第63話 聖女様は認識の違いに驚愕します
「ココ様、そこはこう、まつり縫いを」
「うー、こうかなあ……?」
手先が器用なはずのココ、なぜか裁縫が上手くない。
上手くないというより苦手なようで、出来がどうの以前に運針がたどたどしい。
「色々なことを器用になさるのに、なんでお裁縫は好まれないのですか?」
「そうだなあ……たぶん、アレかなあ」
ナタリアに訊かれて、ココも針を置いて考えた。
「賃金が発生するような日雇い仕事に無いからだな」
ココはいつでもココ。
「お針子っていますよね?」
「あんな専門職、簡単にできるもんじゃないし雇い入れも人伝いだぞ。広場でその日暮らしのヤツに募集かけて集めるような仕事じゃない」
「それはそれとして、自分の着るものを縫ったりしませんでした?」
「母ちゃんがいる時はどうしていたんだろう? 記憶に無いなあ……一人暮らしを始めてからはウィンドウショッピングで何とかしてたからな」
「買ってたんですか?」
ナタリアは首を傾げた。
庶民的に服は結構高いと思っていたのだが。
だから都市部の下層民や既製品が存在しない農村では、布地を用意して自分で縫うのだと聞いたことがある。
「ん? 買うっていうか……洗濯して干してあるヤツを窓から物色して、隙を見て頂いてた。サイズの合う子供用は泣いたら可哀想だからな、触らないんだ。一番どうでも良さそうなオヤジ用を頂戴して、ハサミで丈を詰めて着てた」
ココの裾上げの仕方もひどいが、価値に対する認識もひどい。
ココがそんな風にナタリアの指導を受けながら苦心惨憺してバザーに出す小物を作っていると、ノックの音がしてシスター・ドロテアが顔を出した。
「ココ様~、おやつですよ~」
ちょっと間延びにしたドロテアの呼びかけに、ちまちまと針を動かしていたココの渋面がパッと明るくなる。
「ナッツ、おやつの時間だ!」
「そうですね、そろそろ休憩にしましょうか」
どうせ効率も上がらないとナタリアも許可を出したので、ココはウキウキしながらテーブルの上を空けた。
「いいね、おやつ! 生きて行くのに不要なのに、なぜか出てくる今日2.5回目の食物摂取! この不労所得感がたまらない!」
「ココ様、食事を効率だけで語られても……」
「今日はなんだ、ドロシー」
「今日は~、リンゴですよ~」
ドロテアが肘に下げていた籠を揺らして見せた。
「切りたてを~お出ししようと~、そのまま~持ってきました~」
ところが。
「お、おお……リンゴ、かあ……」
急にココのテンションが下がった。あまりに露骨なので、ナタリアもドロテアも思わず顔を見合わせる。
「ココ様、リンゴはお嫌いですか?」
「んんー……まあ、出されれば食べるけどぉ……そんな好んでは食べたくないかなあ」
珍しい反応で目を丸くする二人の前で、ココは机に肘を突いてブツブツ言っている。
「そんなに美味いかなあ……なんであんなものをわざわざ食べたがるんだろうな」
「あら~……じゃあ、次からは~ココ様には~出さないように~言っておきましょうか~」
そう言いながらドロテアがナイフと一緒に出したリンゴを見て、ココがぼやきを止めた。
「ドロシー……それ、なんだ?」
「……なんだも何も~、リンゴじゃないですか~」
ドロテアの返事を聞いて……理解するのに時間がかかったらしく、深呼吸するほどの時間をおいてココが飛び上がった。
「はあっ!?」
「えっ?」
ココが愕然としてリンゴを見ている。それを見守るドロテアとナタリアは、ココが何に驚いているのかがわからない。
「どうされました? リンゴが何か」
「いやいや、これがリンゴなわけ無いだろう」
「はっ!?」
おかしなことを言い出したココが、身振り手振りを入れて説明しようとする。
「だって。ほら、全然物が違うじゃないか」
「え? 私が知ってる限り、リンゴってこういう物ですが……シスター・ドロテア、あなたの家は?」
「もちろん~、うちでもこれが~リンゴだったけど~……ああ~、色は確かに~黄色とか~緑とか~ありますね~」
「黄色? 緑?」
「……ちがうんです?」
黄色や緑も知らないらしい。ココの言いたいことは色でも無さそう……とナタリアが思ったら。
「いや、だって、リンゴだぞ? リンゴって言ったらナッツ、黒くて」
「黒くて!?」
「ふさふさして」
「ふさふさ!? ふさふさって何ですか!?」
「割るとヌタッとしてて」
「ヌタッて……それ林檎以前に果物ですか!?」
ココがおかしなことを言い始めた。ここまでの情報がすでにフルーツに対する形容詞じゃない。
