第73話 聖女様は贈り物には返礼を忘れません
王国諜報部副長官のマッキンリー子爵は、いきなりセシル王太子に呼びつけられて戸惑っていた。
王太子は諜報部への命令系統にはいないが、王位継承権第一位から公式に召喚があったのを無視するわけにもいかない。
国王が体調を崩して寝込んでいる今、たとえ権限が委任されていなくても王太子が名代という考え方もできる。これについては王弟のラグロス公爵が代理を自称しているが、こちらも委任状を持っているわけではないのでセシル王子も同じことを主張できるわけだ。
まあ権限の在りどころは置いておくとして。
子爵としては今朝の議題が何か、それを知らされていないという点が……非常に気にかかっていた。
昨晩の聖女暗殺の結果連絡が来ていないのも、王太子執務室へ急ぐ子爵は気になってはいる。
もっともこちらは間違っても公にできない件だけに、公式な手順で召喚された今日のこれとは関係ないだろう。
もし失敗していて聖女からセシル王子へ通報が行っていたとしても、王子が表だってこれを詰問するわけにはいかない。セシル王子がビネージュの王太子である以上、“王国が教会へ攻撃を仕掛けた”なんて話を認めるわけにはいかないからだ。
だからその件では無い筈だが……。
(先日の大損害については十中八九気づいているだろうが……これも王子は糾弾できない筈だ)
諜報部の報告にもこれは記載されておらず、公的組織を完全に私用に使ったこの作戦は表でも裏でも存在しないことになっている。損失の穴埋めは一朝一夕にはとてもできないが、名簿が提出されているわけでもない諜報部の欠員など王子に調べることはできない。
だが、この二件をはずすとセシル王子が気にするような用件など……全くわけのわからない思いで、子爵は王太子執務室の扉をノックした。
そんな彼に王子が開口一番告げたのは、青天の霹靂の解任通告だった。
「そ、そんなバカな……どういうことですか!?」
そもそも王太子に諜報部副長官を解任する権限は無い、とまで言おうとした子爵に先んじて、セシル王子が口を開いた。
「非常に不名誉な話であるので、正直俺も認めがたいところはあるのだが……つい先ほど、ゴートランド大聖堂から“とある事件”についての大変厳しい抗議と改善要求、さらに事件を究明したうえでの報告を求める使者が参られた」
「はっ!?」
聖女暗殺は失敗したのか!? いや、それよりも……このバカ王子はそんな事件を、外部に対して認めてしまったのか!?
子爵が何と言おうか言葉を探している間に、王子がその“抗議”について、説明を続けた。
「全く信じられない事件だが……昨晩遅く、ゴートランド大聖堂内にあるマルグレード女子修道院へ賊が侵入したそうだ。幸い警備兵に五人全員が取り押さえられ、修道院にいる人間には被害はなく済んだそうなのだが……」
そこまで話したセシル王子は、教皇庁からの親書を机に投げて背もたれに寄りかかり、子爵を冷ややかに見つめた。
「“痴漢目的での不法侵入”の現行犯で捕縛された五人は、なんと王国諜報部の工作員であったというんだ。こんな不名誉な話はわが国建国以来、初めてではないかな?」
「はっ!? 痴漢!?」
思わずオウム返しに叫んでしまった子爵へ、王子が重々しく頷いた。
「そうだ。まだそれが下着の盗難目的であったのか婦女暴行目的であったのか、詳細は犯人たちが黙秘していてはっきりしていないようなのだが……どちらにしても、我が国の歴史に汚点を遺したことには変わりはないな」
王子から聞かされた事件のあらましは、子爵が企図していたものとはまるで別の……明後日の方向へねじ曲げられてしまっていた。
そこまで話した王太子に代わり、すでに話を聞いていたらしい子爵の政敵にして上司のパーマー伯爵が進み出てきた。
「というわけでマッキンリー子爵。君の部下が一体なぜマルグレード女子修道院へ侵入していたのか、僕も話を聞きたいわけなんだよ」
デブの伯爵が実に悲し気に猪首を振る。
「君を買っていた僕としては非常に残念でならないのだが……僕は彼らの直接の上司として君に責任を取ってもらうと同時に、一体君が彼らにどんな指示を出していたのか、究明する必要があるんだよ」
「……はっ!? 私の指示!?」
子爵には、この豚野郎の言っている意味が全く判らない。
「そう。遺憾ながら、その通りだ」
言葉のわりに、宿敵を追い落とせる喜びで喜色満面な伯爵が目を爛々と光らせて迫ってくる。
「まさか子爵、君の部下が個人的な欲望であんな警戒厳重な所まで忍び込んだというのかね? 深夜だから勤務時間外? 五人も揃って? 装備一式を拝借して? 冗談を言っちゃいけないね」
伯爵が指を鳴らすと、壁際に待機していた諜報部員が子爵に歩み寄って“元”上司を拘束した。ハッとして子爵が振りほどこうとするが、逆に強く押さえつけられる。
「何をする! 離せ!」
暴れる子爵に、伯爵が今にも舌なめずりしそうな顔で宣告する。
「子爵。君が部下たちに一体どの令嬢のパンツを盗んで来いと命令したのか、こちらが納得するまできちんと話を聞かせてもらうよ?」
「冗談じゃない、俺がパンツだなんて……!」
無実を叫ぼうとして、子爵は言葉に詰まった。
昨晩の侵入が聖女を狙ったものであることなど、王子には初めからお見通しだろう。教会から内密に推測が伝えられているかもしれない。
長官も自分が実効支配している情報収集部門からおおよそ正確な話を聞いているはずだ。彼らはそれが専門なのだから。
だが彼らがそれをゴートランド教団へ明かすことはできない。そして教団も彼らが認めることはないと知っている。それが政治というものだ。
そして……指令を出した子爵も、実行部隊も、それを諜報部の作戦として行っていたなどと誰にも認めることはできない。王子に無断で、下手すれば王国に損失を与えていたのだから当たり前だ。
だが実行部隊は現実に捕まっていて、なぜ不法侵入したかの理由が必要となると……場所が場所だけに、痴漢目的で潜入したという表だった捕縛理由が生きてきてしまう。
(なんてことだ……!?)
