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第46話 聖女様には秘密があります

 大聖堂でのミサの最中。

(……あっ!)

 教皇がスピーチをしているのを最前列の特等席で聞いていたココが、急に小さな叫びを上げた。

 すごく小さな声だったので、お付き特権ですぐ横に座っていたナタリアにしか聞こえなかっただろう。目にした人間がいても、聖女が僅かに身じろぎしただけにしか見えなかったはずだ。

 演説を邪魔しないように、ナタリアも思い切り小さい声でココの耳元に囁きかけた。

(ココ様、どうなさいました?)

(ああ、ナッツ……いやな、良く考えたらさ)

(はい?)

(私、はいてなかったわ)

(……はい?)

 ココが何を言っているのか判らない。ナタリアが思わず教皇から視線を外してココを見ると、ココもナタリアを見返した。

(だから)

(はい)

(私、良く考えたらパンツ履いて来るの忘れてた)




 聖女の告白を聞いた時、よく叫ばなかったものだとナタリアは後に語った。自分で自分を誉めてあげたいと。

 とにかくこの時のナタリアは驚きを表に出すのをぎりぎり堪えた。ビクンと跳ねたものの、叫びを上げることはかろうじて抑えた。後から後ろで見ていた修道院長に寝落ちを疑われて尋問されたけど、ミサの最中に場の空気を壊さなかったことだけでも褒めて欲しい。

(ど、どどどどどどどどどういうことですか、ココ様!?)

(たかがパンツ一枚に動揺しすぎだぞ、ナッツ)

(だって!? 女子的には大きな問題ですよ!)

 履いてないはずのココの方が悠然と構えて、何の違和感も感じさせずに澄ましている。その神経がナタリアには信じられない。

(着替えた時にバタバタしていただろ? それじゃないかな。どうもスースーするので法衣に穴でも開いているのかと思ったんだが……うん、この感触。履いてないわ、私)

 あっけらかんとココは言うが。

 起床から三時間は経っているのに、なんで今まで気が付かなかったのか!?

 ナタリアのほうは今すぐ問い詰めたい思いでいっぱいだ。

(夜更かしして寝坊するからですよ! なんでこんなに時間が経つまで気が付かなかったんですか!?)

(私なんかを聖女にした女神が悪い。ヤツの任命責任だな)

(言ってる意味が判りません!)

 思わぬ秘密を共有してしまい、ナタリアもどうして良いか判らない。

(どうしよう!? どうしよう!? どうするんですかココ様!?)

(どうするも何も。おまえまさか、今この場でパンツ履いて来るから中座しますって言えるか?)

(言えるわけないでしょう!? なんでこんな時に……)

 そう。こんな時に。


 大聖堂に普段よりぎっしり人が詰まっている今は、ビネージュ王国の建国四百年を祝う祝典ミサの真っ最中。まさに()()()()に、儀式の重要人物である聖女が中座できるわけがない。

 教会関係者や信徒だけでなく、王国重鎮まで勢揃いして厳粛な空気に包まれている中で「ごめん、ちょっとパンツ履いて来ます」……。

(出来るわけないわっ!!)

(落ち着け、ナッツ。こういう時は案外堂々としていればバレないもんだ)

(そりゃ、見ただけじゃわかりませんからね!?)

 演説が終わりかけの教皇が、二人が集中していないのに気付いてじろりと一瞥した。祭壇の上からは見えていたらしい。列席者からは視線の意味は判らなかっただろうけど、司会進行をしているウォーレスは聖女の席に何かアクシデントがあったのに気が付いたようだ。

 これ以上トラブルを周囲に知られるのはまずい。

 今できることは何もないし、ナタリアも早く終われと念じながらココの横で身を竦めているしかない。

 何故か堂々としているココを恨めしく思いながら、ナタリアは千々に乱れる心を押し殺して憂鬱な顔で祭壇を見上げた。




 スピーチが終わり、進み出たウォーレスと入れ替わるように教皇(ケイオス七世)が壇上から降りて来た。

 通常なら教皇の席と聖女の席は少し離れているのだけど、今日は王国関係の特別なミサということで大物の臨席が多く、重要人物の席は余裕なく間を詰めてある。肩が触れ合うような近さに座った教皇が、視線をウォーレスに合わせたまま聞いてきた。

(聖女よ、どうしたのだ? 今日の式典がどれほど重要か判らぬわけはあるまい)

(すまんすまん、ちょいトラブル)

 軽い調子で返す聖女を教皇が横目で睨む。自覚の足りない聖女がまた何かくだらない事で騒いだと思ったらしい。

(一体なんじゃ?)