「果物だろ!? それで、口に入れるとグジュリグジュリしている」
「そんな食感のもの知りませんよ!?」
「えええ!?」
叫んだ表情のまま、ココがドロテアに顔を向ける。
「ドロシーは!?」
「いえ~。私も~知ってる限り~……リンゴって~こっちですが~」
「そんなバカな!」
「バカなと言われましても……」
いったいココは何を見たのか……。
ナタリアとドロテアは困惑し、再び顔を見合わせた。
「……」
しばらく信じられないものを見る目でリンゴを見つめていたココが、いきなりリンゴを持って部屋を飛び出した。
「あっ、ココ様!? どこへ!?」
「他の人間にも聞いてくる!」
ちょうど廊下の向こうから来たアデリアに走り寄るココ。
「おい、アデル!」
一声かけて走り寄ったココが質問する前に。呑気そうな郵便係はココの持っている“モノ”に目を止めた。
「どしたのココ様。あれ? リンゴが何か?」
「……おまえもこれ、リンゴだと思うのか!?」
「え? それはそうでしょ? どう見てもリンゴですよね?」
「そんなバカな!? わ、私の十四年間は一体……」
大げさなことを叫んでぶるぶる震えているココ。わけが判らないアデリアは、追いかけてきたナタリアたちに聞いてみる。
「なんの話です?」
「それが、よくわからないのよ」
ナタリアたちも説明に困っていると、再びココが走り出した。
「あっ、ココ様ーッ!?」
大聖堂まで走り出たココの前を、ちょうどウォーレスが鼻歌を歌いながら通りかかった。
「おいウォーレス! おまえこれが何に見える!?」
「はい?」
教皇秘書は不思議そうにココの手元を見て、ニヤッと笑った。
「おっと聖女様、法論勝負ですか? 不肖このウォーレス、聖女様に法論で負けはしませんよ? そうですね、ここにあるように見えるが、その精神体は、さて……」
したり顔で精神のありどころについて話し始めた司祭の襟を、気が立っている聖女様が捩じり上げた。
「私は見たままを言えと言ってるんだよ、このトンチキ野郎! 聞いてもないことを抜かしてると、宗教裁判で円錐帽をかぶせて人民に謝罪させるぞ!」
「ひえっ!? リンゴ、リンゴに見えます! ……ど、どうしたんですか聖女様!?」
物知りのはずのウォーレスにまで否定され、ココは床に手を突いた。
「そんな……じゃあ、じゃあずっと私がリンゴだと思っていた、黒くてもやもやしてヌタッとしてグジュリグジュリしているあれはいったい……」
そんな聖女様に対する皆の反応は……。
「なんの話です?」
「よくわかんないの~」
「それ、ホントに果物だと思ってました?」
「それ以前に食べ物ですか? それ」
全員一致でココの常識を疑っているものばかり……。
「う、うわあああああああ!?」
◆
「なんじゃ? 聖女はどうした?」
打ち合わせに来ないココについて教皇に聞かれ、お付きのナタリアも説明に困った。
「それが……女神様と対話するっておっしゃって、礼拝堂に閉じこもってまして」
「ほう。やれやれ、聖女にもやっと信仰心が芽生えて来たのかの」
「そういう感じでもなかったですが……」
二人の食い違う会話に、横から秘書がツッコんだ。
「いやいや、八年も務めている聖女に、これから信仰心が芽生えるとか……」
教皇の執務室で何を言われているかも知らず、その頃ココは祭壇を拝み……もせず、よじ登って女神像を揺さぶっていた。
「おい女神、私が喰ったアレ、本当になんだったんだ!? なあ!? 黒くてふさふさしてヌタッとしてグジュリグジュリしているアレはいったい何だったんだよ!? おいっ、聞いてるんだろ!? 教えてくれ!」
◆
ココがナタリアの見張る中、面白くもない任命状の清書をしているとアデリアがやってきた。
「ココ様、今日の晩御飯がわかったよ!」
つまらないわりに気が張る作業に飽きていたココが、夕食のメニューと聞いてパッと顔を上げる。
「晩御飯! 一日の疲れを洗い流す終業後のぜいたく! いいね! それで今日は何なんだ?」
「今日はね、鶏と大麦のスープと、パンプキンのパイだって」
アデリアの情報を聞き……嬉しそうだったココが、みるみる萎れていく。
「えー、パンプキンかあ……」
「あれ? 嫌い?」
ココが嫌いだと言っていた野菜は入っていなかったので、てっきり喜ぶと思っていたアデリアが首を傾げる。
そんな修道女見習いに、聖女様は嬉しくなさそうに答えた。
「まあ喰えないことは無いんだが……ほら、パンプキンってピリッとして酸っぱくって青臭いからさぁ……私はあんまり好きじゃ……」
 




