第58話 聖女様は追い込み漁が得意です
労務者風の女とフードまでかぶった怪しいコートの男が、薄汚れた狭い街路を猛烈な勢いで駆け抜ける。
「おっしゃ、食い付いた! おうおう、闇の者にしちゃ大した人数だな。まだこんなにいたのかよ」
チラチラ後ろを振り返りながら楽しそうに言うココに、王子の外套をかぶったジャッカルは泣きそうな顔で叫ぶ。
「なんで俺なんだよ!?」
「おまえの体格、ちょうどセシルに近いんだよ。顔は比べ物にならないんだから近寄らせるなよ? 一発でバレる」
「まずい顔で悪かったな!」
ジャッカルは必死に走るが、ココについて行くのが酷くつらい。
何しろ元から聖女様ほど足は速くない。ていうかコイツの身体能力が異常だ。
そして後ろから多数の殺し屋が本気で追いかけてくるという現実に、恐怖で足がもつれそう。ついでに言えば日頃の不摂生もあり、正直体力の限界が見えてきた。
だけど失速したら、この悪女は平気で彼を見捨てて逃げ去るだろう。攪乱する為に王子の身代わりになっていた彼を、追いついた殺し屋どもが見逃してくれるかどうか……。
気力を奮い立たせるため、ジャッカルは前を走るココに叫ぶ。
「テメエとゴミ箱の縄張り争ってた時から思ってたんだがよ!」
「なんだよ」
「絶対テメエとは縁を切るぞ! 金輪際!」
「わかった。じゃあ次の辻で左右に分かれるか」
「後でな! 全部終わった後で! 奴ら俺を王子だと思ってるんだろ!? 全員こっちに来ちゃうじゃねえか!」
「見ての通り忙しいんだ。細かい用事はさっさと済ませようぜ」
「この状況でそういうこと言うなよ!? だからテメエが嫌いなんだ!」
「おまえがくだらん泣き言を言っている間に見えて来たぞ。あとちょっとだ、頑張れ」
二人の進路に、誘いこもうとしている路地が見えてきた。
チラっと確認すれば、もう結構な人数になった刺客たちが血相を変えて追いすがってきている。
「……いいね」
ココは舌なめずりをすると、ヒイヒイ言っているジャッカルを連れてラストスパートをかけ始めた。
「いいぞ! あそこの路地は奥の深い袋小路だ!」
部下の一人が口走った叫びに、頭目は救われた思いでかすかに笑みを浮かべた。
散々ケチが付いた作戦だが、最後の最期で帳尻を合わせることができそうだ……。
王子たちはうまいことそちらの方へ向かっている。あと一押し……と思ったところで、別の方向から迫っていた部下たちに王子と護衛が気が付いた。
「よし!」
思わず口に出してしまう。標的の二人が、身を翻してその路地に逃げ込んだのだ!
図らずもその路地の前に集合した彼らは、顔を見合わせると剣を握り直し、油断なく路地へ突入した。
誘導されていた可能性に気づかずに。
路地に入ったココたちは、途中で止まらずに一番奥まで一気に走った。
「とうちゃーく!」
わかっていた行き止まりに追い込まれて、むしろ嬉しそうなココに死にそうなジャッカルは懐疑的な視線を向けた。
「……本当にこの作戦、大丈夫なんだろうな?」
詳細は聞かされていない。
聞いてもわからないだろと言われた。
いったい何をする気なんだと疑いつつも、自信満々なこいつに賭けたのだが……。
「うむ」
ココが道をふさいでいる奥の壁を叩いた。
「後はこの壁をよじ登って裏に逃げれば完璧だ」
ジャッカルが見上げた。二階より高い。
「無茶言うな!」
「ほんの冗談だ」
アホで陰険で暴君の聖女とジャッカルがそんなやり取りをしている間に、数のわりに静かな足音が聞こえ……。
ハッと振り返れば、黒衣をまとった男たちが剣を構えて今来た道を埋め尽くしていた。
「……」
冥途の土産に裏話をする気も無いのだろう。男たちは押し黙ったまま、隙間なく列になって武器を突き出している。
路地は道幅も狭いので、三人もいれば十分に封鎖できる。それが三列、四列。一列目を突破、または飛び越えても、重層になっている包囲網を超えることはできない。
じりじり迫ってくる彼らを前に未だ余裕の笑みのココが自分の後ろを指した。
「ダニエル。おまえはそこの壁際にしゃがみ込んでろ」
「わ、わかった」
こんな場面でこんなヤツに無駄な見栄を張るのは馬鹿らしいとジャッカルは学んでいる。彼は素直に年下の少女の後ろに隠れた。
「さーて、そろそろ終わりにしますかねえ」
ココは軽く呟くと、体の前に構えた掌と掌の間に意識を集中させた。
王子はしゃがみ込んで怯えているように見えるが、護衛の女はこちらに向いて何か構えを取っていた。この期に及んでまだ手があるような態度だが……武器をすでに構え終わっている十人以上の精鋭を相手に、徒手空拳で何をしようと言うのか。
頭目は女の態度を不可思議なものに感じたが、こちらが何か作戦を変えるべき危機感は感じなかった。あの護衛の腕前が自分たち以上だとしても、それでも十倍以上の人数差はどうしようもない。まして向こうの戦えるものは一人。背中を守る者がいないという現状は、集団戦では人数の比率以上に不利な要素になる。
