第51話 聖女様は先輩に薫陶を受けます
この世界には、神に選ばれた少女が存在する。
神託で指名されるその少女は女神の声を聴き、神秘の聖魔法「聖心力」を自在に操ることができる。傷ついた者を癒し、人に仇為す魔を払うことができるその力は高位の神官さえ敵わぬほど強力だ。
現世に肉体を持たない女神に代わり、人々に神の声を届け秘蹟を顕現する神の代行者。勇者が魔王を倒した英雄譚に祖を持つ、ゴートランド教の生ける伝説。
所属するゴートランド教の信徒のみならず世界中が畏敬の念を捧げる少女の事を、崇める人々はこう呼んだ。
“聖女”と。
◆
「なーんてさあ……ったく、どいつもこいつも夢見過ぎだよな。聖女だの女神の代理人だの持ち上げたって、年端もいかない小娘に何ができるって言うんだ」
馬車の狭い座席で器用に寝転ぶ銀髪の少女は、そう吐き捨てながら大きくあくびをした。揺れが眠気を誘うらしく、もう半眼になってうつらうつらし始めている。
「ココ様、そういう身も蓋もないことを言わないでください! 教団にとって大事な話なんですよ!? 根底からひっくり返すようなことを内部の者が口にしてはいけません!」
向かいの席に座る修道女がたしなめるも、ココ様と呼ばれた女の子は聞き入れる気はなさそうだった。
「いいじゃないか、人目のない所でこっそり言うぐらい。ジジイに朝から散々お決まりの説教をされて、私だって愚痴りたい気分なんだ」
「それはわかりますが、それにしても立場をわきまえて下さい」
「はいはい」
返事に改善の意思がまったく感じられない。
その態度に修道女は肩を落とし、少女にちらりと非難の視線を向けた。
「本当にもう、お願いしますよ……あなたがまさに、その聖女自身なんですから……」
ゴートランド教第四十三代聖女、ココ・スパイス。
今年十四歳の彼女こそが、当代の聖女であった。
◆
聖女の日課は忙しい。
修道女に混じっての修行生活が中心だけど、大聖堂のミサに出たり各地の修道院や孤児院を慰問したり式典に参加したりといった外出も多い。
……もっとも聖女様に言わせれば、「そんな客寄せの道化みたいなのは労働の内に入らない」との事なのだが……。
そんなこんなでそれなりに、聖女の身は多忙と言える。なので仕事ばかり詰め込んでしまうのも良くないということで、ココのスケジュールには時々遊びに行くような予定も入っていたりする。
今日もそういう用件で、ココはナタリアと二人で馬車に揺られて王都郊外へ向かっていた。旧知の知人宅に泊りがけでタメになる話を聞きに行く、というだけの仕事で……要するに教会の聖務的には特に意味のないお泊り会だった。
「あれ? ナッツはエッダの姉御に会うのは初めてだっけ?」
ココに意外そうに言われ、お付きのシスター・ナタリアはこっくり頷いた。
「そうなんです。ココ様が時々訪ねておられるのは知ってますけど、なんだかんだと他の用件が入っちゃいまして……小さい頃に現役のお姿は遠くから拝見したことはあるんですけど」
「そっかー……年に二回ぐらいは会いに行くんだけどな。六年も私についているのに一回も同行したことが無かったなんて、ナッツも貧乏くじ引くなあ」
「まあ……ははは」
実は偶然運が無かったのではなく、この訪問は側付きがフォローしなくても大丈夫と判断されて他の仕事に回されていたのだけど……それを訊いたらココが今後何をどう企むか判らないので、余計なことは言わないナタリアだった。
「いやー、しかし会うのも半年振りか……」
ココも楽しそうだけど、今回は同行できたナタリアもちょっとワクワクしている。
向こうもココのことは知っているので取り繕う必要はないし、あくまで私邸訪問なので不特定多数の客がいるわけでもない。外出のたびにココの素顔がバレやしないかと冷や冷やしているナタリアにとり、お供するにも気楽な任務だ。
それに何より聖女様について長いナタリアも、本物っぽい聖女様に会うのは初めて。興奮するなと言うほうが無理だろう。
今日ココが表敬訪問するエッダ・エインズワース伯爵夫人は、八年前まで第四十二代聖女を務めた女性……ココの前任者なのだ。
そんなに大きくはないが瀟洒なカントリーハウスに着くと、玄関にはすでに館の女主人が待ち構えていた。
姿は未だ若々しいが、その悠然とした佇まいには若者には無い落ち着きが感じられる。ココと反対に十六歳と結婚直前に指名され、二十八で引退した先代は今三十六歳のはず。引継ぎの時には実に二十二歳差だから、彼女にとってココは本当に一世代下になる。
「ようこそお越しくださいました、ココ様」
「ご無沙汰しております、エッダ様。お変わりないようで何よりです」
柔らかく迎える伯爵夫人に、嬉しそうに飛びつくココ。周りの伯爵家の使用人に配慮して取り繕った言葉遣いだけれど、喜んでいるのは本気のようだ。
(良かった……事前情報のとおりね)
一歩後ろで見守るナタリアは先代様に会ったことは無かったが、その気心知れた様子に内心ホッとしていた。シスター・ベロニカに聞いていた通りだったからだ。
修道院長に事前に「前聖女のエッダは元からココに好意的」と聞いて、ナタリアは正直ちょっと驚いていた。彼女はエインズワース家とは別の伯爵家の次女で当然生まれついての貴族令嬢。初めからココに含みを持たない高位貴族というのは珍しい。
しかも自分が務めた“至高の地位”を襲位したのが貧民上がりの六歳児。気位の高い人ならば、とても落ち着いて引継ぎなどできまい。
前聖女がココに本当に友好的な様子を見て、ちょっと上司の見解を危ぶんでいたナタリアもやっと安心できた。
(やっぱり経験者だから、聖女の大変さがわかるのかな?)
