第80話 聖女様は檻でじっとしていません
再び扉が開いたのは、しばらく時間が経ってからだった。
ガチャガチャと錠前を開ける音が響き、壮年の貴族が蝋燭を持った数人の騎士を従え入って来た。
小役人といった風情の貴族は床に座り込んでいる二人の姿を見て、満足そうに口の端をゆがめた。勝ち誇るように胸を張って声をかける。
「王太子殿下、それとついでに聖女様。いやいや、お待たせしまして申し訳ありませんでしたな」
男は名乗りもせずに、尊大な態度で言い訳にならない弁解をし始めた。
「実はお二人の処分をどうつけようか、ついつい話が盛り上がってしまいましてね! ははは、それでお目にかかるのがいささか遅くなってしまいました」
自国の王子に向かって嫌味ったらしい口調で下に見るような発言。
これを言うのが公爵本人だとしても、次期国王に対して慇懃無礼にもほどがあるが……。
言われた方は彼の話をそもそも聞いていなかった。
「なあココ、おまえ本当にハートの5、持ってないのか?」
「おいおいセシル。負けが込んでいるからって人を疑うのは良くないなあ」
カード遊びに熱中していて、男の存在を完全無視。
犯人よりも人質の方が無礼だった。
公爵の副官を務めるゲインズ男爵はあまりに予想外な反応に呆気にとられ、彼を無視してカードゲームに熱中する少年少女をしばらく無言で眺めていた。
横の騎士が慌てて耳打ちする。
(閣下。閣下!)
「……はっ!」
騎士につつかれ、正気に戻る男爵。
「ちょっと、おいっ!? こんなところで何遊んでいるんだ! というかカードなんかどこから出した!?」
大人に怒鳴られ、気分を害したように眉をしかめる王子と聖女。
「キャンキャンうるさいな、今いい所なのに……一勝負がつくまで“お預け”もできないのか? 叔父上は犬の躾が苦手なようだな」
「うるさいっ!」
「シスター・ベロニカが存在忘れているみたいだったから、アデルのカードを院長室からこっそり持ち出しといたんだよな。ミサの時とか暇つぶしに使おうと思って袖に入れといてよかったわ」
「聖女が何やっているんだ!?」
「ココ、おまえやっぱりハートの5、隠してるだろ?」
「はーん? まだ山の中に入ってるんじゃないのかあ?」
「だからそのままゲームに戻るなっ!」
一人で喚く男爵を、セシルとココはうるさそうに横目で眺めた。
「ステイ!」
「だから犬じゃない!」
「犬の方が利口だよな」
「そんな気がするな」
「だから犬と比べるな!」
キレた男爵は二人に身の程を言い聞かせるのをあきらめ、後ろの騎士たちを振り返った。
「もういい! こいつらはここで始末してしまえ。後の工作を考えたらもう時間が無い」
「おいおい、短絡的だな。ついさっきまでピンピンしていた王太子がいきなり“病死”とか、あまりに嘘くさくて失笑モノだぞ?」
ココの揶揄するようなヤジに、男爵は軽く鼻を鳴らした。
「ㇵッ! その辺りはうまく考えてある。おまえたちの気にする事じゃない」
「じゃあ聖女は? まさか二人同時に死亡なんて、いくら何でも世間をごまかすことなんてできないぞ?」
ココの問いに、待ってましたとばかりに男爵が邪悪な笑みを浮かべた。
「聖女様には帰る途中で馬車が暴走して、堀に落ちてそのまま溺死していただく予定だ」
オッサンの自慢気な発表に、何の感銘も受けてない顔でココが問題点を指摘した。
「私泳げるぞ?」
「その前に息の根を止めておく」
男の言葉に合わせて、騎士がこれ見よがしに細剣をゆっくり引き抜いた。
騎士が動いたので、ちらりと見たココだったが……手元を見て、ヤレヤレと肩を竦めた。
「これだから素人は……水死体でも水に入る前に死んでいた者と溺れ死んだ者では見た目から全然違うんだ。区別付いてないだろ」
「……は?」
聖女様が、思ってもみなかったことを言い出した。
「おまえら人を殺した経験どころか、マトモに死体も見たことないんじゃないのかあ? 悪だくみするのはいいけどさ……細部が雑なんだよ、仕事がさあ」
怯えるどころかプランにケチをつけ始める聖女ココ。
十四歳(公称)の少女に殺人予告を鼻で笑われ、憮然とした騎士が剣を突き付けた。
「じゃあ、そういう貴様は玄人だとでもいうのか!?」
「まあ、ある種? 人を殺すほうは、まだやった事ないんだけどさ」
「“まだ”?」
聖女様がさらっと流したキーワードにざわめく誘拐犯たちを無視して、ココは疲れ果てた顔で仕事の悩みをぼやく。
「死体はさんざん見て来たぞ。うちの信徒ってなんでどいつもこいつも、変死者を私に見せたがるんだ」
何らかの理由で思いがけず死んだ者、殺された者。
死者の出た現場近くにたまたまココが居合わせると、聖女がいると聞いて関係者は皆「弔って欲しい」と呼びに来るのだ。
“不幸にも道半ばで命を落とした者に、せめて最高の弔いをしてやりたい”
その気持ちはココにもわかる。情の厚い連中だとほっこりする。
だが、せめて。
おまえらの信奉する“聖女様”が、十四歳のただの女の子だということをもう少し意識してくれないだろうか?