百も数えないうちに女は串刺し、王子の首も落ちる。確定した未来に頭目が思わず頬を緩めそうになった時……薄暗い路地に、昼間でも周囲を圧倒するような青白い光が放たれた。
「なんだ!?」
前衛の足が思わず停まる。
そのわずか十歩先で、女が……まばゆい光を放って抱えるような格好の腕の中に、何かを生み出していた。
ココは掌の間に、聖心力で新たな武器を生み出していた。
昔工事現場で(勝手に)触って以来だから、うまくできるかちょっと自信がなかったけど……思い描いていた通りに作ることができた。
音を立てて地面に落ちたソレを掴み、両手で持ち上げる。
「……いいね!」
見た目は同じだけど、オリジナルよりはるかに軽い。ウォーレスが「聖心力で作った武器は使用者の使いやすい重さで生まれる」と言っていたけど、本当のようだ。
ココは一回軽く素振りをすると、それを横向きに構えた。
王子の護衛が身体からまばゆい光を放ち、何も持っていなかった手の中にいきなり両手持ちの大型ハンマーを生み出した。
大抵のことでは驚きを外に見せない部下たちが動揺しているが、魔法のように武器を取り出したことに驚いているようだ。
だが頭目は、その出し方に瞠目した。
あれは魔法だ。あの大きさのマジックアイテムを一瞬で作り出せる高位の魔術も驚きだが、最も注目すべきはそれを無詠唱で生み出したこと。
色合いからして聖属性。聖魔法で高度な術を無詠唱で瞬時に行って見せる女……。
「……まさか!?」
たどり着いた結論に思わず驚きを口走ってしまった頭目の目の間で、女は作り出したハンマーを振りかざし、横殴りに振るって横の壁に叩きつけた。
「一度やって見たかったんだけど、被害がデカいから市場のおっちゃん達には使えなかったんだよなあ」
そう言いながら、ココは生み出した杭打ちハンマーを横の壁に叩きつけた。
昔、建物の解体現場を見ていてノウハウを覚えたのだ。
殴ったぐらいじゃビクともしない壁や塀も工事用のデカいハンマーや、オーガとかミノタウルスなどの大型魔獣が殴りつければ派手に揺れる。
頑丈な建物も衝撃と振動で揺れてたわみ、固い素材なのにグニャグニャと波打つ。
ある程度までは細木のように揺れて振動を吸収するけど、限界を超えると逆に振動を戻せなくなって波打つことで崩壊が始まる。それを幼いココは見て理解していた。
しかも今ココが壁を叩いた倉庫、木板の屋根を抑えるために重石が乗っているのだ。そんな建物がグニャグニャ揺れたらどうなるか……。
相手の女が直接攻撃してこない。なぜか横の壁にハンマーを叩きつけている。
空振りしたわけではなさそうだが……その姿を見て、一列目の刺客は逆に冷静さを取り戻した。
女の武器は確かに柄が長く、攻撃範囲は広いが……そもそも男でも重心が前過ぎて、振れば身体が引きずられる代物だ。一回振れば態勢を戻すのに大柄な戦士でも時間がかかる武器で、剣で一斉に斬りかかるこちらに対応できるはずがない。
一対多数で使う武器じゃない。
(選択を誤ったな)
所詮は戦い慣れしていない者か。
そう侮って歩を進めようとした時、男は何故か頭上が気になった。
「?」
敵前だが仲間も牽制しているため、大事ないだろう。
そう思ってちらと一瞬視線を飛ばし……戻せなくなった。
石が降ってくる。
子供の頭ぐらいある、片手では持ち上がらないような石が。
……雨のように。
「避けろ!」
思わず絶叫した彼の声に驚いた戦友たちも、こんな場面なのに上を見た。
そして。
男たちの絶叫がこだました。
ココとジャッカルの見ている前で、刺客たちが夕立に降られたみたいに逃げまどっていた。降ってきているのは大きな石だけど。
高い壁に挟まれた狭い路地へ、ココの与えた衝撃で屋根の重石が降り注いでいる。実際の数は雨ほど多いわけじゃないが、簡単に避けられるほど少ないわけじゃない。
頭に直撃すれば十分死ぬ。腕で庇えば骨が折れる。背中に当たれば起き上がれなくなり、跳ねた石が足に当たった者はそのまま転げてうずくまった。
刺客たちの惨状を見て、ココが頭を掻いた。
「やっぱり市場のおっちゃんたちにやらなくてよかったな。これは死人が出るわ」
「おまえ、本当にヤベえヤツだよな……」
「ま、これをやれるだけの腕力がガキの頃は無かったんだけどさ」
被害に遭っていないのは、端っこかつ震源地にいたココとジャッカルだけ。この位置でも跳ねて飛んできた分は、“聖なるすりこぎ”に持ち替えたココが叩き落している。振動が波のように伝わっていくので、路地の中央付近、つまり奴らがいた辺りが一番被害が酷かった。
ジャッカルが路地の入口の方を指した。最初に何人か逃げた気がする。
「なあ、一番後ろの連中は逃げられたんじゃないのか?」
「だからお前の部下を配置したんだろ」
罠に引き寄せられたバカどもと違って、ベテラン漁師ココ様に抜かりはないのだ。