前聖女が一般的な王国貴族と違うのは、彼女が聖女の実際を知っているからだろうとナタリアは思った。体験した者にしかわからない共感を感じているのかも知れない。
見ていると挨拶が一通り済んだらしく、ココがナタリアの方へ手を差し伸べた。
「そうそう、エッダ様に是非ご紹介を。実は今日は私の側付きをしてくれています、シスター・ナタリアが同行してくれました」
「まあ、初めてお会いする方ね?」
こちらへ顔を向ける伯爵夫人へ、ナタリアは慌ててスカートをつまんで腰を折る。
「あ、はい。お初にお目にかかります。ココ様のお付きをしております、ナタリアと申します」
名乗ってからナタリアは(しまった!)と思ったけど、もう後の祭り。ぼんやり考えている間に自分に話が及び、とっさに宮廷式の挨拶が出てしまった。
聖女のお付きで来ているのだから貴族を相手にしても教会式に頭を下げるべきで、恥じ入るナタリアをエッダとココがくすくす笑う。
「すみません、ついうっかり……」
「もう、シスター・ナタリアったら」
「フフ……今日は私たちだけしかおりませんので、マナーはどうぞ気になさらないで気を楽になさって? ささ、どうぞ奥へ!」
ココにまで笑われてしょげているナタリアに微笑みながら、エッダ夫人は身振りでどうぞと奥を指し示した。ちょっとばつの悪い思いをしながらも、悪い感じはしない。穏やかな人柄に救われる思いで、ナタリアもココに続いて足を踏み出した。
◆
館の規模に見合ったこじんまりした応接間に通されると、既に茶菓の準備が整っていた。主人の席に茶道具が揃っているので、メイドも置かずに自分で取り仕切るようだ。
「この別荘は私と主人の私的な付き合いの為に用意した館でございましてね。家人も入れずにのんびり話したい時に使っておりますの」
伯爵夫人の説明に、ナタリアはなるほどと頷いた。
貴族の生活は、“プライベート”の中にも段階がある。
公式行事と言わないだけで、実際は舞踏会と変わらない社交を繰り広げるもの。
特別な歓待する意味での“私的空間”への招待。
派閥の決起集会や表立ってはできない極秘会談。
同好の士を集めた秘密の定例会。
本当の友達と利害関係なしに遊ぶ場。
夫婦水入らずでのんびりする休み。
貴族はそういう風にプライベートを順を追って“切り売り”することで、相手への歓迎ぶりを表現しているのだ。面倒な事だけど、これが上流階級の習慣なんだから仕方ない。
そのランク付けで考えると、伯爵夫人はココの訪問を仕事ではなく本当に個人的な友人の来訪と捉えて歓迎してくれているようだった。
何から何まで行き届いている。ココにこれだけ配慮してくれる王国貴族がいただろうか。
夫人の気配りの緻密さにナタリアが感心していると、彼女がココたちの荷物を持ってきた家令に人払いを命じた。
「いつも通りこちらの事は私がやりますから、あなた達はもう休んでいいわよ」
「承知致しました」
朗らかに会釈して退出する老執事を見送り……十分に時間を取ったところで。
「うっしゃー、はじけるぜ! あ、ココちゃんソコの棚に肴準備してあるから」
ソファの後ろから引っ張り出した酒瓶を卓上に並べながら、客に支度を手伝わせる前聖女様。
「あいよー。カップどうする? せっかく出てるからティーカップで良い?」
他人の家の戸棚を自宅のようにかき回しながら、マナーもへったくれもないことをのたまう現聖女様。
「おっ、炙り物あるじゃん、いーねー。取り皿は? ここの出す?」
「茶碗受けの皿で良いんじゃない? ココちゃんホント肉類好きよね~。私、最近胃もたれするようになってきたわ」
「修道院長じゃあるまいし、老け込んでるんじゃないぞ姉御」
「行かず後家のオバちゃん! 懐かしいわあ……会いたくないけど」
「それな!」
陽気に宴会の準備をしていたココが呆けているナタリアに目を止めた。
「どうしたナッツ。おまえも手伝えよ」
「…………どうしたも、こうしたも……」