事故死したのは最初にちゃんと聞いているから、涙ながらに遺体を見せながら事細かに死因を説明してくれなくていい。
むしろするな。貧民街で死人に慣れていたココでさえ、飯が喉を通らなくなるようなのもあるのだ。
聖女はこんな状況なのに、不満に思っていることを思い出したことですっかり仕事の愚痴に火が付いていた。
「シスター・ベロニカに『今までのお嬢様聖女は気絶したりしなかったのか?』って聞いたら、『そんな場面にやたらと行き当たる聖女はあなたぐらいだから、今まで問題になりませんでした』なんて言いやがるしさ……」
「はあ」
「こっちは信徒に頼まれるから仕方なく! やりたくないけど仕方なく立ち会ってるんだぞ!? なんで私が引き寄せてるみたいな目で見られているんだよっ!?」
自分で言い出した話題にキレ始めた聖女様に、取り囲む周囲は困惑した。
「いや、今そんなことを聞いてないのだが……」
「聞けよ!? こっちは人外扱いされて腐ってるんだからよお! ババアへの不満なら、一晩だって喋れるぞ!」
「なんなんだ、この女……」
厄介なヤツと絡んでしまった。
思い出すと怒りが怒りを呼ぶらしく、立場もわきまえずに聖女が吠えまくっている。
どうにも扱いかね、王子に止めさせることを思いついた男爵がセシルの姿を探したら……なぜか王子がいなかった。
「あれ? おい、殿下は?」
「……えっ?」
周りの騎士たちも聖女に気を取られていた。
蝋燭を掲げて一斉に見回し……何が起きたかわからないが、室内にいない事だけは判明した。
見れば扉が開いている。
というか内鍵が無いので、さっきから開きっぱなし。
「もしかして……逃げた?」
「逃げた? じゃないぞ!? バカ、追え!」
呑気につぶやいた騎士の言葉に反応し、やっと事態を把握した男爵が顔色を変えた。
「ここで取り逃がして政庁にでも逃げ込まれてみろ!? 公爵殿下の計画が水泡に帰すんだぞ! 急げ、待機している者も呼びに行け!」
「はっ!」
慌てて動き出した部下たちに舌打ちをし、男爵は聖女に顔を向ける。
「なんてことだ、クソッ! ……おい、おまえは今しばらく、この部屋でおとな……」
そう言いながら振り返った男爵が見たものは……彼のすぐ後ろまで忍び寄り、青白く光るワインボトルを逆さに持って振りかぶった聖女の姿だった。
廊下へ出て行こうとしていた騎士たちは、背後からの湿った殴打音に気がついた。
後ろを振り返る。
聖女がどこからか出したワインボトルで、男爵をちょうど殴り倒したところだった。
「……はっ?」
今見たものが、わけがわからない。
王子の脱走もそうだけど。起きたことが意外過ぎて、目で見た情報がすぐには脳で処理できない。
そんな彼らが茫然と見ている間に、男爵に続き一人目の騎士が横っ面に瓶を叩きつけられて吹っ飛んだ。
「な……なんだこいつ!?」
二人目はさすがに剣を抜くのが間に合ったが、何故か鍔ぜり合いに持ち込まれた。真剣とワインボトルなのに。
「なんでだよ!? こっちは剣なんだぞ!?」
非常識すぎる戦いになって騎士は悲鳴を上げたが、一方のココは呑気に感嘆の声を上げている。
「さっすが“聖なるワインボトル”、耐久性が違うなあ」
「“聖なるワインボトル”!?」
ココの扱う“聖なる武器”が何たるかは、騎士たちにはわからない。
だが剣と斬りあえる事といい、青白く光っている事といい、それが聖女の能力の一端なのは分かった。
このままではいけない。
これではおかしな武器のせいで全滅してしまう。
「おいっ、応援を呼んでこい!」
「了解!」
斬りあって? いる戦友の指示で、最後に残った三人目が慌てて外へ飛び出した。
そして部屋から飛び出した途端に。
彼は外で待ち構えていた王太子に足を引っかけられて宙を飛び、顔面から大理石の床に突っ込んでいった。