第60話 王子様は口を開きます
床に転がされている黒衣の男たちには、明らかに動揺が見られた。そうだろう。
闇に生きる者として、表立った栄誉に縁がない彼らは……評価されること無き忠誠心に命を懸けるヒロイズムを糧としている。主の命を遂行し、目的達成の為に自ら捨て駒となり、仲間をかばって死ぬ。道徳にも人間らしさにも敢えて目をつぶり、機密漏洩を防ぐために捕まれば自ら命を絶つ。
悪く言えば偽悪趣味のナルシズムに支えられている彼らの矜持は……少女一人のおかげで今、崩壊しかけていた。
秘密を守るために死んでも、呼び戻されてしまう。
口をつぐもうにも、いつまででも、何回でも蘇生を繰り返すつもりだ。
自殺を戻せるのだから、あちらが拷問をやりすぎても死なせる心配がないわけで……。
彼らは自分たちも尋問のプロでもある。“死ねば終わり”を封じられ、永遠に続くエンドレスの責め苦に耐えられると簡単に考える者はいない。
秘密を守るため、仲間に累を及ぼさないために死ぬことを何とも思わない男たちが……逆に死なせてもらえないことに恐怖を感じていた。
そこへもってきて。
「どうだセシル、とりあえず何人か試しに痛めつけてみるか?」
「ふむ。まあ、そうだな……結構いるしなあ」
王子がぐるっと捕虜を見回し、サラッとヤバいことを口にする。
「最終的に白状できる精神状態のが、一人でも残っていればいいわけだしな……聖心力はイカレてしまったヤツを正気には戻せないのか?」
「やったことが無いからわからないな。んまー、でも」
聖女も転がっている実験動物を眺めて、軽ーくとんでもないことを口走る。
「これだけ数がいるんだし、いま練習してみるよ」
王子と聖女が闇の者を上回るヒトデナシ過ぎて、男たちは背筋を冷やす絶望感が止まらない。
彼らは学んだ。
どんな分野でも、努力して身に着けた秀才は天性の才能を与えられた天才には敵わないのだと。
そこへ後から応援に駆け付けた司祭らしき男が口を挟んだ。
「でも殿下、最終的に全員壊しても自白が取れなかったらどうします?」
この男も天才の側。
「ん? そうだなあ」
セシルは天井を睨んでちょっと考え、カラカラと笑った。
「まあその時は、自白したって建て前で作文を出しておこうか。尋問までは本当にしてるしな。どうせ嘘だって指摘できる証言者なんか残らないんだし」
「捏造ですか。今やってる途中経過意味ないですね、ハハハハハ」
鋼の精神力を持った刺客たちは、そこまで聞いて……心が折れた。
始まった尋問をちょっと離れて見ているセシルに、さりげなく隣に立ったココが前を向いたまま囁きかけた。
「で? もったいぶっていた模範解答をそろそろ言えよ」
「ああ」
まだ言いづらいのか、少し口ごもったが。王子はちょっと時間をおいて、自分の秘密をしゃべるような重さを持ってその名前を吐き出した。
「十中八九、ラグロス公爵だろうな」
「……そういうことか」
「そうだ」
セシルの出した名前を聞いてココも黙り込み、二人の間にしばらく沈黙の帳が降りる。
ややあってココが王子の方を向いた。
「んで……そのラグロス公爵って誰? どういうヤツ?」
「うん。多分おまえのことだから、知ったかぶりしていると思ったよ」
「ラグロス公爵ゲルハルド殿下は陛下の弟君、王弟殿下ですね」
話に加わったウォーレスが解説してくれた。
「以前は王太子代理の立場にありました。ビネージュ王国の規定で国王陛下に嫡男、つまりセシル殿下が生まれたことで王弟殿下は継承権が繰り下がって現在は臣籍降下しています」
「すると何か? セシルのせいで跡目相続の可能性が無くなって、叔父貴が逆恨みしているってことか?」
「たぶん問い質せばあれこれ御大層な理由を付けてくるだろうが、シンプルに言えばそういうことだろうな」
ココの質問にセシルが呆れた様子で吐き捨てる。
「今動き出した理由はおそらく父上の健康状態だろう。今すぐどうにかなるほど悪くもないが、臥せっていることも多い。そして俺がもうすぐ成人の儀を迎え、一人前の大人として見做されれば摂政に就くことができる。叔父上にしてみれば国王になるチャンスと制限時間がいっぺんに来てしまった感じだな」
