人は本当になにを考えているかわからない。つかみどころがない人間だ。
――まぁ、陰陽師なんてやってるやつは、だいたいみんなそうだけどな――
風太は陰陽師協会の人間たちが嫌いだった。上司だからとか、えらぶっているからなどという理由ではなく、根本的にそりが合わない気がするのだ。なにを考えているのかわからず、だけど先の先まで見すえている。そして一番気に食わないのが、それをあえて風太にいわないという点だった。
――十五で見習いになったおれを、快く思ってないやつらもいるみたいだが、本田さんを含めて、上の連中はそんなタマじゃない。快く思わないとかじゃなくて、おれを完全になんとも思っていないんだ。まるでガキのお客さんみたいにしか思ってない――
視線をそらし、こぶしをにぎりしめた。それを悟られるのが嫌で、風太は本田師範に質問する。
「……その冗談は別にどうでもいいんですけど、そもそも球場に魔物なんてとりつくんですか?」
「なんだ、風太、お前野球って好きじゃなかったか? おれはサッカー派だから、野球なんて見もしないし興味もないが、確かお前、小学生のころは野球少年だったんだろう?」
風太の眉間にしわが寄る。それを知ってか知らずか、本田師範はハハハと楽しげに笑って話題を変えた。
「ちなみにわかってはいると思うが、この場合の『魔物』ってやつは、当然比喩的なものじゃない。それこそよく、『甲子園の魔物』なんて馬鹿げたことをいうやつらがいるだろう? あんな言葉遊びとは全く違う、本当の意味での魔物だ」
「そんなことはいわれなくてもわかってますよ」
むすっとした顔の風太に、本田師範はにやりと笑って問いかけてきた。
「それじゃあ風太、お前、甲子園の魔物も比喩だって思ってるのか?」
「はぁ?」
質問の意味がわからず、風太は思わず本田師範と目を合わせた。正面から見ると、そのぎらついた眼は、まさにタカを思わせるようだ。しかし、口元はかすかににやついている。風太はチッとわずかに舌打ちした。
「そりゃあ、甲子園の魔物っていったら、高校野球の風物詩じゃないっすか。晴れの舞台に舞い上がって、普段じゃ考えられないようなミスをしちまう。それでいつしかいわれるようになったんでしょ、甲子園には魔物が住むって」
「そうみたいだな。ま、おれは野球興味ないし、甲子園も見ないから、全然知らないけど」
「……その野球知らないですよアピールはもういいですよ」
風太は再び目をそらす。しかし、本田師範はにやにやしたまま話を続けた。
「まぁそういうなって。正直経緯は知らないが、どうやらそういわれているらしいな。甲子園には魔物が住むって。……ありゃ本当だ」
「本当って、はぁ? いや、甲子園には魔物なんて住んでないでしょ」
「お前、行ったことあるのか?」
「いや、ないっすけど……。でも、常識的に考えて、甲子園に魔物なんて……」
しまったと風太は顔をしかめる。本田師範に、『常識的に考えて』なんて言葉をいったらまずいことになる。おそるおそる横目で見ると、いやな予感はどうやら当たっていたようだ。タカの目を輝かせて、それこそえものを見つけたような笑顔を見せている。またしても風太は舌打ちした。
「おいおい、陰陽師の見習いたる者が、『常識』なんてものに縛られたらいけないぞ。それは常にいっているだろう? おれたちは常識から外れたやつらを相手にしているんだから、何事もまず疑わなければならないって」
「そりゃあ、わかってますけど……でも、甲子園の魔物なんて、そんな奴がいるんですか? ていうかそんなのがいたら、高校野球なんてできないんじゃ」
「いや、甲子園の魔物は実在する。それも太古の昔から存在する魔物だ」
「太古の昔って……。そもそも甲子園球場って、いつごろ作られたんですか?」
「およそ百年くらい前だってよ。正確な年はおれも知らないぜ、あとでネットででも調べてくれ。なんせおれは野球興味ない人だからな」
「だから、そのアピールはどうでもいいですって……。でも、百年前って、そこまで太古の昔じゃないでしょう?」
風太に聞かれて、本田師範はふふんと鼻を鳴らした。
「そりゃあそうだろ。甲子園の魔物、ちなみに甲子園球場ができる前は、もっと別の名前の魔物だったそうだが、それはこの際置いておいて、とりあえず甲子園の魔物としよう。こいつは甲子園球場ができるよりずっと前、五百年以上前から存在している魔物なんだ」
「五百年……! そんな昔からいるのに、退治できていないんですか?」
「まぁな。そもそもこの魔物は、かなりやっかいでしぶといやつでな。もともとは人間の感情、特に絶望を貪り食う悪鬼だったんだ」
「悪鬼か……」
陰陽師が恐れる魔物の一種である悪鬼。それこそ陰陽師が生まれた平安時代の、酒呑童子から始まり、現代にいたるまで、陰陽師たちが退治し続け、そしてそれと同じくらいの陰陽師たちが破れていった、人間たちの天敵である。風太の腕に、ゆっくりと風がまとわりつく。本田師範がわずかに肩をあげて風太を制する。
「おいおい、こんなところで力を使うなよ。おれは別に悪鬼じゃないぞ」
「……その悪鬼が、いったいなんの因果で甲子園球場にとりついたんすか?」
つっけんどんな口調になる風太を、本田師範はむしろ面白がるように見ていたが、やがてやんわりと風太の疑問を否定した。
「残念だが、風太、お前前提から間違ってるぞ」
その2は本日4/4の15:40ごろに投稿予定です。