第96話 聖女様はバケツの中に希望の光を見ます
聖女の外出は基本的に、奉仕活動で出かけることが多い。
したがって訪問先は末端の教会や修道院、それらが運営している孤児院や治療院へ行くことがほとんどだ。王宮の式典だったり、町や村のイベントの来賓なんていうのは珍しい部類になる。
聖女様の日々の活動は、皆が思っているよりも地味なものなのである。
「おいナッツ。今日のドサ回り、営業先はどこだ?」
「“営業”言わないでください」
◆
治療院の訪問は孤児院よりは楽な仕事だ。
なにしろ、大体の患者は静かに寝ている。
孤児院訪問みたいに、元気いっぱいな子供たちと庭を駆け回る必要が無い。
ココの背中にミミズを入れるクソガキもいなければ、ナタリアのスカートをめくることに血道を上げるエロガキもいないのだ。
大人しい入院患者に一人ずつ声をかけるだけの簡単なお仕事……のはずだったのだが。
今日の治療院訪問は、そういう意味ではかなり珍しいかもしれない。
ちょうど急患が相次いでしまって、受け入れ側が忙しくなってしまったのだ。
治療院側がバタバタしているので、ココは隅で小さくなっている。
こういう時は手伝いをするのが一番なのは分かっているけれど、その為に人手を割いて指導係を用意してもらうのでは本末転倒だ。
かといって素人が勝手なことをして、二度手間にしてもいけないし……。
そういうことを考えると、声がかかるまで大人しくしている以外にやるべきことが無い。
(ただなー……こういう中で、何にもしないっつーのもなー……)
悪いことをしているわけじゃないんだけど、なんだか肩身が狭い。
そんな思いで座っていたココは、ベッドに寝かされている老婆が喉の渇きを訴えているのを発見した。
職員はみんな急変した患者に付いているので、誰も気がつかない。
ならば。
(水を飲ませるくらいなら、私でもできるな)
ココは無害な老人は嫌いじゃないのだ。
どうしたわけだかココは年寄りに人気がある。
飴玉をくれるより現ナマをくれと思うが、可愛がってくれる分には嫌とは言わない。
だから“無害”じゃないシスター・ベロニカや教皇だったらどうかはわからないけど、この見ず知らずのおばあちゃんに水を差しいれてやるくらいの慈善心はある。
ココはさっそく水瓶を探し、コップに水を汲み……かけた。
途中で手を止めたココは水瓶の中を覗く。
「……この水、いつのでしょう?」
これ切実な問題で、古くなった汲み置きの水は身体に悪い。
弱った人間に古い水を飲ませて、お腹を壊したとかになったら最悪だ。
「みんな、忙しそうですね……」
見回してみるけど職員は皆忙しそうで、今朝の物かとか確認できそうにない。
というかそもそも、この水は飲用なのだろうか。
「うーん……」
鮮度が判らない。
職員が捕まらない。
いっそ井戸から……とも思ったけど、井戸を探して汲んで帰ってくるのも相当に時間がかかる。
「どうしましょう……あ、そうだ」
ココはひとつ、いい方法を思いついた。
水を汲んで、一旦人目に付かない所へ持って行く。
物陰に入ったところで、ココはコップを握った両手に“力”を込めた。
「いつも遊びに行って帰って来たとき、これで化粧も汚れも吹き飛ばしているからな」
聖心力を浴びせてやれば、消毒したことになるんじゃなかろうか。
ココの手元から、青白い閃光がコップの中の水へと放たれた。
◆
「いーやー、まさかなー……」
あの後治療院は大騒ぎになった。
ココの作ったほんのり光る水を老婆に飲ませたら、末期の内臓疾患が治ってしまったのだ。
驚いた人々が何事だ!? と騒いでパニックになりかけたので、ココは慌ててその場を鎮めて厳かに考えを述べた。
「これはきっと、女神様が御慈悲を下さったのでしょう」
「……あの言い方もまずかったなあ」
一瞬静まった直後。
居合わせた人々は“女神の奇跡”をその目で見たことに感激し、神の慈悲を称える大合唱になった。
そこまでは良かった。
ココの想定したとおり、ココのやらかしを女神になすり付けて終わりにできるかと思ったのだけど……。
自分の職場で秘蹟を見た職員たちは、教皇庁に「奇跡顕現の公認」を申請しようと大興奮。この治療院を聖地にするんだと気勢を上げる。
そして入院患者たちは、宝くじに群がる賭博依存症患者にジョブチェンジ。奇跡よ当たれと一心不乱に女神を称える聖句を唱え始めた。
射幸心いっぱいになっちゃった現場で、いまさら種明かしもできず。
また明かしてしまったら最後、患者を全員治療しないと納得してくれないのが目に見えている。
そしてココがちょっとやらかしただけで完治してしまうのでは、治療院の存在意義が問われてしまう。
結局ココは予定時間になったので、グダグダになった現場を放置して帰って来たんだけど……後から伝え聞いた教皇はすぐにココが何かやらかしたと感づいて、執務室に呼ばれて延々説教されてしまった。
◆
「やれやれ……こんなことになるんだったら、横着しないで井戸まで汲みに行っとけば良かったな」