「なるほどな」
「俺が成人すれば父上も病状によっては退位もありうるし、そうなれば一気に世代交代の流れになる。叔父上はスペアとして完全に用済みと言うわけだ」
「それで焦って実力行使と。理解した」
ココが尋問されている刺客たちを振り返った。
「てことは、あいつらは公爵家の私兵か。王の弟で公爵なら、さぞかし領地に軍も抱えてそうだが……あれだけの人数の裏方も保有してるなんて、そいつの兵力はかなり規模が大きいんだな」
言いながら振り返ったら、セシルとウォーレスが明後日の方向を向いている。
「ふむ」
ココが二人を交互に見る。二人とも視線を合わさない。
聖女様は聖心力で“聖なる麺棒”を作り出すと、右手で握って左の掌にポンポンと軽く打ち付けた。
「私としちゃ、どっちかがしゃべってくれればいいんだがな。おまえら、どうしても言いたくないってんなら……あそこの連中と同じ目に遭ってみるか? ああ?」
「聖女様、だんだんチンピラが本職みたいになってきましたよ」
観念したウォーレスの説明を聞いて、さすがのココも開いた口が塞がらなかった。
「王国の諜報部……?」
「の中の、工作部門だな」
諦めの悪い王子様が但し書きを入れるが、ココにしてみれば同じことだ。
「つまりあれか? 王国の直臣が王太子の命を狙ったって事か? 貴族の命令で」
「臣籍降下しても王族は王族ですよ、聖女様」
ウォーレスがセシルに配慮してやんわり訂正を入れるが、ココにしてみれば話は何も変わらない。
「セシル、おまえ臣下にどれだけ軽く見られているんだよ……」
意中の人にズバッと言われて、さすがの王子様も何も言い返せない。
ウォーレスが傷心のセシルに変わり、内情を解説してくれる。
「無理もない所もあります。公爵は王太子代理の経歴だけではなく、国王名代として将軍の地位にもついておられます。年齢的にもちょうど脂ののっている時期ですし、同年代の保守的な貴族や武官からは頼もしく思われて支持があるのです」
「で、セシルは子供でヒョロヒョロしているから、頼りにならなくて人気がないのか」
「うっ……!」
言葉のナイフを遠慮なく王子様へドスドス抉り込む聖女様。慌ててフォローに入るウォーレス。
「言っておきますが聖女様。王太子殿下も若くして内政能力に定評があるので、文官や廷臣、実務派の貴族には人気があるんですよ」
「つまり剣を持ちだしたら役に立たない連中か」
「……誤解のないように言っておくが、今まではそんなに目立った諍いは無かったんだ」
セシルがうんざりした顔でぼやいた。
「俺が子供だと侮られていたのもあるが、基本は叔父上と俺の関係が冷えている程度だったんだ。それがさっき言ったように父上の体調と俺の成人が目前と言うことで、叔父上の取り巻きがそそのかし始めたんだな」
「あー、不利な方に味方したほうが逆転した時にうま味が出るものな」
「国の役人は基本、関係は無い。王都の治安機関も。貴族はまあ……保守派の老人方や権威主義的な連中は叔父上、尊大な叔父上が嫌いな若手や政務にかかわっている連中は俺に近い。それでも穏当な派閥抗争で済んでいたんだが……」
「穏当な抗争って何?」
王太子が黒衣の連中へ指を向けた。
「叔父上もいよいよ焦ってきたのかな。自分の影響力を遠慮なく使って、手段を択ばなくなってきた。王国元帥を拝命している関係で、叔父上の権力は外征軍や諜報部の実行部隊に及んでいる。そういった手駒を今までは私物化してまで動かさなかったんだが……」
「なるほどなあ」
セシルが大変なことはココにも分かった。
そんな状態では、たとえ王宮内でもどこに工作員がいるかわからない。累代の臣下が信用できないとなると、セシルはいつでも命の心配をしなくてはならなくなる。
まあ、それはともかく。
「あのさ、セシル」
「なんだ?」
ココは呑気に聞き返してくる王子の襟元を掴んで、捩じり上げた。
「おまえ、良くそんなところへ嫁に来いなんて言えたもんだな……!」
「急激に悪化したのはつい最近の話なんだって」
王子様がまた、うんざりとため息をついた。