暗殺指示を認めることができない以上、子爵は自分たちにかけられた痴漢目的の不法侵入容疑が冤罪だと、身の潔白を証明する方法もないのだ。
国益に反した同盟相手の暗殺未遂か、公私混同した痴漢か。どちらに転んでも別方向で最悪の汚名をかぶることになる。
これでは無実を主張したくても、口をつぐむしかない。王子が教会に対して、暗殺作戦を認められないように。
間違いなくすべてを知っていて美味しいところだけを拾い食いした男、パーマー伯爵は失脚したライバルに生暖かい目で優しく声をかけた。
「うん、僕としても信頼していた君がこのようなことをするとは信じがたいんだが、ゴートランド教団へきちんと説明しなくちゃならないからね。ちゃんと全てを話してくれるまで、念入りに尋問させてもらうよ」
(なんだと!? 冗談じゃないぞ!)
罪を認めなければこの豚伯爵は、子爵を永久に牢から出さないつもりだ!
だが、罪を認めれば反逆罪に問われるのは必定。そうなれば自分は死刑の上、子爵家は取り潰されるだろう。
(いっそ、笑い者になっても不名誉な汚名をかぶるか……)
そんな考えがちらりと子爵の頭をかすめたが……。
セシル王子が機先を制するように子爵へ言い渡した。
「先の話だが、子爵が痴漢行為の教唆を行っていたと認定されたのであれば……王国貴族のモラルに深刻な不信を生み、名誉を傷つけた罪は重い。その場合子爵家の爵位を降格とし、由緒ある家名を取り上げる」
「なんですと!?」
王太子の言葉に子爵は驚愕を、伯爵は喜悦を載せて同じ言葉を叫んだ。王子様は視線も合わせず、独り言のようにつぶやく。
「そうさな……男爵へ爵位を下げ、懲罰的な新しい家名を下賜することになるな。子爵、パンツ男爵とチカン男爵、どちらが……いや、まだ決まっていないことを先走り過ぎたか。すまぬ」
(ダメだ! そこまで家を傷つけたら貴族社会を追放されるより質が悪い!)
確かに刑罰としてはまだ軽い。だが、社会的な制裁の意味では反逆罪より悪い。先祖代々の勲功を否定され、未来永劫後ろ指を指されることになる。
冤罪を選ぶ道も塞がれた。
茫然自失の子爵の肩を、もう笑いをこらえきれない様子の伯爵が馴れ馴れしく叩く。
「いやいや、出来心って言うのは怖いねえ……ちょっと欲を抑えきれなかったばかりに人生がメチャクチャくなるなんて。ププッ! ……おい、連れて行け」
もっとも有利なのが黙秘である以上、子爵が釈放される可能性は無いに等しい……進退窮まった子爵は絶望の表情で、諜報部の尋問室へと連行されて行った。
◆
退出していった諜報部のツートップを見送り、残されたセシルは溜めていた息を静かに吐いた。
一人前の顔をしてやりあっていても、セシルはしょせん未だ十代の駆け出しに過ぎない。それに対して向こうは政権の暗部を支えてきた海千山千の古狸だ。教会が持ち込んだ奇策で意表を突いたから敵失で勝つことができたが、まともに正面から突いても更迭などとても無理だったろう。
「まさか、パンツ盗難未遂なんかを捏造して粛清に成功するとはな……」
使者として訪れ、物陰に隠れていたウォーレスが顔を出した。
「思いっきり勘違いして騒いでくれたサルボワ侯爵令嬢のおかげですかね。こんな奇策、さすがに私どもでは思いつきません」
「だろうな」
今度はウォーレスが出て行った貴族について質問した。
「あの伯爵閣下はアテになるんですか?」
「まったく。関わりたくなくて高みの見物をしていた“中立派”だな。政敵の子爵が叔父上にベッタリだったから、完全な中立よりは少し俺寄りだったが……子爵を失脚させたことを借りと考えてくれるか、後釜を狙って叔父上にすり寄るかはさっぱりわからん」
「では、彼が売込むより先に片を付けないといけませんね」
「そうだな……」
そうは言っても、どう攻め立てたら良いものか。
セシルが考えていると、ウォーレスが大仰に一礼した。
「実は私どもでも昨晩の一件を受けまして、ただいま王弟殿下に支持が集まらないようにする離間策を実行中です」
「ほう?」
「真綿で首を絞めるように、じわじわ効いてくると思いますよ」
「昨日の今日で、もうか!」
セシルは教会の知恵者の働きに、素直に感嘆の声を上げた。
「さすが教皇聖下の懐刀。ウォーレス、やるな」
王子様の称賛に、教皇秘書は真顔で否定した。
「いえ、計画立案は昨夜の件が頭にきている聖女様です」
……。
「殿下。幸せな結婚生活の秘訣は“かかあ天下”。“かかあ天下”ですよ?」
「……独身のおまえに言われてもなあ」