(うむ)

 ココも横目で教皇に視線を合わせた。向こうが原因を気にするのなら、ココも教えてやるのはやぶさかではない。

(パンツ履いて来るの忘れた)

(パッ!?)

 のちに教皇ケイオス七世はこの時のことを振り返り、

「驚いて叫んでしまうところだった。声に出さなかった自分を自分で褒めてやりたい」

 と語った。


 見た目はどっしり構えているように見えるが、かすかに届く教皇の声は動転して裏返っている。腹話術かと思うぐらいだ。外見に似合わず芸達者な爺さんだとココは思った。

(な……何をしとるんじゃ、おぬしは!?)

(何をも何も)

(あ、あれか? 現代社会への叛逆とかいうヤツか!?)

(ジジイ、おまえパンツ一枚でなんでそういう発想になるんだ)

(となると……もっと単純に反抗期の発露か)

(反抗期をなんだと思ってるんだ。そんなんじゃ子育てに参加したこと無いだろ……て、坊主なら当たり前か)

(いや、おぬしの発育度合いから考えて……イヤイヤ期!)

(おうジジイ、表に出ろ)

 教皇はココが話にならないので、問題児の頭越しにナタリアを叱りつける。

(おぬしがついておりながら何をしておるのじゃ!)

(申し訳ございません! 私も今言われて知った次第でして……)

(マルグレード修道院ではそんなオシャレが流行っておるのか!? いかん、聖女にはそんなのまだ早いぞ!)

(そんな流行は古今東西ありません! 猊下は女子のファッションをなんだと思っているんですか!)

(なんでもいいが人の頭の上で言い争うな!)

 この会話が一列後ろでも聞き取れないのだから、教会上層部の“内緒話”のスキルは泥棒並みに優秀だ。但し教皇と聖女とお付きが頭を引っ付けあっているので、内密な話をしているのは丸わかりだが。

(単純に朝ぼんやりして履き忘れただけだ)

(おぬし、頭は大丈夫か?)

(パンツ履かないのが自己主張だとか、脈絡もなく早合点するボケ老人よりはしっかりしてる! ……と、私の番か)

 ウォーレスのさりげない合図に、ココが覆い被さって(ナタリア)来ている両側(と教皇)を無理矢理押しのけて立ち上がる。ちなみに教皇が加わってからの会話はここまで十秒かかっていない。一流の“内職者”は無駄な時間を使わない。




 女神へ捧げる聖句を詠唱するために、ココが登壇した。

 聖女が壇上へ現れると、大聖堂を埋め尽くす観衆が一斉にどよめく。ここまで干からびた老神官ばかりが法話をしていたところへ、正装の美少女が静々と現れたのだ。騒めくのは無理もない。


 今日のココはいつものシンプルな修道女の黒い法衣ではなく、白と銀を基調としたシックでひらひらゴテゴテな儀式用の聖女の正装をまとっていた。

 この法衣は銀糸の刺繍や寒色系の宝玉をさりげなく、かつ大量に縫いつけた逸品で、ココのパーソナルカラーに合わせてある。

 ココ自身が目を引く美しい銀髪と白皙の美貌、透き通った碧眼の持ち主だけに……特注法衣の相乗効果は抜群だ。聖女の正体を知っているナタリアたちでさえ見とれるのだから、何も知らずに仰ぎ見る信徒たちは魂の抜けたようなため息しか出てこない。

 満場の列席者の心を鷲掴みにする傾国の美姫聖女。

 そんな彼女が今、何を考えているかというと……。

(フッフッフ……みんな、まさか私が今パンツ履いてないなんて想像もしてないだろうな)

 露出狂的な愉悦だったりする。


 ココは一度振り返って列席者にも一礼した。そんな必要は無いのに、思わずココに向かってお辞儀を返してしまう者がちらほら見える。

(ふむ。しかし考えてみると面白いな)

 もう一度祭壇に振り返りながらココは思った。

 マジメな場所でマジメであるべき式典で、人知れずちょっと背徳的な恰好をしているとか。いや、単純な履き忘れを背徳的というのか知らないが。

(あの存在自体がふざけているバカ王子(セシル)が、民衆の前で正体(ヘンタイ)を隠して生真面目ぶっている気持ちもちょっと判る気がするな)

 今も下で見守っている王太子がマジメに公務を執り行うのを異常性癖によるものと決めつけた聖女は、司祭(ウォーレス)の誘導に従って祭壇の前に膝をついた。

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― 新着の感想 ―
[一言] このパンツの話、酷く下らないのに底抜けに面白いですねw
[一言] 可憐な乙女の儚い事件だ・・・
[一言] 毎朝楽しんで読んでます。 今回の事件?終わり際に王子に、「つけてない君も素敵だ」的なことを囁かれてしまえばいいと思った。
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