第75話 公爵殿下は密かに焦ります
形勢が良くない方向に転がっている。
ラグロス公爵はそれを認めざるを得なかった。
「マッキンリーのバカが! 子供の使いに二度も失敗した挙句、自分がいいように片付けられただと!?」
力任せに執務机を拳で叩く。最近そうする回数が増えて来たので、叩いた時のきしみ方がひどくなってきた。
王太子包囲網の一翼を担っていた、諜報部の工作部門を牛耳る子飼い貴族が罠に嵌まって失脚した。
せめて糾弾の場に出向く前に公爵にも同席を頼めば如何様にもできたものを、バカなことに呼び出しを食らってそのままノコノコ一人で出席してしまった。半日遅れで公爵が知ったときには、すでに工作員の大量失踪まで諜報部全体を仕切る長官にバレてしまっており、もう助け舟の出しようもなかった。
裏工作で手足に使えた諜報部は現在混乱のさなかにあり、今すぐにはとても戦力として期待できなくなっている。そうなると公爵が動かしやすいのは騎士団の主流を占める公爵恩顧の勢力だが、こいつらは陰で動くにはまったく向かない。
意外としたたかな甥を追い詰めるのに、狩人が足りなくなった。
選択肢が狭まり苦悩する公爵に、次の報告が追い打ちをかける。
軍での副官を務め王弟の公務でも秘書を兼ねるゲインズ男爵が、公爵の様子を気づかいつつ書類をめくった。
「それと、実は宮廷でも気になる動きがあります」
「宮廷でもか!?」
「どうも最近、殿下に与していた貴族たちの間で様子見が広がっているようでして……」
「なんだとっ!?」
王族同士の暗闘とはいえ、最終的に国を掌握するためには貴族の支持が不可欠だ。セシルと公爵の揉め事が表面化すると、今までは形勢有利と見てこちらにすり寄ってくる者が増えてきていたのだが……。
「サロンや催しで今まで露骨に殿下におもねっていた者が、話を振られても言葉を濁す場面が増えて来たということです。かといって王子に乗り換えたとまでは行かないようですが」
男爵の眉間の皺も深い。
「どうも勝敗がはっきり決まるまで、立場を明らかにしない方が得策という空気が広がってきているようですね」
「まさか、諜報部の件が漏れているのではあるまいな!?」
暗殺が成功していれば、後ろ暗い工作があったことは誰にでもわかる。だがそうだったら勝者の不興を買うのをわかっていて、敢えて糾弾する者などいないから問題ない。
まずいのは失敗したこと、つまり今の現状が噂として漏れている場合。
過激な工作が知られてしまうと穏健派が怖気づいて離反する、あるいは防いで見せた王太子の評価が高まるということが起こる。逆に言えば、公爵の支持基盤が地盤沈下してしまう。
後々盛り返すとしても、そういう手腕を疑問視される過程を間に挟むのはよろしくない。
この手の事はやられた側も確証無しに言いふらせば、揚げ足を取られる材料になることもある。だからセシル側も話を広めたりはしない筈だが……。
報告する男爵が首を捻った。
「いえ、それが……不思議なことにそういう具体的な話が何も出ず、ただ一人一人が急にトーンダウンしたというしか……」
「はっ? なんだそれは?」
まさかどこの貴族家も、母ちゃんから言い聞かされて大人しくなったとは想像できない公爵殿下。
報告を終えた副官が総括した。
「何が原因なのか分かりませんが、総体的に殿下の御威光に陰りが出ている今の状況はよろしくありません。外からはだらだらと進展がないように見えるのかも知れませんね」
持久戦に持ち込まれるのは、経験豊富な側の評価が下がる結果につながりやすい。“若手が意外とやる”と見られる訳だ。どちらでもない日和見が増えているということは、それが原因なのかもしれない。
「くっ……片付けるのにてこずっている影響がこう出るとは。セシルめの排除は悠長に進めている場合ではないな……わかった」
公爵は深呼吸して腹立ちを飲み込むと、副官に向かって手を振った。
「いまいち不安要素があるので踏み切れなかった、例のプランを進める事にする。準備を急げ」
「はっ!」
もはや余裕も無くなって来た公爵は、副官が急いで出て行った扉を睨みつけながら……机をもう一回殴りつけた。
◆
「ふーん。パーティねえ……」
ココは王宮から届いた手紙を、汚いものでも触るように指先で摘まんでぷらぷら振ってみた。
“花々の最も咲き誇る時期なので、庭園を愛でる鑑賞会に来賓として招待したい”