ぼやきつつも……ココはふと、あのままさらに力を加えていたらどうなったんだろうと気になった。
外出時のメイク落とし程度で、あれだけの効果が出たんだから……。
「消毒のつもりでちょっと強めに力を加えただけなんだよな。そうすると、本気で聖心力を込めたら……どうなるんだろう?」
思いついたら、興味が湧いてきた。
ココはバケツに水を汲んできた。
ちょうど今はナタリアも用事を済ませに行ってココの部屋にはいない。
「よーし、ちょっくら実験してみるか」
ココは聖心力ができるだけダイレクトに水に伝わるように、自分の両手をバケツの中に入れてみた。
そのうえでいつも“聖なる武器”を出すように掌を合わせて構え、ボールでも持っているイメージで掌の間に聖心力を……。
◆
「という経緯があってだな」
ココはナタリアとウォーレスにバケツを見せていた。
「これが試しに作ってみた、正真正銘の“聖水”だ」
ナタリアとウォーレスが、何とも言えない顔でバケツを覗き込んでいる。
「どうした?」
「……どうしたと言われましても」
ナタリアが首を振った。
「この聖水? 危険な香りしかしないんですけど」
「そう?」
ウォーレスも、指で触ってみようとして引っ込める。
「聖心力を水に貯められる、という実験結果は非常に興味深いのですが」
「そうだろ?」
「そうなんですけど、その……これ、見ただけでヤバいんですが」
「そうか? 神聖な感じがしないか?」
「神聖を通り越して、なんだか恐怖感が湧いてきます」
ココの持って来たバケツには、蒼白い光を帯びた液体がなみなみと入っている。
見た目は綺麗と言えないこともないが……問題は、その蒼白い光を液体自体が放っているという点。
しかも、“光っている”を通り越して“輝いている”。
「ちなみにだな」
ココが窓まで歩いて行って分厚いカーテンを閉めた。
ろうそくもランプも準備しないでいきなり閉めたから、室内はいきなり闇になる……はずだったのに。
バケツの中が煌々と輝いていて、部屋の中が十分明るい。
「……聖女様。バケツから離れた場所で書類が読めるんですけど」
「すごいだろ?」
「もう一度言いますが、ヤバさしか感じません」
ナタリアが顔を上げた。
「それでココ様、ご相談というのは?」
「ああ、うむ。二人を呼んだのはほかでもない」
ココがバケツを指さした。
「これ、飲んでも平気かな?」
「まずいんじゃないかと思います」
ナタリアに即答されて、ココはウォーレスを見る。
「もっと込められた力が弱くても、内臓が侵される病気が完治しちゃったんですよね……? 強すぎる薬は毒になるとも言いますし、これを飲んだら逆に身体を痛めるのでは?」
「うーむ……濃縮還元聖水って言うのはどうだ? 水で割って飲むの」
「何倍に希釈したら適正なんですか」
せっかく作った“新製品”が不評なので、ココが唸って頭を掻いた。
「なかなかすごいのができたから、売れるかと思ったんだけどなあ」
「出来映え以前に、聖水をどこで売るつもりですか……」
呆れるナタリアと反対に、ウォーレスが何かを思いついた。
「それなら聖女様、教会で販売する聖水に混ぜて薄めちゃったらどうですか。思いきり薄めれば、一般の司祭が祝福した程度に収まるのでは?」
治療院で使った以上に薄い物なら、確かに効果は出るだろうけど騒がれるほどではない。そうウォーレスが提案した。
今度は逆にココが思案顔になる。
「うーん、そうするとなー……」
「何かまずいですか?」
ココが首から下げたガマ口を叩いた。
「教会が潤うだけで、私の懐に入って来ないじゃないか」
「聖女が個人的な稼ぎに執着しないでください」
◆
報告のついでに聖水の顛末を聞いて、教皇ケイオス七世は額を押さえてため息をついた。
「聖女も相変わらずというか、いつまでも直らないというか……あれも何とかならないものかのう」
「幼い頃からここまで一貫しておりますと、これはもう本能じゃないかと」
ウォーレスの言葉に、教皇は憂鬱そうな顔でほぞを噛む。
「それでは困るのだ……大陸会議が間もなくなのだぞ」
教皇の独り言に近いぼやきに、秘書もハッとする。
「そうか……聖女様の実態を見られちゃまずいわけですね」
「噂だけ聞くのと現物を見るのでは、インパクトが違うだろうからな」
六年に一度、三つの大聖堂の幹部級が一堂に会する運営方針を決定する会議が迫っている。会場はもちろん教皇庁があるここ、ゴートランド大聖堂。
「前回の時は幼少ゆえ会議には出てもしかたないという理屈で押し通したが……十四ともなれば、挨拶ぐらいは出ねばなるまい」
「……頭が痛いですね」
ゴートランド派の上げ足を取ろうと虎視眈々と狙っているブレマートン派とスカーレット派の前に、あの聖女を出さなければならない。
「荒れそうじゃなあ」
ケイオス七世はしみじみ呟くと、もう一回深々とため息をついた。
◆
ココはむくりと起き上がると、バケツをしまい込んだクローゼットを睨んだ。
もったいなくて捨てずに持って帰って来たけど……。
「明るすぎて、全然寝れん!」