そういう招待状がセシルからではなく、宮廷の式典などを統括する部署から届いた。つまり、貴族どもの巣窟からセシルの意見を聞かずに出された招待なわけだ。
王子様がココを呼びたければ本人から直接言ってくるし、どう考えても後ろにもう一人の王族の姿が透けて見える。
「ダンスパーティじゃない、って辺りが手が込んでいるな。私が聖職者である以上、踊れないのを断る理由にしたって非難はできないからな」
ナタリアが首をかしげる。
「あんなことをやらかした後にいきなり猫なで声で招待するとか……今まで一度も呼んだことも無いくせに、なんでこちらが素直に受けると思うんでしょうね?」
「意外とあいつら、陰謀慣れしてないよな。ビネージュの宮廷ってのは平和だねえ」
“急遽お呼びすることが決まったため”として、開催日までわずか一週間しかなかった。返事はほぼ即答で出すことになる。
出席するにはそれ相応に支度する必要もある。普通に考えればわずか一週間前に知らせて来るなんてありえないと思うけど、そのあたりの勝手さがいかにも貴族社会な感じがしないでもない。
ココはどうしようかと考える。
「招待を受けないと“王国宮廷を軽く見てる”って陰口を広めるつもり、とかかな」
昔からよくある陰険な手口の一つだ。
急に出世した成り上がりに親切顔で出した無茶な提案をわざと断らせて、失礼を騒ぎ立てて汚名をかぶせるきっかけにするというもの。こういうのは大抵周囲がみんな反感を持っていて、公然と村八分にするチャンスを狙っている。宮廷とココの関係はまさにこれかもしれない。
「まあそんなことを言われて立場が悪くなったって、教会が困るだけで私はいっこうにかまわないのだが」
王国と良い関係を保たねばならないのは教皇であって、ココじゃない。ココはこの八年で何か宮廷にしてもらった覚えはない。
むしろこれで聖女がココではいかん、はずせとなったら喜んで引退させてもらう。四年も早く悠々自適の隠居ライフだ。
自己都合の退職ではないから退職金も割増しでもらって、セシルに返させた貯金を抱えて……面倒な何もかもを置き捨てて、この窮屈な世界からおさらばするのだ。
「……おいおい、悪くないね! 夢が広がるじゃないか」
「ココ様? 何か変なことを考えていませんか?」
ナタリアたちの意見は皆、“何を考えているか分からないから止めておけ”というもの。
「何かの記念行事ならともかく、今急にどうでもいいパーティに呼ぶのが怪しいです」
「一見~ご機嫌取りに~見えるけど~、歩み寄りが~見られないです~」
「ていうか懐柔策の一環だとしても、相手の立場で考えてない辺りでレベルが知れてんじゃないのかな」
「……身内の筈のナッツやアデルからもこれだけ言われるなんて、公爵は本当に陰謀家としてセンスないな」
宮廷へ招かれた以上、どうするかは王子様に相談しておきたいところだが……。
「公爵の監視下で、期日までにセシルと打合せをするのは難しいな」
出欠の返事を出すまでに手紙を何度もやり取りする時間はないし、妨害工作が入ってきそうだ。直接会うのは先日既に一回やっているから、アポ無しで突撃をもう一回やるのはさすがに非常識だ。
アデリアが何かを思い出しながらうなり声をあげた。
「んん~ん? ココ様、先日の件はさ。アポイントメントを取ったかどうかよりも、公爵殿下に本性見せちゃった方がまずかったんじゃないの?」
「私はちゃんと礼儀正しく応対したぞ?」
ココ個人としては断ったって構やしない。が……。
「向こうもここに勝負をかけて来ているのなら、敢えて乗っかるのもアリかな」
短期決戦はこちらも望むところだ。公爵が仕掛けて来るなら、そのまま利用させてもらっても良いかもしれない。
「よし、出席で返事を出そう」
軽く決めるココの決断をナタリアが心配する。
「大丈夫ですか? わざわざ向こうがちょっかいかけてくるのだから、意表を突いてくると思いますよ?」
「ふふん、この私だぞ?」
ココは不敵に笑って胸を張った。
「どんな手で来たって、いざとなったら」
「いざとなったら?」
「暴力でぶっ飛ばす」
「……確かに細かい罠を気にするのなんか、馬鹿らしいかも知れませんね」
◆
「なんて言っていたけど……まさかあのオヤジ、こういう手で来るとはな~……」
パーティ会場の片隅、人目につかない植え込みの陰で。
「ちょっとあなた、なんとか言いなさいよ!」
「そうよ! 庶民のくせにお高く止まってるんじゃないわよ!」
ココはいきり立った貴族令嬢たちに、周りを囲まれて突き上げられていた。




